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2005.07.04

カルマ

 皮肉なことに、カルマという言葉を世の中に広めたのは、オウム真理教だったらしい。しかし、カルマとは、オウム真理教以前から存在していたインドの思想である。カルマを一言で表現すると、行いのことである。カルマの法則とは、自分の行いが自分に返って来ることで、因果律などとも言う。

 私にも、凄まじいカルマの経験がある。それは、ガンモと出会う以前のことだ。前世で中途半端に終わらせてしまった関係と、現世で再会してしまったのだ。それは、わずか数ヶ月の間に、駆け抜けるようにして終わった。後にも先にも、あんな苦しい思いをしたのは初めてのことだった。それだけ私が、相手の魂を深く傷つけていたのだと思う。何度もここに書いて来たように、カルマを解消し、退行催眠を通じて自分の前世の行いを知ったとき、私は自分の涙ではない涙を流した。退行催眠で見せられた前世の映像から、相手の悲しみや苦しみをダイレクトに感じ取ったのだ。

 カルマを体験して思うのは、自分の感情幅が大きく広がったということだ。人間の感情は、プラスにもマイナスにも大きく伸びて行くものだと思った。ソウルメイトやツインソウルに出会った人たちの話を聞いてみると、ほとんどの人たちが、私と同じように凄まじいカルマを体験している。だから、カルマを解消したあかつきには、頑張った自分自身へのご褒美として、ソウルメイトやツインソウルとの出会いが待っているのかもしれない。

 ただ、戸惑いやすいのは、感情がポジティヴにもネガティヴにも大きく振れるツインソウルの関係だ。ツインソウルとカルマの関係は、ネガティヴな部分に関しては非常に良く似ているのだが、ポジティヴな部分がまるで似ていない。ツインソウルとの関係においては、例えどんなに醜い関係になろうとも、根底には深い愛が流れている。そして、冷静になって解釈すれば、その問題が、二人の愛をもっと深めて行くために起こっていることに、やがて気づかされるのだ。カルマの場合は、相手にとことん振り回されながら、とにかく自分を守ることで精一杯になってしまい、やがて、自分自身さえも見失ってしまう。カルマの関係は、根底に深い愛がないために、二人でその問題を乗り越えることができず、カルマが解消されたときに二人の関係は終わる。そして、まるで憑き物が取れたかのように楽になるのだ。

 関係がどんなに醜くなろうとも、根底に深い愛が流れているのであれば、ツインソウルだろう。そうでない場合は、カルマの関係と言えるのではないだろうか。また、ツインソウルならば、困難の末に、例え二人が別々に生きる選択をしたとしても、その愛はいつまでもお互いの中に生き続けている。

 ところで、現在自分に起こっている現象が、カルマの解消に相当しているのか、また、相手によって新たに生み出されたカルマに相当しているのか、誰しも気になることだろう。それらを区別する方法を、私は知らない。しかし、どんなときも、「今を精一杯生きる」ことが大切なのではないかと思う。何故なら、「今」を作ったのが「過去」だとすると、「未来」を作って行くのは「今」だからだ。それらは相関関係にあるので、「今」がお粗末なものであれば、必然的に、「未来」もお粗末なものになってしまう。

 これはカルマだと感じたときは、とにかくがむしゃらに取り組んで行くしか方法がない。がむしゃらに取り組まなければ、解消するまでに時間がかかってしまうことだろう。もしも関わる人が新たに生み出したカルマなら、そのカルマは、転生という長い期間を挟む場合もあるが、その魂の成長のために必ずフィードバックが行われる。だから、長い目で見ながら、相手の自由意思に任せることが必要なのかもしれない。私は、自分が解消したカルマしか知らないが、何かの役に立てればと思い、先日整理した掲示板の過去ログの中に、カルマについて答えた私のコメントがあったので引用しておきたい。

