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2005年8月

2005.08.31

ソウルメイトの歩み寄り

 古い友人から、私の好きなアーチストのラジオの公開録音の入場券が一枚余っているがどうかというメールが届いた。彼女の友人のそのまた友人が、その公開録音に参加する予定だったのだが、急な用ができたため、行けなくなってしまったのだと言う。

 一枚の入場券で、二人まで入場可能なのだそうだ。公開録音は、徳島県内のとある遊園地で行われる。私たち夫婦は、かつて、その遊園地に足を運んだことがある。もともと、公開録音に指定されている日は、ガンモと二人で青春18きっぷの鉄道乗り潰しの旅に出掛けることになっていた。自分たちで購入していた五枚綴りの青春18きっぷでは足りなかったので、一枚だけ残っている青春18きっぷを、ネットオークションで落札したばかりだった。だから、ガンモは着実に、青春18きっぷで行く鉄道乗り潰しの旅の計画を着々と立てていたはずだった。

 私はガンモに、
「ラジオの公開録音があるけど、どうしよう?」
と相談した。すると、ガンモはうれしそうに困ってくれた。
「その入場券で二人入れるの?」
と笑いながら、私に確認するのだ。その表情は、鉄道乗り潰しのために既に計画は立てているものの、ラジオの公開録音に参加するのも悪くないといった様子だった。私はとてもうれしくなり、
「えっ? 公開録音に一緒に行ってくれるの?」
とガンモに尋ねた。ガンモは、
「もうちょっと待って」
と言いながら、時刻表をめくりながら、熱心に調べていた。

 翌朝、友人にメールの返事を送るために、もう一度、ガンモに尋ねてみると、
「まるみが行きたいんだったら、行くって返事していいよ」
と言ってくれた。私が、
「やったー!」
と言って喜ぶと、
「その代わり、鳴門線制覇するからね」
とガンモが言った。はっはっは、なるほど、そう来たか。まあ、それも良いだろう。

 ガンモとは、これまでに何度も、このアーチストの公開録音に一緒に出掛けている。ソウルメイトってやつは、どうしてこんなにも献身的に、相手に歩み寄って行けるのだろう。一緒にいると、どんどん相手の好きなものを吸い込んでて行く。そして、相手の好きなものを一緒に楽しむことが、お互いの喜びになって行く。本当に、すりすりしたくなるような愛らしい存在だ。

 ガンモ、ありがとう。

※現在、掲示板の不具合のため、皆さまはご不便をおかけしてしまい、申し訳ありません。

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2005.08.30

裏側からの愛

 今日は、お約束通り、夏綺さんへのコメントを書かせていただくことにする。

※夏綺さん、大変お待たせ致しました。m(__)m そして、お忙しいところ、どうもありがとうございます。

> まるみさん、皆さまへ
>
>
> まるみさん、ガンまる日記で私のことを気にかけて
> 下さってありがとうございます。
>
> 返信は気長にしてくださって構いませんからね!

夏綺さん、お仕事でお疲れのところ、本当にありがとうございます。m(__)m
夏綺さんが書いてくださった過去のコメントに返信させていただこうと思っていたのですが、
新たな風が吹き始めたようで、とてもうれしく思っています。
夏綺さんの中には、既に変化が起こりつつあるようですので、
新しいほうのコメントに返信を書かせてくださいね。

> このはなさん、お久しぶりです。
> そしてまるみさんへのメール拝見致しました。
>
> 私は、基本的に争いごとが苦手です。
> そしていつの間にか人に合わせ、中立な立場をとり逆に人を
> 傷つけることがありました。
> 自分の意見を隠してしまい、後で何度も後悔をする。

この方法は、一見、丸く収まるように見えて、実際はそうではないんですよね。
本当に心地良いコミュニケーションとは、
お互いの役割が入れ替わりながら成り立って行くものだと思うんです。
でも、この方法だと、いつの間にか、お互いの役割を固定させてしまうんですね。
だから、片方の学びしか体験できなくなってしまうんです。

自分の思っていることをはっきりと表現したことが原因で、例え争いに発展してしまったとしても、
相手を大切に思う気持ちがあれば、再び交流できるのだと思います。
現に、夏綺さんと私だって、お互いの意見を言い合ったけど、こうして交流が続いてますもん。

> SHANAさんの優しさあふれる言葉を聞いて。
> てんてんさんの強く温かい愛の溢れる言葉を知って。
>
>
> 私も自分を見直しました。
> 何度も、何度も。
>
> 私は光・闇の部分というものがよくわかっていなかった。
> 正直に言って。
> 闇ってなあに??
> 光ってなあに??
>
> それをこのサイトを通じて、徐々に理解していっているように感じてます。

あはは、ありがとうございます。m(__)m
掲示板がとてもいい方向に流れ始めたとき、あまりにもその光が作られたものであるような気がして、仕方がなかったのです。
みんなは、素晴らしい、素晴らしいと言っているけれど、その書き込みは、誰の目に触れても感動に値するものなのか。
そういう観点で、いつも掲示板を見守らせていただいていました。
そして、今の流れは、私の望む方向はないと、はっきりと書かせていただきました。
しかし、あたかも光であるかのように思えていたそれらの書き込みが、本当は闇ならば、
私は、それらの闇を受け入れなかったことになるのですよね。
それについては、現在、考え中です。(苦笑)

> 私はツインのことが心配だといいながら、彼への気持ちを抑えられなくて
> 傍にいるソウルメイトの彼を蔑ろにしていた。
>
> でも、必死にまるみさんが訴えかける、目の前の人を愛していますか?
> という言葉に深く考えてみた。
>
> 私はソウルメイトの彼に支えられ、守られてきて私の「今」がある。
> 一方的に愛情を与えられていたのだとすればこの関係はいつの間にか
> 終止符をうっていたと思います。
> けれどそうならなかったのは、彼にとっても私という存在が
> 必要でお互いを支えあってきたからだと思っています。

夏綺さん、お帰りなさい! と私は申し上げたいです。
私の投げかけた言葉を、一生懸命考えてくださってありがとうございます。m(__)m
そうです、その大切さに気が付いて欲しかったです。

> 今まで近くにいすぎていて、彼のことを考えたことがなかった。
> 空気のようであたりまえのように私の傍にいたから。
>
> でも彼がいたからこそ、私は心の安定があり、逆にツインのことを
> 心配できているのだと思いました。
>
> 心のゆとりがあるからこそ、いろんな人達を優しく見守ってあげられることが
> できる。
> これがソウルメイトとも傷つけあい、何もない状態だとすれば私はツインのことを
> 心配する余裕もなにもなかったと思うから。

空気のようであたりまえのように傍にいてくれる存在は、
失って初めてその大切さに気づいて行くのだと思います。
そうなってしまう前に、今、この瞬間に一緒に過ごしていることを実感し、
もう一度、愛の中に戻って行くことが必要だと思いました。
いつも安定の中にあるソウルメイトは、一番愛を語りやすい存在のはずなのに、
何故、みんな、ここでソウルメイトの愛を語ってくださらないのか、
私はいつも不思議に思っていたんですよ。
だから、皆さんの書き込みが、ないものねだりに思えて仕方なかったんです。

> >私が彼への愛を貫いたとしても、家族を決して不幸な人たちにしない方法が、
> >幸せを共有する方法が、きっとあると信じます。
> >そしてその方法が特別な魔法であり、それを見つけだすことが、
> >今の私の「課題」でもあると思っています。
>
>
> 私にもそんな方法があれば幸せだと思うし、信じたい気持ちもわかります。
> けれど、このはなさん。
> 私もてんてんさんと同じ意見なのです。
> 旦那さまのことを好きでもないのに、切り離さない。
> それはどうしてですか?
> 家族が大切なのもわかります。
> ツインの彼を愛している気持ちもわかります。
> だけど悲しすぎます。
> 私がいうのもなんなのですが、白黒をつけろ! はっきりしようよ! とまでは
> 言わないけれど、このはなさんの心の中ではもうしっかりと決まっているように
> 感じます。
> 私も人のことを言えませんが、こうしてまるみさんの掲示板によって考えさせられ
> 新たな言葉を知って、別の道が見えてくるような気がしてなりません。
> 私が、傍にいるソウルメイトの彼を大切に思うようになったのと同じで……。

愛のはなしなのに、何故か悲しいですよね。
そういう書き込みがあると、これまで自分が大切に守って来た愛というものが、
一緒に傷ついて行くような気がして、魂の奥のほうが、ちくりと痛みます。
だから私は、そうしたものが愛だと思ってらっしゃる方に対しては、
厳しい警告の言葉を発します。
それは、愛に向かうためのプロセスであって、愛そのものではないと思うのです。

だけど、まったく別の方面から、本当にもう愛せなくなってしまった人を再び愛せるのだろうかという疑問は沸いて来ますね。

> >そしてこれから先、失敗してもいいんだと思っています。
> >失敗してそこから学び取る事をしないと、あとから更に大きな課題がくるのだと思 います。
> >私はまるみさんのやけどの話に例えるなら、「やけどは熱い」という教科書の言葉 よりも、自分で体験して魂に刻み付けることを選びたいと思います。
> >じぶんが信じた道を進む事でやけどを負ったとしても、自分も、周りの人も、そこから学び取る事があ
>>るような気がしています。
>
>
> 周りの人の学び……。
> 私にもその意味が少しわかるような気もするけれど。
> それでも……。
> 自らのせいで周りが傷ついてしまうのは怖いです。
> 正直それならば、黙って耐えて今の情況の中で何かを見つけようと
> します。
> 別のものを。

傷つくことが必要というのは、敬語で言うところの謙譲語と同じで、自分に対して使う言葉であって、他の人に対して使う言葉ではない気がします。
申されるとか、参られるといった間違った敬語の使い方をしないのと同じように、他の人に対して使う言葉ではなく、実際に苦しみを乗り越えて大きな学びを体験した人が使う言葉だと私は思います。

> 私はかなりツイン・ソウルメイトという存在に踊らされ自分自身を見失っていたよう
> に
> 思います。
> 私のやりたいこと。
> 何が一番大切なのか。

私も、ここ最近の掲示板の流れを拝見しながら、ソウルメイトやツインソウルという存在にこだわる必要はないのではないかと思い始めました。
私は決して、ソウルメイトやツインソウルのはなしがしたいわけじゃないということが、わかって来ました。
ソウルメイトやツインソウルのはなしでも、心にぐさっと来るような内容の書き込みもありますから。

> ツインのことは心配です。
> でもmikiさんも仰ってくれたように、突き放すのも愛かもしれません。
> 彼が自分で這い上がっていかなくてはならない壁なのかもしれません。
> それにもしかしたら私の勝手な思い違いで、彼を助けられると思っていても
> 彼は必要としていないかもしれないのですから。

その通りだと思います。突き放す愛があることは、夏綺さんご自身も、既に気づいてらっしゃいましたよね。
ソウルメイトやツインソウルと一緒に過ごせないというのは、一緒に過ごしたときには決して体験できないような愛を、魂が体験したがっているのだと私は思うんですよ。
昔、大原麗子さんでしたか、「長ーく愛して、ずーっと愛して」というCMがありました。
私は、愛というものは、一緒に過ごす表側からの愛と、一緒に過ごさない裏側の愛があるような気がしてなりません。
だから、「表からも愛して、裏からも愛して」でしょうか。(笑)
表と裏、どちらもマスターして初めて愛と言えるのかもしれないと思っています。

> そしてソウルメイトの彼のことをきちんと心の中に、今まで考えたことも
> なかった彼への大切な想いを思い出させてくださった皆さま方、
> そしてまるみさん、ありがとうございます。
>
> そして私は自分の「夢」
> 自分が本当にしたいことを考えていこうと思っています。
>
> ソウルメイトの彼に依存すること。
> ツインフレームの彼のことを考えること。
>
> それだけが私の道ではないと思うから。
> 私自身がもっと、もっと成長して、逆に彼らを高めていけるぐらい強くなって、
> 支えれるぐらいになりたいと思っています。

夏綺さん、私は本当にうれしいです!
夏綺さんは、本当に愛情深い方ですね。
私からもありがとうです。
ツインの彼と一緒に過ごせなくても、夏綺さんの存在が、既に彼を精神的に支えていると思うんです。
むしろ、一緒に過ごそうとして、彼に向かってしまうと、お二人の関係は壊れてしまうような気がします。
ツインの愛は、そのような二人を許さないのではないでしょうか。
そして、今、目の前にいるパートナーをしっかりと見つめて行けば、
その愛は必ずツインに繋がって行くと思いますし、
また、何故、ツインと離れることになったかについても、わかるようになると思います。

> このはなさん、皆さまはこのはなさんを責めているのでもなく、
> 一緒に考えていこうと思っている人ばかりです。
>
> 私もきつい言葉になってしまいましたが、このはなさんの未来を、
> 先を応援していますね。
> (でも誰も傷つかない方法が一番ですよ〜〜(笑))
>
>
> まるみさん、皆さま。
> 本当にありがとうございます。

夏綺さん、本当にありがとうございます。
本当にうれしいです。

このはなさん、このような掲示板の流れはいかがでしょうか。
もしもまだ、この掲示板に学びが残っていると思われたら、またアプローチしてくださいね。
夏綺さん、お仕事がお忙しいようですが、どうかお身体に気をつけて、忙しさを乗り越えて行ってください。

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2005.08.29

闇の言葉を聞いてみたかった

 今日は、夏綺さんが掲示板に書き込んでくださったコメントへの返信を書かせていただく予定だったのだが、実は、このはなさんから大変丁寧なメールをいただいた。そのメールの中で、このはなさんが、今の気持ちを私に託してくださると書いてくださったので、このはなさんが掲示板に書き込むことを躊躇されていた部分を削らせていただいた上で、こちらでご紹介させていただこうと思う。私が自分の言葉に変換してお伝えするよりも、このはなさんご自身の言葉で書かれた原文のほうが、このはなさんの想いが皆さんに伝わりやすいと思ったからだ。

※このはなさん、どうかご了承ください。夏綺さんへの返信は、この次の記事で必ず書かせていただきます。

まるみさんへ

まるみさん、こんにちは。
このまま何も語らないという方法もあったと思いますが、私は人間が好きなので、きっぱりとたち切る事などどうしても出来ず、今の気持ちをまるみさんに託したいと思いました。

書きこみをしなくなってからまだ数日しか経っていないのに、もう随分過ぎてしまったようにも感じています。あの後、色々な方からたくさんの言葉を頂きました。
本当はひとりひとりの方にお返事させていただきたい気持ちなのですが、どうかこの場をお借りして、私の気持ちを伝えさせてください。

たくさんの方からのメッセージを、とてもありがたい気持ちで読ませていただきました。
叱咤激励の言葉も、反論の言葉も、そして私の心にそっと寄り添ってくださった言葉も、寂しがってくださった言葉も、どの言葉も、まるみさんの掲示板に引き寄せられた愛情深い方達と出会えた証拠として、大切に受け止めさせていただきました。
そして、今の私の考えとは少し違うと感じても、まだまだ先が見えない私には、これから先、どの方の言葉に支えられるかわかりません。
私のことを思って、まるみさんのことを思って、掲示板やそこへ訪れる方のことを思って書いてくださった言葉を、私は神様が用意してくださった言葉だと受け止めています。
大げさなどではなく、本心からそう思っています。
皆さんが経験してこられた尊い人生を、惜し気もなく、私の為に言葉を尽くしてくださった事に、心から感謝を申し上げます。

皆さんは、私が今辛い気持ちでいると心配してくださっているのですが、私はとても元気です。
彼に対しては相変わらず切ない気持ちもありますが、愛を感じるが為の大切な感情です。
仕事なども思った通りの展開になり、9月からはだいぶ忙しくなりますが、とても充実していて、本当に幸せなのです。守護霊様の力を強く感じています。

※まるみコメント:この間に、彼の仕事が、男女問わず幅広い年齢層に支持されていること、そして、そのことがこのはなさんの大きな喜びになっているということが綴られていた。

私は先日、ある信頼できる、霊感や直感などを通して多くの魂をサポートしていらっしゃる方が行っているトータルヒーリングというのを受けました。彼と出会った意味を確認したかったからです。
その日、色々な質問に答えた後、彼との事をお話しました。
そして全てを聞いた後、私の目を真っ直ぐ見ながら語ってくださいました。

※まるみコメント:以下、彼の仕事と年齢を○○に変換させていただいた。

「彼は今あなたの存在がとても大きな支えになっています。とても素晴らしい出会いなので悪い事などひとつもありません。彼の○○は世の中の平和のために必ず役だって行き、これからもっと出て行くことになるでしょう。これからも今まで通り彼を支えていってあげてください。現実的な問題が出てきた時は、その時の自分の常識で判断していけば良いのです。そしてあなたはもっと絵を描いていって下さい。それを彼にあげるのもいいし、多くの人にみてもらうのもいい事です。」
このようにお話してくださいました。
そして最後に彼の写真を見ていただいたところ、○○歳の彼の事を、「この子は神の申し子ですね」と言い切ってくださったのです。
私も彼に出会った頃から彼の中に「神」を感じていました。
彼は人間性の素晴らしさだけでなく、彼の○○には人の心を癒し、きれいにしてゆく力が確かに存在しています。彼は○○ために生まれてきたと思っています。
今彼の仕事もすごく乗っていて、まさに羽ばたこうとしています。
私はこれからも今まで通りで良いという言葉がとても嬉しくて、今まで自分の心の声にしたがって来ましたが、これからもそれでいいのだと確信できた日でした。
そのほかにも幼い頃からのトラウマを消滅してくださったり、ネガティブな想いが現れたときに、それを消し去る方法なども教えていただけました。その日は何故か前世は見ることが出来ませんでしたが、徐々に判っていきそうな気がしています。

これから先どうなって行くのか私にもわかりません。
でも私が今できる事は、現実の中では新しい仕事に励みながら、家族の健康を願って生活して行く事と、魂の探求を続けながら、彼を応援して魂の交流を続けて行くことです。
そこから先は、もう神のみが知る事だと思っています。

まるみさんは私が主人を切り離して彼のところへ行ってしまうことを心配して下さっていますが、私が主人を愛せなくなったからといって切り離そうなどとは思っていません。
それは、まるみさんと最初の頃のやりとりの時に決めていました。
あの時まるみさんは「特別な魔法」があるのかもしれないとおっしゃってくださいましたね。
私が彼への愛を貫いたとしても、家族を決して不幸な人たちにしない方法が、幸せを共有する方法が、きっとあると信じます。そしてその方法が特別な魔法であり、それを見つけだすことが、今の私の「課題」でもあると思っています。
そしてこれから先、失敗してもいいんだと思っています。
失敗してそこから学び取る事をしないと、あとから更に大きな課題がくるのだと思います。
私はまるみさんのやけどの話に例えるなら、「やけどは熱い」という教科書の言葉よりも、自分で体験して魂に刻み付けることを選びたいと思います。
じぶんが信じた道を進む事でやけどを負ったとしても、自分も、周りの人も、そこから学び取る事があるような気がしています。

私がまるみさんを変えられるなんて思っていませんが、さらに幅広い愛の形を、その愛に溢れたまなざしで深く見つめてゆくことで、より多くの人が救われて、幸せになれるのだと思います。
今でもまるみさんを応援する気持ちは、少しも変わっていません。
これからもたくさんの人たちに愛され、信頼され、頼られる存在として、HPの運営を末永く続けて行ってくださいね。
たくさんの気付きと、大きな力を、本当にありがとうございました。

 このはなさん、ずっと黙り続けることもできたはずなのに、本当にありがとう。その上、私への応援の言葉までいただいて大変恐縮である。でも、でも、でも・・・・・・。正直に書いてしまうと、私は、ますますこのはなさんがわからなくなってしまった。どうして、このはなさんは、ご主人さんを愛せなくても、ちっとも辛くないのか。辛くないとおっしゃるこのはなさんが、まるでデジタル人間のように思えて仕方がない。そう、ちょうど、音楽が、アナログ盤のレコードからコンパクトディスクに移行したときのような感覚だ。このはなさんは、今の状況が辛いからこそ、信頼のおける方に、霊視していただいたのではないのか。

 デジタルが奏でる音は美しい。しかし、音が澄み切っているだけに、切れ味が鋭いような気がしてならない。コンパクトディスクには、アナログ盤が奏でるすり切れた音やノイズがない。音が完璧過ぎるのである。

 先日、掲示板に、結婚後にツインソウルと出会い、しばらくの間、苦悩が続いたが、夫への愛とツインソウルの愛が一つに繋がったときに、まるで嘘のように苦悩から解放されたという女性からの書き込みがあった。何故だろう。私は、その女性の言葉に対し、アナログ盤のような温かさを感じる。彼女は、苦しみを乗り越えて、ようやくユートピアにたどり着いた。今、彼女は、二つの愛を矛盾なく存在させている。それが実現できたのは、やはり、彼女がご主人さんやご家族を深く愛していたからではないだろうか。

 このはなさんは、ご家族の方たちを切り離すつもりはないとおっしゃった。ここで、もう一度、このはなさんの言葉を引用させていただくことにする。

私が彼への愛を貫いたとしても、家族を決して不幸な人たちにしない方法が、幸せを共有する方法が、きっとあると信じます。そしてその方法が特別な魔法であり、それを見つけだすことが、今の私の「課題」でもあると思っています。

 このはなさん。その特別な魔法とは、ご主人さんを愛すること以外にはないのではないだろうか。それ以外に、本当にあるのだろうか。あったら見せて欲しい気持ちはあるが、誰が読んでも傷つくことなく、心温まる内容であって欲しいと思う。私は、今のこのはなさんの言葉は、怖い。

 このはなさんとは、対立の関係を結ぶことが困難であることがわかった。何故なら、このはなさんが、すべての言葉を光に変換してしまうからだ。何故だろう。美しいはずの光に対し、私は疑いを抱いてしまう。このはなさんは、「何クソ!」とか、「コノヤロー!」といったような、ご自分の中に宿ったネガティヴな感情を無理に心の中に押し込めて、私に気を遣ってくださっているのではないか。無理にいい子になろうとしているのではないか。このはなさんと言葉を交わす度に、そんな思いがよぎってしまった。

 私は、このはなさんから、闇の言葉を聞いてみたかった。それが、ちょっぴり残念でもある。

※このはなさん、正直にいろいろと書かせていただきましたが、本当にありがとうございました。このはなさん仕立ての「特別な魔法」のご報告、ずっとお待ちしていますね。これからお仕事が忙しくなるそうですが、どうかお身体に気をつけてください。

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2005.08.28

火傷は必要か?

 今回は、夏綺さんが掲示板に書き込んでくださったコメントを引用しながら記事を書かせていただこく予定だったのだが、予定を変更して、SHANAさんからいただいたメールを皆さんにもご紹介させていただきながら、新たな展開を受け入れてみたいと思う。SHANAさん、記事の転載を承諾してくださってありがとう。

 まず、SHANAさんからのメールは、私が先日書いた、

 実は、先日、このはなさん宛のコメントを書かせていただきながら、私の中にはもう一つの考えがあった。それは、火傷をして、魂に刻み付けるということだ。私は、前世で当時の夫を深く傷つけた上でソウルメイトと一緒になった。そのときの後悔があるために、人を傷つけてまで一緒になるということを、これからの転生では絶対に選択しないことに決めた。それは、ある意味、火傷をして火の熱さを覚えたことになる。もしかすると、私は、火傷をして熱い想いをしたからこそ、もう火傷をしたくないと思っているのかもしれない。だとすると、まだ火傷をして熱い想いを体験していない魂は、火傷の経験が必要になるということなのだろうか。

 更に、これは本当に究極的な例なのだが、私たちは、人を殺してはいけないということを潜在的に知っている。ところが、何故、人を殺してはいけないかを明確に説明できる人はいないと言われている。しかし、もしかすると、もしかすると、人を殺してはいけないことを既に知っている魂は、過去世において、殺人を犯してしまい、ひどく後悔した魂なのかもしれない。しかし、もはやそのときの記憶がないために、それを明確に説明することができないのではないか。

 だとすると、すべての学びは否定的な手段でしか有り得ないのだろうか。肯定的な手段で、自分の進むべき道を魂に刻み付けることはできないのだろうか。そのあたりが、まだまだ私の疑問とするところなのである。

の部分を、更に発展させたものであることを最初に述べておきたい。

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> まるみさん、こんにちは。
> はじめてまるみさんにメールを書きます。
> 突然でごめんなさい。

SHANAさん、こんにちは。
いえいえ、大丈夫ですよ。(^^)
ここのところパワーダウン気味だったSHANAさんが、この件について、魂の感覚を使いながら、一生懸命メールを書いてくださったことに、とても感謝しています。

> 今日の「ガンまる日記」で、
>
> 『それは、ある意味、火傷をして火の熱さを覚えたこ
> とになる。もしかすると、私は、火傷をして熱い想い
> をしたからこそ、もう火傷をしたくないと思っている
> のかもしれない。だとすると、まだ火傷をして熱い想
> いを体験していない魂は、火傷の経験が必要になると
> いうことなのだろうか』
>
> と書かれていたことに、私は同意します。
> 私の意見を書かせてください。
> もしかしたら、まるみさんの言いたい事とズレてるか
> もしれませんが…。

いえいえ、全然ズレなんかいませんでした。むしろ、恐ろしいくらいに的中していました。
そして、SHANAさんが書いてくださった内容を、どのようにしてわかりやすく、誤解のないように、皆さんに伝えて行けばいいかについて、考えながら書いています。

> 私は火傷の経験が必要だと思うのです。
> 火傷を知らなければ、火傷の痛みはわかりません。さ
> らに、その下に書かれていたように、人を殺さない魂
> や、人を殺すのは悪いと考える魂は、かつてその経験
> があるのだと私は思っています。自ら手を下した場合
> も、間近に見た場合もあるでしょう。魂は過去の経験
> から、人を殺してはいけないと思うのだと思います。

やはり、SHANAさんも、そのように思われるのですね。

> もともと、人を殺すことは、善でも悪でもないと思う
> のです。ただの現象だと思うのです。その現象に理由
> をつけるのは、私たち自身なんです。

ああ、SHANAさん。精神世界的にはそうなんです。
かの有名な『神との対話』という本の中にも、それと同じようなことが書かれていますね。
しかし私は、あの本を読み始めたとき、吸収して行くことがあまりにも苦しくなってしまい、読み続けることを途中で挫折してしまいました。
『神との対話』の中の神は、いつも光と闇の両方の存在を証明するようなことを言っていました。
今思えば、私は、光の部分だけを吸収してしまいたかったのでしょう。

