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2005.07.19

理想的な子育て

 もう少し、子供のはなしをしよう。

 私が思い描く、子供との理想的な関係と、世間一般の子供との関係では、かなりのギャップがある。これから書くことは、あまりにも現実離れしているので、もしかしたら、嫌悪感を示す方もいらっしゃるかもしれない。しかし、あくまで私の描く想像上の理想と思って読んでくだされば幸いである。

 まず、子供を産んで育てるのは、夫婦関係が比較的落ち着いて来た、四〇代以降にしたい。その頃になれば、人間的な智恵もついて来て、子供にたくさんのことを教えてあげられるのではないかと思う。もしも肉体的に子供を産むことが難しい状況にあるなら、施設などに預けられている、親の愛情から切り離されてしまった子供たちに愛情を注ぎ込みたい。私には、育てるのが、絶対に自分がお腹を痛めてこの世に送り出した子供でなければならないという信念のようなものはない。

 子供は何のために存在するか、と考えていたのだが、根本的な目的として、妊娠・出産は、かつて肉体を去って行った魂が再生する手助けをしていると思う。となると、妊婦さんは、新しい肉体を持った魂に現世への入口を提供するという、重要な役割を果たしていることになる。

 私は、子供というものはやはり、私たち大人が愛の素晴らしさを伝えて行く対象として存在するのではないかと想像する。そのためには、子供の前でキスをし、夫婦の愛の営みであるセックスも子供に見せたい。これは、セックスが、愛の行為であることを子供に示すためである。だから、子供には決して見せられないような、後ろめたいセックスはしたくない。後ろめたいセックスとは、精神の喜びからかけ離れた、肉体的な喜びをメインとするセックスだ。子供には、愛のエネルギーに満ちあふれたセックスを見せたい。こうしたことを、かつて私のホームページの「セックスに関するアンケート」に書き綴っていたのだが、肉体的なセックスを支持する人たちから、とても理解できないという声があがっていた。

 私は、愛のエネルギーに満ちあふれるセックスを見て育った子供が、隠れてコソコソ鑑賞しなければならないような媒体に手を出すように育って行くとは思えない。セックスが純粋な愛の営みであることを知っていれば、セックスに関してゆがんだ知識を身につける必要もないと思うのだ。

 また、子供にセックスを見せるのは、夫婦の間に秘密は存在していないのに、子供だけを仲間外れにするわけにはいかないというところからも来ている。隠しごとのない夫婦関係を保っている場合、子供にセックスを見せないでいることは、子供に対して、どこか後ろめたい気持ちになってしまうのではないかと想像するのだ。

 あたかも、私の考えを裏付けてくれるかのような書物がある。かの有名な、 神との対話(3)宇宙になる自分になるだ。この本の中に、セックスを抑圧することと子育てについて、以下のような神の言葉がある。

この抑圧された怒りのほとんどは、誤ったゆがんだ倫理的価値観の形成に向かう。あなたがたはそういう社会で暮らしている。その社会では記念碑や銅像をつくり、記念切手を発行し、映画や絵画やテレビ番組を制作して、世界で最もみにくい暴力行動をたたえたり、崇めたりするのに、世界で最も美しい愛の行為のほうは隠すどころか貶(おとし)めている。
それもこれもみんな、みんなだよ、たったひとつの考えから生じている。「子供をつくったら、育てる責任もひとりで負わなければならない」という考え方だ。

 これは非常に深い。神はセックスを、「世界で最も美しい愛の行為」としている。本当にその通りだと思う。セックスは、男女のエネルギーの交感なのだ。それを、隠さなければならない今の世の中は、おかしい。素晴らしいものは、積極的に世の中に伝えて行きたいと思うだろう。世の中で最も美しい愛の行為であるセックスを子供に伝えたくなるのは当然のことではないだろうか。

 このあと、神は、「子供をつくった者に育てる責任がないのなら、誰にあるのですか?」という筆者の質問に、以下のように答えている。

 コミュニティ社会全体だ。とくに年長者だ。
進んだ種族の社会では、年長者が子供たちを育て、慈しみ、訓練し、智恵や教えや自分たちの伝統を伝える。──(中略)──
どんな社会でも、若いうちに子供をつくるのが「間違っている」とはみなされない。部族の年長者たちが子供を育てるから、押しつぶされそうな責任や負担を感じない。性の抑圧などという話も聞かないし、レイプも異常性愛も社会的な性的機能不全もない。

 また、神は、子育てについて、以下のようにも述べている。

 それは、子供を産む若者たちが子供を育てるようにはできていないからだ。あなたのいる社会でいうと、もう育児期間が終わっているころに、子育ては始まるべきだ。
生理学的に見て、人間は自分が子供のうちに子供をつくることができる。驚くかもしれないが、生まれて四〇年、五〇年はまだ子供なのだよ。

 私は、夫婦関係が比較的落ち着いて来た四〇代以降なら、子供を産んで育てても良いと書いた。しかし神は、四〇代、五〇代でもまだ子供だと言う。要するに、若い親が子供を育てるべきではなく、子育ては、経験を積んだ年長者に任せるべきだというのである。これは、まったくもって新しい考えだった。

 しかも、神は、年長者が自分の子供ではない子供を育てるというアイディアまでも提示している。私は、このような行為は「社会への奉仕」に相当するのではないかと思う。「奉仕」は、他の人の喜びが自分の喜びにならなければ成り立たない。そういう世の中であれば、若い人たちが子供を産んで育てるという大変な作業も、みんなで力を合わせて乗り越えて行けるのではないだろうか。

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