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2005.06.04

書き手と読み手のアンバランス

 先日、とあるブログを拝見させていただいて、考えさせられたことがある。最近、その方の身の上に、人生を左右するような大きな出来事が起こってしまったようである。その方は、大変辛い状況の中にありながらも、一生懸命、前を向いて生きてらっしゃった。

 その方は、しばらくコメントの返信はできませんとブログの中で宣言され、気持ちの整理をつけるために、ブログの中で、ご自分のどうしようもない感情を吐き出す形で、もがくような文章を綴られていた。その方が辛い状況に陥った頃に、私もコメントを書かせていただいたのだが、コミュニケーションを成立させるのは困難な状況だった。

 その方と私の交流は、私の運営しているホームページの感想をメールでお送りくださったことから始まった。しかし、それほど深い交流には至らず、私自身も、その方のブログにほんの数回コメントを書かせていただく程度の交流だった。だから、その方の身の上に起こっていることに対してそれ以上口出しすることは控え、ブログの参照も、数日に一回のペースに留めておいた。

 ある日、その方のブログを開いてみると、
「私がどこにいるかを探して来られた方へ。私は一生懸命生きています。もう見ないでください」
というようなことが書かれていた。おそらく、リアルの世界の知人か友人からのアクセスを確認されたのだろうと思う。そして、今後、このブログは閉鎖し、ハンドルを変えて別のブログを書き始めるという書き込みがあった。そのとき私は、ああ、その方の気持ちが痛いほど良くわかると思ったのだ。後日、その方のブログはパスワード制限がかかり、パスワードを入力しなければ参照できないブログとなってしまった。

 更に、もう一つの話がここにある。こちらも、とあるブログの話なのだが、ある著名人の綴られているブログで、
「自分が何者かであることを明かさない人には、このブログへのコメントもトラックバックもして欲しくない。私は自分が何者であるかをこのブログでちゃんと示している。このブログにコメントを書くなら、ハンドルや匿名ではなく、自分がどこの誰だかわかるように示して欲しい」
というようなことが怒りの感情まじりに書かれてあった。その記事は、かなりの反響を呼んでいたが、私は、これを書いた人の気持ちがとても良くわかると思った。

 前者の問題も、後者の問題も、書き手と読み手のアンバランスによって引き起こされている現象である。自分に正直に生きている書き手ほど、読み手との対等な関係を望む傾向にあるものだ。もしも書き手が自分自身を偽り、感情をあらわにせずに文章を淡々と綴れるなら、読み手の心がどんなに冷めていようとも気にならない。もともと仮面をかぶっているために、傷つくことがないのだ。しかし、自分の感情をあらわにし、自分が何者であるかを示しているような書き手に対して、読み手がいつまでも自分は何者であるかを示さないでいるのは、私は不公平だと思う。

 実際、ブログやホームページの運営は、そのあたりのバランスが一番難しい。何故なら、読み手は自分が読みたいブログやホームページを選択できるのに対し、書き手は読み手を選ぶことができないからだ。読んで欲しい、読んで欲しくない対象に関わらず、情報は常に垂れ流しになる。また、もともと一対多の関係から始まるために、書き手と読み手が対等の関係を結ぶことは、ある程度、交流が深くなってからでないと実現できない。そして、読み手の多くは、掲示板などで自分が何者かを示すことに抵抗を感じている。つまり、読み手は、自分の情報を書き手にだけ効率良く伝えたいと思っているようだ。書き手と読み手の関係は、そういうところから始まるので、なかなか対等にはなれない仕組みが出来上がっているのである。

 ありがたいことに、私が掲示板で交流させていただいている方たちとは、既に自分が何者かを示す多くの情報をいただいている。だからこそ、そうした掲示板を外部の目から守りたいという気持ちも出て来るのだ。

 このように、書き手と読み手のバランスを保ち続けるのは難しい。読み手の数が増えれば増えるほど、それは顕著になって行く。このことは、多くの人と密に関わることが困難であることを証明しているかのように思える。

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