私も、殺人が、善でも悪でもないということを、精神世界の究極的な側面から述べてみようと思います。
何故、私がそのように思うかというと、加害者の魂の学びと、被害者の魂の学びが、最終的にはイコールになるだろうと思えるからです。
ただし、イコールになるのは、加害者の魂が、誰かの自由意思を完全に奪ってしまったことを心底後悔し、被害者の魂が、自分の自由意思が完全に奪われたことを心底許せるようになったときにだけに起こるのではないかと思います。
このように、加害者の魂の学びと、被害者の魂の学びがイコールになれば、人を殺すということは、善悪どちらにも傾かない事象になりますね。

> 遠い昔、王や、奴隷がいた時代、戦争は、国を豊かに
> する、良いことの側面をもっていたのだと思います。
> 自分に歯向かったり、暗殺や、侵略をするものを殺せ
> ば殺すほど、英雄であり、偉大な王でした。
> その頃、殺人は、「仕方のないこと」だったのだと思
> います。私は、多くの魂は、そういった時代に、一度
> 経験しているのではないか、と思うのです。その時
> の、イヤな気持ちや、むなしさを思い出し、この現世
> で殺人をしないのだと思うのです。
>
> 私も、カルマ的な経験をしなければ、「奪う愛」があ
> ると思っていたでしょう。私も火傷をしたのです。
> 良いことだけで生きていける人はいないと思います。
> (だからといって、火傷を自らしなさい、というワケ
> ではないのです)過去、火傷をした人は、その痛みか
> ら、これから火傷をしそうな人に、警鐘を鳴らすでし
> ょう。それは当然の事です。そこで、その痛みをリア
> ルに想像できたのなら、踏みとどまり、いまいち感じ
> られなければ、火傷へ向かってしまうと思います。

SHANAさんの書かれていることが、とても良くわかります。そう、私も火傷を体験した身だからです。
いろいろな方たちとの交流を通じて私がいつも思うのは、苦しみを体験した人ほど、愛情も深いということです。
社会生活においては、挫折を経験している人ほど、温かみを感じます。

学生の頃に、住み込みでアルバイトをしていた観光ホテルの社長さんには愛人がいました。
社長さんは、ときどき、その観光ホテルにやって来ては、愛人と同じ部屋に泊まっていました。
あるとき、社長さんが奥様を連れてホテルにやって来ました。私は、奥様のお顔を拝見して驚きました。
とても気品のある方なのですが、気苦労を重ねて来たと思われるそのお顔の奥には、苦しみを乗り越えながらも、魂が成長して来た証が刻み込まれていたのです。それは、英知といってもいいものかもしれません。

また、通勤の途中に、障害を持ったお子さんを連れたお母様を良く見かけます。
彼女たちにも、同じような魂の英知を感じます。苦しみの中から、強力にレベルアップした魂といった印象を受けるのです。

> 私が、このはなさんに対して、言える事はありませ
> ん。私は経験不足です。でも、まるみさんが、必死に
> 「火傷をしてしまう!」と声を上げる気持ちがすごく
> 解ります。私だって、友人がそうなれば、止めるでし
> ょうから^^;

うん、そうなんですね。
私も、友人たちが火傷の方向に行き始めたときは、自分の火傷の体験談を話して聞かせながら、火傷に向かってしまわないように、必死に食い止めようとしました。
中には、それが通じない友人もいましたが、火傷をして、ハッピーエンドを迎えた友人は一人もいません。
ただ、火傷をしなくても、まるで用意されていたかのように、道が急に開けて来たという人はいます。

> ココ最近の私の考えでは、世の中は全て相対的に存在
> しているのだと思うのです。
> 愛と不安、幸せと不幸、喜びと悲しみ…。プラスのも
> のだけ感じていたら、その気持ちがプラスだとわかる
> でしょうか。マイナスがあるから、プラスは光り輝く
> のだと思うのです。プラスは私たちの魂が、もともと
> 持っているものだとおもいませんか?そして、マイナ
> スの経験を通して、プラスの素晴らしさを実感してい
> るのだと思います。

これは、私がずっと感じていることと同じですね。
でも、今回のことに結び付けて行く勇気は、なかなか持てませんでした。
例えば、殺人の話に戻しましょう。果たして、自分の最愛の人を殺されてたとしても、善悪はないと言えるのかどうか。
精神世界的には、その通りだ! と思えるようなことでも、激しい感情を伴う出来事となると、別物になってしまうようです。
出来事そのものは一瞬のうちに過ぎ去って行くとしても、感情というものは、長い長い年月をかけて、ようやく変化して行くものだからです。

> 否定的な学びとおっしゃいましたが、その現象を否
> 定、悪いことと感じるのは、私たち自身だと思いま
> す。現象には、良いも悪いもありません。ただ存在し
> ているだけです。その現象を通して、マイナスを見出
> し、プラスへ変換していくのは、私たち自身ではない
> でしょうか。マイナスの現象は、必ず必要です、でな
> ければ、存在するはずないと思うのです。

SHANAさんのおっしゃっていることは、とても良くわかりますよ。私だって、光だけを見ていたくない性分ですから。
でも、現象に対し、良いも悪いもないという精神世界的な考えは、あまりにも客観的過ぎるのではないかなと思うこともあります。
良い悪いかではなく、やはり、潜在的に、プラスに傾いていたいのでしょうね。
いずれプラスになることがわかっていても、それが長い長い道のりならば、躊躇してしまうのでしょう。
しかも、これが主観になったときは、激しい感情を伴いますしね。
現世で、自分が切り捨てられたときの苦しい気持ちがわかるから、これから切り捨てようとしている人には踏ん張って欲しいと思います。
また、その逆で、前世で切り捨ててしまった後悔があるから、踏ん張って欲しい気持ちもあります。
でも、例え火傷を負う方向に向かって行くとしても、火傷に関わった魂たちが長い長い旅をして、最終的にはプラスに向かうであろうことも知っています。

> 私も、このはなさんに、家族を大事にしてほしいと思
> うのです。mikiさんが言われたように、「一番幸せ
> と、子供をも越えて言ってしまうのですか」と思いま
> す。私の母は「いままで幸せなどなかった」と言いま
> す。その度、私は苦しいのです。だから、このはなさ
> んに、家族を大事にしてほしいのです。
> だけど、どの選択をするのかは、このはなさんにしか
> 解らない…。火傷へ向かうのか、回避するのか…。
> 私は、どうか、家族を大事にできるような選択をして
> ほしいと思うのですが。

SHANAさんのお母様も、ずいぶん辛い経験をして来られたのですね。
だからこそ、このはなさんには、ご家族を大切にして欲しいという思いがあるのでしょうね。

でも、確かに、最終的な選択をするのはこのはなさんご自身なんですよね。

> 魂は、全ての感情を体験したいのだと、読みました。
> 魂は不思議ですね。そうだったのなら、イヤなこと
> も、体験したいのですから。

あはは、その通りだと私も思います。
でも、そうは思っていても、なかなか客観的にはなれないものですよ。(苦笑)

> 偉そうなことを書いてすみません。
> 最近感じていたことと、合致する日記の内容だったの
> で…。
> まるみさんにメールをするきっかけになった、内容
> に、感謝します。

いえいえ、とんでもありませんよ。
おかげ様で、夏綺さんに、これまでとは違うコメントが書けそうです。(^^)
SHANAさんの、ご自分の意見ははっきりと述べるけれど、あとの判断は相手に任せるという方法、とっても参考になりましたよ。
おそらく、この方法は、許容することに重点を置いている人たちの考え方なんでしょうね。
私のように、こうありたいという思いが強過ぎると、それは時として、相手の自由意思を奪ってしまうことにもなりかねないのでしょう。いわば、コントロールに近い状態です。
それで、居心地が悪くなってしまう場合もあるのでしょうね。

まだまだこれで解決というわけには行かないと思いますが、少し別の道が見えて来たかなという感じです。
SHANAさん、どうもありがとうございました。

> それでは、また、掲示板でお話させてください。
>
> SHANA

はい、こちらこそ、よろしくお願いします。新しい方向性を示してくださったことに感謝します。

※今の流れとまったく関係がないのですが、以前お約束していた函館の写真をまとめましたので、函館の思い出にひたりたい方はどうぞ。
函館

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2005.08.27

凸凹理論

 これは、りえちゃんの月見想対立〜その向こう側へのトラックバックである。

 りえちゃん、今は新しい関係を育んで行くことに忙しい時期なのに、今の掲示板の流れを気にかけてくれてどうもありがとう。しかし、りえちゃんが対立好きだったとは、私も意外だった。(苦笑)そう言えば、非公開掲示板には対立がないねとりえちゃんのブログにコメントを書かせてもらったところ、彼女は、実は対立したいネタがあるんだよと妙に喜んでいた。何だ、何だ、その喜び方は? でも、ちょっとビクビク?(笑)

 人間関係の築き方を見ていると、大まかに分ければ押すか引くかという方法に分かれる。私はもちろん本質は押すタイプで、最近は押し過ぎて失敗する事が多いが、それは自分の押し加減を試さないと加減が分からないからということもある。
 引くタイプの人は、相手のことを配慮する、相手の気持ちを汲み取るということに思考や行動のポイントがあって、こちらが思っていないことまで考えて身を引いてしまう。

 これは、私にも良くわかる。おそらく、私も本質的には押すタイプ(つまり凸型)だ。私自身がこれまで押して来た体験から思うのは、相手に完全な受身の態勢を取られてしまうと、面食らってしまうということだった。実は、現在の非公開掲示板の前身の掲示板で、心地良い対立を実践するためのグループワークに取り組んだことがある。そのとき、徹底的に受身(つまり凹型)の人がいて、よし、これから対立を始めるぞ、というときに、
「まるみん、私に言いたいことがあったら何でも言ってよね」
と言って来た。しかし私は、それを読んで、よろよろとよろめいた。すると、それを見守っていた別の人が、彼女にこう言ったのだ。
「相手がファイティングポーズを取っているときに、何でも言ってよという姿勢を取ると、相手がずっこけるんだよ。それだと、自分だけいい子になって、相手を悪者にしちゃうでしょ?」
うわあ、これは参ったと思った。彼女の洞察力は鋭い。確かにその通りだ。だから、相手がファイティングポーズを取っているときは、自分もファイティングポーズを取るほうが、心地良い対立を実現できるということになった。

 しかし、私の経験から言えば、本当に心地良い対立というのは、双方が凸型と凹型の両方を体験できる対立だ。つまり、もともと凸型の人も、相手の発言を吸収するときには凹型になり、もともと凹型の人も、相手に主張するときには凸型になるという対立である。そして、この凸凹理論を駆使した上で、手加減なく対立できるのが、私にとってはツインソウルである。ソウルメイトの場合は凸凹ではなく、対立のない□□、すなわち、共感による結び付きとなる。

 誰に対しても、ツインソウルとの対立のように、信頼を持って対立にのぞむことができたらいいのにと思う。しかし、実際には、その人が持っている陰のエネルギーも、陽のエネルギーも、実に様々である。だから、相手に対して言いたいことが言えなかったり、また、相手に受け入れてもらえなかったりもする。原子と原子が結合するときのように、人と人の結合にも、マイナスイオンとプラスイオンの働きが関係するのだとすれば、陰と陽のエネルギー値によって、強く結び付く魂もあれば、結び付きがもろい魂もある。

 私は、それらのエネルギーをできるだけ調整するために、引用形式の掲示板を好んで使っているのだと思う。新たに書き込まれる発言は、凸。それを受ける人が、相手の発言を引用しながら、凹の発言を書き込む。その中には、凸として、自分なりの意見や経験も盛り込む。その発言を受ける人が、再び相手の発言を引用しながら、凹の発言を書き込む。その中には、凸として、自分なりの意見や経験も盛り込む。そして、これを延々繰り返す。一言で言うと、コミュニケーションが心地悪くなってしまうときは、凹の部分が少なくなってしまっている。それは、言い換えれば、共感やお互いの学びが異っているということになる。

 私が、掲示板の流れをもっとスローに! と気にかけるのは、凹になる人がおなかいっぱいになってしまうからだ。おなかがいっぱいになってしまうと、吸収率も落ちて来る。そのあたりのバランスを、一対多、あるいは多対多の関係の中でも意識しながら実現させて行く必要があると思う。

 子どもの頃は、私はいつも相手を気遣って引いている時期であった。その頃は、人間関係が苦手で仕方が無かった。ある意味、引いている方が気が楽だった。私はエネルギーが高いと言われるが、それでも相手に近付こうとするときにはかなりエネルギーを使う。
 だから、掲示板で多くの人を相手にやり取りを行うまるみんを、私はとてもエネルギーがあると思っているのである。そのエネルギーのもとは、安定した愛情を交わしている相手がいることなのではないかと思っている。何しろ、相互交流の出来ない人間関係ほど、エネルギーが空回りしてそれが自分の身に返ってきたときに、酷く疲れてしまうのだから。その逆に、交流できた時のエネルギーは戻ってきた時に優しく癒してくれたり、新しい活力に変わると思う。

 私のエネルギーの源は、何なのだろう。もちろん、ガンモの安定した愛情には十分支えられている。しかし私は、ブログや掲示板のコメントを書くとき、ガンモに、
「ちょっと書くことに集中したいから話し掛けないでね」
と頼んでいる。私はときどき思うのだ。ガンモとの密な関係を差し置いてまで、私は男女の愛について発信して行きたいのだろうかと。しかも、今ではこの「ガンまる日記」も、ガンモとの愛の生活のことだけには留まっていない。私をここまで掻き立てるものは一体何なのか。

 おそらく、これが私のライフワークだということに気づいているからだ。私は、昔から、男女の愛のはなしが好きで好きでたまらなかった。でも、いくら男女の愛のはなしといえども、結婚前に凄まじいカルマの経験をしてからは、人を傷つけてまで成り立たせる愛には感動できなくなってしまっていた。ガンモと出会う前には、あれだけ感動でむせび泣いたはずの『マディソン郡の橋』にも、ガンモと出会ってからは、もう感動できなくなってしまった。

 人はそれぞれ、テーマを持って生きているのだと思う。そのテーマが交差しないときは、当り障りのない付き合いになって行くのだろう。あるとき私が、現在の非公開掲示板の前身の掲示板に、
「美容院って苦手なんだよね。当り障りのない話ができないから。それでも、美容師さんって、いろいろ話し掛けて来るよね。どこかに精神世界専門の話題を扱う美容師さん、いないかなあ」
と書いたところ、それを読んだ人が大爆笑していた。私はそういう人間なのである。

 精神世界の交流で、行間を埋めて行くものは、共通の経験や考え方だと思う。それらが揃っている場合、掲示板での交流は、文字ではなく、感覚だけになる。そして、そうした交流は、文字を使った交流よりも、効率的なコミュニケーションが実現される。私はそうしたコミュニケーションを重ねて来たので、そこに向かって行きたいのだと思う。

 交流する人たちの中には、自分よりも先を行く人がいてもいいし、自分の通って来た道を歩いて来る人がいてもいいと思う。ただ、同じ掲示板で関わって行くなら、同じ方向を向いて行きたい。そうでなければ、行間は決して埋まらず、文字だけのコミュニケーションになってしまうからだ。

 世間一般では引き際のきれいなことは格好が良いとされている。私も以前はそう思っていたが、相手の本当の心も知らず勝手に相手の気持ちを考えて、分かった気になって引かれてしまえば、もうそこに二人の未来はないのである。

 今回の場合は、私に受け入れる体制がないために、涙をのんで引いてくださったのだと思う。何故なら、さきほどの凸凹理論からすれば、私が凹になれないからだ。きっと、このまま交流を続けて行けば、私はこのはなさんに対して凸になり、このはなさんも、私に対して凸になる。凸対凸の交流は、吸収が行われないために心地悪い対立に発展してしまう。

 それでも、このはなさんはまだ、掲示板や「ガンまる日記」の流れをじっと見守ってくださっているし、夏綺さんも、プライベートすれすれのところまでご自分の貴重な体験談を掲示板に書き込んでくださった。次回の記事では、夏綺さんのコメントに返信させていただくつもりだ。

 実は、先日、このはなさん宛のコメントを書かせていただきながら、私の中にはもう一つの考えがあった。それは、火傷をして、魂に刻み付けるということだ。私は、前世で当時の夫を深く傷つけた上でソウルメイトと一緒になった。そのときの後悔があるために、人を傷つけてまで一緒になるということを、これからの転生では絶対に選択しないことに決めた。それは、ある意味、火傷をして火の熱さを覚えたことになる。もしかすると、私は、火傷をして熱い想いをしたからこそ、もう火傷をしたくないと思っているのかもしれない。だとすると、まだ火傷をして熱い想いを体験していない魂は、火傷の経験が必要になるということなのだろうか。

 更に、これは本当に究極的な例なのだが、私たちは、人を殺してはいけないということを潜在的に知っている。ところが、何故、人を殺してはいけないかを明確に説明できる人はいないと言われている。しかし、もしかすると、もしかすると、人を殺してはいけないことを既に知っている魂は、過去世において、殺人を犯してしまい、ひどく後悔した魂なのかもしれない。しかし、もはやそのときの記憶がないために、それを明確に説明することができないのではないか。

 だとすると、すべての学びは否定的な手段でしか有り得ないのだろうか。肯定的な手段で、自分の進むべき道を魂に刻み付けることはできないのだろうか。そのあたりが、まだまだ私の疑問とするところなのである。

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2005.08.26

愛の判断

 さて、今日は、夏綺さんが掲示板に書き込んでくださったコメントへの返信という形を取らせていただこうと思う。ここのところ、掲示板へのコメントの返信と「ガンまる日記」を連携させてしまっているが、男女の愛に関する重要なテーマでもあるので、ご紹介させていただきたい。

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■No492に返信(夏綺さんの記事)

夏綺さん、こんばんは。

夏綺さんのコメント、拝見しました。
夏綺さんからは、何度かメールをいただいていたので、夏綺さんの置かれている状況も、良く理解していました。
そういう状況だったからこそ、夏綺さんは、掲示板に書き込みをすることに戸惑っていらっしゃったんだなあと、今となっては思います。
メールを拝見しながら、このはなさん同様、とても愛情深い方だなあと感じていました。

> こんにちは、皆さま。
>
> このはなさんの気持ち。
> まるみさんの気持ち。
> そしていろんな方々の気持ち。
>
> 私が何かこのはなさんに、まるみさんに皆さまに対してコメントするのは
> まだまだ未熟で、何を書いていいのか頭は混乱していて
> もしかしたら全く関係のない、意図から外れているかもしれないけれど、
> 私の感じるがまま書いてみようと思います。

いえ、決して意図から外れてなんかいませんでしたよ。
感じるままに書いてくださって、ありがとうございます。

> 私はこのはなさんの気持ちがよくわかります。
> ツインに惹かれていく想い。
> 大切だと感じる愛情。
>
> そしてまるみさんの気持ちもわかります。
> 離れているツインへの愛情をソウルメイトへ。
> (今、ちょうどまるみさんが日記を更新されていて、
> それを読んで再び書き直しています(笑))
> 深い魂の愛への気持ち。
>
>
> 『愛』にはいろんな形があって。
> 正しい、悪いというものはなくて。

私も、このことについていろいろ考えてみたのですが、「今」が本当に幸せであるかどうかで、愛の判断(相手に対して自分がどう動いて行くか)が異なって来るように思いました。
愛が十分に足りている人と、そうでない人では、愛の判断が異なるのだと感じました。
正しい、悪いというのではなく、愛が足りている人は、愛を維持しようとし、愛が足りていない人は、愛を求めようとするのだと思いました。

> このはなさんがまるみさんのことを好きな気持ちも伝わってくるし、
> まるみさんがこのはなさんのことを徐々に理解していこうとしている姿勢も
> 感じられて。
> (そしてまるみさんは言って下さっているのですね。私達に。
>  相手がいる人を切り捨ててまで、ツインを選ぶことの難しさを。
>  来世へ相手を引きずりこんでいくことを)

私が言っているのは、その通りです。
「今」を作り出しているのが「過去」だとしたら、「未来」を作り出すのは、おそらく「今」でしょう。
でも、「今」の課題を投げ出してしまったら、クリアできなかった課題は、「未来」にまで持ち越すことになるでしょう。
となると、「今」、課題を投げ出して、無理に一緒になったとしても、魂は、中間世で、行いのバランスを取ろうとして、「未来」においても、再び同じ課題を持ち越そうとするのではないかと思います。
(「今」は「現世」に、「未来」は「来世」に読み換えてください)

更に、こうした課題をクリアできないでいる魂が、愛し合う魂と離れ離れで生きる条件を整えて転生するのではないかと思います。
そうでなければ、どう考えてもおかしいですよ。
それほどまで愛し合う魂が、何故、別々に生きるような選択をするのか。
何の問題もなく、愛し合っているのならば、離れたりはしないでしょう。
ただ、愛し合う魂と離れ離れになるパターンは、いろいろあると、私は思っています。

私のように、ツインソウルと離れていても、まったく辛くない人もいます。
離れていることよりも、考え方がまったくの正反対であるがゆえに、理解し合えないことのほうが苦しいです。
私は、ツインソウルとは、お互いのパートナーを自慢し合うような関係です。
ツインソウルが、とても幸せな結婚をしていることが、涙が出るくらいうれしいんですよ。
ツインソウルが自分のパートナーを深く愛していることが、うれしくてたまらないんです。
こうして書いていても、うれしくて、うれしくて、涙が出て来ます。
ツインソウルが今、とても幸せで、深い愛を体験していることが、本当にうれしいんです。
愛の経験を積んでいるなあと。
そして、ガンモへの愛とツインソウルへの魂の愛が一本に繋がって行く感覚を覚えるとき、私はもう、言いようのない幸福感に酔いしれるんです。

このような感覚は、おそらく、愛し合う魂と離れ離れでいることが苦しい人たちには、わかっていただけないのかもしれません。
だから、自分が今、とても幸せな状態にあるかどうか、ここが、意見の分かれ目になるのでしょう。

> ツインへの想いって半端じゃないんですよね。
> 愛しくて、ツインがいるから生きていける。
> 24時間、ツインのことばかり考えて胸が苦しくなって幸せになれる。
> 戸惑うばかりの感情に振り回されたり、好きという感情がもう別格なんですよね。

私の感覚は、少し違います。
夏綺さんの場合は、ツインソウルではなく、ツインフレームだと、以前、おっしゃっていましたが、私はツインフレームの感覚が良くわからないので、ツインソウルということで話を進めさせていただきますね。
ツインソウルの場合、ツインソウルの魂を愛していると思っていても、憎たらしいと思っている時期もあります。
だから、ツインソウルへの魂の愛を示すときは、そうした憎たらしい期間をすっぽり差し引かなければいけないなあと、私は思っています。

更に、私が不思議に思うのは、ツインソウルと離れていることが苦しいと思っている人ほど、ツインソウルへの想いがプラスに傾き過ぎているということです。
ツインソウルとの関わりが密な人たちは、必ず、ツインソウルとの関わりには、苦しいことも多いと言います。その関わりは、まるでジェットコースターに乗っているかのような激しさです。必死にしがみついていないと、振り落とされてしまいます。
時には、取っ組み合いの喧嘩をしたり、激しい感情をぶつけ合ったりします。しかし、それでも、決して離れようとしません。
そういう関わりがツインソウルであると、私自身の経験からも実感していますので、ツインソウルと離れている人たちがツインソウルを描写するとき、あまりにも美化し過ぎているのではないかと思ってしまうことも多いです。そのあたりが、てんてんさんが疑問に思われていた部分なのではないかと思います。

でも、私は、そこに、何かヒントが隠されているような気がしてなりません。
おそらくですが、今、ツインソウルと離れていることが苦しいと思っている人たちは、まるでジェットコースターのようなツインソウルとの関わりに疲れ果て、関わり続けることを途中で挫折してしまった人たちなのではないかと思うのです。
そして、離れることで、もう一度一緒になりたいという気持ちを高めようとしている関係なのではないでしょうか。だから、ツインソウルを語るとき、プラスの要素が大きいわけです。
離れたことでもう一度強く引き合い、再びジェットコースターに乗ろうとするわけですが、単に強く引き合うだけで、まだジェットコースターに乗り込んでいない人が多いのかもしれません。
でも、ツインソウルとの本当の関わりは、ジェットコースターに乗り込んでからだと私は思うのです。

更に、既にパートナーがいる上で、ツインソウルに対して極端にプラスに傾くということは、自分に対して、わざわざ課題を負わせているという気がしてなりません。
ちょっとわかりにくい言い方をしましたが、これが魂の立てた計画だとすれば、強烈に惹かれ合うツインソウルという存在を、強力な意志でもってスルーして初めて、ようやく自分の課題がクリアされるのではないかということです。

> 私にはソウルメイトの彼氏がいます。
> もう私にとって究極のソウルメイトと言えるぐらい、私を支え、知識を
> 与えてくれて、私が望むもの全てを与えてくれる人がいます。
>
> そして…。
> ツインの存在。
> ツインには彼女がいます。
>
> ここからは…。
> まるみさんの考えとは沿わないと思います。
> でも書かせて下さい。
> 本当にごめんなさい。
>
> このはなさんにこの言葉を捧げたいと思うから。

夏綺さん、良く書いてくださいましたね。
私は、メールでお知らせいただいていたので、正直言うと、夏綺さんがここでツインの彼のことばかり書かれているのは、心苦しかったですよ。
もしかすると夏綺さんは、掲示板でこのことを言いたくはなかったのかもしれませんね。
皆さんは、きっと、びっくりされていると思いますが、詳しい状況を書いてくださってありがとうございます。

> 先程書いたように私にはソウルメイトの彼氏がいるけれど、ツインにも愛情が、
> 深い想いがあります。
> ソウルメイトの彼とツインに対する愛情は
> ツインが天だとすれば、ソウルメイトは地です。
>
> 想いが交差しない、愛情の度合いは比べられません。
> 愛しているのはどっちと聞かれたら、迷わずツインだと答えます。
> 比べようがないぐらい高い位置にツインはいるから。
> そして、安らぎを安定を感じるのはどっち? と聞かれたら、
> ソウルメイトだと答えます。
>
> 私はツインが幸せであればそれでいいと思っていました。
> 彼がこの世の中にいてくれるだけで私は幸せになれる。
> この想いは今も変わっていません。
>
> けれど……。
> 今、ツインは不安定で。
> 今にも崩れそうな崖を歩いていて。
> 私は見過ごすことはできません。
>
> 一緒にいたいという想いが徐々に大きくなっていって、
> 今では彼をサポートしてあげたいとも思っています。

