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2005.07.09

自由意思

 先日からご紹介しているニュートン博士の『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』には、以下のような記述がある。

 魂は未来の生の自分の死について私たちとは違った見方をしています。魂が若死にする人生を選ぶとき、彼らはたいていそれを人生の選択の場ですでに見ています。魂は突然の病気で急死したり、だれかに殺されたり、災害や事故でほかの多くの人たちとともに不慮の死を遂げる肉体を、基本的には、あらかじめ自分の意思で選んでいるということがわかりました。
 こういった悲劇に巻き込まれる魂は、神の怠慢のせいで折悪しく不運に見舞われたのではないのです。魂はちゃんとした動機があってそれらの出来事にかかわっています。

 輪廻転生を受け入れ、精神世界を探求している人たちが上記の文章を読むと、なるほど、と思うかもしれない。ただし、わざわざそれを言葉で表現したりはしないだろう。例えばお葬式の席で、「故人の魂は、自ら肉体を離れることに同意したのです」などと口に出して言う人はいない。

 しかし、輪廻転生を受け入れている人たちでさえ、実際に、不慮の事故や災害で親しい人を亡くされた方が読むと、反論したい気持ちが大きくふくらんでしまうかもしれない。身近な例では、阪神大震災で亡くなられたたくさんの人たちや、先日の尼崎の脱線事故で亡くなられた方たちにも、これが当てはまっているのかどうか、疑問に思ってしまうだろう。

 この本は、実際にそうした凄まじい死の経験を持つ人たちの記憶に基づいて書かれている。彼らはニュートン博士の行う退行催眠で、自分が過去世において、どのような形で死に直面したかを鮮明に思い出し、やがてその死を受け入れている。そして、現世で抱えている何らかの問題が、過去世での出来事に起因していることを理解している。更に、中間世まで導かれた人たちは、肉体を持たないスピリットの世界の素晴らしさをも説いている。

 ニュートン博士は言う。肉体を持たない世界よりもむしろ、肉体を持っている現世のほうが地獄だと。退行催眠で中間世に戻った人たちの証言によれば、スピリットの世界があまりにも心地良いために、この世に肉体を持って生まれて来ることを拒む魂もいるそうだ。

 この本に書かれていることを受け入れて行くうちに、魂の世界は、私たちが今いる肉体世界の感覚とはまったく正反対であることわかって来る。私たちは、親しい人が肉体を去って行くことは大変悲しむべきことだと思い込んでいる。しかし、肉体を離れた魂は、現世に残した人たちとの別れは非常に辛いと感じるものの、親しい人との関係がこれで終わりでないことを知っている。肉体を離れた魂は、やがて光に包まれ、心地良いスピリットの世界へと帰還して行くのだ。そこには親しいソウルメイトたちも待っている。そして、スピリットの世界でしばらく休養したり、魂の学校に通ってステップアップしながら次の転生の準備を整え、来世の計画を立てて再生する。

 何故、このようなことが、多くの人たちに認識されないのだろうか。それは、もしも私たち全員が、輪廻転生が存在することを認識し、いくらでも人生のやり直しができるということを知ってしまったら、中には、自分の選んだ課題に対して投げやりになってしまう魂も出て来てしまうからではないかと思う。自殺者の数も、今よりもっと増えることだろう。だから、そのような意志の弱い魂にとっては、輪廻転生を受け入れずに過ごすことは、それなりの意味を持っていることなのかもしれない。しかし、皮肉なことに、輪廻転生を認識し、魂の自由意思に基づいたレッスンを受け入れている人ほど、目の前に起こっている出来事を自分に与えた課題として受け入れ、人生を全開モードで生きている躍動のようなものを感じてしまうのは私だけだろうか。

 最近、掲示板の書き込みや、メールなどで、苦しい人生を送っていらっしゃる方からのメッセージを受け取ることがある。肉体の死ですら、魂の自由意思に基づくものであるとするならば、それ以外の様々な苦しみを抱えている人たちもまた、それらの苦しみを自らの自由意思で選んでいることにならないだろうか。私自身も、結婚前のあの凄まじいカルマを体験したときに思ったものだ。これは、自分自身の魂が自ら望んだことだと。魂は、自分自身が負い切れないほどの難しい課題を選択するとは思えない。

 カルマを自由意思として受け入れるとき、そこには加害者も被害者も存在せず、ただ合意のみが存在する。魂のステップアップのために、どうか今の課題をクリアして欲しいと思う。それを乗り越えたあとにはきっと、自分自身への素晴らしいご褒美が待っているはずだから。

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