Re: カルマの相手と出会いましたか? ( No.2 ) /まるみ 2003/05/31 15:31

匿名希望さんへ

こんにちは。何だかとっても興味深い質問です。

> 皆様が出会ったカルマの相手との関わりについて教えて下さい
> (答えてもよいと思う所のみで結構です)

いや、私は全部答えたいです。

> 1「出逢った途端に惹きつけられた」とよく聞きますが、ソウルメイトやツインソウルに惹かれる時との違いを教えて下さい

厳密に言うと、ソウルメイト/ツインソウルの場合は、出会った途端に惹きつけられるわけではなく、
ある一定の期間を過ぎてから、急速に親しくなるんですね。
でも、カルマの場合は、一気に動き出します。
そして、たまさんも書かれていますが、自分が抵抗したくてもしきれないほど、相手に流されるんです。
まるで、自分が舵を取っているのではないような感覚です。

更に、ソウルメイト/ツインソウルとの出会いには既知感が伴いますが、
カルマ的な相手のことは覚えていません。
これは、忘れておく必要があるからじゃないでしょうか。
強烈に愛し合った相手ならば、魂が記憶してると思うんですよ。

> 2心から好きでもない相手なのに
> 何故、二人はお付き合いをするようになったのでしょうか?
> 最初は気が合うということですか?
> それとも、外見上や肉体的にだけその相手を欲していたからでしょうか?

そうです。最初は気が合ったんです。いろいろな偶然や共通点もあり、
もしかして運命なのかも? なんて思ってしまうんですね。
でも、付き合いを重ねて行くうちに、魂が心地悪くなってしまうんです。
自分を騙したり、本当の自分であることを我慢しなければ、うまく行かない相手になってしまうんです。
ずばり、自分を押し殺さなければならない相手がカルマの相手だと思います。

> 3その相手と一緒にいる時、楽しさや精神的な満足感を感じていましたか?

感じていませんでした。
いくら関わっても関わっても、離れるとすぐに寂しくなるんですね。
そして、相手の自由意思を奪いながら、一緒にいようとして、
相手に疎ましがられるんです。

以前、精神世界のはなし掲示板でも触れましたが、
私にとっては、栓を抜いたままのお風呂の中に、勢い良くお湯を注ぎ込むような感じでした。

> 4どうしてその相手となかなか離れられなかったのですか?

これは、なかなか難しい質問ですね。
自分を押し殺してまで、我慢してまで付き合うことが必要だったかのどうか、わかりません。
そのときは本当にがむしゃらで、例え自分が深く傷つけられても、その関係を失いたくなかったんです。

> 5今、振り返ると、その相手のことは
> 「あくまでもカルマの清算のために関わっただけで、愛していなかった」
> と思っていますか?

私が今体験している「愛」とは、まったく違うと思います。
どちらかと言うと、肉体的ですね。
そのときは一生懸命だったのですが、今体験しているこの愛が本物ならば、
やはり偽物という気がします。

その頃、私には、すごく好きな人がいたんです。
最初に出会ったソウルメイトですね。
(この人とは、付き合ったりはしていません。私が心の中で想っていただけです。)

カルマの相手は、その人とは共存できない存在であることを感じていました。
私の魂のイメージにぴったりした相手がそのソウルメイトだとすると、
カルマの相手は、別の空間に存在させなければならず、
自分が二人もいるような感じで苦しかったです。

> 6離れた今、たとえもう忘れているとしても
> ふとあなたとの恋愛を思い出したとき、相手がどう思うだろうと思いますか?

現世で私を傷つけたのは彼だから、もしかすると心を痛めるかもしれませんね。
でも、私がガンモと幸せにしていることを知っているでしょうから、大丈夫だと思います。

> 7カルマを乗り越えた後、何か変わったことはありますか?