これは、かなり衝撃的な内容ですね。
夏綺爆弾が飛んで来たと思いました。(苦笑)
ソウルメイトの彼と、ツインの彼との想いが天と地の差があって、想いも交差しないのは、さきほど述べたような理由からだと思います。離れているからこそ、プラスの想いが強くなっているのだと思います。
だから、てんてんさんがこのはなさんに向けて書いてくださったように、今の夏綺さんの状況も、次なるステップに向けての段階なのでしょう。
その段階をどう乗り越えて行くかについては、どうしてそこまで愛し合う魂の前に、このような障害とも思える大きな壁が立ちはだかるのかを考えて行けば、わかると思います。
ツインソウルが一緒になったときに、お互いの魂のステップアップのために、大きな事件を引き起こすということは多々あると思いますが、結び付こうにも、障害があって一緒になれないというのは、前世からの課題が、まだクリアされていないのだと思います。

> けれども彼にも彼女がいて。
> 『誰かを傷つけてまで一緒になることはできない』
> これはツインの言葉です。
>
> 私もそう思っていました。
> けれど、ある人に言われました。
> 誰かを傷つけてまで、耐えることが…本当の愛なのだろうか、と。

ツインの彼が言っていることは、良くわかります。
でも、「誰かを傷つけてまで、耐えることが…本当の愛なのだろうか」というのは、自分たちの状況にとって、大変都合の良い、一方的な解釈ではないでしょうか。

夏綺さんも、ツインの彼も、現在のパートナーと新たな恋愛関係に入って行くとき、相手を受け入れたのですよね。
その受け入れた相手は、モノなんかじゃありません。感情を持った人間だったはずでしょう。
夏綺さんたちの場合は、現在のパートナーとの付き合いよりも以前に、恋人同士だったとうかがっています。
ツインへの愛情とソウルメイトへの愛情は天と地などという表現をされていますが、
それほどの差があるなら、夏綺さんが、現在のソウルメイトの彼の愛を受け入れるときに、
「私には忘れられない人がいるから、あなたの愛を受け入れることはできません」
と、はっきり断れば良かったのではないでしょうか。
それを言えずに受け入れたのであれば、受け入れた責任というものを果たす必要があると思います。
天と地ほどの愛情の差がある相手を受け入れるよりも、「一人で生きることになってもいい。ツインへの愛を貫く!」という姿勢のほうが、私は共感できます。

それよりも、私は、夏綺さんの文章から、ソウルメイトへの愛が感じられないことが気になりました。
とてもきつい言い方になりますが、夏綺さんは、ソウルメイトの彼から、一方的に与えてもらっているだけのように感じます。
もしも夏綺さんにとって必要のない関係ならば、自然に関係は終息に向かって行くのでしょう。
でも、夏綺さん側からは愛のエネルギーがほとんど流れていないはずなのに、お二人の交際は、まだ続いているのでしょう? では、お二人は一体何で繋がっているのでしょう? 私にはそれが不思議でなりません。

> 例えば、私がツインのことを深く愛しているのにも関わらずソウルメイト
> といることは、相手のソウルメイトに対しても裏切っているのではないか。
> いつの間にか些細なことで喧嘩になったり、嫌なオーラが体中をでていたり
> するのではないかと言うのです。
>
>
> もう、ここから先は本人にしかわからないと思います。
> 傷ついても、傷つけてもいいと思うかもしれないし、
> やはり我慢しようと思うかもしれない。
> 逆に相手の良い所を探して、愛していけるかもしれない。
>
>
> 私自身、今いろんな愛を学び、日々考えています。
> でも、もし運命の神様がいるとしたら……。
> 私がツインと一緒になることを魂が約束していたとしたら、
> その時がやってくるのではないかと。
> じたばたせずに、自然体で運命を受けいれていこうとさえ思っています。

いろいろ書かせていただきましたが、その姿勢については、共感できます。
自然体で運命を受け入れていこうとする姿勢です。

繰り返しになりますが、愛し合う魂と離れ離れでいることが苦しい人たちには、課題があるのでしょうね。例えソウルメイトと過ごしていても、それは、カルマと呼んでいいのかもしれません。
でも、私のように、ガンモと一緒に過ごしていることが大きな喜びになっていて、ツインソウルにも人生のパートナーがいることが涙が出るほどうれしいような関係は、愛を拡大して行くことが、魂の喜びになっています。
そういう意味で、夏綺さんやこのはなさんと、立場の違いを感じずにはいられません。
だから、同じ学びとしてひとくくりにすべきではなかったのかもしれませんね。
特に意識しなくても、毎日起こって行くことに目を向けて、それを静かに受けてさえいれば、魂は成長して行くのでしょう。
でも、目指している場所は最終的に同じでも、今、魂がどこにいるかは、人それぞれなんでしょうね。

> あぁ、こんなことを書いて私はなにを言いたいんでしょうね。
>
> まるみさん、ごめんなさい。
> そして、このはなさん、私の言いたいことが少しでも伝われば良いなって思います。

いえいえ、どうか謝らないでください。
私は、夏綺さんがここで、正直に書いてくださったことがうれしかったです。
だから私も、手加減せずに、正直に書かせていただきました。

> 自分自身を高めることによって、精神を強く持つことによって道は開けると思います。
> そして、もし相手がツインなのだとしたら自分が高まっていくことによって相手の魂もあがるのではないかと思っています。
>
> だって、ツインなのだから。
> 魂はもとはひとつだったのだから。
>
> 信じたいですよね。
>
> 魂の絆を。

実は、魂の絆というものは、離れていても感じられますね。
私は、ツインソウルの魂がすぐ側にいるという感覚を何度も何度も体験していますが、そういう感覚は、人生を一緒に過ごしている人たちには、なかなか伝わりにくいように思いました。
でも、あるとき、ツインソウルと一緒に過ごしている人が、ツインソウルとほんのしばらく離れて寝泊りすることになったとき、彼の魂をすぐ側に感じたそうです。そして、私にこう言いました。
「ツインソウルという存在は、気がついたらいつも側にいるものなんですね」
と。だから、ツインソウルは、離れていても、離れているなりの方法で繋がりを持とうとしているのだとわかりました。

私は思うんです。ひとつになりたいと思っている魂ほど、実はひとつではないのだと。
本当にひとつになっている魂は、ひとつになりたいとは、もはや思わないだろうと。
そういう感覚を目指して行けばいいのではないでしょうか。

> そして、日記を読んで感じました。
> 私はまだまだやはり未熟なのだと。
>
> >しかし、本当に深い愛を体験している人たちは、ソウルメイトの愛とツインソウルの愛を分けるということをしません。
>
>
> あぁ、なるほど…と思いました。
>
> やっぱり私はまだまだ人様にコメントをするには早すぎますね。
> もっと…愛を、魂を学ばないと。

どうしてそうなるのかを、もっと考えて行きたいですね。
そんなに愛し合う魂が、何故、別々に過ごすような状況になるのか。
私は、そこには必ず理由があるはずだと思いますし、その理由から目を背けてはいけないと思います。

> まるみさん、本当にいろいろとありがとうございます。
> 少しでも精進していけるよう頑張っていきたいと思います。
>
> 大変失礼致しました。

いえいえ、こちらこそ、ありがとうございます。私も、またまた超大作になってしまいました。(苦笑)
「辛いときは、とにかく受身で!」これが、課題クリアのスピードを速めるコツかもしれません。

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2005.08.25

魂の愛とは?

 掲示板の運営に関して、私の中に葛藤が芽生えていたことについて、このはなさんが掲示板にコメントを書き込んでくださったので、今日はそれに返信する形で記事を書かせていただこうと思う。

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■No484に返信(このはなさんの記事)

このはなさんへ

まずは、大変書きにくいであろう内容に、一生懸命向き合ってくださってありがとうございます。
このはなさんの発言がクローズアップされていますが、私は、今ある関係と正面から向き合おうとせず、その関係を通り越して、今ある関係の向こう側に見えている別の関係に強く惹かれているすべての人たちに、警告を発しておきたかったのです。
このはなさんばかりがターゲットになってしまい、申し訳ありません。

> 今回まるみさんの日記などを拝見して、直接メールさせていただく事も考えましたが、ここで見守ってくださっているたくさんの方を感じているので、書き込みをしてきた責任もあり、敢えてこちらに書かせてください。

はい、皆さんも読んでくださっているので、こちらに書いてくださったほうがありがたいです。
このはなさんの勇気に感謝します。

> 私が初めて掲示板に書きこみをした理由は掲示板のアンケートに書いた通りですが、皆さん同様、やはりまるみさんのことが大好きだったからです。
> 真っ直ぐで、正直で、何より愛情深くて、魂の学びを長い間続けてこられ、素晴らしいHPを作り上げ、ご自身の体験を踏まえた上で、説得力のある力強い言葉で愛や魂を語り、その言葉に私達は気付かされ、共感し、勇気を頂きました。
> そして迷子になりそうなたくさんの魂を導く役目も果たされていて、まるみさんの事は神様も応援していると感じます。

ありがとうございます。
私も、このはなさんのまっすぐな魂はとても好きだと感じていました。
このはなさんは、わざわざ写真を撮影し、プロフィールまで添えてお送りくださるという歩み寄りを見せてくださいました。
写真に付けられていたファイル名が、メールをお送りくださったときの日付だったので、私にメールを送ってくださるために、わざわざ撮影してくださったものだとわかりました。
魂そのものを映し出したこのはなさんのお写真を拝見して、私はこのはなさんの魂に触れ、深い感動に包まれたことを思い出します。

> そして私は、ツインソウルによって引き出された愛を伝えたくて、メールや書き込みをしてきました。
> 私はツインソウルと出会ってから、肉体と共に年齢を重ねてきたはずの心がどんどん戻って行くように感じていました。それは、主人と出会う前よりも、初恋をした時よりも、それよりずっと前から存在していた私の心でした。
> 私はその心が感じるままに、溢れる想いや、愛や、喜びを表現してきました。
> それはまるで、宝物を発見した喜びを内緒にしておけずに、みんなに教えたくて仕方がない幼子の様でもありました。幼子はその場の状況にかかわらず、心のままに表現しようとするあまり、時には人を傷つけてしまう事があります。
> 今回まるみさんが私の発言に心を痛めている事を知り、発言してゆく言葉の重みをつくづく感じました。
> 私は自分が書いた「主人をもう愛せなくなりました」という言葉を改めて見ながら、冷たい響きだなぁと感じます。しかし敢えてそう表現したのは、私がそれまで知っていた愛が、ツインソウルを通して知った愛とは明らかに違っていたからです。

私のサイトには、ソウルメイトやツインソウルと出会い、実に深い愛を体験されている方たちがたくさん集まってくださっています。
しかし、本当に深い愛を体験している人たちは、ソウルメイトの愛とツインソウルの愛を分けるということをしません。
ツインソウルと一緒に過ごしている人たちは、私が「ガンまる日記」に綴るソウルメイトの愛を、
「うやまましい。私も溶け合って、トロトロになりたいなあ」
などと言ってくれています。これは、ツインソウルが強烈でも、溶け合えない存在だからですね。
私は、ツインソウルと一緒に過ごしている人たちが、「ガンまる日記」を楽しみに読んでくださっているのが、うれしくてたまりませんでした。
ソウルメイトとツインツインソウルは、関わり方はまったく異なりますが、愛という観点においては、一つに繋がって行くのだと感じました。

> 魂からの愛を知った私は、やがて魂に目覚め、魂の探求を始めると共に、自分自身をもっと高めたいという欲求が生まれ、そのためのエネルギーが溢れ出てくる様でした。
> そして常にツインソウルの幸せを願う心がありました。
> これから先ツインソウルが、愛する誰かに出会い、その人に愛を注ぐ事が出来たなら、私と引き合う強さも和らいで今とは違ったつながりになってゆくのかもしれません。
> でも今は、こんなにも強く引き合う魂から目をそらすわけには行かないのです。
> どうしても想いを主人のほうに向ける事は出来ないのです。
> もちろん大切な家族としての気持ちはあります。長い間築いてきた信頼や情などのつながりは切っても切れないものだと感じています。そして、それはきっとなくなる事はないと思っています。
> 私は最近、男女を問わず、周りにいるソウルメイトの存在に気付きました。
> かかわりの強さは様々ですが、その人達を通して、私が今抱えている問題を解決するヒントをもらえたり、協力してくれたりするのです。
> 私はその人達に好意は感じているものの、愛しているわけではありません。それは私が現在主人に感じている気持ちと同じように感じます。

私の感じている「魂の愛」とは、決して切り離しを行わず、含有に向けて動いて行くものです。
「魂の愛」は、ソウルメイトたちに、尊い愛を分け与えようとします。だから、「魂の愛」を体験している人からは、「どうしても想いを主人のほうに向ける事は出来ないのです」という言葉は出て来ないと思います。
今、一緒に過ごしている人をわざわざ切り離してまで、新たなパートナーと一緒になろうとするのは、私は、自己愛だと思います。

> ツインソウルへの想いとはもう全く違うものなのです。

「魂の愛」を体験すると、ワンネスに向けて動き始めます。
そのときには、このはなさんが書かれているような「区別」がなくなってしまうと思います。

> ツインソウルと過ごしても、過ごさなくても。
> ソウルメイトと過ごしても、過ごさなくても。
> 魂の愛を感じながら、課題を乗り越えるために自分を高めて行きたいと願う欲求がなくならなければ、自分の限界もないのだと思っています。
> そして、かかわることで一番自分らしくいられて、愛のパワーが溢れてとまらない人のことを、愛したいと願うのではないでしょうか。
> その想いは、ツインソウルであってもソウルメイトであっても共通の想いなのだと信じています。

このはなさんの書かれている「課題」とは何なのでしょうか。
ご主人さんとの間に残されている課題でしょうか。
それとも、既存の関係を切り離して、彼の元へと旅立つという課題でしょうか。

「かかわることで一番自分らしくいられて、愛のパワーが溢れてとまらない人のことを、愛したいと願うのではないでしょうか。」と書かれていますね。
例えば、このはなさんがとても見晴らしの良い土地に、素敵な家を建てるとします。
しかし、その土地には、このはなさんが住むよりもずっと以前から家を構えて住んでいた人がいたとします。
それでも、このはなさんは、その美しい景色がとても気に入ってしまいました。
その人たちに退いてもらうようにお願いして、そこに家を建てますか?
もしそうなら、新しく建てられた家がどんなに素晴らしくても、地元の人たちは、このはなさんを受け入れて行くのに時間がかかるでしょう。
でも、その家がもともと空き家だったり、その土地には家が建っていなかったのであれば、地元の人たちは、このはなさんたちを快く迎え入れることでしょう。

そして、本当に神に応援されているというのは、例えそこに住んでいる人がいたとしても、このはなさんがそこに住みたいと思った瞬間に、急に引っ越しすることになって空き家になることではないでしょうか。

> まるみさんとは、もっともっと時間をかければ、必ず分かり合えると思っています。
> でも今は、このことでまるみさんのエネルギーが消耗してしまう事は私も望むことではないですし、掲示板への想いを改めて読ませていただき、私はしばらく書き込む事を遠慮しようと決心しました。
> なので今日もツインソウルの事を書いてしまいましたが、どうかお許し下さい。

もしも、前世の私なら、このはなさんを理解することができたでしょう。
でも、前世での後悔がある現世の私は、このはなさんと理解し合えるとは思えません。
私は、ツインソウルから分けてもらった愛を、ソウルメイトたちに分けて行く身です。
もう、前世の繰り返しはしたくないし、前世の私と同じ道を進もうとしている人たちに、警告を発して行きたいのです。

非公開掲示板に、前世でツインソウルと駆け落ちをしたために、凄まじいカルマの精算をしている女性がいます。
私は今日、このはなさんへの返信に、彼女のことを書かせていただこうと思いながら、彼女の魂を感じて、涙が出て来ました。
彼女は今、イギリスにいます。しばらくインターネットに接続できない状態にあると思われるので、彼女の了解は得られませんが彼女はかつて、自分の言葉を「ガンまる日記」で紹介してくれたと喜んでくれました。
だから、思い切って彼女のことを書かせていただこうと思います。

彼女が前世でツインソウルと駆け落ちをしたときに、彼女には夫との間に子供がいました。
両親の意思で、愛し合っていたツインソウルとの仲を引き裂かれ、親の決めた結婚に同意したのです。
でも、愛のない結婚生活から逃げ出したくて、彼女は子供を連れてツインソウルと駆け落ちをしました。
駆け落ちをしたあと、その子供はツインソウルとも馴染んで、とても仲良く暮らしたそうです。
そして、現世では、その子は、彼女とツインソウルとの間の子供として生まれて来ました。
私もメールで何度かお子さんの写真を見せてもらっていますが、魂として自立している、とてもパワフルなお子さんです。
しかし、彼女は、前世であれだけ深く愛し合っていたはずのツインソウルともなかなかうまく行かず、ツインソウルとの関わりに挫折感を味わいながら、イギリスで出産したものの、子供を連れて日本に帰りたいとまで言っていました。
掲示板で交流していた私たちは、彼女に励ましの言葉を掛けることしかできませんでした。

それでも彼女は、いくつもの山場を乗り越え、ツインソウルとの激しい対立を繰り返しながらも、根底に流れる愛を感じながら、決して離れるということをしませんでした。
そして、あるとき、前世で夫だった男性と再会したのです。
その男性との関わりの中で、彼女はずたずたに傷ついて行きました。
ツインソウルとの関係がうまく行かなくても、ツインソウルとの間には根底に深い愛があるのでまだ救われますが、その男性との間には、愛がないだけに、憎しみにまで発展しそうなくらいの勢いでした。
このように、切り離しを行った人は、自分が切り離されるという方法で、カルマの精算をすることになるのです。
これは、私自身が体験したことでもあります。
彼女は今、遠いイギリスで、本当に良く頑張っています。
「このカルマはもう終わるよね?」
と私たちにいつも確認しながら、お子さんの存在に支えられ、必死に生きています。
彼女の生き方を見ていると、本当に涙が出ます。
そうした頑張りを見ていると、これからそのような道を辿ろうとしている人たちに、どうしても警告を発したくなってしまうのです。

これから先、このはなさんが彼と生きて行くことを選択したなら、そうしたカルマの渦の中に、このはなさんは、彼までも一緒に巻き込んで行くことになるのですよ。
それよりも、今は踏ん張って、現世の関わりをまっとうされたほうがよろいしのではないでしょうか。
もしも神がいるなら、何故、わざわざこのはなさんとご主人さんを結びつけたのでしょう。
このはなさんは、彼との出会いを運命的に感じるばかりで、ご主人さんと出会ったことの大切さや意味を知らないままでいらっしゃると思います。

繰り返しになりますが、私は、切り離しを行う愛が尊い愛だとは思いません。
でも、私は子育ての経験がないかっらわかりませんが、例えば火の熱さを知っている大人が、子供に火傷を負わせないように、
「これは熱いから障っちゃダメ!」
と注意しても、子供は障ってしまうものなのかもしれませんね。
そうして、自分だけが火傷をするならまだいいのですが、関わりを持った他の人たちも巻き込んでしまうのは、果たして魂の愛と言えるのでしょうか。

それから、このはなさんの体験されているツインソウルの感覚ですが、てんてんさんも書かれているように、対立がないのはツインソウルらしくないですね。

ツインソウルの感覚は、掲示板などで対話をさせていただくと、カチッと音を立てて合致する場合と、そうでない場合があります。
私は、このホームページでも、掲示板でも、ツインソウルとの関わりはジェットコースターのようだと表現しています。
ツインソウルは決してプラスだけの関係ではないのです。
いつもスキスキ! でいられるのはむしろソウルメイトのほうで、ツインソウルに対しては、「アンタなんか大嫌い!」と叫びたくなることもしばしばあります。
正反対であるがゆえに、自分の感覚では、相手の主張や立場を理解することができないからです。
お互いにとって、もっとも苦手なことを突き付け合う関係と言っても過言ではありません。

このはなさんのツインソウルという概念の確認の意味を込めて、きのうの記事を書かせていただきました。

> 私が今つらいと感じるのは、一気に戻ってしまった魂と、急には変われない現実の私とのギャップにより、バランスをとりにくくなっているせいだと思っています。
> 今模索しながら新たなバランスをとろうと一生懸命です。
> 私はツインソウルに出会えた事が、今まで生きてきて一番の幸せです。
> 彼と出会うために生まれてきたと思っています。
> こんな出会いを用意して下さった神様に、私はいつも感謝の気持ちで一杯です。
> 私が今まで掲示板で書いてきたことは、全て心から湧いて出た真実の言葉です。

おそらく、その苦しみは、そのまま、このはなさんが関わりを持っている人たちの苦しみとイコールなんでしょうね。
私は、このはなさんがいつも感謝されているその神様が、そんなにも強く引き合っているこのはなさんと彼をわざわざ引き離した理由が、どうしても気になってしまいます。

> まるみさん、大切な掲示板を一時期お借りしてしまった事、それを見守ってくださった事に、心から感謝しています。ありがとうございました。
> 私への返信はどうぞお考えにならないで下さい。
> またいつか書き込ませていただいたときはよろしくお願いします。

私がここで、人生を一緒に過ごさないツインソウルと一緒に生きて行くことに対して、頑なな態度を示し続けた人と大バトルを繰り広げたのは、ちょうど二年前のことでした。
このはなさんとのやりとりは、そのときのような醜いものではないことを、大変うれしく思っています。
このはなさんには、以前とは違う体験をさせていただきました。
そのことで、私の魂も、少し癒されたような気がしています。
このはなさん、ありがとうございました。

私自身がもう、前世の立場に戻ることはありませんが、もしもまた、私がここで伝えて行きたいことと交差しそうだと感じたら、書き込みしてください。そのときが来るのを、ここで楽しみにお待ちしていますね。

※この件について、このはなさんにコメントを書いてくださった皆さん、ありがとうございました。皆さんの一つ一つのコメントに感激しています。

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2005.08.24

縦の学びと横の学び

 掲示板の運営に関して一つの波を起こしたものの、まだ根本解決に至るまでにはなっていない。極端に陰の状態にあった私に、天敵mikiさんが陽のパワーを与えてくれただけだ。

 私が何か問題を抱えると、いつも反発しているはずのツインソウルの生き方がとても参考になるということに気がついた。私がものごとをはっきりさせたがるのに対し、ツインソウルは常に曖昧な立場を取りたがる。ツインソウルは、ものごとをクリアにすることによってそぎ落とされて行くものたちを、どうしても見逃してしまいたくないらしい。だから、ツインソウルの主観はとてもわかりにくい。ツインソウルにわかりにくいことを指摘すると、こんな反論が返って来たことがある。

主観の集合が客観だと思っている。
だから、いつも、たくさんの主観をありえると思いたいし、
その人の生活や人生を造っていると思う。
それが私の主観だ。私自身だ。

 たくさんの主観をありえると思うというツインソウルの立場は、横の学びだ。それに対し、ものごとをはっきりさせたがる私の立場は、縦の学びだ。

 以前、非公開掲示板で、縦と横のエネルギーの話が持ち上がったことがある。ある人が言うには、女性エネルギーは横のエネルギーで、男性エネルギーは縦のエネルギーなのだそうだ。そして、十字架は、縦のエネルギーと横のエネルギーをクロスさせたものなのだそうだ。私は、縦と横がクロスするとき、お互いに足りないものを補い合うようなエネルギーに変わって行くのではないかと思っている。なるほど、建築などでも、縦と横のエネルギーが生かされているはずだ。

 おそらく、縦だけの学びでも、横だけの学びでも、網羅し切れないものがある。私たちがツインソウルと出会うということは、お互いに足りないものを補い合うためなのではないかと思う。正反対の立場を取っているがゆえに、普段は相手の生き方に大きく反発していても、ピンチのときにはどうしても足りないものを補わなければならない。自分に足りていないものが、問題を引き起こしているからだ。そのときに、生き方のヒントを与えてくれるのが、正反対の立場を取っているツインソウルなのである。

 さて、話を掲示板の流れに戻そう。私は、このはなさんが、わざわざ撮影してくださった写真とご自分のプロフィールをメールに添付して送付してくださったときの感動を思い出した。このはなさんは、天敵mikiさんが送付してくださった写真付きのメールで私が感動したという記事を読んでくださり、そして同じように実践してくださったのだ。私は、そのときの感動を忘れない。写真や本名までも公開した上で関わりを持とうとしてくださったこのはなさんを受け入れられないのは、大変申し訳ないと思っている。しかし、このはなさんのコメントに返信しようとすると、どうしても「夫を愛せない」という表現の前で立ち止まってしまう。

 実は、かつて、私のサイトでも、人生を一緒に過ごさないソウルメイト/ツインソウルに出会ってから夫を愛せなくなってしまったという人を受け入れた実績がある。私のサイトに来てくださったとき、彼女は結婚していたが、インターネットで知り合った独身男性と強く惹かれ合ったのだと言う。その独身男性と出会ってからというもの、毎日のようにその男性とチャットやボイスメール(?)を楽しんでいるが、夫のこともとても愛しい存在だと思っているのだと彼女は掲示板で語ってくれた。しかも、彼女の夫は、彼女と独身男性との交流にとても協力的で、当時、遠いところに住んでいた二人が会えるように、わざわざスケジュールを組んでくれたと言う。私は、そのような関係は本当に素晴らしいと絶賛していた。

 ところがあるとき、彼女が重大な告白をしてくれたのだ。驚いたことに、その内容は、彼女がご主人さんと離婚し、その独身男性と一緒に生きて行くことにしたという決意を語るものだった。私はとにかく驚いた。そのときになって初めて、彼女とご主人さんの間にあったものは愛ではなく、感謝の気持ちだったということに気づかされた。彼女は言った。
「サイトの趣旨に合わなくなってしまうから、もうここには来ちゃいけないよね」
しかし、私は、彼女の生き方を支持することにした。何故なら、これまでの交流の積み重ねがあった上に、彼女とご主人さんの別れ方にも、そして、独身男性との結びつき方にも、感動的な愛のドラマがあったからだ。私は彼女の新たな人生を支持しながら、彼女との交流を続けた。

 しかし、その後、彼女の新しいパートナーがソウルメイトかツインソウルかという話で意見がすっぱりと分かれ、彼女は私のサイトを卒業して行くことになってしまった。彼女は新しいパートナーがツインソウルだと思うと言ったのだが、私は、二人の間には対立がないし、彼女と話をしていると、陰陽の話にもならないので、お相手はソウルメイトだと思うとはっきりと意見を述べた。彼女はこの「ガンまる日記」を毎日のように楽しみに読んでくれていて、ガンモと私の関係が、自分と新しいパートナーの関係と同じだと言っていた。私は、ツインソウルとソウルメイトの明確な違いを意識しながら生きているので、それを聞いてますます彼女のパートナーはソウルメイトだと確信したのだ。しかし、彼女は、私がそのようにはっきりと、彼女の新しいパートナーがツインソウルではないと断定したことをストレスに感じてしまったようだった。

