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2005.08.09

ガンモ、二十八年の想いを叶える

 さて、帯広のホテルをチェックアウトした私たちは、根室本線に乗り、ひとまず池田まで出た。そこから北海道ちほく高原鉄道に乗り換え、北見へと向かった。途中、足寄(あしょろ)で降りて、松山千春さんの故郷を堪能した。

 苦手アーチスト克服?にも書いた通り、もともとバンド志向の私は、ソロアーチストである彼の音楽をほとんど聴いたことがなかった。しかし、ガンモは、中学の頃に松山千春さんのオールナイトニッポン(二部)に出会い、それほど熱狂的ではないにしても、出会ってからの二十八年間、彼の音楽をずっと大切にして来た。地図帳で北海道のページを開いては、彼の出身地である足寄を確認し、自分もいつかそこに行きたいと思っていたそうだ。その想いが、二十八年目にしてようやく叶ったのである。しかも、来年廃線になることが決まっている北海道ちほく高原鉄道の乗り潰しもできて、一石二鳥なのである。ガンモを足寄に導いたのは、鉄道への情熱でもあったかもしれない。

 足寄で昼ご飯を食べたあと、ふと、道路わきにある看板が目に入って来た。「千春の家」と書かれている。看板の雰囲気からして、まるで喫茶店の案内板であるかのように思えたのだが、その案内板に添って少し歩いてみると、松山千春さんの大きな絵の看板も見えて来たので、どうやら喫茶店ではないらしいということがわかった。私たちは、案内板に添って歩いた。

 彼の家を探索している間中、ガンモは、彼の名曲である『大空と大地の中で』をずっと口ずさんでいた。しかし、正確な歌詞がわからず、同じフレーズを何度も何度も繰り返していた。
「この歌を聴いて、俺も頑張らなきゃと思ったんだよね」
とガンモは言った。発信する側が意識するしないに関わらず、誰かの言葉が間接的に他の人に元気を与えることはある。それは、言葉を発信して行く人の宿命なのかもしれないとも思う。

  『大空と大地の中で』を何度も口ずさんでいるうちに、私たちはとうとう彼の家を見つけることができた。そこは、事務所兼実家のような位置づけになっているらしい。表札には、彼の親族の方と思われる方の名前と、事務所の名前が掲げられていた。私たちの他に、ファンらしき人影はまったくなく、松山千春グッズのようなものを扱うお店も見当たらなかった。きのう訪れた幸福駅の雰囲気からすれば、そこはむしろ地味な感じだった。それでも、ガンモは感慨深い様子でじっと彼の家を見入っていた。一般のお家とあまり変わらない雰囲気だったので、長居はせず、すぐに退散したのだが、駅まで戻る道のりも、ガンモはずっと『大空と大地の中で』を口ずさんでいた。二十八年の想いが叶って、ガンモはとにかくうれしそうだった。

 足寄駅の二階には小さなギャラリーがあり、松山千春さんの年表やパネル、ステージ衣装といったメモリアルグッズが展示されている。そこには椅子やトイレの設備もあり、ちょっとした憩いのスペースとなっている。また、ライブの内容を収めたDVDやビデオも鑑賞できる。私はこれらの光景を目にしながら、この小さな町で生まれ育った彼が、多くの人たちの心を掴んで離さくなるほどのビッグアーチストに成長して行ったことに、深い感動を覚えずにはいられなかった。おそらく彼は、自分の使命を知っていたのだと思う。そして、自分のやりたいことと、その使命が一致していたのだろう。最近、人々を成功に導こうとするブログが多いが、本当の意味での成功とは、使命と本人のやりたいことが一致している状態を表すのではないかと思った。

 足寄駅の改札近くには、北海道遺産と書かれた、北海道産の大きなふきと一緒に写っている松山千春さんの大きなパネルがある。ガンモはパネルに写っている彼の横に並び、記念撮影をした。私はそのパネルを見たとき、「人間、年を取れば丸くなるものだなあ」と思った。私が知っている松山千春さんは、ニューミュージック全盛期と言われた'70年代の後半の人である。その頃は、いくつものベストテン番組がテレビで生放送されていた。しかし彼は、自分の曲がベストテンにランクインしても、決してテレビに出ようとはしなかった。ベストテン番組を主とする生放送は、放送時間の関係で、曲を大幅にカットしなければならず、フルコーラスを歌うことができないという理由かららしい。テレビに出れば、今よりももっと人気が出るのはわかり切っているはずなのに、彼は彼なりに、絶対的なポリシーを持っていたのだ。当時若かった私には、そうしたポリシーが、頑固な要素として映っていた。だから、それほど頑固な彼が、北海道遺産の大きなふきと一緒に写っているおだやかな表情の写真を見ると、丸くなったように映って見えて仕方がなかった。年を取ると、責めるという凸の姿勢から、許容するという凹の姿勢に変わって行くのかもしれない。

 こうして、足寄をあとにした私たちは、北見に入り、北見のホテルにチェックインした。北見には二泊の予定である。

今日撮影した写真:ガンモ、二十八年の想いを叶える
北海道ちほく高原鉄道

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