カルマの法則が存在することを知りました。
原因があって、結果があるんですね。
そして、輪廻転生も、確実にあるとわかりました。
前世では、私が加害者だったのですから。

それから、本物の愛は、ソウルメイトと共存できる関係であることを学びました。
存在に矛盾がないのですね。愛を隠す必要などないというのでしょうか。
乗り越えたあとには、ごほうびがあるということもわかりました。

たまさんも書かれていますが、ほんとの愛を知るためのステップだったと思います。
悲しんだ分、苦しんだ分、人の苦しみもわかって来るようになりました。感情の幅が広がりました。
私も、カルマの相手には感謝しています。現世では、自分が悪者になって愛の尊さを教えてくれたのですから。

 ガンモは、カルマの相手とはまったく違う方法で、私を愛してくれた。カルマによって深く傷ついていた私は、ガンモによって、愛の信頼を取り戻すことができたのだ。

 また、先日からご紹介しているニュートン博士の『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』にも、カルマに関する情報があったので引用させていただく。

ニュートン 人生で、他人を傷つけるという欠陥がある人間に宿った魂には責任が生じるのですか。
被験者 生じます。人生で他人に残酷な仕打ちをした人たちのことですよね──そういった魂の一人を知っていますよ。
ニュートン その存在についてどんなことを知っていますか。その人生のあとでスピリットの世界に戻ったときに、その魂にはなにが起こったのでしょうか。
被験者 彼は・・・・・・若い女性を傷つけたんです・・・・・・ずいぶん酷い仕打ちを・・・・・・それで私たちのグループには戻りませんでした。彼はその肉体にいるときにひどくお粗末なことをしでかしたので、個人的に一から学び直さなければならなかったんです。
ニュートン 彼はどの程度の罰を受けたのですか。
被験者 罰というのは・・・・・・間違った解釈です・・・・・・更生といったほうがいいでしょう。教師に、より大きな責任がかかることを忘れてはいけません。教師たちは残忍な行為にかかわった者たちにより厳しくなります。
ニュートン スピリットの世界で「より厳しく」するとはどういうことなんですか。
被験者 ええ、その友人は私たちといっしょに・・・・・・友人たちといっしょに戻ってきませんでした・・・・・・少女を傷つけたこの劣悪な人生のあとは。
ニュートン 彼は死んだときにあなたと同じようにスピリットの世界の門を通ったのですか。
被験者 ええ、でも、彼はだれとも会いませんでした・・・・・・まっすぐ教師と二人きりになる場所に行ったんです。
ニュートン そこで彼にはなにが起こりましたか。
被験者 しばらくしてから・・・・・・そんなに長くはかかりませんでしたが・・・・・・彼はこの世に今度は女性として戻って・・・・・・周囲に残酷な人たちがいる環境で・・・・・・肉体的に虐待されて・・・・・・それは意識的な選択だったんです・・・・・・友人はそれを経験する必要があったんです・・・・・・。
ニュートン この魂は、少女を傷つけた人生で、自分が宿った肉体の脳を避難したのですか。その脳に責任があったのだと・・・・・・。
被験者 いいえ、彼はちゃんと自分がやったことを受け止めました・・・・・・自分自身に戻ってからね・・・・・・人間の弱さを克服するだけの修練がたりなかった自分の責任を認めたんです。理解を深めるために次の生では虐待される女性になることを自分自身から求めました・・・・・・自分がその少女に与えたダメージを身をもって体験するために。

 精神世界においても、カルマの法則が存在するという立場を取る人たちもいれば、カルマなど存在しないという立場を取る人たちもいる。私自身も、精神世界への探求がまだまだ浅いうちは、自分の行いがしっぺ返しのように自分に返って来ると思っていた。しかし、自分自身で体験したカルマや、『神との対話』に書かれている内容を受け入れて行くうちに、しっぺ返しのようなカルマが存在するのではなく、相手の立場を理解するために、自分の自由意思でもって、被害者と加害者が入れ替わるのだということがわかって来た。そして、現在の私が取っているのは、すべての魂が一つの存在であるからこそ、他の人の痛みが自分の痛みになるという立場である。

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