 彼女との関わりを思えば、このはなさんと私の間には、まだまだ交流の余地が残っていると思う。しかし、私のように、縦の学びを優先している者は、繋がりを横に広げて行くことよりも、深めて行くことを望む傾向にある。何故なら、横の学びは、広くはなっても、決して深くはならないからだ。本当は縦と横の両方のバランスが必要なのだが、なかなかそういうわけにもいかない。

 というわけで、私はまだまだ思案に暮れている。

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2005.08.23

天敵に助けられる

 これは、りえちゃんの月見想一緒に途方に暮れてみるへのトラックバックである。

 まずはりえちゃん、忙しい中、私の想いを一生懸命受け止めようとしてくれてありがとう。解決策が見つからず、まるでもぐら叩きのように、片方を選択すれば、もう片方がしゃしゃり出て来るような状況に、私は四苦八苦していた。落ちるところまで落ちて行くために、あと一日くらいはグチグチ言って、暗中模索しようかと思っていたのだが、解決は意外にも早く訪れた。それは、私の天敵、mikiさんの書き込みを読ませていただいたからだ。

 mikiさんは海外在住だが、ネイティヴ関西人で、私のキャパなどおかまいなしに、結婚後に出会ったツインソウルのことばかり掲示板に書き綴るし、血液型はAB型だし、はっきりと主張する私のことを怖いと言うし、挙句の果てには精神世界のことは良くわからないなどと言うし、これから先、仲良くやって行けるのかしらと、私は心配になっていた。mikiさんご自身が掲示板で告白してくださったので書いてしまうが、私のサイトを、微妙に異なる宣伝文句で広めてくださったのもmikiさんだった。

 掲示板が時速二百キロの猛スピードで進み始めたとき、時速六〇キロでゆっくり進みましょうと私が提案すると、mikiさんは、これまで、家事がおろそかになるくらい掲示板に張り付いていたので、とてもありがたいと言ってくれた。しかし、わずか二日余りの間に、今度は「スローダウン命令は拷問です」と言い始めた。「一体どっちなんですか?」と私が尋ねてみると、AB型のmikiさんは、「両方です」などとあっさり言ってのける。しかも、野外コンサートに出かけている私に、「旅行中ぐらいは掲示板を私たちに任せて、ゆっくり休んでください」などと言うのだ。「おいおい、mikiさんたちに任せられないから、掲示板の流れが気になって何度も見てるんでしょ」と私は言いたかったが、言葉にはしなかった。

 私のホームページを訪れてくださる方たちは、夫はソウルメイトで、人生を一緒に過ごしていない人はツインソウルだとおっしゃる方がとても多い。しかし、彼女たちからソウルメイトの素晴らしさがなかなか語られないことにしびれを切らした私が、「人生を一緒に過ごさないツインソウルのことばかりではなく、ソウルメイトの素晴らしさもここで表現してください」と提案させていただいたところ、「ツインソウルに出会ったために、主人のことをもう愛せなくなってしまいました」と、このはなさんが、改めて告白された。私は、このはなさんの発言を、どのように受け止めたらいいものか悩んでいた。夫がソウルメイトだとおっしゃっているのに、愛がすっかり冷めてしまうなんて、それではソウルメイトという存在があまりにもかわいそうに思えてしまったのだ。

 私は、過去の失敗から、ホームページを訪れてくださる方に対し、ホームページや掲示板への閲覧及び書き込みに関する注意書きを提示している。既にご主人さんを愛せなくなってしまったとおっしゃるこのはなさんは、私のホームページの趣旨から外れている。しかし、このはなさんは、ご自分の愛に曇りがないという理由から、勇気を振り絞って書き込みをしてくださったのだ。ところが、このはなさんと相対的な関係を結ぶ人たちの交流は、人生を一緒に過ごさないツインソウルの話題へと集中してしまう。この流れは、私にとって大きな葛藤となり、やがて悩みの種へと成長して行った。

 私の掲示板に対する想いをわかっていただくために、初めてこのはなさんが掲示板に書き込んでくださった内容に私が返信させていただいたときのコメントをそのまま転載しておきたいと思う。

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■No224に返信(このはなさんの記事)

このはなさんへ

はじめまして。随分前にメールをいただいているのに、
お返事も差し上げずに申し訳ありません。m(__)m
でも、こちらを見つけてくださって、とてもありがたく思っています。

先に書き込みをしてくださっている皆さんには申し訳ありませんが、
随分前にメールをくださっていたこのはなさんに、先に返信させていただきたいと思います。

まずは、私が書いているホームページの内容について、多くの部分で共感をいただき、ありがとうございます。
このはなさんの置かれている状況も、メールで読ませていただいているので、把握しております。

> ただ、どうしてもひとつだけまるみさんの考えに添えない気持ちがあるのです。メールではお伝えしなかった事です。まるみさんは結婚している人が夫以外の人と愛し合い男女の関係、つまり不倫をしている人には、HPを見てほしくないし、書きこみもしてほしくないと「はじめに」の欄でおっしゃっています。私はこのHPに感謝しつつも、夫以外の人を愛してしまい、その人がソウルメイトまたはツインソウルであるという確信を持ってしまったとき、不倫というひとことで排除されてしまう事に強い悲しみを感じました。不倫という言葉は私も好きではないし、コソコソした関係は私も嫌いです。

ホームページが専門店だとすると、「はじめに」にあのようなことを書いているのは、
「このお店では、このような商品を扱っています」というお品書きに相当するかと思います。
個人のホームページというものは、管理人自身が発信して行きたい、
また、世の中に伝えて行きたいという意志に基づいて運営されています。
同じように、専門店を経営する人にとっても、扱いたい商品と扱いたくない商品があると思います。
例えば、骨董品を扱うお店にも、和ものと洋ものがあります。
骨董品を求める人が、和ものを専門に扱うお店にやって来て、「洋ものはありませんか?」と尋ねたとしたら、
「申し訳ございません。ここでは洋ものは扱っておりません」と、店主は言うでしょう。
単に売れることだけを目的とするならば、
もっと商品の数を取りそろえるといった手法を取ることもできるのでしょうが、
私自身、書き込みをしてくださっている皆さんとの対話を楽しみにさせていただいている部分が大きく、
また、感動的な愛の言葉で打ちのめされたいという願望も持っています。
更には、できる限り密な関わりを持たせていただきたいとも思っています。

「はじめに」にも少し触れさせていただいている通り、
こうした「お約束」を掲載させていただいているのは、ある背景があってのことです。

かつて、このホームページ内で、
人生を一緒に過ごさないソウルメイト/ツインソウルというコミュニティー(クローズドな掲示板)を立ち上げていたことがありました。
そのコミュニティーには、夫と結婚してからソウルメイト/ツインソウルと出会った、
あるいは、結婚前にソウルメイト/ツインソウルと出会っていたけれども、
結婚には至らなかった、という方たちが何人か集まってくださいました。

しかし、そのコミュニティーの中で、私は、書き込みに対して、ほとんど返信させていただくことができませんでした。
何故なら、そのコミュニティー内に書き込まれる内容は、
夫の悪口であるとか、夫のことはもう愛せないとか、そんなネガティヴなことばかりで、
高い愛のバイブレーションを感じ取ることができなかったからです。

そうした書き込みを拝見する度に、私はガンモを強く抱きしめては泣いていました。
ここに書き込まれている内容は、私の学びとは確実に異なっている!
これらを受け入れて行くことは心苦しい!
管理人の意志とは異なる方向に、掲示板が流れ始めている!
私はそのように感じていました。

また、私のように、毎日、多くの人たちと関わって行く者にとって、
ホームページで伝えて行きたい内容とは著しく異なる主張を受け入れて行くことは、
想像以上にエネルギーを必要とする作業でした。

こうした書き込みを受け入れて行くことは、ある意味、結婚してからパートナーとは別に愛する人ができたとしても、
ソウルメイトやツインソウルという関係ならば許されると、暗に肯定してしまっているかのようにも思えました。
ご存知のように、私のサイトは、ソウルメイトやツインソウルというキーワードで検索して来られる方が大変多くなっています。
そういう方たちに対し、ソウルメイトやツインソウルに関してのホームページを発信して行くことの責任を、私はいつも感じています。
私は、あくまでも、スピリチュアルな観点から、ソウルメイトやツインソウルの記事を発信して行きたいと思うのです。
ですから、その内容は、輪廻転生と切り離すことはできません。
しかし、そうした展開にならず、掲示板に書き込まれる内容が、
自分の夫への愛を素通りして、結婚後に新たに出会ったソウルメイトやツインソウルについて熱く語られることが、
私は心苦しくて仕方がありませんでした。
どんなに結婚後に出会ったソウルメイトやツインソウルを深く愛しているように映って見えたとしても、
私は、彼女たちが本来成さなければならないことから逃避しているように見え、
彼女たちの書き込みに感動することはできなかったのです。
それゆえに、本来、自分自身の居場所であるはずのホームページが、大変居心地悪いものになってしまったのです。

結局、参加してくださった方たちとは歯車が噛み合わず、そのコミュニティーはわずか数ヶ月で解散させました。
ホームページというものは、管理人がそこで伝えて行きたいテーマを最初からはっきりと提示し、
そのテーマに沿って運営されるべきものだと、そのとき実感しました。
私の態度が最初から曖昧だったために、あのような苦しい状況を招いてしまったのだと思いました。
あのような苦しい交流は、もう二度と体験したくありません。

それともう一つ、私自身の前世の経験によるものも大きいと言えます。
それは、カルマ的な夫と過ごしていたときの前世です。
私は過去世において、前世の夫を自分から切り離し、ソウルメイトとの新たな人生を歩み始めました。
そのとき私は、前世の夫の魂をひどく傷つけました。
そして、現世では、私自身が前世の夫から切り離されるという生き方を選択しました。
あの、胸のえぐられるような苦い感覚。
現世では、自分が傷つけた人の苦しみを理解するために、自分自身も苦しい思いを体験するよう、
私の魂は、自ら計画を立てたのです。
そのような方法を取ることを選択しなければ、私には、前世の夫の切り離された苦しみが理解できなかったのです。

私自身、現世で体験したカルマの精算があまりにも苦しかったので、
前世の私のような行動を取ろうとしている人たちに対し、
絶対に私と同じ道を歩んで欲しくないという強い想いがあるのです。

私は、ソウルメイトやツインソウルが別々に過ごすには、それなりの理由があると思っています。
本当に愛し合う男女を、一体誰が引き離したりするでしょう?
何故、そこまで愛し合う男女が、別々に生きる選択をしなければならないのでしょう?
魂の見地からこれらを考えて行くと、私が体験したような前世の繰り返しから抜け出せないために、
ソウルメイトやツインソウルと別々に過ごしている人たちが多いのではないかと思うようになりました。

そうした繰り返しから脱却するためには、今、一緒に過ごしている人との人生をまっとうし、
カルマを精算することが最優先なのではないかと、私は強く思っているのです。

>でも、神様も応援してくださっていると感じてしまうほど引きつけあう心はどうしようもなくて、前にも後ろにも進めずにいるのです。

この、「前にも後ろにも進めずにいる」という状況は、袋小路の状況だと思われます。
愛に曇りがなければ、実際にこのような状況が発生するのかと、私は疑問に思ってしまいます。
このような状況は、このはなさんに、「いったん立ち止まり、自分自身の愛に曇りがないかどうか、確認しなさい」というメッセージなのではないでしょうか。

> 私と夫ではない愛する人とは、愛を語り合うことも、触れ合う事も出来ずにいます。でもお互いの気持ちが同じである事を、出会いから一年以上かけて、言葉などに頼らずに確認しあいました。まさにソウルメイト(ツインソウル)だからこそできる事だと、それもまるみさんのHPで教わりました。

こういう関わり方が実現できるならば、その愛を、他の人にも分けて行くことができるのではないでしょうか。
そういう愛を、特定の人との間だけに閉じてしまうのは、とてももったいないと私は思うのです。

>心がすべてと考えると、これでもりっぱな不倫になると思います。

私は、決してそうではないと思っています。
不倫の定義は、本当に人それぞれですが、
私は、決して切り離しを行わず、愛を共存させられるような関係は、不倫ではないと思っています。
愛し合う男女がセックスをすれば、子供が生まれますよね。
それは、愛の拡大です。
それと同じように、愛が愛を呼ぶような関係は、不倫とは言えないと思います。
その愛が、既存の愛と矛盾なく調和していて、エネルギー源にもなるような愛。
世の中には愛がたった一つしかないと、世の中の人たちに、大きな声で伝えたくなるような尊い愛。
そういう愛が、私は不倫だとは思いません。
むしろ、心が通い合わないのに、仮面夫婦を続けて行くことのほうが、不倫かもしれませんよね。

>嫌いになれない夫ですが、もう愛せなくなってしまいました。夫を傷つけないために心を偽って生きて行く事は、とても苦しい道のりです。夫がもし私の心を大切に思っていたとして、私の本当の心を知った時、果たしてうれしいでしょうか。頑張っていると喜ぶでしょうか。

こういう表現が、私にはとても心苦しく感じられるのです。
もともと、愛情いっぱいの生活を送っている上で、人生を一緒に過ごさないソウルメイト/ツインソウルに出会ったかどうか。
はっきり申し上げれば、カルマ的な関係のパートナーと過ごしているか、ソウルメイト/ツインソウルのパートナーと過ごしているかどうか。
その違いは大きいですよね。
既に、ソウルメイトやツインソウルと一緒に過ごしている人たちは、
結婚後に別のソウルメイトやツインソウル(ツインソウルは一人だけですが)と出会ったとしても、
その愛を、今の環境の中にどんどん含有して行きます。
この感覚は、カルマ的なパートナーと過ごしていらっしゃる方には、到底理解できないことのようです。
何故なら、愛には嫉妬がつきものだと思っているからです。
嫉妬という感情は、愛情不足の関係にのみ生じる感情なので、愛情いっぱいの関係には無縁の感情なのです。

愛を含有して行く立場の場合、相手に好きな人ができたとしても、
不思議なことに、それを応援して行くような流れが、ごく自然に出来上がります。
それが自分にとって不利なことであろうと、相手に対して献身的になれるのです。
自分の喜びと、相手の喜びがイコールになっているのです。
そして、だからこそ、決してパートナーを悲しませるような行動は取らないといった、良い循環も生まれます。

> 彼と出会ってからの私は苦しい日々であると共に、幸せに満ちた日々でもあります。すべてのものに感謝するという気持ちを心で知ることが出来た出会いでした。出会いのきっかけを作ってくれたのは夫なのです。私には主人の魂さえ私達を応援してくれているように感じてしまうのです。

もしもそう本当にそう思っていらっしゃるのであれば、これからは、袋小路にはならず、道は開けて来ると思います。
実際、人生を一緒に過ごさないソウルメイトやツインソウルに出会ってから、
一緒に過ごすことに向けて動き出された方もいらっしゃいます。
そういう方たちの展開を見守らせていただいていると、決して袋小路にはなっていないようです。
中には、まるで用意されたかのように、道が開けて来る人もいます。
そういう人たちは、カルマが解消されたために、道が開けて来たのかもしれません。
言い換えれば、今の道が閉ざされているということは、まだそこに留まる課題が残っているということなのだと思います。

長くなってしまいましたが、以上が私の取らせていただいている立場です。
つまり、私は、掲示板を通じて交流させていただく人たちから、愛の感動で泣かされたいのです。
でも、切り離しの愛の立場では泣くことができませんし、
魂と魂をつき合わせながら交流させていただくのは、大変心苦しいのです。
このはなさんの愛に曇りがないならば、どうか私を、愛の感動で泣かせてください。
私は、そのときが来るのをここでお待ちしています。

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 ここに書かせていただいたことが、人生を一緒に過ごさないソウルメイト/ツインソウルへの想いのすべてだ。その後、このはなさんから、「愛のまわり」という書き込みがあったとき、愛の源から分けてもらった愛で、ご主人さんをも包んで行くという意味にとらえた私は、少し安心していたのだ。しかし、実際はそうではなかったようだ。

 そんなこのはなさんに、mikiさんが一生懸命書いてくださったコメントを、ここでご紹介させていただこうと思う。

このはなさん お辛いですね。私も辛かったです。
ツインからもらった愛が 出口が見つからなくて ツインに逆戻りしてしまっているんですね。
このはなさん 旦那様と抱き合ってます?キスしてます?

 上記のような書き出しから始まって、mikiさんがお子さんとうまく関わりを持てなかった頃のことや、mikiさんがご主人さんと交わした激しい喧嘩のことなどが綴られている。

抱くことによって 体がひっつくことによって 心もひっつくんです。
もしされてなかったら 旦那様に試してみてください。抱っことちゅー。

(中略)

一緒に過ごされないツインとの苦しさ これって永遠に続くものじゃないと思います。このはなさんは わかってらっしゃるから
あえて ここにいらっしゃるんですよね。現状打開したから ご自分自身に問いながら 苦しまれていらっしゃる。他の愛を調和されている人達からヒントをもらおうとされているんですよね。私もとりあえず 抜けました。(私の場合 苦しみの原因は主に会えない苦しみだったんですが)ようこさんも 1年の時間をかけて 抜けられました。このはなさんも きっと抜け道探せると思います。
まるみさんは そういう苦しみは 心と魂のバランスがとれてない人が陥りやすいと書かれてます。(あ ちょっと言葉が違うかも)
瞑想されてますか?精神世界の本を読まれてますか?(私もろくに読んでないなー。とりあえず カミーノは読んだけど とりあえず 読んだで 噛み砕けてない。でも ブライアン博士のは よく読み直してます これは初心者にはわかりやすいですね。)一緒に 抜け道を探せていければいいなって思ってます。
日々 送られてくるメッセージ(気付き)に気付いていますか?これは コツをつかむまでは わかりにくいものです。
私も 初心者なので 一緒にお互い高めていけますように。

 私は、mikiさんのコメントを読ませていただいて、思わず泣いてしまった。何ということだろう。mikiさんは、天敵なのに。そして、mikiさんが一生懸命、掲示板に張り付きながら、このはなさんにコメントを書いてくださっている様子が浮かんで来た。家事がおろそかになるほど、コメントを書くことに一生懸命になり、苦しみを抱えている人に対して、親身になって発信して行くことのできるmikiさん。それは、mikiさん自身が、苦しみを乗り越えて来たからこそ実践できることだ。そして、今の私には、そういう苦しみが足りていないと感じた。とにかく、結婚生活が幸せ過ぎるのだ。ガンモと出会う前にカルマの相手との間に生まれた苦しみは経験しているが、そんな苦しみは、もうすっかり忘れてしまっている。

 私は、このような素晴らしい交流が実現できている掲示板に対して、一体何を悩むことがあるのだろうかと思えて来た。このはなさんに、人生を一緒に過ごすソウルメイトへの愛を示してくださったりささんのコメントも、ポジティヴで大変素晴らしかった。ご自分で天然ぼけだとおっしゃっているてんてんさんも、私の落ち込みに対して、とてもあたたかいメッセージを投げかけてくださっている。夏綺さんも、私が「ガンまる日記」をアップした直後に励ましのメールをくださった。皆さん、ご心配かけてしまってごめんなさい。そして、本当にどうもありがとう。

 今回のことで、私に足りていないものがだんだん見えて来た。そう、相手の苦しみを理解するという許容だ。結婚生活でまったく苦しんでいない分、私は、苦しみに対する理解が足りないのだ。そうした経験のある人たちは、苦しみを抱えている人たちを根気強く励ますことができるのだ。mikiさん、天敵だけど、本当にありがとう。私は、mikiさんが本気を出したときは、いつも泣かされてしまうようだ。mikiさんは私のことを大好きと言ってくれたけど、私も大好きかもしれない。まあ、天敵だから、気持ちもときどき変わるだろうが。

 どうやら私は、陰陽のバランスを崩してしまっていたようだ。私の中には、常に、陰と陽の両方が存在しているのだが、普段は、陽が陰を優しく包み込んでいるらしい。しかし、今回のように、何かのきっかけで陰陽のバランスが崩れてしまうと、これまでおとなしくしていたはずの陰が急に頭をもたげて勢力を振るい始める。暴れ始めた陰をなだめるには、陰よりももっと強い陽のパワーが必要だ。その陽の役を、今回はmikiさんが買ってくださったのだと思う。

 実は、このような流れは、現在の形に統合してから、ずっとポジティヴな流れで来ている現在の非公開掲示板には存在しない。もしかすると、非公開掲示板に参加してくださっている方たちは、このような流れをうらやましいと思ってしまうかもしれない。そう、非公開掲示板に足りないものがあるとすれば、それは対立だ。私の味方ばかりで、天敵がいない。更に、ふと思ったのだが、このはなさんは、ご主人さんと喧嘩ができない関係なのではないだろうか。だから、物事を無理にポジティヴな方向へと押し込めようとして、ますます苦しくなってしまっているのではないだろうか。mikiさんがおっしゃっているように、喧嘩をすることも必要だと思う。私が言うのも何だが、対立のあとに訪れる調和は、とても心地がいいものだ。現に私は、今回、掲示板に対する姿勢で、対立の波を吹かせたことで、得たものは大きいと思える。

 さて、ここで、りえちゃんの記事に戻ろう。

それに近いものとして、まるみんの「精神世界のはなし」の表の掲示板にコメントを寄せたくても寄せられないということがある。
 私はそこで随分と助けられた。他の人には聞きたくても聞けないことを聞き、自分の生きたい方向を見定めた場所でもある。だから私にとってはとても大事な場所で、同じように他では出せない思いを吐き出し、苦しみや悲しみから解放されたいという思いを感じ取るたびに、何か出来ないかと思うのだがほとんど何も出来ないのだ。
 私自身は、ツインソウルもソウルメイトもはっきりと認識しているわけではないので、すでに会っている人たちの悩みには何一つ答えることが出来ない。思うことはあるけれど、それだけではコメントを寄せることは出来ないと思うのが寂しい。
 いろんな思いを一生懸命受け止めようとしているまるみんに、何かを言って心を軽くしてあげたいと思うのだが、残念ながら私が言えることは何も無い。

 助けられただなんてとんでもない! mikiさんもそんなことを言ってくださったが、私自身はお二人を助けたという実感がないので、りえちゃんもmikiさんも、ご自分で何か答えを見つけられたのだろうと思う。覚えているのは、りえちゃんは、私のサイトに来られてからブログやHPを立ち上げたい気持ちがむくむく湧いて来たということと、天敵のmikiさんに対しては、厳しく接していたということだ。もしも助けられたと思ってくださるなら、ここで他の人たちも救われるようになるといいのに、と思う。

※10万アクセスありがとうございました。何だか、何だかでございました。皆さん、お騒がせしてしまって、ごめんなさい。そして、ありがとうございました。醜くなりかけても、見守ってくださってありがとうございます。

※それからmikiさんへ

> 私がレスしようと思っているトピ(探せない。。。どこのトピか解るかた おしえてください。)にどなたかが 憎しみは愛情なんだって書いて下さった方がありました。

掲示板の上部に「検索」というメニューがあって、そこに「憎しみも愛の形」と入力すると、てんてんさんの発言が表示されます。
「愛の反対は無関心」というのは、マザーテレサが言った言葉だそうです。確かに!

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2005.08.22

ないものねだり

 東京から青春18きっぷを使って帰って来た。途中、鉄道乗り潰しのために、御殿場線や岳南鉄道の寄り道をした。それにしても、青春18きっぷを使った普通列車の旅は、新幹線や飛行機で高速移動するよりも実に味わい深いものがある。地元の人たちの方言が聞けるからだ。特に、東海道線は長いので、乗り換える度に、乗客の方言が変化して面白い。「あのさー」の地域からスタートして、「だら」の地域を経て、「だもんで」の地域へと入って行く。

 「だもんで」の地域で夕食を取った。私たちは、「いやあ、暑いもんで」などと言いながら、お店のカウンターで汗をふいた。「だもんで」という言葉を、「だもんで」の地域で使用することで、「だもんで」の地域に馴染もうとしているのだ。夕食を取ったあと、「だもんで」の地域を十九時二十五分に出る新快速電車に乗り、ようやく米原まで戻って来た。そこまで帰って来ると、いつも聞き慣れた関西弁がちらほらと耳に入って来る。そして、米原から新快速に乗り、新大阪で普通列車に乗り換え、午後十一時に帰宅した。午前九時過ぎにホテルを出てから実に十三時間の長旅となったわけである。

 私は、帰りの電車の中で、ずっと 掲示板の運営のことを考えていた。ホームページや掲示板というものは、一つの列車と似ているかもしれないと思った。列車なのだから、それに乗車する人たちは、それぞれ行き先が違っていて、自分の決めた目的地に向かうために途中下車する人がいてもいいわけだ。もちろん、途中の駅から乗り込んで来る人がいてもいい。しかし、最後まで乗車してくれるのは、同じ目的地に向かう人たちだけだ。そして、列車なのだから、定員があってもいいのではないかとも思った。

 私は、掲示板の運営に関して、いっそのこと、落ちるところまでとことん落ちてしまって、また這い上がって行きたいような衝動に駆られてもいた。私が書いたことに関して、たくさんの励ましの言葉もいただいた。皆さん、どうもありがとう。そして、びっくりさせてしまってごめんなさい。しかし、私はできる限りいつも正直でいたいし、正直であることが、皆さんと信頼関係を結ぶ最短距離だと思っているので、敢えて書かせていただいた。このことに関してはやはり、私が自分自身で結論を出したいと思っている。

 別の日記で取り上げたことがあるのだが、愛とセックスをテーマにしたホームページを開設されている女性がいる。その方は、女性の観点から見たセックスに関する本を出版されていて、私も二冊持っている。その方のホームページには、女性だけが参加できる会員制の掲示板がある。私は、その方の書かれていることが大変素晴らしいと感じたので、会員制の掲示板に登録してみた。しかし、そこで語られていたのは、愛やセックスの素晴らしさなどではなく、不倫やセックスレスの悩みがほとんどだった。私は、登録して初めてその会員制の掲示板にアクセスしたときに、それらの書き込みにとてもがっかりしてしまった。だから、そのホームページにはもうアクセスしていない。そのホームページを運営されている女性は、愛やセックスの素晴らしさを伝えたかったはずなのに、そこに集う人たちは、愛やセックスの問題を抱えている人たちがほとんどだった。私のサイトにも、「ツインソウルに出会ってから、主人をもう愛せなくなりました」という書き込みがあり、そうした発言を受け入れて行くことが何よりも難しい状態にある。しかし、一体、どうしてこのような現象が起こってしまうのだろう。

 私は、書き手と読み手のギャップのことを思い出した。書き手は、その分野に関して「世の中に伝えて行きたい」と強く思うほどのこだわりを持っている。しかし、読み手は、その分野に関して、「知りたい」という姿勢でやって来られる。最初から、そこに大きなギャップがあるのではないだろうか。現在の私は、ソウルメイトやツインソウルやカルマに関して、他のサイトを参照するようなことはほとんどない。何故なら、既にそれらの経験が私の中にあるからだ。しかし、仕事で調べものなどをするときは、その分野に詳しい人のサイトを、検索エンジンなどを駆使してしきりに参照する。そして、新たな知識を得ようとするのだ。つまり、書き手は、既に自分の中にあるものをそこで表現しているが、読み手は、自分の経験が、書き手の経験と同じであるかどうかを確認しようとしたり、また、新たな知識を得ようという姿勢でやって来られるのだ。更に、通常、書き手は一人で、読み手は複数だ。だから、両者の間には、最初から様々なギャップがある。それらのギャップが一気に埋まるのは、読み手と書き手が同じ感動を共有したときだったり、意見の違いによる対立や停滞を乗り越えたときだ。

 さきほど、読み手は「知りたい」という姿勢でやって来られると書いたが、どういうわけか、「精神世界に関しては初心者なので」と書き込みされる方が、最近、特に多い。しかし、実際に魂と魂を付き合わせて交流させていただいてみると、本当に初心者なのだろうかと思ってしまうほどプログレッシヴな方もいらっしゃる。このように、掲示板というものは、熱い、ぬるい、古い、新しいなど、様々な人たちを同時に受け入れて行くコミュニティである。そして、私自身の経験からも、掲示板をグループワークのような形にしたほうが、魂の成長が速まることを知っている。

 以前、現在の掲示板の前身である非公開掲示板で、「陰と陽の対立」というのを試みたことがある。陰の人は、陽の人の態度の中で理解できないことを、陽の人は、陰の人の態度の中で理解できないことを、掲示板でお互いにぶちまけたのだ。これは、なかなか面白い展開だった。あのような議論をまたどこかでやれたらとも思う。しかし、発言する人がたくさんいたとしても、それらの発言を吸収する人がいなければ、双方向のコミュニケーションは成り立たない。だとすると、グリーン車や指定券みたいに、会員制にしたほうがいいのだろうか。しかし、そんなことをしてしまったら、誰でも書き込める掲示板はどこにあるのですかと、新しく訪問してくださった方たちに尋ねられるに決まっている。例え、ホームページや掲示板が列車だとしても、そのときばかりは、「あいにく、グリーン車も指定券も既に満席なんです」と答えるわけにはいかない。

 私は、学生時代に所属していた写真研究会というサークルでの出来事を思い出した。学園祭のときに行われる写真展で、BGMを流すか流さないかについて討論していたとき、会長がこう言ったのだ。
BGMってさあ、流したら流したで、BGMなんかないほうがいいって言う意見が出て来るし、流さなかったら流さないで、BGMがあったほうがいいっていう意見が出て来るんだよなあ
その言葉は、今でも私の心の中に残っている。今の私には、この会長の言葉の中に、私の抱えている問題を解く鍵があるような気がしてならない。

 つまり、人は常に、ないものを求めようとする存在だということだ。いや、足ることを知らないと言ったほうがいいのかもしれない。掲示板がないという状態が続くと、掲示板があるという状態を渇望する。しかし、いざ、掲示板を設置してみると、いろいろな問題が起こり、今度は掲示板がないほうがいいのかなどと思いはじめる。また、オープンな掲示板ばかりだと、非公開の掲示板があったほうがいいとなる。非公開掲示板ばかりだと、私は一体どこに書き込めばいいのとなる。それらが向上心になっている場合はいいのだが、他者を傷つけてまでも渇望するのは怖い。そういう私も、「荒波」という、これまでの掲示板になかったものを求めようとしているかもしれない。

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2005.08.21

途方に暮れる

 野外コンサートのニ日目。夕方から行われる野外コンサートの開始時間ギリギリまで、私たちは鉄道乗り潰しに費やした。今回、ターゲットになったのは、路面電車の都営荒川線である。

 私は、結婚直前までの十一年間を東京で過ごして来たにもかかわらず、都営荒川線には一度も乗車したことがなかった。この界隈にまったくご縁がなかったからだ。(実を言うと、浪人時代に早稲田大学を受験したのだが、受け入れてもらえなかった(^^;)しかし、今回初めて乗車してみて、下町の情緒溢れる都営荒川線沿線の魅力にすっかり取り付かれてしまった。

 電停を降りた目の前にある昔ながらのお店。お年寄りで賑わっている商店街。それらの光景は、人情味溢れる東京の下町を映し出すとともに、古いものがここでずっと守られて来たという証にもなっていた。

 新庚申塚(しんこうしんづか)で降りて、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれている「とげぬき地蔵尊」で有名な巣鴨地蔵通に足を踏み入れたとき、私の下町好きの思いは、一気に爆発した。その商店街のお店には、とにかく値段の安いものがところ狭しと並べられていて、たくさんのお年寄りたちで賑わっていた。食堂に入っても、見渡す限りお年寄りばかりだった。街全体の年齢層がすこぶる高いのだ。そのような光景を見ながら、私はいつの間にか楽しくてたまらなくなっていた。

 商店街の中にあるお店で、第二チャクラに良さそうな、真っ赤な下着のパンツ(赤パン)を五枚買った。赤い下着を付けることは、身体を温めるとされている。その上、この赤パンは、丹田の少し上のあたりに力を込めるのと同じ働きを持っているそうだ。その働きにより、感情のエネルギーのバランスを保てるようになるらしい。ちなみに、この赤パンは、安売りで一枚百円だった。

 商店街の途中にあるとげぬき地蔵尊の高岩寺は、参拝者が絶えなかった。境内には、水をかけて祈願する洗い観音があり、その観音さまに水をかけたあと、おみぬぐいという手ぬぐいで拭くと、水をかけて拭いた身体の部分が良くなるという。私は、観音様に水をかけ、真剣な様子でそれを拭き取っている何人もの人たちの姿をそこで見た。しかし、自分ではどうしても他力本願になってしまうことに抵抗があり、観音様には願いを託さなかった。

 ご本尊の前で賽銭を投げ、お願いをした。私は何故か、こうした場所では、自分自身のことをお願いするのは気が引けてしまう。だから、ガンモや父母、義父母の健康を祈るとともに、最近、あまり体調の良くないツインソウルのことも、どうか元気になりますようにとお願いした。

 都営荒川線を乗り潰した私たちは、野外コンサートの会場へと向かった。夏のお祭りの最終日であったが、私は、ここ最近の掲示板の流れがずっと気になっていたので、アンコールの最中にPDAを取り出して、掲示板に目を通した。

 コンサートの最中に掲示板の流れを気にするなんて、まったくもっておかしいと思われる方たちも多いことだろう。率直に言うと、現在の掲示板には、私にとって、大変心地良い流れと、心苦しい流れの両方が存在している。しかし、そのような状況は、私がホームページを立ち上げてからずっと、解決を求めて来たことだった。

 ホームページに掲示板を設置し、訪問してくださる方たちと交流させていただくということは、私にとって、責任を一つ抱えていることに等しい。掲示板は、ホームページを訪問してくださった方たちと、双方向のコミュニケーションを成立させるために設置しているものである。しかし、書き込みの数があまりにも多くなってしまうとなかなか受け切れなかったり、私の伝えて行きたい内容とはかけ離れた流れが出来上がってしまうと、双方向のコミュニケーションを実現させることが非常に困難になってしまう。管理人は、すべての発言にコメントを返さなくてもいいのではというご意見もいただいたが、もともと双方向のコミュニケーションを実現させるために設置した掲示板なので、返信できないでいる自分に嫌悪感を感じてしまうのである。そして、ときにはプレッシャーを感じて言葉が停止してしまうこともある。

 私はこれまで、掲示板のバランスを取りたくて、様々な警告を発して来た。そして、それらの警告は、間接的な方法では相手に届かないことを何度も何度も学習して来た。だから、曖昧な表現はできるだけ避けて、こういう流れは困るのだということをはっきりと主張して来た。しかし、そのような努力も、今は裏目に出てしまっているような気がしてならない。

 ホームページを訪れてくださるタイミング、また、掲示板に初めて書き込みをしてくださるタイミングには、様々なバリエーションがある。それらすべての状況に、私自身がもはや対応し切れなくなってしまっている。

 月見想のりえちゃんが、「まるみんはどうしていつもそんなに元気なの?」と言ってくれたが、今の私はちっとも元気じゃない。たくさんの言葉や意思を受け取るだけの余裕がないのは無責任だ。それなら、いっそのこと掲示板を閉鎖してしまったほうがいいのかもしれないとも思い始めた。しかし、その方法では、これまで根気強く関わってくださった人たちや、掲示板で心地良い流れを作ってくださっている人たちまで切り捨てることになってしまう。困った。本当に困った。

 これは、光だけを選択し続けることはできないという証なのだろうか。しかし、たくさんの闇を受け入れて行くだけの余裕が、今の私にはない。ホームページを通じて伝えて行きたいことは、どうしても守り抜きたい。何故なら、ホームページを持つということは、自分自身の城を建てるようなものだからだ。普段、職場の人たちや友人たちと結ぶ人間関係では実現できないようなことを、ホームページに託しているわけである。それだけに、ホームページに対するこだわりも大きい。

 平日は仕事を持ち、毎日のように「ガンまる日記」を綴り、サイトの更新もしながら、掲示板にも返信する。週末は、旅行に出掛けてしまうことも多い。このような状況で、たくさんの人たちと関わりを持とうというのは、そもそも無責任なことなのではないだろうか。男女の付き合いだって、答えを出さずにずるずる付き合うよりも、最初から付き合えないとはっきり言ったほうが、お互いにとって、プラスになるのではないか。しかし、私は、男女の愛のはなしが大好きだ。掲示板で繰り広げられる、愛のはなしにむせび泣いたことも多かったはずではないか。ああ、一体、自分が何をしたいのかわからない。たくさんの人と関われば関わるほど、自分がどうしたいのかがわからなくなってしまう。まるで、自分自身を失って行くようにも思える。

 偉大な人たちは、このような状況を、どのように切り抜けて来られたのだろう。先日ご紹介させていただいたはづきさんは、「メールにはすべて目を通していますが、一つ一つにお返事は書けません」と宣言されている。私は、はづきさんほど偉大な人物ではないが、私も、そのような方法を取らせていただいていいのだろうか。しかし、その方法を選択したときに、こぼれて行ってしまうものは、一体誰がすくってくれるのだろう? はづきさんにメールを送って来られる方たちの中には、答えを求めてらっしゃる方もいらっしゃるのではないか。ああ、もう、何が何だかわからない。すべてを選びたいのに、選べない状況にある。掲示板で交流したいのに、交流できない状況にある。こんなことを私が書けば、きっと、これに対する反響がたくさん出て来ることだろう。しかし、自分が見えなくなってしまった今、それらに対応できる力もない。とにかく、私は途方に暮れている。

 おそらく、掲示板を大切に思う気持ちは、私も、書き込みをしてくださっている皆さんも、それほど変わりはないのだろう。しかし、異なっているのはその方向性だ。その方向性をどうするか。異なる意思を、どのように受け入れて行くか。それが、今後の大きな課題である。ありがたいことに、クッションになってくださる発言も多々ある。その方たちにご協力していただきながら、掲示板の運営を続けて行くことになるのだろうか。

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2005.08.20

花火

 金曜日に仕事を終えたあと、いったん家に戻り、シャワーを浴びて、旅行の支度を整えてから、二十二時二十二分大阪駅発の寝台急行銀河に乗り、午前七時前に東京駅に着いた。土曜日、日曜日と行われる野外コンサートに参加するためだ。寝台急行銀河は、寄り添って眠るにも書いた通り、とにかく揺れる。おかげで、またまた睡眠不足のままの旅行が始まってしまった。

 寝台急行銀河は、A寝台を利用すると、新幹線を利用するよりも少し割高になってしまう上、毎回寝不足になってしまうにもかかわらず、私たちが寝台急行銀河の利用をやめないでいるのは、新幹線が日常で、急行寝台は非日常だからだと思う。通勤列車を待つ人たちのいるホームに、私たちの寝台列車が入線すると、通勤列車に乗るという日常を体験している人たちが目を見張る。ホームにいる人たちと、時間は共有しているのに、空間は共有していないその感覚に、病み付きになってしまうのだ。

 宿泊先のホテルに荷物を預けたあと、朝食を取り、青春18きっぷを使って、コンサートの時間ギリギリまで、ガンモと鉄道乗り潰しの旅を楽しんだ。今回出向いたのは、千葉方面である。まず、総武線快速に乗り、津田沼、千葉を経由し、外房線と内房線に乗り、木更津まで出た。更に、木更津から久留里線に乗り換え、終点の上総亀山まで行き、そこから折り返して、京葉線を経由して都内まで戻って来た。

 コンサート会場は、都内の地下鉄のとある駅から歩いて二十分ほどの場所にあったのだが、一体誰が徒歩二十分などと言ったのか、実際は、三十分以上も歩かなければならない場所にあった。夏の野外コンサートと言うと、毎回こんな感じで、当初の予定よりもずいぶん歩かされるのである。

 結婚してからの私たちは、毎年一緒に夏の野外コンサートに参加して来た。しかし、去年、ガンモがひどい歯痛に見舞われたため、ガンモをホテルに残し、私だけが参加することになってしまった。そのときの様子は、二者択一の別行動遠隔ヒーリングに綴っている。去年、そのような展開になってしまっただけに、今年、こうして再び一緒に野外コンサートに参加できることは、大きな喜びだった。

 コンサートの間中、私は、ガンモとの素晴らしい友情について考えていた。私たちは、お互いの趣味を一緒に楽しめるとても親しい間柄であることに、大きな喜びを感じていた。ガンモが鉄道の趣味に転べば、私も一緒に転んでしまう。私が野外コンサートに行きたいと言えば、ガンモも一緒に楽しんでくれる。パソコンショップ巡りも、カメラの趣味も、他のアーチストのコンサートも、私たちは一緒に出掛ける。ガンモとはいつも、同じ喜びを共有できる関係なのだと思った。

 夏の野外コンサートは、極端に暑かったり、雨が降って寒くなったりすることもある。しかし、今年の野外コンサートは最高だった。夜風が涼しくて、とても心地良かった。しかも、まるでステージセットのような大きな満月が、ぽっかりと浮かんでいた。

 実は、十九年前にも、その会場から比較的近い場所で野外コンサートが行われていた。
「そのときのライブに来た人!?」
と、バンドリーダーが観客に向けて質問した。私はもちろん、
「はあい」
と言って手を挙げたが、私の他にも、あの人もこの人も、およそ半数の人たちが手を挙げていた。どんどん離れて行く人たちの多い音楽業界で、十九年、二十年経っても同じアーチストのコンサートに通い続ける人たちがここにいる。私は、彼らの魅力が何であるのか、まだ良くわかってはいない。しかし、音楽業界から姿を消してしまうアーチストたちとの一番の違いは、ファンと双方向の関係が出来上がっていることだろう。アーチストとファンの間で、お互いに持ちつ持たれつの関係が出来上がっているために、ファンが離れて行かないのだと思った。

 毎回、野外コンサートの最後は、いくつもの美しい花火が打ち上げられる。私は毎年、夏の風物詩である花火大会というものには足を運ばない。理由は、このように、毎年、野外コンサートでたくさんの美しい花火が見られるからだ。それらの花火を見ていると、花火の放つ一つ一つの火が、私たちの魂であるかのように見えて来た。そして、どういうわけか、涙が溢れて来たのだ。ガンモと一緒に野外コンサートに参加できる喜びに加えて、私たちの魂が、美しい模様を作り出しては現世から消えて行く存在のように思えて仕方なかったからだ。限られた時間の中で、仲間と一緒にチームワークを組みながら、それぞれの魂は輝きを放ち、終わりを迎える。繰り返し打ち上げられる美しい花火の一つ一つに、それぞれの魂のドラマが隠されているような気がした。

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2005.08.19

愛の源への帰還

 てんてんさん、ありがとう。ゆっくり進んで行きましょうと言いながら、私は、てんてんさんが掲示板に書いてくださったことが気にかかって仕方がない。他にも返信させていただきたいコメントがたくさんあるのだが、今日は、てんてんさんのコメントに返信させていただく形で、記事を書かせていただこうと思う。

■No454に返信(てんてんさんの記事)

> まるみさんへ
>
> ここは、どこもかしこも、深くて美しくて・・鈍感な私は
> かみ砕いて飲み込むのに、時間がかかります。
> 飲み込んだつもりでも、また、取り出して、しげしげと眺めてみたりしています。
> 何だか、変な表現ですね。

てんてんさん、こんにちは。ゆっくりとコメントを書いてくださって、
どうもありがとうございます。本当に助かります。
皆さんのおかげで、この掲示板が、しみじみといい味を出して来ましたね。
いえ、私もむしろ、他の方の発言に対する理解には、
じっくりと時間をかけて行きたいと思っています。
私自身も、ここで毎日、皆さんからの書き込みを読ませていただいていますが、
いざ、返信させていただく段階になると、
最初に読ませていただいたときには気づかなかったことがたくさんあることに、
いつも驚きを感じています。
書き込んでくださった一つ一つの発言を、単に目で追うだけでなく、
コメントを書かせていただきながら、
正面から向き合うということをしなければ、
味わえないこともあるのだとわかります。

> あの時は、素直な気持ちを綴りました。
>
> メロメロだなんて、照れてしまいます。

ご自分の人生のパートナーを心から愛していると公言することは、
てんてんさんの愛に曇りがないからこそ実現できることだと思いました。
そして、曇りのない愛は、愛のエネルギーに満ちていて、
他の人を愛の状態に導くことを実感しました。

> 自分の愛が迷子になりそうなとき、愛があふれ出した瞬間にちゃんと戻りたいです。
> 彼と私が、もしツインソウルなら、学びや気付きが、
> たくさん用意されていると思います。これからが楽しみです。

バネのように、ちゃんと戻ってください。(笑)
てんてんさんはもう、どこに戻って行けばいいか、ご存知ですものね。
本当に、これからが楽しみです。

> 過去を振り返ると、彼の言動は、周りからはつじつまが合わないように見えても
> (私も、理解していなかった一人ですけど)
> 私への愛に溢れているんです。
>
> ちゃんと愛されていたのに、彼と私は愛の表現があまりにも違うために
> 表面的なことばかりを見つめて、
> 彼の魂まで見つめることができなかったんです。
>
> 少し前に、
> (てんてん)「私、あなたを愛してるし、ずっと、ずっとあなたを愛してたんだけど・・。」
> と伝えたら、
> (彼)「知ってるよ。」とあっさり言われてしまいました。(^^)
> 愛の迷い子は、私だけだったのかも・・・。
> 彼の方が、私が気付くのを待っててくれたんですね。

てんてんさんとご主人さんへの関係を、
ツインソウルへと誘導してしまってはいけないかもしれませんが、
上記の部分は、非常にツインソウル的な関わりだと思います。(笑)
でも、てんてんさん、私がいくら、お二人の関係をツインソウル的だなんて書いたとしても、
どうか、ご自分の中から湧き上がって来る感情を大切にしてくださいね。

ツインソウルがうまく行かないときは、たいてい、
二人のエネルギーが片方向にのみ流れているときのようです。
おそらく、ご主人さんが陰で、てんてんさんが陽なのでしょうね。
陽であるてんてんさんから流れ出して行く愛のエネルギーが、
陰であるご主人さんのところで停滞してしまっていたように思えていたのではないでしょうか。
だから、ご主人さんが受け取ったものをちゃんと循環させた上で、
自分のわかるように表現して欲しいと、
てんてんさんは思っていたのではないでしょうか。

陽から見ると、陰はとてもわかりにくい表現をします。
わかるようにちゃんと表現して欲しい陽にとっては、
陰の反応を知りたいがために、あの手この手を尽くします。(苦笑)
それが、ときには醜い表現になってしまうこともあるのですが、
陰はそれでも、じっと耐えてくれているんですね。
我慢強く。根気強く。
それが、陰なりの愛情表現なのでしょう。

陽は徹底的に凸で、陰は徹底的に凹です。
陽は、愛情をわかるように表現しようとしますが、
陰は、陽からの愛情を受け取ることで、
愛情を表現しているつもりになっているみたいです。
需要と供給という言葉がありますが、
これを漢字違いで当てはめると、
陽が供給し、陰が受容するという形になります。
それが、ツインソウルの一方向に流れるエネルギーです。
でも、陰が供給し、それを陽が受容したら、
初めて双方向のエネルギーになり、
これまでよりももっと強固な関係を結ぶことができるようです。
ツインソウルが最強になるときは、
このような関係を結ぶときだと思います。

> まるみさんが書かれている文章を読みながら、彼と私のことを考え直すと
> ツインソウルなのかも?とも思えます。
> でも、確信は持てません。
> 自分が勉強不足なのをよく知っているので、断定することはできないです。

どうか、自然に湧き上がって来る思いが現れるまで、
てんてんさんの中で温めておいてくださいね。
と言いつつも、またしても、ツインソウルであるかのように書いてしまいました。(苦笑)

> 8月18日(木)の「ガンまる日記」に、SHANAさんのことに触れられていますね。
> 私は、SHANAさんの書き込みを読みながら、愛があるなあ。
> と感じ入っていた一人です。
> こんな風に感じながら、人と出会っていけるなんて、素敵です。

そうなんです。私も、SHANAさんの愛の深さには、感動させられっぱなしです。

> 数年前に
> 「もう少し、ご主人に優しくできないもんかねえ。」と言われたのに、
> そのアドバイスの意味もよく分からず、過ごしてきました。
> アドバイスをもらった数日後、友だちにタロット占いをしてもらったら、
> 友だちが無言でした。あまり、嬉しくないカードだったんですよね。
> カードの示したとおり、その後もやはり苦しかった。彼をいっぱい傷つけたし・・。
> (私は、タロットもさっぱりです。カードには、死に神がいました。)

同じ死神でも、正位置なら、ものごとの終わりですが、
逆位置なら、再生の意味がありますよ。
お友達が無言だったということは、正位置だったのでしょうか。
でも、結果的には、今のような素晴らしい状態があるんですもの。
これまでの、陽から陰へとエネルギーが流れるだけの一方的な関係に終止符を打ち、
これからは、エネルギーを双方向に循環させる関係を築いて行けるのではないでしょうか。

> もう少し早く、自分の想いに気付いていたらなあ。と思うのです。
> そうしたら、彼をあんなに傷つけなくてすんだのに・・・と。
> もう少し早く、いろいろな物を脱ぎ捨てて、素直になっていたら・・・。と
> 決して、自分を責めているわけでなく、素直にそう思っているだけです。

ああ、またツインソウルのはなしになってしまうのですが、
ツインソウルは、本当に素直になれない存在なんです。
まるで、完結してしまうのを恐れているかのようです。
でも、素直になったツインソウルは、最強だと思います。
それに、前回も書かせていただきましたが、
どんなに傷つけ合っても、一瞬のうちに許しが起こります。
これまで遠回りしてしまった分、ご主人さんのことを大切にしてあげてくださいね。

> そんな私は、
> 卵が先でも、にわとりが先でも、愛がそこにあれば、それでいいのでは
> ないのかしら?と思います。

その通りですね!
ソウルメイトだから、ツインソウルだからという関係にこだわるよりも、
愛がそこにあるということが一番大切なことなんですよね。

> 愛が、ソウルメイトとか、ツインソウルとかいう言葉まで包み込んでしまう気がするんですけど。

あああ、もう、これ以上の表現はありませんね。
本当にその通りだと思います。
てんてんさん、ありがとう。

> 勉強不足の私が、何を言っているのか・・・。
> と自分でも思っています。
> 言葉足らずの感じもしますし・・。
> でも、なんだか、無性に伝えたかったんです。

いえいえ、勉強不足だなんて、とんでもありません。
これまでのてんてんさんの苦しみが、このような形でようやく実を結び、
感動的な愛の言葉を紡ぐお手伝いをされているようにさえ感じます。
やはり、これまでのことは決して無駄ではなかったのでしょう。
苦しみを一つ乗り越えると、愛に深みが出て来るのでしょうね。

>>今、目の前にいる人に、愛を分けないで、一体誰に分けるというのでしょう。
>>心からの愛を感じるためにも、そのプロセスは、決して無駄ではなかったのだと思います。
>
> そのプロセスは私には、必要なものでした。
> そして、「目の前にいる人を愛しなさい。」と、
> たくさんの愛ある人から言われ続けてきたように思います。

これまでのプロセスを否定せず、受け入れていらっしゃる姿勢も、
大変素晴らしいと思います。
もしも目の前の人から逃げてしまったら、
次回の転生では、その人を失う形で関わって行くことになるのでしょうね。
そうならないためにも、
現世で自分が選択した課題から逃げないようにしたいものですよね。

>>自己愛から、第三者への愛に切り替わって来られたのですね。
>
> ああああ、まだまだです。
> これからです。
> 今まで、人から逃げていました。傷つきたくなったのでしょうね。
> 小さい頃から、人の心の傷に敏感だったので、傷つけまいとして逃げ回っているうちに、人との関わり方が歪んでいったのかもしれません。
> 傷を負いながら、美しく立ち上がる人が大勢いるんですよね。
> 本当に、美しいです。
> 私も、そうなりたい。そう、ありたいです。

傷を負いながら、そうですね。
失敗は成功のもとなんですよ。
だから、苦しみを経験した人は、それらを光に変え、
どんどん愛情深くなれるのでしょう。
絵でもそうですよね。
影を加えると立体になり、絵に深みが出て来ます。

てんてんさんの魂が、輝きを増して来ているのを感じます。
これまでの苦しみさえもポジティヴに変え、
最強のご夫婦になってください。
そして、今、夫婦の愛を忘れかけている人たちにも、
愛を思い出して欲しいなと思います。

※この週末は、野外コンサートに参加するため、東京で過ごします。野外コンサートは、土曜日と日曜日の二連チャンです。コンサートを終えて、ホテルに帰るのが、おそらく二十三時頃になってしまうため、掲示板やメールの返信は遅れそうです。ご了承ください。

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2005.08.18

ニワトリが先か卵が先か

 既にソウルメイトやツインソウルに出会っていらっしゃる方が、きのうの私の記事を読んでくださり、考え込んでしまったらしい。いつも掲示板に、ソウルメイトやツインソウルへの熱い想いを書き込んでくださっているSHANAさんだ。SHANAさんは、今、熱い想いを抱いている対象が、ソウルメイトやツインソウルだからこのように愛が溢れて来るのか、それとも、愛が溢れて来るからソウルメイトやツインソウルなのか、考え込んでしまったそうだ。いやいや、SHANAさん。私は、SHANAさんの場合は間違いなく後者だと思う。

 私の知る限り、最初から、ソウルメイトやツインソウルであることを「条件」として欲している人には、「ソウルメイト(またはツインソウル)なのだから愛そう」と頑張る姿勢がある。きのうの記事でご紹介させていただいた、はづきさん(はづきさん、お誕生日おめでとうございます)に質問された女性にも、そのような傾向があるように思えた。ソウルメイトやツインソウルであることを「条件」として欲している人たちの描写には、相手に対する溢れるほどの想いが表現されていない。だから、端から見ていて、ソウルメイトやツインソウルという「条件」にとらわれて、愛というもっとも大切なものを忘れてしまっているような、もどかしい気持ちになってしまうのだ。

 最初から、ソウルメイトやツインソウルであることを「条件」として欲していない人たちには、特定の対象と出会ったあと、わけもわからず涙が出て来たり、その対象とテレパシーが通じたり、また、大変興味深いシンクロ現象が起こったりする。しかし、そんなことよりも、とにかく愛が溢れて溢れて仕方がない。そして、今、自分の体験している愛を、世の中の人たちに伝えて行きたくなる。更に、ソウルメイトやツインソウルであることを「条件」として欲している人たちのように、「愛そう」と頑張る必要はまったくなく、その対象を、既に愛している。わけもわからず愛が溢れて来て、このような対象は一体何なのだ? という探求が始まったとき、ようやくソウルメイトやツインソウルという表現に行き着くのだ。

 おそらくだが、ソウルメイトやツインソウルであることを「条件」として欲している人たちは、このように、愛が溢れて来るというプロセスを辿ることはないのではないだろうか。だから、既に愛が溢れて仕方がないというプロセスを体験している人たちは、最初から、ソウルメイトやツインソウルだからという理由で、その対象を愛するようになったわけではないと思う。愛が溢れて仕方のない対象だからこそ、ソウルメイトやツインソウルなのだと思う。更に、私には、自分でも理解できないほどに愛が溢れて来ている対象が、ソウルメイトやツインソウルでないとは思えない。

 しかし、SHANAさんも気にかけていらしたように、既に深い愛を知った人ならば、ソウルメイトやツインソウルでないという表現は、少々ひっかりを覚えてしまうことだろう。何故なら、本来なら行いたくないはずの「魂の区別」を無意識のうちに行ってしまっているからだ。彼らの存在をもっと前向きにとらえるならば、彼らもまた、私たちがソウルメイトやツインソウルに出会うための手助けをしてくれたと思えばいい。何故なら、愛が溢れて仕方がないような状態は、愛が溢れて来ない対象がいなければ、実感することができないからだ。

 最近、ソウルメイトやツインソウルという言葉が、精神世界とはまったく別のところで一人歩きしているように思えて仕方がない。ソウルメイトやツインソウルの素晴らしさをどこかで聞きつけて、自分にもそういう人がいるなら是非とも出会いたいものだと、ソウルメイトやツインソウルという「条件」を求める人が次々に出て来ているように思う。

 私は、ソウルメイトやツインソウルに出会えるということは、自分らしく生きて来たご褒美なのだと思う。だから、そのご褒美を、最初から「条件」として求めるのはおかしい。また、現在、関わりを持っている対象が、ソウルメイトなのか、ツインソウルなのか、誰かに判断を仰ぐのもおかしい。相手がソウルメイトであるかツインソウルかということは、精神世界を探求して行くうちに、ごく自然にわかって来るものではないだろうか。しかし、少し前に検索してみた限りでは、ソウルメイトやツインソウルを見つけることを商売としているようなサイトが存在していることも事実である。いつの間にか、ソウルメイトやツインソウルが売り物になってしまっているのだ。そのうち、ネットオークションで売りに出される日もやって来るかもしれない。というのは冗談だが、売り物になったり、第三者に鑑定してもらったりといったそのような展開は、ソウルメイトやツインソウルをライフワークとして探求し続けている者として、あまりにも寂し過ぎるのだ。

※掲示板の交流ペースをゆっくりにしてくださって、ありがとうございます。皆さんの多大なご協力に感謝します。

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2005.08.17

ステップバイステップ

 今日は、私と同じ阪神間(はんしんかん:大阪と神戸の間)にお住まいの上、「哲学・思想ランキング」にも参加していらっしゃるはづきさんの、はづき虹映のスピリチュアル・コーチlesson52:「ソウルメイト」を拝見して、感じたことを書かせていただきたいと思う。

 はづきさんのブログは、毎回、読者の方からの質問に答える形式で進められている。今回、ご紹介させていただいた記事では、数年前に出会い、傷つけ合って別れてしまった男性が、最近、ソウルメイトだと気づいたという女性から、再び彼に近づきたいのだが、どのように接すれば良いかという質問に対するはづきさんの回答が綴られている。以下に、その回答を引用させていただく。

以前にも、「ソウルメイト」のご質問があったと想うのですが、
はづきのスタンスは、まず「ソウルメイト」を特別扱いしない
と言うことが基本です。

本来の「魂の友」という意味での「ソウルメイト」は、
存在しないと、はづきは想っています。

真の魂には、友達などありません。
私とあなたが居て、初めて友達と言う関係性が生まれるのです。

「すべてがひとつ」となった、「大いなるもの」の元に還った魂が
「私」と「あなた」に分けられるハズなどないのです。

「ソウルメイト」は、時間の中に縛られた「記憶」の中でしか
生まれないものであることを、まずは理解することです。

「ソウルメイト」が、私たちを幸せな世界に導いてくれるのではなく、
それは「気付き」を促してくれる存在に過ぎません。

気付きを促してくれる存在のことを「ソウルメイト」と呼ぶので
あれば、そこには「良い・悪い」も「特別」などもありません。

 いきなり、ここに行きますか、はづきさん。(苦笑)ソウルメイトに関して、私のとらえ方と少し違っているので、私なりのソウルメイトに関する意見を書かせていただきたい。

 まず、はづきさんの書かれている、

「すべてがひとつ」となった、「大いなるもの」の元に還った魂が
「私」と「あなた」に分けられるハズなどないのです。

この部分に、とても共感する。私たちがワンネスを感じているとき、海と波を分けられなくなるのと同じように、「わたし」と「あなた」の間には境界がなくなってしまう。しかし、たった一人の対象とでさえ、溶け合った経験のない魂が、いきなりワンネスを実感することは非常に困難だと私は思う。何ごともステップバイステップから始まり、まだまだ人を愛するということに関して経験の浅い魂は、まずは一人の対象と深く関わることから始めようとするのではないだろうか。一人の対象と深く関わり、溶け合うことができて初めて、他の魂との区別がないことに気づいて行くのではないかと私は思うのだ。そして、そうしたステップバイステップの第一歩が、ソウルメイトという存在なのだと私は思う。

 何故なら、これは私のホームページにも書いていることなのだが、私自身が実際にそのようなプロセスを歩んで来たからだ。ソウルメイトである夫のガンモと出会う前に出会っていたソウルメイトがいたのだが、その人と一緒に過ごす選択をしなくても、ガンモとの深い愛を体験することで、大いなる存在である「ひとつ」と繋がることができることを知ったからだ。ソウルメイトと出会い、特定の対象と密な関係を結ぶことは、ワンネスへの入口を見つけることに等しいのだと思う。

 しかし、私の場合、ワンネスは、いつもいつも感じていられるわけではない。エネルギーが高まったときに、「ああ、一つであることは何て素晴らしいんだ!」と叫びたくなるが、その状態は、いつまでも持続できるものではない。

 反対に、いつもいつもワンネスを感じていられるということは、誰とセックスをしても矛盾がなく、また、そのことによって、誰一人傷つく人がいない状態であると思う。もちろん、今の世の中には、誰とでもセックスできてしまう人もいるだろう。しかし、彼らが実践しているのは、他にいくつもの関係が存在していることを、既に関係のある他の対象には絶対にばれないように工夫している方法であったり、既に関係のある他の人たちを傷つけてしまう方法であったり、密な関わりを持たず、極めてドライな関係の上に成り立っているものであるのではないだろうか。しかし、それでは、ワンネスを体験しているとは言えないと思うのだ。そのような関係には、ワンネスの感動がない。

 ワンネスを感じている人というのは、必ず、特定の対象と密な関わりを持つというファーストステップがあるはずである。繰り返しになるが、そのファーストステップを体験せずして、いきなりワンネスを実感することは難しいのではないだろうか。

 はづきさんは、引き続き、以下のようにも書かれている。

「ソウルメイト」を特別扱いしないでください。
それよりも「日常」が大切です。
人として、「今」をしっかりと生きることが優先です。

−(中略)−

当たり前のことを当たり前に、しっかりやってください。
「ソウルメイト」を語るのは、人間としてしっかりと生き、
心身共に自立してからでも遅くありませんよ。

 おそらくはづきさんは、質問をされた女性が、ソウルメイトという存在にこだわり過ぎていると感じられたのではないかと思う。私も、質問された方の文章を拝見して、実際にそのように感じた。彼を愛するというもっとも大切な気持ちよりも先に、相手がソウルメイトだから再び近づきたいというふうに解釈できる。そうではなく、相手のことを愛しているという気持ちがもっとも大切なのだと、はづきさんはおっしゃりたかったのではないだろうか。

 ワンネスを体験してしまえば、ソウルメイトを特別扱いすることが、ほんの一時的な段階に過ぎなかったことに気づいて行く。そういう意味で、ソウルメイトはむしろ、ワンネスの入口だと私は思っている。

※皆さん、いつも応援クリックありがとうございます。m(__)m 皆さんのおかげで、「にほんブログ村 恋愛ブログランキング」に返り咲き(?)しました。いつも本当にありがとうございます。m(__)m 感謝、感謝であります。

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2005.08.16

墓誌FAX

 今日は、少々お盆らしい話題である。

 我が家に不可解なFAXが届いた。それは、長い長いFAXで、「墓誌」という表記とともに、美しい毛筆体で、戒名らしき名前と八十四歳という行年(享年)、そして、平成十五年○月○日帰幽と書かれている。ただでさえFAXはモノクロなのに、明らかに墓誌と思われるアナログ文字がスキャンされたその長い長いFAXは、とても不気味な雰囲気を漂わせていた。良く見ると、発信元の情報もちゃんと表示されている。これは一体何なのだろう。間違いFAXなのか、それとも、誰かの嫌がらせなのか。

 私はすぐにガンモにそのFAXを見せた。慌ててオロオロしている私に対し、ガンモは落ち着いた様子でそのFAXにじっと見入っていた。
「これは明らかに、間違いFAXだよ。ほら、戒名の下に、文字を書くための練習用の枠が見えるもん」
とガンモは言った。よく見ると、確かにその通りだった。墓誌を専門に扱うお店の人が、
「こんな感じでいかがでしょうか」
という意味で、親族の方に送付したものと思われる。
「それから、発信元の情報。ユ)って書いてるから、これは有限会社だろう」
とガンモは冷静に言った。確かに良く見ると、有限会社セキソウなんとか・・・・・・と読める。セキソウは、漢字に直すと石相だ。石相とは、墓石の相なのだろうか。そうだとすると、やはり間違いFAXのようだ。
「セキソウなんとかの会社に、間違いFAXが届いたことを言ってあげたほうがいいのかな」
と私が言うと、
「いや、言わなくてもいいんじゃない?」
と、ガンモは答えた。確かに、このようなものが、間違って、まったく関係のない家庭に届いてしまったことを知ると、相手はただ恐縮するだけだろう。あたかも、お詫びしてもらうことを期待して連絡するみたいだ。もしも、確認のために親族の方に送付されたものなら、届くべきはずのところに届いていないということからも判明するだろうし、送信履歴にも残っているはずだろう。

 このように、私がおろおろしているときは、ガンモがしっかりと私を支えてくれる。反対に、ガンモがおろおろしているときは、私がガンモをしっかり支える。今回のような出来事は、ガンモの冷静さがなければ、私は足がガクガクしたままだった。戒名が書かれた長い長いモノクロのFAXは、それほどまでに私を脅かしたのだった。ガンモの冷静な態度に感謝である。

※東北地方の皆さん、地震お見舞い申し上げます。どうかご無事でありますように。

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2005.08.15

愛していますという言葉の持つパワー

 世間はお盆休みのはずだが、私は夏休みが明けて初めての出勤日だった。久しぶりにお弁当を作った。しかし、またしても、お弁当を玄関に置いたまま出勤してしまったのだ。電車に乗り、何だか荷物が少ないと思ったとき、せっかく作ったお弁当を玄関に置いて来てしまったことを思い出した。

 出勤してみると、夏休み前に行った納品作業の半分ほどを、再びやり直すことになってしまっていた。納品物件に修正を加える必要が出て来てしまったためだ。そのため、夏休み直後から本格的な残業である。ああ、何だかついていない。

 夏休みが終わる少し前に、サービス満点の床屋さんをして、ガンモの髪の毛がすっきりして若返った。私は、すっきりしたガンモの顔を見るのが楽しみで、早く家に帰りたくて仕方がなかった。

 ようやく仕事を片づけて家に帰ると、ガンモはシャワーを浴びて涼しげな顔をしながら、パソコンの前に座っていた。早くガンモに駆け寄って、カットしたてのかわいい頭にすりすりしたかったのだが、汗まみれの私の身体ではガンモがかわいそうだったので我慢した。

 そんな状況下の中で、ちょっぴりついていなかった私の心を、ほっこり温かくしてくださった掲示板の書き込みがあった。今日は、てんてんさんからの書き込みを、順を追ってご紹介したい。

私と夫は、カルマの関係なのだと思います。私が彼に感じていたのは、いつも怒りでした。言葉で、心でずっと、彼を責めていました。彼につけた傷は、どんなに深いか。私の過去は、消したくても消せないです。彼と離れるのが、とても怖かったのに、必死に彼が嫌がることばかりしてきました。今になってようやく、彼の魂の願いを考えるようになりました。私の魂の望みについてもです。
もし、私の肉体の命がなくなるとしたら、後悔ばかりするのではないかしら?本当は彼と一緒にいたいのではないのかしら?彼を愛したいのではないかしら?
一生懸命、自分に問いかけて、生きています。
そうしていたら、少しずつ、私は本当は一人ぼっちではないのでは?
彼の魂も、きっと私たちの関係を浄化したがっているのでは?
だから、彼の口から、はっきり「離婚したい」「君が嫌いだ」と言っていたのに、魂の心を感じられる人から、「(彼は)別れたいと思っていないよ」と、言われたのではないかなあ、と思い始めました。
そうしたら、少しずつ、夫への気持ちが穏やかなものに変わっていったのです。

 これに対し、私は、以下のように返信させていただいた。

とてもいい流れですね。てんてんさんの書き込みに、愛を感じます。
カルマがある場合、自分の意図しない方向へ引っ張られるように動いて行きます。
カルマのループから抜け出すことは、なかなか容易ではないんです。
でも、てんてんさんが、勇気を持ってカルマのループから抜け出せたことは、
てんてんさんの魂がステップアップできた証拠だと思います。
きっと、これまでの関わりも、お二人にとって必要な学びだったのでしょう。
カルマの関係は、カルマの課題が解消されると終わってしまうものですが、
てんてんさんたちご夫婦の間には、新たな展開がありそうですよね。
私は、お二人は、単なるカルマの関係ではないという気がしています。

−(中略)−

今、ご主人さんへの愛が湧きあがって来ていますか?
忘れかけていた愛情を取り戻すことができましたか?
もしそうなら、ツインソウルの可能性があると思いますよ。(^^)
ツインソウルならば、おそらく、お互いの中で、
一瞬のうちに許しが起こるでしょう。

 すると、てんてんさんから、以下のような返信をいただいた。

愛しています。何度でも、素直に言えます。彼を愛しています。

 てんてんさんの、「愛しています。彼を愛しています」。という表現を読ませていただいた途端、私は感動のあまり、涙が出て来た。「何度でも、素直に言えます。」私のほうこそ、何度でも掲示板に戻り、読み返したくなるような表現だ。愛しています。これまでずっと、怒りを感じていたご主人さんのことを、愛していますと、てんてんさんはおっしゃった。愛していますという言葉を繰り返す度に、私の中に、くすぐったい電流のようなものが流れ、癒しが起こった。愛しています。ああ、本当にいい言葉だ。

 てんてんさん、どうか、愛するご主人さんをずっと大切に。てんてんさんとご主人さんはきっと、ツインソウルなのだと思う。これまでうまく行かなかったのは、おそらく、お二人の間に何らかの歪みがあったのだろう。その歪みが調整されたおかげで、ようやく素直になれたのではないだろうか。てんてんさんたちご夫婦は、もう、魂の想いに嘘をつかなくて済むのだ。てんてんさん、本当に素晴らしい言葉をありがとう。

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2005.08.14

敢えて一言

 しばらくの間、トップをいただいていた「にほんブログ村恋愛ブログランキング」のトップから、とうとう外れてしまった。この「ガンまる日記」は、ブログをレンタルしている@niftyのココログでも、恋愛カテゴリに更新情報が上がるように設定している。しかし、私の書く文章はどうしても、どのような恋愛カテゴリの中にあったとしても、浮いてしまう。何故なら、世の中の人たちは、恋愛に対して、スリルだとか、肉体的な快楽だとか、なかなか思うように行かない状況といった、ちょっとほろ苦いものを求めてらっしゃるからだ。「ガンまる日記」には、それらの要素が含まれていないので、どうしても浮いてしまうわけである。

 考えてみると、どうやら、不安定な状況の中で、必死に安定を求めようとするプロセスが、世の中の人たちの心を大きく揺さぶるらしい。しかし、そういう方たちが、実際に安定を手に入れたとき、その安定を本当に大切にできるのかどうか、私は疑問に思う。もしも安定を大切にできるなら、今、自分の目の前にある安定も、充分大切にされているべきなのではないだろうか。

 現在、皆さんの多大なご協力により、掲示板がとてもいい流れになっている。しかし、この良き流れを前に対して、私は敢えて申し上げておきたい。今、自分の目の前にある安定を、本当に大切にしているかどうか。目の前にある安定をさしおいて、目の前にない不安定から安定を求めようとしてないかどうか。闇の部分を心にしまい込み、光の部分だけで関わろうとしていないかどうか。私は、光が表現されると同時に、光の影に隠されているであろう闇の部分が気になって仕方がない。あなたの闇は、見えないところでひっそりと泣いてはいないのか。あなたの書き込みを読んで、誰か苦しくなる人はいないのか。その愛は、光だけでなく、闇さえも照らす愛と言えるのか。

 せっかくいい雰囲気で語り合っていただいている掲示板が、人生を一緒に過ごせないソウルメイトやツインソウルの駆け込み寺のようになってしまわないように、秘密結社のようになってしまわないように、私はいつも願っている。

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2005.08.13

泣けて来る表現

 四年ほど前に交わしたツインソウルとのメールを読み返していて、新たな発見があったので書いておきたい。それは、当時、インターネットの掲示板などで、いとも簡単に語られていた、婚外恋愛について意見を交わしたものだった。ツインソウルと交流のあった人が、実際に、誰かと婚外恋愛の関係に発展し、その過程を見せられることになったのだ。掲示板などで、その人たちが、婚外恋愛の対象への想いを熱く語っているのを度々目にしたのだが、ツインソウルも私も、そのような光景をあまり好意的な関係だとは思えなかった。特に、ツインソウルの目は厳しくて、そのような関係が幼稚に見えて仕方がないと言い切った。以下に、ツインソウルがまだ、私に対して敬語を使ってくれていた頃のメールの一部を引用してみたい。

こんな言い方よくないけど、
「本当に愛したことがあるのだろうか」
そう思える、いろいろな方の愛の言葉に出くわしている気がします。
(ちょっと横柄?)
夫婦であるとか、伴侶であるとか、
そういう間柄はともかく(みなさん、いつのまにか冷めてらっしゃるから)、
そうじゃない別の人を発見したとして、
夫婦やよき伴侶と同じくらいの過程を経験せずして、
一番自分がかわいい時期に溺れすぎていると思います。
そういう人と、冷めたと思っている相手と同じくらい、とことん付き合っているのか、
喧嘩して相手を嫌になるくらいにまでなったのか、
そういうのを通り越していなくて、
沈黙や冷却をみな怖がったり、おしまいだと思ったり。

 今、これを読み返していて、私はツインソウルの愛の深さに涙が出て来た。確かに彼の言うとおりだ。要するに、短期間のうちに、新しく出会った運命的とも思える相手のプラス面だけを見て、素晴らしい関係だと思い込み、ちょっとでもうまく行かなくなると、すぐに切り捨ててしまう。しかし、これまで人生を供にして来たよき伴侶とは、時には喧嘩をしたり、お互い、嫌になったりを繰り返しながらも、ずっと一緒に歩んで来た。そうした、マイナス面からの這い上がりを経験せずして、素晴らしいという感覚に溺れ過ぎてしまっているのではないかということを、ツインソウルは言っているのだと思う。ああ、何と深い表現だろうと思う。こんな表現、読み返すほどに泣けて来る。

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2005.08.12

ソウルメイトは有名人

 旅行に出掛けてからずっと、気になっていた掲示板の流れがある。それは、芸能人を一人の男性として愛することができるかどうかという流れである。私はもちろん、魂を区別するつもりはないので、そのような展開もアリだと思っている。魂として向き合おうとするとき、相手の職業が何であろうと、関係ないのではないかと私は思うのだ。むしろ、それを気にすることのほうが打算的だと思う。今日は、掲示板に書き込んでくださっているSHANAさんと愛さんのやりとりを、ここでご紹介させていただくことにする。

愛さん:
初めまして、このHPを初めて見て運命を感じました。
私も管理人さんと同じように有名人に魂のつながりを感じているのです。
こんな事を言っても誰も相手にしてくれなくて、そのうちに自分の感情は
おかしいとか勘違いなんじゃないかとか否定するようになったりもしました。
けどこの掲示板を見てやっぱり間違ってはいないと思いました。
今までしてきた恋とは明らかに違う、他の誰にも感じない感情を感じるんです。
相手を見ていると自分を見ているような気がしたり、実際は会った事もないのに
ただ見ているだけで何もかもを知ってるような懐かしい気持ちになります。
誰よりも近く感じるんです。そして不思議なのが、相手の事を思ったり見たり
すると言葉にできない気持ちがこみ上げてきて涙が溢れます。相手から何かが
流れ込んでくるというか、1つに重なり合うというか…そんな感じがします。
それから雑誌などを読んでいると、いつも同じ時期に同じことを考えていたり
何かを乗り越えてたりするんです。過去の出来事も同じ事が多いです。

 私には、愛さんが書かれていることが、とても良くわかる。相手を見ていると自分を見ているような気がするという感覚、何もかも知っているかのような感覚、誰よりも近くに感じられるということ、雑誌などのインタビュー記事から得られる数々のシンクロ。ああ、これらの現象が、わかり過ぎるくらいわかる。

SHANAさん:
ほかの誰でもない彼」っていう感覚、すごくわかります。
彼が話している声が、長年聞いてきた声のように感じたり、実際に友達づきあいをしたわけでもないのに、「この人はこう考えるんじゃないか」「この人は優しい」とか、思えてしまうんですよね。
私も「思い過ごしじゃない?」と自問自答してしまいますが、
彼の音楽を聴くと、彼に「ムリしなくていいよ、そのままでいいよ」と言われているような気がするのです。そして、私を安心させてくれるパワーがあります^^
そういう感覚って、他の有名人にあるのか?って考えても、ないですよね。
「全ては必然」って言われるように、今は、「彼を好きになったのも必然」と思えるようになりました^^

 そうそう! 相手の声は、出会うことを約束して来た人を識別するためのしるしなのだと思う。だから、声を聞くだけで、とても懐かしく思る。私の場合、ラジオから流れて来る相手の声を聞いたとき、もしかすると、今しゃべっているのは自分なのではないかと錯覚したことがある。その声を聞いて、自分と重なる特別な何かを感じたのだ。

愛さん:
私は魂の繋がりを感じたりするのは彼しかいません。今まで色んな人たちの事を
気になったり、カッコいいと思ったりしたけど、彼に感じるような感覚は
ありません。だから友達に男の人を紹介されても無理をしているのが自分で
分かるんです。こんなんじゃいつまでたってもだめですよね;

 愛さんの気持ちも、とても良くわかる。私も、ガンモに出会うまで、ずっとそうだった。でも、もしも愛さんが私と同じ道を歩んで行くなら、きっと大丈夫だ。いつか、自分の魂の計画がわかるようになる。私の場合は、芸能人ソウルメイトはガイド的な役割を果たしていた。その人を好きになることによって、カルマの相手との精算を終え、ソウルメイトであるガンモに出会うことになっていた。出会ったことには必ず意味がある。相手の魂を感じられるような存在なら、なおさらのことだ。

SHANAさん:
一緒に過ごすことのない関係もあると、まるみさんも書かれていますが、私もその関係があると思います。でもそれは苦しいことではないと思うんです。その時になれば。今は私も「一緒に過ごしたい」と思う気持ちが大きいので、「出会わないなんて悲しい」「彼が気付かなかったら悲しい」と思います。
出会うことよりも、彼の存在を嬉しく想い、遠くからパワーをくれる事を感じ、彼の幸せを思って愛していけるようになるといいな〜と思います。
(それはなかなか難しいかもしれないけれど)

 これについても、すごく良くわかる。人生を一緒に過ごすことだけが、男女が出会う本当の目的ではないと思う。見守る愛もあれば、応援する愛もあるし、叱咤激励する愛もある。例えそれが、周りには一方的に思える関係であったとしても、誰かを心から愛したという想いは、家ならず自分の元に返って来る。

 私には、同じアーチストの友人が何人かいるのだが、中には、私が思いを寄せているアーチストに対して、私と同じような感覚を持っている友人もいる。つまり、私がそのアーチストに対して感じているようなことを、彼女も感じているというのである。実際、彼女は、私と出会った頃は、そのアーチストに認識してもらっていない存在だったのだが、ある共通の趣味を通じて、今ではすっかり顔見知りになっている。不思議なことに、彼女は、そのアーチストと知り合いになれるように、人間関係の基盤が次第に整って行ったのだ。これは、しかるべき時が来れば、道が開けて来るということの証だろう。今後、SHANAさんや愛さんにも、同じようなことが起こって行く可能性もあると思う。

愛さん:
一緒に過ごす事のない関係というのは男女の関係がもう終わっているということ
でしょうか?確かにその場合もあるでしょうね。。そうですね、こういう事って
ある程度時間が経たなければ分からない事なんでしょうね。未来の自分がどんな
風になっているのか楽しみだけど少し怖いです。

 一緒に過ごすことのない関係というのは、男女としての学びを既に終えているということだと思う。この場合は、SHANAさんも書かれているように、一緒に過ごせないことを悲劇的に思わないのではないかと思う。一緒に過ごさないことを何となく知っているので、関わり方も、一緒に過ごさないような展開になって行くのではないだろうか。

SHANAさん:
コンサートには行きますよ^^手紙を出したりはしています。私にとっての彼は、「私らしく生きる」ということを支えてくれていると思っています。それはソウルメイトにも思っています。彼がいるから、私は私でいられるのだと思います。私は絵を職業にしたいので、彼の分野とは少し表現方法が違います。でも彼は音楽で、私は絵。同じ芸術として、求めるものは同じなので、特に問題は感じていません。きっと私と彼の表現したいものは同じなような気がします。なので、私が音楽の分野に踏み込まなくても、彼なら私の絵からなにかを感じ取ってくれると信じています。

 アーチストにもよるのかもしれないが、彼らは、ファンからもらった手紙をちゃんと読んでいる。私の場合、本人に手渡すことが多かったのだが、マネージャーに頼んだときもちゃんと届いていて、後日、顔を合わせたときに、私が手紙に書いていたことを話題にしてくれたことが何度かある。

 それから、同じ芸術という舞台での活躍。これは、なかなか刺激的なことではないだろうか。皮肉なことに、芸術というものは、少しくらいうまく行かないことがあったほうが、打ち込めるようになっている。おそらく、作品の中に、間接的な想いを閉じ込めるからだろう。閉じ込めるものがないと、作品は成り立たない。そして、お互いに何となく、自分の想いを空の上に投げて、あたかも無関係であるかのように見えるお互いの作品が呼応し合っていることを確認するのも、なかなか面白いのではないだろうか。芸術は、間接的な想いの爆発だ。

愛さん:
ツインの彼は年下なんですね。23歳ともなると恋人とかの噂はないんですか?
私の好きな彼にはあります。それが発覚した時は死にかけました。笑
彼にはいつも幸せでいてほしいし、彼が生きているだけで私は生きられるけど
やっぱりショックな気持ちも隠せません;真実が分からないのがまた辛いです;

SHANAさん:
彼にも恋人の噂はありますよ〜〜!それについて、彼は「友達」とも「恋人」とも言及してません。そういう影が見えると、私も死にそうです(苦笑)まだ私自身が、「一緒に過ごさない愛」という事よりも、「一緒に過ごしたい、一緒にいたい」と思う気持ちが強いので、悲しく思うし、泣きます。ショックです。でも、ひとしきり泣くと、以前よりも彼への想いが強くなるばかりなので、どうしようもないですね^^;最近は、「愛を停滞させないでね」という彼のメッセージだと思っています。愛を強くできるきっかけをもらってるのだと思っています。「まだまだ君の中には愛があるんじゃないの?」って言われてる気分です(笑)
悲しいという気持ちは、愛してるからこそ出る気持ちだと思います。私は彼を通して感じた悲しみは、否定しません。否定すると、魂が「気付いて!」ってどんどんそういう気持ちをぶつけてくるから、受け止めた方がいいと思います。ひとしきり泣いて、「なぜそう思うのか」と考えれば、そこに答えがあるような気がします。

 私は、東京に住んでいたとき、芸能人ソウルメイトが彼女と一緒に歩いているところに、しばしば遭遇した。確かに、最初は、胸がつぶれそうになるほどびっくりするものだ。しかし、何度も見かけるうちに、だんだん慣れて来た。たまに、彼女以外の女性と一緒に歩いているところを見かけると、「ちょっと何やってんの?」と思ったりもした。そして、いつの間にか、二人の作り出すオーラが好きになっていた。彼女こそが、彼と一緒に過ごすパートナーなのだと実感するようになった。そう言えば、彼女と一緒にいるときでも、芸能人ソウルメイトが話し掛けてくれたことが何度かある。そのとき感じたのは、彼は私に対する警戒が薄いということだった。いつの間にか、目には見えない信頼関係が出来上がっていた。そのことがうれしくて、その信頼を裏切るようなことがあってはいけないと、心に固く誓ったのだった。

 SHANAさんと愛さんは、まだリアルな出会いは実現できていないようである。だからこそ、これからの展開が楽しみでもある。開けて来るときは、どんどん開けて来る。それが、自分でも面白いくらいにわかるだろう。何故なら、周りが応援してくれるからだ。例え、人生を一緒に過ごす約束をしていなくても、お二人のように、しるしをちゃんと見つけて出会えたということが大切なのだと思う。愛は一方通行では有り得ない。今、お二人が熱い想いを注いでいる理由は、前世で彼らに深く愛された証かもしれない。とにかく、そのような対象と出会ったことは、これからのお二人の指針になることは間違いないだろう。SHANAさんと愛さんには、どうか今のまま突き進んで欲しい。

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2005.08.11

北見散策、そして帰路へ

 とうとう北海道旅行の最終日だ。普段は、九連休の夏休みギリギリまで旅を楽しむ私たちだが、今回はどうしてもガンモの仕事の都合がつかなかったため、五日間の短い旅行となってしまった。私たちは、とうとう旅行が終わってしまう寂しさを抱えながら、帰りの飛行機の時間ギリギリまで、二日間滞在した北見を散策して歩いた。

 最初に出掛けたのは、北見駅から歩いておよそ十五分のところにある北見ハッカ記念館だ。北見は、ハッカ栽培の自然条件に合い、一時は世界のおよそ七十パーセントをも占める世界的なハッカの大産地だった。ここでは、将来ハッカとなる植物を栽培し始めてから、ハッカの結晶を取り出すまでの工程が詳しく展示されていた。

 お腹が空いた私たちは、北見ハッカ記念館のすぐ側にあるちゃんこ鍋のお店で昼食を取ったあと、今度は北海道遺産に指定されているピアソン記念館へと向かった。北見も三〇度を超える真夏日だったのだが、私たちの住んでいる関西と違って湿度が低いため、暑さに対する不快感は少なかった。北見ハッカ記念館にも、ピアソン記念館にも、クーラーの施設はなく、窓を開けて、外から涼しい風を取り込んでいるだけだった。そう言えば、帯広のホテルでテレビをつけたとき、ニュースキャスターがこんなことを言っていた。
今日は、半袖でも暑い一日でした
え? これはどういうこと? と、私たちは目を丸くしたものだった。おそらく、普段の帯広では、夏でも長袖でちょうどいいくらいの気候ということなのだろう。

 ピアソン記念館は、今から九十一年前に建てられた、北海道でキリスト教の宣教活動を行ったピアソン宣教師ご夫妻が十五年間滞在した洋館を復元し、北海道遺産に指定されたものである。現在は、北見市教育委員会が管理しているらしく、管理人さんが私たちに丁寧に説明をしてくださった。私はここに来るまで、ピアソン宣教師ご夫妻の存在をまったく知らなかったが、新約聖書出版や廃娼運動などの偉業を成し遂げた方たちらしい。室内に飾られているいくつもの資料の中には、集合写真もたくさんあった。当時(明治時代)は、写真を撮るというと、大変な作業だったはずだ。だから、写真に写っている人たちはみんな、自然な雰囲気ではなく、かしこまっている。それらの写真は、キリスト教と密接な関係にあった文化人との交流を映し出していた。また、同じ宣教師である奥さんのゲップ夫人と、日本で出会ってご結婚されたということについても、まさしく出会うべくして出会ったご夫婦だという気がした。

 ピアソン記念館の中庭は、高台になっていて、緑も多く、とてもリラックスできる空間となっていた。ガンモはこの中庭で、昼寝をしたいと思ったらしい。虫もいない上に、日陰で涼しいからだそうだ。ガンモは、私が管理人さんとおしゃべりをしている間中、ずっと、中庭のベンチに座ってリラックスしていた。管理人さんは、北海道の暮らしについて、いろいろとお話を聞かせてくださった。北海道の冬の寒さは厳しいが、家の中は裸で過ごせるほど暖かいということ。そういう冬に慣れているので、冬によその土地へ行って、暖房器具がこたつしかない部屋で過ごすと、背中が寒くて風邪を引いてしまうそうだ。夏でもクーラーは不要なので、夏の光熱費はかからないが、冬にはそれなりにかかるということ。屋根にある煙突は、暖炉の煙突ではなく、ストーブの煙突だということ。北見の冬は、マイナス二十℃にもなるということ。私は、マイナスの気温などまったく想像することができないので、一体どういう状態なのか尋ねてみると、冷蔵庫よりも温度が低く、瓶ビールがすぐに凍ると言う。そんなことを言われても、南国で生まれ育った私には、なかなか想像できない状況だった。

 私たちが中庭にいる間中、管理人さんがずっと外に居てくださるので、あまり長居してしまってもいけないと思い、私たちは管理人さんにお礼を言って、ピアソン記念館をあとにした。中庭で、リラックスしながらゆっくり休みたいと思っていたガンモが、ちょっと物足りない様子を見せたので、駅から比較的近い場所にある公園の木陰でしばらく休むことにした。北見駅前から出る空港行きのバスの時間まで、およそ一時間半もあったからだ。ガンモはそこで少し昼寝をし、私はパソコンを取り出して、掲示板に書き込むコメントの下書きをした。

 一時間経って、いよいよ空港行きのバスに乗る時間が差し迫って来た。私たちの中には、楽しかった北海道旅行がとうとう終わってしまうことへの寂しさがパンパンに募っていた。
「北海道とももうお別れだね。寂しいね」
と、二人で嘆きながら、駅までの道をてくてく歩いた。ガンモは、
「また冬に来るから」
と言った。私も、
「うん」
と言った。

 数年前の北海道旅行を合わせたとしても、北海道は、たった数日の滞在だけでは、まだまだ回り切れない。しかも、私たちが見たのは、夏の涼しい時期だけだ。冬の厳しい寒さの時期を知らずに、北海道が素晴らしいなどとは言っては、地元の人たちに怒られてしまうだろう。それでは、単なるおいしいとこ取りになってしまう。夏の涼しい時期が光の部分だとすると、冬の厳しい寒さは闇の部分だ。光は、闇が存在してこそ輝けるのだから、光を知ったら、闇の部分も見てみたい。

 私たちは、女満別(めまんべつ)空港行きのバスに乗り込んだ。二人とも何となく口数が少ない。一七時四十五分に女満別空港を飛び立って、関西国際空港に着いたのが、予定よりも少し早い二十時前だった。そこから特急はるかに乗り、新大阪まで出て、普通列車に乗り換えて、二十二時頃、我が家に帰宅した。しばらく留守にしていた我が家は、熱気でムンとしていた。それでなくても関西は、湿度が高くてひどく暑い。関西の暑さがイヤなのか、北海道旅行が終わってしまったことが寂しいのか。関西の夏の暑さは、北海道の冬の寒さに匹敵すると言うのに。

 私たちの北海道旅行は、こうして静かに幕を閉じたのだった。

今日撮影した写真:北見散策、そして帰路へ
北見のマンホール
北海道の七不思議

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2005.08.10

網走刑務所と博物館網走監獄

 私たちは、北見から石北(せきほく)本線に乗り、網走に着いた。網走と言えば、網走刑務所。私たちは、駅前で借りたレンタサイクルに乗って、網走刑務所へと向かった。網走刑務所は、網走駅からおよそ二キロほどのところにあり、実際に受刑者たちが収容されている現役の刑務所である。受刑者の人権保護のため、受刑者にカメラを向けてはいけないとの看板が、刑務所に向かう橋の手前に立てかけられていた。実際の刑務所というだけあって、外から見ただけでも、厳粛な雰囲気が漂っていた。

 もちろん、刑務所の中に入ることはできないのだが、刑務所のすぐ近くに売店があり、刑務所の中で作られた民芸品などが売られていた。私は、それらを目にしたとき、思わず目頭が熱くなってしまった。民芸品を創る作業が、受刑者の罪の償いに繋がっていることを思うと、彼らがどのような想いでそれらを創り上げたのか、想像してしまったからだ。愛する人たちと離れ、自分の犯した罪を憎みながら、自由を制限されたこの場所で、精魂こめて創り上げたに違いない。おそらく、こうして何かを産み出す作業に真剣に加わった人たちは、出所してからも、仕事に対して積極的な姿勢を示せるのではないだろうか。

 ところで、網走刑務所から更に二キロほど離れたところに、博物館網走監獄という観光地がある。ゆるやかな坂道が続いているため、完全手動のレンタサイクルでそこに行くのはかなりきつかったのだが、私たちは必死に自転車をこいでたどり着いた。ここは、網走刑務所の古い施設を保存しておくために造られた博物館である。実際の網走刑務所で使用していた施設と蝋人形で、網走刑務所がどのような場所であるのかを体験できるようになっている。

 ちょうどお昼どきでお腹が空いていた私たちは、五百円で実際の監獄食を食べさせてくれるという食堂に向かった。麦飯と焼魚を含むおかず三品とお味噌汁の監獄食は、非常に質素な内容ではあったが、焼魚は、丁寧に、そしておいしく焼き上げられていた。

 食堂を出るときに、崔洋一監督の手によって、網走刑務所での様子が、『刑務所の中』という映画になっていたことを知った。いやいや、これは是非とも観ておかなければと思った。というのは、個人的な話で大変恐縮なのだが、崔洋一監督は、私が学生時代、東京の写真店でアルバイトをしていたときに、写真を出しに来てくださっていたお客さんだったのだ。DPEをお預かりするときに、お名前をおうかがいするのだが、崔という漢字が書けなくて、教えていただいたのを覚えている。もちろん、崔監督は、そのようなことがあったことさえ覚えていらっしゃらないだろう。私は、そのときは映画監督だとは知らなかったのだが、あるとき何かのメディアで知り、ひどく驚いたものだった。あれから二十年ほど経って、このような形で崔監督のことを思い出すとは、実に不思議なものである。

 博物館網走監獄では、実際の刑務所の部屋も公開されている。数人を収容できる大部屋もあれば、狭い独房もある。中には、厳しい罰を与えるために特別に用意された部屋もあった。特に印象的だったのは、トイレだった。部屋の隅のほうにトイレがあるのだが、おそらく、こちらは小だけなのだろう。大に関しては、部屋を出たところにある集合トイレで済ませることになっているようだった。そのトイレは、何となくだが、受刑者にはプライバシーさえもないのだろうかという造りになっていた。

 受刑者に対して心が痛んだのは、そればかりではない。資料館に行くと、受刑者たちの過酷な労働によって、網走と旭川を結ぶ北海道中央道路が開拓されて来たことを知る。しかし、栄養不足と過酷な労働が重なり、倒れる人たちが増え、およそ二百人もの死者を出してしまったらしい。しかも、作業の途中で亡くなった受刑者たちを、そのまま土葬していた時代もあったという。土葬された土の中には、服役中に逃亡しないように取り付けられていた鎖や鉄球も一緒に埋められていたとかで、亡くなっても鎖から離れられないと言われていたそうだ。

 この博物館は、それらの事実を受け止め、人々が反省するきっかけを与えているのだと思った。長崎や広島の原爆資料館にしてもそうだ。過去に起こった悲惨な出来事を、もう二度と繰り返すことのないように、人々の心に深く焼き付けようとしているのだと思う。

 ここで見たような内容は、すべて、闇の世界の出来事だ。これらは普段、私たちの目に触れないところに隠されてしまうことで、世の中が成り立っている。これらの闇の世界を見せられると、私たちが普段、いかに、光の世界だけを素晴らしいと思い込んでいるかがわかる。しかし、この闇の世界は、夏休みとは言え、平日であるというのに、たくさんの観光客で賑わっていた。それだけ、闇の世界を見たがっている人が多いということだ。

 現実の世界にも、闇の世界はたくさんある。それらから目を背けないように生きることを、私はここで教えられたような気がする。

今日撮影した写真:網走刑務所と博物館網走監獄

※掲示板にたくさんのコメントをいただいているのに、なかなか返信できなくて申し訳ありません。それでも、皆さんの書き込みを、大変ありがたく、そして楽しく拝見しています。そろそろ私たちの旅も終わりです。11日の夜に関西に帰ります。落ち着いたら、返信させていただきます。

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2005.08.09

ガンモ、二十八年の想いを叶える

 さて、帯広のホテルをチェックアウトした私たちは、根室本線に乗り、ひとまず池田まで出た。そこから北海道ちほく高原鉄道に乗り換え、北見へと向かった。途中、足寄(あしょろ)で降りて、松山千春さんの故郷を堪能した。

 苦手アーチスト克服?にも書いた通り、もともとバンド志向の私は、ソロアーチストである彼の音楽をほとんど聴いたことがなかった。しかし、ガンモは、中学の頃に松山千春さんのオールナイトニッポン(二部)に出会い、それほど熱狂的ではないにしても、出会ってからの二十八年間、彼の音楽をずっと大切にして来た。地図帳で北海道のページを開いては、彼の出身地である足寄を確認し、自分もいつかそこに行きたいと思っていたそうだ。その想いが、二十八年目にしてようやく叶ったのである。しかも、来年廃線になることが決まっている北海道ちほく高原鉄道の乗り潰しもできて、一石二鳥なのである。ガンモを足寄に導いたのは、鉄道への情熱でもあったかもしれない。

 足寄で昼ご飯を食べたあと、ふと、道路わきにある看板が目に入って来た。「千春の家」と書かれている。看板の雰囲気からして、まるで喫茶店の案内板であるかのように思えたのだが、その案内板に添って少し歩いてみると、松山千春さんの大きな絵の看板も見えて来たので、どうやら喫茶店ではないらしいということがわかった。私たちは、案内板に添って歩いた。

 彼の家を探索している間中、ガンモは、彼の名曲である『大空と大地の中で』をずっと口ずさんでいた。しかし、正確な歌詞がわからず、同じフレーズを何度も何度も繰り返していた。
「この歌を聴いて、俺も頑張らなきゃと思ったんだよね」
とガンモは言った。発信する側が意識するしないに関わらず、誰かの言葉が間接的に他の人に元気を与えることはある。それは、言葉を発信して行く人の宿命なのかもしれないとも思う。

  『大空と大地の中で』を何度も口ずさんでいるうちに、私たちはとうとう彼の家を見つけることができた。そこは、事務所兼実家のような位置づけになっているらしい。表札には、彼の親族の方と思われる方の名前と、事務所の名前が掲げられていた。私たちの他に、ファンらしき人影はまったくなく、松山千春グッズのようなものを扱うお店も見当たらなかった。きのう訪れた幸福駅の雰囲気からすれば、そこはむしろ地味な感じだった。それでも、ガンモは感慨深い様子でじっと彼の家を見入っていた。一般のお家とあまり変わらない雰囲気だったので、長居はせず、すぐに退散したのだが、駅まで戻る道のりも、ガンモはずっと『大空と大地の中で』を口ずさんでいた。二十八年の想いが叶って、ガンモはとにかくうれしそうだった。

 足寄駅の二階には小さなギャラリーがあり、松山千春さんの年表やパネル、ステージ衣装といったメモリアルグッズが展示されている。そこには椅子やトイレの設備もあり、ちょっとした憩いのスペースとなっている。また、ライブの内容を収めたDVDやビデオも鑑賞できる。私はこれらの光景を目にしながら、この小さな町で生まれ育った彼が、多くの人たちの心を掴んで離さくなるほどのビッグアーチストに成長して行ったことに、深い感動を覚えずにはいられなかった。おそらく彼は、自分の使命を知っていたのだと思う。そして、自分のやりたいことと、その使命が一致していたのだろう。最近、人々を成功に導こうとするブログが多いが、本当の意味での成功とは、使命と本人のやりたいことが一致している状態を表すのではないかと思った。

 足寄駅の改札近くには、北海道遺産と書かれた、北海道産の大きなふきと一緒に写っている松山千春さんの大きなパネルがある。ガンモはパネルに写っている彼の横に並び、記念撮影をした。私はそのパネルを見たとき、「人間、年を取れば丸くなるものだなあ」と思った。私が知っている松山千春さんは、ニューミュージック全盛期と言われた'70年代の後半の人である。その頃は、いくつものベストテン番組がテレビで生放送されていた。しかし彼は、自分の曲がベストテンにランクインしても、決してテレビに出ようとはしなかった。ベストテン番組を主とする生放送は、放送時間の関係で、曲を大幅にカットしなければならず、フルコーラスを歌うことができないという理由かららしい。テレビに出れば、今よりももっと人気が出るのはわかり切っているはずなのに、彼は彼なりに、絶対的なポリシーを持っていたのだ。当時若かった私には、そうしたポリシーが、頑固な要素として映っていた。だから、それほど頑固な彼が、北海道遺産の大きなふきと一緒に写っているおだやかな表情の写真を見ると、丸くなったように映って見えて仕方がなかった。年を取ると、責めるという凸の姿勢から、許容するという凹の姿勢に変わって行くのかもしれない。

 こうして、足寄をあとにした私たちは、北見に入り、北見のホテルにチェックインした。北見には二泊の予定である。

今日撮影した写真:ガンモ、二十八年の想いを叶える
北海道ちほく高原鉄道

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2005.08.08

愛国から幸福へ

 函館に二泊した私たちは、特急北斗と特急とかちを乗り継いで帯広にやって来た。朝、九時半に函館を出て、帯広に着いたのは十六時前だった。何と、およそ四百五十キロもの大移動である。北海道がいかに広いかがわかる。この大移動のおかげで、旅行が始まってからの睡眠不足もずいぶん解消された。

 帯広に着いてホテルにチェックインしたあと、私たちは再び帯広駅まで戻り、そこから路線バスに乗り、およそ一時間かけて、既に廃線になってしまった広尾線の幸福駅へと向かった。皆さんも、「愛国から幸福へ」という切符のお土産品を何度か見かけたことがあるだろう。その愛国駅と幸福駅のある広尾線である。帯広駅から路線バスに乗ると、先に愛国駅に着くのだが、路線バスの本数が数少ないことから、幸福駅だけにターゲットを絞った。

 やはり、駅の名前が幸せを呼ぶのだろう。廃線になってからずいぶん経っているというのに(昭和六十二年廃線)、幸福駅は、今でも駅とホームが残されていて、多くの人たちが訪れる観光地になっていた。ツアーバス専用の駐車場もあり、幸福駅の駅票や切符をモチーフにしたお土産ものを扱う売店もあった。うれしいことに、顔抜きまであった。

 駅が持っているオーラと言うべきか、雰囲気と言うべきか、それらが私たちにプラスレベルで働きかけてくれるのがわかった。自然に、ガンモと固く手を繋ぎたくなる。人々が幸せを願うパワーがここに終結しているのだろう。しかも、私たちが訪れたのは、末広がりの八月八日だ。

 ホームには、かつて広尾線を走っていた古い車両が停車したままだった。その中に一歩足を踏み入れてみると、廃線になってしまった悲しさのようなものが伝わって来た。この路線を毎日利用していた人たちもいたことだろう。彼らにとっては、全国的に有名な幸福駅を日常的に利用できることが、誇りだったかもしれないのだ。

 その普通列車の車両は、私たちが利用した特急列車の華やかな車両とはまったく異なっていた。以前も書いたと思うが、特急列車は、旅行者が快適に旅行できるように、近代的な工夫が施された、旅行者向けの列車である。地元の人たちはほとんど利用していない。特急列車には、普段着のおばあちゃんも学生服を着た高校生も乗っていないのだ。旅の醍醐味は、高速で移動することではなく、地元の雰囲気を感じさせてくれる彼らとのんびりした時間を共有することだと私は思っている。彼らに確実に出会うには、普通列車に乗るしかない。普通列車の中で聞く、その土地の方言は、旅の醍醐味だと言ってもいい。旅行者の多い特急列車では味わえない情趣だ。

 幸福駅をあとにした私たちは、再び路線バスに乗り、帯広駅まで戻った。夜はさすがに半袖では少し寒い。北海道は、天然のクーラーが良く効いている。

今日撮影した写真:愛国から幸福へ

みちのく二人旅の写真も追加したので、興味のある方はご覧ください。

※皆さん、お忙しい中、掲示板へのたくさんの書き込みありがとうございます。皆さんの元にも、どうか幸福が訪れますように。

※函館に対する思い入れが強い方が多いことがわかりました。函館の写真も、時間を見つけてアップしますね。

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2005.08.07

個を楽しむ

 寝台特急で少々寝不足のまま始まった旅行は、私がその日に実践すべきことを少しずつ遅らせてしまうかのように思えた。私は、またまた受験英語を思い出した。Don't put off till tomorrow what you can do today.実際に、その日にできなかったことが、少しずつ翌日、また翌日にずれ込んで行く。睡眠不足で眠いのに、ガンまる日記は書いておきたい。青森の町並みを写し出した写真も紹介したい。掲示板にコメントも書きたい。こんなふうに、私の中に次から次へとやりたいことが浮上して来ても、なかなか身体が言うことをきいてくれなかった。しかし、旅の予定は待ってはくれない。

 私たちは、いつもより早めにホテルを出て、函館朝市に出掛けた。函館朝市は、全体的に上野のアメ横のような雰囲気で、海産物を中心に、かなり商売っ気のあるお店が立ち並んでいる。水が冷たいせいか、北海道には、夏のこの時期でもカニが採れるのだ。夏場に生きたカニが店先に並んでいるのは珍しい。

 私たちは、ガンモがインターネットで下調べをしてくれたお店で海鮮丼を食べた。かなり有名なお店らしく、朝からたくさんのお客さんたちで賑わっていた。そこで感じたのは、扱うお客さんの数が多くなると、一人一人への対応が雑になってしまうということだった。対応に感情がこもらず、来てくれてありがたいという店側の気持ちが伝わって来ない。オーダーしたくても、店員さんはいつも、他のお客さんの対応で手一杯である。私は、これらの状況を、ホームページの運営と重ね合わせて考え、この状況を、わざわざ見せられているのだと思った。人と関わる一つ一つの作業は、流れ作業ではない。こなして行くのではなく、個々に向き合って行く作業なのだ。だから、一見、同じように見えていても、関わる対象が違って来れば、一つ一つ違うものになって来るはずだ。そして、むしろ、それぞれの違いを楽しむべきなのだと思った。

 それから私たちは、一日乗車券を買って、函館の路面電車を乗り潰した。函館の路面電車は、およそ五分から十分ごとに運行されていて、車両のバリエーションも多かった。私はやはり、個を楽しんでいるのだと思った。だから、個を大切にして行きたいと思った。

 路面電車を堪能しながら、立待(たちまち)岬と石川啄木一族のお墓を訪れた。私は知らなかったのだが、立待岬は、森昌子さんの歌で有名らしい。石川啄木一族のお墓は、立待岬に向かう途中にあった。そのお墓には、お供え物目当てのカラスがたくさん生息していた。何か食べ物を見つけては、その大きなくちばしではさみながら、食べていた。私は、彼らのような生き物がいるからこそ、他の鳥たちが可愛がられているのではないかと思った。その容姿や鳴き声からも、彼らが闇の世界を守っているのがわかる。光の世界と闇の世界は、見えないところで既に一体なのだ。光と闇は同時に存在しているのに、私たちがその片方しか体験できないだけなのだ。

 路面電車を乗り潰したあとは、函館山に登って夜景を見る計画だったのだが、お天気が悪かったため、予定を変更して赤レンガ倉庫に出掛けた。実は、函館は、私が東京に住んでいた頃、社員旅行で函館に来たときに体験していた。ガンモは函館は初めてだったのだが、ロープウェイは鉄道の乗り潰し対象にはならないからと、赤レンガ倉庫に行くことにしたのだ。

 赤レンガ倉庫には、雑貨などを扱うお店がたくさん集まっている。私は石を扱うお店で、掲示板で交流させていただいているmikiさんに教えてもらった第二チャクラに良いとされているムーンストーンを探した。そして、第二チャクラのオレンジ色をしたオレンジムーンストーンのブレスレッドを見つけ、これだと思い、購入した。それを早速左手につけてみると、物凄いパワーで私に急速に馴染んだので、私はそのお店に戻り、これと同じものがあればもう一つ欲しいとリクエストしてみた。しかし、お店の人には、眉毛を八の字にされ、もう在庫はないと言われてしまった。身につけた途端、こんなに馴染んだ石は初めてだった。mikiさん、いろいろ調べてくださってありがとう。

 赤レンガ倉庫を出る頃には、赤レンガ倉庫の周りに美しい照明がともされていた。赤レンガ倉庫から私たちの宿泊しているホテルまでは、歩いて帰れる距離だったので、私たちはてくてく歩いた。その途中にある居酒屋風のお店で、夕食に海鮮ラーメンを食べた。これがまた素晴らしくおいしかった。北海道は、料理に入っている具が大きい。何でもまるごとたっぷりだ。お昼ご飯も海鮮ものだったので、今日一日、海鮮三昧の私たちだった。

 ホテルに帰るともうヘロヘロで、ばたんキュー状態だった。それだけ充実して、たくさんの気づきと発見のあった一日だった。

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2005.08.06

みちのく二人旅

 狭いB寝台の上下で離れ離れに眠った私たちは、隣の寝台の上下段の人たちが途中の駅で下車したので、ようやく再会を果たした。(B寝台は、A寝台と違って、一つのパーティションの中に四つの寝台があり、向かい合わせの寝台がひどく接近している)寝台特急日本海は、お昼前に青森に到着した。ガンモは若い頃に車で青森まで来たことがあるらしいが、私にとっては初めての青森だった。

 降りてみると、暑い。東北は涼しいものだとばかり思い込んでいたのだが、やはり暑かった。しかし、肌に当たる風がとても冷たくて心地良い。関西の、うだるような暑さとは違う。水道水もひんやりとしていて冷たい。今夜、ねぶた祭の行われる青森は、多くの人たちで賑わっていた。多くの人たちを受け入れるため、臨時コインロッカーも設置されていた。

 お昼ご飯を食べたあと、東北本線に乗り、浅虫(あさむし)温泉に向かった。ここには、「ゆーさ浅虫」という350円で利用できる温泉がある。私は、仕事を終えてそのまま寝台特急に乗り込んだため、お風呂に入りたくてたまらなかったのだ。ここは、利用客が多く、とても込み合っていたが、汗を流してさっぱりとしたあと、新たな汗をかいた。

 再び青森まで戻り、駅周辺を少し散策した。おみやげ物売り場センターのアスパムに向かって歩いて行くと、ねぶた祭に出陣するねぶたの基地があった。(果たして、ねぶたで正しいのだろうか? あれは、みこしでもなく、だんじりでもない。ねぶた祭のねぶたでいいのだろうか?)

 街の中を「ハネト」という服装をした人たちが鈴をつけて練り歩いている。「ハネト」とは、旅館で着る浴衣のようなもののを半袖にし、更に、丈も短く切っている祭衣装のことだ。中には、頭の上に大きな飾りをつけている人もいて、私は、幼稚園の頃の演劇で、竜宮城の鯛の役を演じるときに、鯛の形をした帽子をかぶったことを思い出した。

 十九時前に、大通りに二十二台のねぶたが集まり、かの有名なねぶた祭が始まった。ねぶたの基地で見かけたときは、まだねぶたに明かりがともされていなかったが、暗くなって、大通りに集まったねぶたには、美しい明かりがともされていた。光の証明を、闇が手助けしているのだと思った。光は、闇の力を借りて、美しく輝いていた。

 光でおめかししたねぶたが、一台ずつ目の前にやって来る。ねぶたを支持する人たちの独特の掛け声と、太鼓の音に、東北の人たちの熱い魂を感じた。これまで、テレビでしか見たことのなかったねぶた祭を、今、目の前で体験しているという喜びと、人々の気持ちが一つに向いていることの喜びを私はかみしめていた。祭りという形を借りて、人々の心は一つに向かいたがっているのだと実感した。それがオリンピックであっても、祭であっても、結婚であっても、掲示板であってもいいのだ。みんな、何かしら、ワンネスに向かう何かを体験したがっているのだと思った。

 ねぶた祭をもう少し堪能したかったのだが、函館に泊まる予定の私たちは、後ろ髪を引かれる思いで青森駅まで戻り、特急スーパー白鳥に乗って、函館までやって来た。暑くて熱い一日だった。

みちのく二人旅(今日撮影した写真の一部。時間がなくて、まだ未完成)

※SHANAさん、皆さん、またまた愛のある感動的な書き込みをどうもありがとうございます。皆さんのおかげで、素敵な掲示板に成長して来ました。今後、どのような掲示板に成長して行くのかわからないですが、共感できることの喜びを体験した魂は、もっと別の極に向かいたくなるような気がしています。今は共感ベースの関係を築くことができているかもしれませんが、今後、起こり得るであろう対立や停滞をちゃんと乗り越えて行くことができるかどうか。それらを乗り越えてこそ、本当の意味で素晴らしい掲示板に成長できるような気がしています。

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2005.08.05

続・続・愛情深い人たちへ

 ああ、一体、何から書き始めたらいいのだろう。私は今、深い感動に包まれている。こんなことばかり書いて、もう、あなたの自己満足と言われようがかまわない。私が出会った人たちは本当に素晴らしい。きのうの記事を書いたあと、掲示板を開いた私は、またまた感動に打ちのめされた。このはなさん、夏綺さん、本当にありがとう。今回は、このはなさんと夏綺さんが掲示板に書き込んでくださった内容を、少し引用させていただこうと思う。まずは、このはなさんから。

人と人のやりとりは、時には疎外感を感じたりする事もありますが、ここでの皆さんのやりとりや、まるみさんの他の方への返信などにはそう感じません。愛がたくさん詰まっていて心がほんわかしてしまうのです。また、そこからヒントをいただく事もけっこうあるので、本当に助かっています。皆さんに感謝です。
そして、愛情に満ちたやりとりや文章を読むことで、自分の中の愛も反応して、成長して行くような気がしています。
私は魂に目覚めるようになってから、愛により敏感になったと思います。
それは、愛が無い、と感じる事ではなく、どんな中にも愛情が隠れていて、それを見つけるのが上手くなったように思うのです。
日常の中でも、たとえば苦手なタイプの人との人間関係さえも、自分が成長するためには必要な人だったと、かかわれたことに感謝する気持ちになったり。
お腹が痛くなった時は、もう少し自分をいたわってあげなさいって知らせてくれているんだなあとか、色んな事に愛情を感じられるようになりました。

 このはなさんが書き込んでくださった内容の中で、私が最も感動したのは、「愛情に満ちたやりとりや文章を読むことで、自分の中の愛も反応して、成長して行くような気がしています」という部分だった。本当に、このはなさんのおっしゃる通りだと思う。人と人が相対的な関係を結ぶとき、相手が開いている状態にあると、自分の中の閉じている部分がどんどん開かれて行く。閉じていた部分が開かれて行くそのプロセスは、とても心地の良いものだが、人によっては、開いて行くことが苦痛になってしまう場合もある。それは、愛に関するコンプレックスを抱え、閉じていることで自分を守ろうとしている場合だ。彼らが開かれた心地良い体験をするためには、単に光だけではなく、闇の力も借りなくてはならない。

 人は、深い愛を感じると、その愛を拡大させて行く傾向にあるようだ。このはなさんが書かれているのは、まさにその現象だと思う。愛に対して敏感になり、自分の周りにあるものにも愛を感じられるようになるのだ。それは、このはなさんが、愛の源と繋がることができたからだと私は思う。愛の源と繋がることができた人は、その愛をみんなに分けたくてたまらなくなるのだ。

 それから、夏綺さん。実は、夏綺さんは、つい先日、掲示板になかなか返信できないでいる私を励ましてくださったNさん、そう、ツインソウルとの苦悩ツインフレームのNさんである。掲示板に書き込みをするのはどうしても気が引けるとおっしゃっていた夏綺さんが、このはなさんの愛のある書き込みに感動されて、どうしても居ても立ってもいられなくなってしまい、ようやく書き込みデビューしてくださったのだ。夏綺さんを掲示板に導いてくださったという点においても、このはなさんの愛の表現力は本当に素晴らしい。このはなさん、夏綺さんを引き寄せてくださってありがとう。それから夏綺さん、勇気を出してくださってありがとう。では、夏綺さんが書き込んでくださった内容を少し引用させていただくことにする。

このはなさんの記事を読んで涙が溢れてきて
感謝せずにはいられませんでした。
『愛』を感じるとキューっと胸が締めつけられるように
せつなくなり、嬉しくなってしまいます。

 そうそう、この感覚! 私が掲示板などを通じて病みつきになるほど感じ取っている、愛情深い人たちから受け取る尊い愛の感覚。掲示板やメールの返信を書かせていただきながら、自分でも泣いてしまうこの感覚。まさしく夏綺さんが書かれている感覚そのものだ。その感覚が、私を掲示板やメールの返信に導いてくれる。その感覚を味わいたいがために、文章を綴っている。

ツインソウルやソウルメイトと出会うと愛が溢れてきて、
魂との関係や係わりを知りたくなる。
それがいつの間にか『輪廻転生』や『前世、今世、来世』
にもつながっていく。

 これも、まさしくその通りだと思う。ツインソウルやソウルメイトへの愛は、私たちのもっとも深いところから始まる魂の愛。魂が不滅であるのと同様に、彼らへの愛も不滅である。例えどんな状況に陥ろうとも、その愛が決してなくなることはない。やがて、どうして自分の中の愛がなくならないのか、不思議に思うようになる。そして、その感覚が、ごくごく自然に、輪廻転生を肯定することに結び付いて行く。

 お二人のやりとりを拝見してうれしかったのは、私がもっともこだわりを持っている「引用レス式」でコメントを書いてくださったことだ。お二人のそうした心遣いがうれしくて、感動もひとしおだったのだ。本当にありがとう。

 さて、ここで語りたいことはたくさんあるのだが、実は、今、私たちは、寝台特急日本海の中にいる。大阪を二十時十七分に発車し、青森の県庁所在地青森に向かっている。いつもなら、シングルベッド感覚で、一つの寝台に仲良く寄り添って眠るのだが、今回は少し広めのA寝台が取れなかったため、人一人がやっと横たわれるほどの狭いB寝台の上下段にそれぞれが寝ている。いよいよ私たちの夏休みが始まったのである。

 先日、掲示板で交流させていただいているmikiさんが、私のためにパワーストーンをわざわざ海外から送ってくださった。その石を、今回の旅のお供に連れて来た。このように、私はたくさんの方たちに励まされ、支えられ、愛を分けてもらっている。掲示板やメールになかなか返信できないでいることを除けば、私はものすごく満たされている。愛を分け合い、循環させること。愛情深い人たちと相対的な関係を結び、愛を拡大させて行くこと。これが今後の大きなテーマであるように思える。

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2005.08.04

続・愛情深い人たちへ

 これは、えいりえさん(りえちゃん)の月見想愛情深い人へのトラックバックである。りえちゃん、記事を取り上げてくれてありがとう。

 ここだけの話だが、私もときどき仕事が嫌になることがある。あっ、そういう話じゃない? 仕事よりも、自宅でパソコンに向かい、掲示板やメールの返事を書きながら、愛の感動にむせび泣くことを選択したい衝動に駆られてしまうのだ。しかし、私には、スピリチュアルなことを仕事にせず、俗世間の中でギャップを感じながら生きて行くことが、どうしても必要なようだ。

私自身ネットの中をうろついては、自分の居場所になる場所を探していたことがある。チャット、コミュニティ、趣味のHPの掲示板、あちらこちらを覗き時々書き込みをしていたが、なかなか常駐するまでには至らなかった。

 りえちゃんの気持ちは、私にも良くわかる。私も、他の方のサイトにコメントを書かせていただくときはそういう姿勢だった。双方向のやりとりにはなかなかならず、こちらから発信して、サイトの管理人さんからコメントをいただいたら、再びそれに返信を書きに行くということは稀だった。何故だろう。自分自身のサイトの運営にパワーがかかってしまっている要因も大きいのだが、その背景には、返信を書くことに躊躇してしまう形式の掲示板が多いからではないかと思っている。

 多くのサイトに設置されている掲示板は、元の発言を引きずるYY-BOARD系の掲示板だ。この手の掲示板は、返信したい記事の元発言を引用する機能がついていない上に、誰かが発言する度にどんどんスレッドが長くなってしまうため、返信に返信を重ねて行くコミュニケーションには向いていない。そのため、コミュニケーションが一方通行になりやすいのだ。しかし、元の発言の一部を引用しながら行うコミュニケーションには、カチッとしたフィット感がある。相手が自分の言葉をどれだけ受け止めてくれているかが一目瞭然なのだ。返信に返信を重ねて行くという行為は、自分の発言が相手に受け入れられているという喜びから生まれるものだと私は思っている。それは、発言してくださる方にとっても、管理人にとっても同じことだと思う。

 すなわち、発言の度に、元の発言を引きずってスレッドが長くならない形式の掲示板は、返信に対する返信を書きやすい状況にある。私自身、そういう形のコミュニケーションにずっとこだわって来たため、わざわざそういう形式の掲示板を選んで使用している。管理人にとっては、対話が一方通行にならず、一つの話題が次から次へと広がり、返信に返信を重ねて行くようなやりとりがずっと続いて行くことは、大きな喜びなのである。私は掲示板をときときツリー形式に変えて表示してみる。すると、きれいに枝分かれした発言が浮き上がって来る。その一つ一つは、まるで葉っぱのようだ。そして、その葉っぱは、書き込みをしてくださる方の魂そのものだ。私がそれを見ながらときどきほくそえんでいることをご存じの方は、意外と少ないかもしれない。

私もフニさんも精神世界に特に詳しいわけでもないが、まるみんやその掲示板に参加する人たちの温かさに触れられることが嬉しいのだ。

 いやいや、精神世界に「知識」は必要ないと思う。「知識」だけだときっと、頭でっかちになってしまう。今の自分に起こっている出来事を、見逃さないようにしながら生きて行くだけでも、充分精神世界の探求になっていると思う。

 掲示板に参加してくださる方たちのあたたかさ、これは私にとっても誇りだ。何故こんなに愛情深い人たちが集まってくださるのだろうといつもありがたく思っている。もしかすると、「ガンまる日記」や私のサイトは、愛情深い人でないと、読み続けて行くことが困難なのかもしれない。決して自慢するつもりはないのだが、私はここで愛の辛さを語っているわけではない。愛の素晴らしさを伝えようとしているつもりだ。しかし、それを読み続けることができるということは、私と同じ愛の学びをしている人たちなのではないかと思う。そうでなければ、きっと持ちこたえられないだろう。

私は、まるみんの「愛情深い人たちへ」を読んで、思わず笑みがこぼれた。(まるみんならここで涙を流すところだろうが、私は愛情を感じると笑みがこぼれるのだ。)愛情深いのは貴女ですよ、まるみん。だからこそそこに参加をし、メールを送る人たちは、ガンまる日記の更新を読みつつ、自分に返事が来るのを待てるのです。もちろん、中にはすぐにでもと思う、切羽詰った方もいるかと思うけれど、そういう方にまるみんはちゃんと返事を早めに出すことも分かっているし、私は他の人にコメントが寄せされているのを見て、良かったなぁと思っているよ。だから、焦らないでね。夏もそろそろ本番。まるみんへ暑中お見舞い申し上げます。

 りえちゃん、ありがとう。私からも、暑中お見舞い申し上げます。類が友を呼んでいるのだろうか。Birds of a feather flock together.確か、受験英語で習った。Nさんも書いてくださったが、ゆっくりと、焦らずに返信して行けばいいのだ。そのほうが、吸収力の少ないコメントを慌てて返信するよりも、ずっといいのかもしれない。そのためには、決して皆さんからの書き込みを無視しているわけではなく、単に時間がかかっているだけなのだということをこちらから示し続けた上で、信頼関係を築いて行く必要がある。

 Nさんが励ましてくれたおかげで、ゆうべ、少し掲示板に返信できた。改めて、Nさん、ありがとう。りえちゃんも、ありがとう。そして、いつも気長に待ってくださっている愛情深い皆さん、本当にありがとう。それから、たくさんの投票もありがとう。

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2005.08.03

愛情深い人たちへ

 まずは、Nさん、ありがとう。実は、私の中で、いろいろな想いが渦巻いていて、なかなか「ガンまる日記」を書くことができなかった。「ガンまる日記」は、何が何でも毎日書くことに決めて書き始めたブログだ。ソウルメイトである夫のガンモとのユーモアに満ちた愛の生活をのびのびと綴って行くことに大きな喜びを感じていた。また、ときどきだが、ツインソウルのことも書いて来た。輪廻転生やカルマ、そしてスピリチュアリズムにも触れて来た。男女の愛を中心に書いて来たこのブログを楽しみに読んでくださっている方たちがいる。その方たちに支えられ、私はここまで来ることができた。もしも誰からの反響もなかったとしたら、私はこうして書き続けることなどできなかっただろうと思う。楽しみに読んでくださる方がいてくれるからこそ、書き続けることができるのだ。私を支えてくださった愛情深い皆さん、本当にどうもありがとう。

 現在、私のサイトを訪れてくださっている愛情深い人たちから、掲示板にたくさんのメッセージをいただいている。しかし、なかなか思うように返信することができないでいる。一度にたくさんの方に返信することができれば良いのだが、なかなかそういうわけにも行かないときに、書き込んでくださった順番を無視したり、数多くの書き込みの中からただ一人の人だけを選ばせていただくということを、どうしても躊躇してしまう私がいる。かと言って、せっかく書き込んでくださった皆さんからのメッセージに返信もせずに、淡々と「ガンまる日記」を書き続けるのが私の示す愛だと言うのか。そんな自問自答をしていたら、きのうの記事を読んでくださったNさんから励ましのメールをいただいたのだ。掲示板の返信は、皆さん、気長に待ってくださってますよ、と。そうなのだろうか。そう思っていてもいいのだろうか。何だか救われた気がした。Nさん、本当にありがとう。そして、いつも掲示板やメールでお待たせしてしまっている愛情深い皆さん、本当にごめんなさい。

 心苦しく思うのは、私自身が、省略も切り捨ても行いたくないからだと思う。皆さんからいただいた、一つ一つの言葉をちゃんと受け止め、自分の言葉で対等な立場として返したい。みんなそれぞれ、尊い魂なのだから。しかし、きのうも書かせていただいたように、実際は、訪れてくださる方が増えれば増えるほど、それは難しくなってしまう。それが、何ともどかしいのだ。仕事よりも掲示板を通じて、愛情深い人たちと、男女の愛のはなしをしたい。じゃあ、いっそのこと、それを仕事にしたらいいじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、以前も書いたことがあるように、精神世界のエネルギーを仕事に使うことに関しては、私は抵抗を感じている。そんな堂々巡りの毎日なのだ。

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2005.08.02

私から離れて行った言葉

 ここのところ、私の「精神世界のはなし」に、サイト名で検索して来られる方が多いのが気になっていた。検索エンジンで調べてみたところ、ある方が、とある掲示板で、私のサイト名を挙げて、そこに行ってみてくださいと書き込みをされていることがわかった。私は、その方のコメントを拝見したとき、男女の愛について発信して行くことの重みを感じずにはいられなかった。

 と言うのは、その方が書き込みされている内容は、私が自分のサイトやガンまる日記で伝えて行きたいこととは微妙にずれていたからだ。おそらくその方は、私が発信している内容の一部を、その方なりに解釈されたのだろうと思う。しかし、その微妙な言い回しの違いは、そういう前提で私のサイトにやって来られた方に、特定の先入観を植え付けているように思えた。

 ときどき、私がソウルメイトとツインソウルの違いについてホームページで触れていることに関して、他のサイトやブログで取り上げられているのを目にすることがある。その内容を拝見すると、私の解釈とは微妙に異なっていることも多い。私から離れて行った言葉は、別の人の経験や解釈と合わさり、私が最初に生み出したものとは微妙に違うものになって行く宿命があるようだ。

 これが、喜ぶべき現象なのか、それとも、警戒すべき現象なのか、今の時点では何とも言えないが、私にとって確実に言えることは、特定の先入観なしに私のサイトに来てくださる方のほうが、今後のコミュニケーションにギャップを抱えなくて済むということだ。何故なら、特定の先入観は、お互いを知るために、あたかも近道であるかのように見えていて、実は遠回りであることが多いからだ。

 この他にも、最近、思うところがいくつかある。その一つは、私が愛の素晴らしさを綴れば綴るほど、愛の苦しみを抱えた人たちの苦しみが浮き彫りになってしまっているということだ。そして、私がソウルメイトの愛について綴れば綴るほど、一方で、ツインソウルの愛が浮き彫りになって行く。私の綴る文章は、常に、そこには存在していないものを、足りないものとして認識させているかのようだ。できれば、そこに存在してないものを浮き彫りにさせるのではなく、既にそこにあるものを引き出せるような文章を綴って行きたいものである。

 もう一つには、私のホームページやガンまる日記が多くの人たちの目に触れれば触れるほど、密に関わり切れない人たちを増やしてしまっているというジレンマを抱えている。ホームページやブログを多くの人たちが読んでくださることはとてもうれしいし、とても有り難い。しかし、その一方で、私は返信待ちの行列をたくさん作ってしまっているようにも思える。自分でおいでおいでをしておいて、なかなか返信できませんとは一体どういうことだと、私はある種の矛盾を感じてもいるのだ。言葉を発信して行くことの重みを、私はこのような視点からも感じている。

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2005.08.01

巣立ち

 どうやら鳩の雛は、私たちの見ていない間にこっそり飛行練習を重ねていたらしく、少しずつ飛べるようになっていた。あるとき、私たちの目の前でベランダの手すりまでバサバサと飛び上がり、
「あれ? 今飛んだの、雛?」
と、私たちを驚かせた。

 それからは、親鳩の真似をして、少し上の階の足場まで飛んでみたり、その足場から、私たちのベランダの手すりまで降りて来たりするようになっていた。

 ところが、今朝、私がお弁当を作っていると、上の足場から降りて来た雛が、私たちのベランダの手すりへの着地に失敗し、足をすべらせて転落してしまったかのように見えた。ちょうどそのとき、親の雄鳩も手すりに止まっていたのだが、雛が足をすべらせる様子を間近で見ていたらしい。いつも落ち着きなく鳴いている雄鳩の動きが冷静になったので、何かあったのかと、私はベランダの外に出てみた。高所恐怖症の私は、ベランダから階下を見下ろすのはとても怖いのだが、勇気を振り絞ってのぞいてみると、四階のベランダの手すりに雛が着地しているのが見えた。私はほっと胸をなで下ろし、自分の持ち場に戻ったのだが、その後、雛のピーピーという声が聞こえていたので、大丈夫だろうと思って安心していた。

 鳩には、朝になるといつ餌を与えていたのだが、実は、おとといくらいから餌を切らしてしまい、代わりにご飯粒を与えていた。心のどこかに、こうして餌を与え続けることは、彼らを甘やかすことにもなっていると思っていた。だから、
「私たちはそろそろ夏休みでしばらく出掛けるし、その間は、自分で餌を取りに行かなきゃいけないんだよ」
と鳩たちに言い聞かせていた。

 そうは言うものの、やはり、餌が手元にないと気になるもので、仕事の帰りに、ガンモがペットショップに寄って、鳩の餌を買って来た。夜は目が見えない鳩だが、朝、彼らの目が見えるようになったときのために、餌入れに餌だけでも入れておこうと、家に帰ってからベランダまで出た。そして、巣を確認してみると、雛がいないことがわかったのだ。どうやら、モリゾーは、とうとう巣立って行ってしまったらしい。

 これまで、毎日のように、巣の奥のほうにじっとして動かなかったモリゾー。親は昼間、交代でやって来るくらいで、一人で巣をあたためていた。そのモリゾーが、とうとう巣立って行ってしまったのだ。

 ガンモは、ショックを隠し切れない様子だった。何しろ、モリゾーにはペシッと叩かれた仲だし、巣の周りを何度もきれいに洗ってやったのもガンモだった。ガンモは、
「とうとう巣立って行ったの。俺に黙って出て行って禁止!」
と言いながら、私の前でポロポロと涙をこぼした。私は、そんなピュアなガンモを抱きしめた。すっかり鳩親(里親)のつもりになっていたガンモ。手をかけた雛が巣立って行くことは、こんなにも寂しいことだったのだ。

 モリゾーは、私たちが予想していたよりも早く巣立って行ってしまった。ネットで検索した情報によると、一度巣立って行った雛でも、ときどき餌を食べに帰って来るらしい。ガンモとモリゾーが、涙の再会を果たすことができるといいのだが。

 ガンモのパソコンの壁紙が、モリゾーの写真に変わっていた。それを見た私の目からも、つーと涙が出て来た。

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