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2005.06.10

それは愛なのだろうか

 今週は、仕事がとても忙しかった。今日までの納期の仕事を抱えていたからだ。一日たりともガンモと待ち合わせて一緒に帰ることはできず、私が帰宅すると、ガンモはいつも家でくつろいでいた。

 私はときどき冗談で、
「もしかして、仕事にも行かず、ずっと家でくつろいでいたんじゃないの?」
などと言ってみる。ガンモのほうが先に家を出るので、そんなことはあり得ないのだが、ついついそんなことを言ってみては、笑いを取っている。

 今週は、ガンモも仕事の当たりが良くて、おとといの夜、コールセンタから連絡が入り、急な徹夜作業をする羽目になってしまった。ガンモは眠い目をこすりながら、辛そうに仕事に出掛け、私が目を覚ます頃に帰宅した。私はすぐにガンモをベッドに寝かせようとしたが、徹夜明けのガンモは少しハイになっていた。そうやって気持ちをハイに持って行かないと、すぐに睡眠が襲って来るからだろうと思う。ガンモは、私が支度を整え、仕事に出掛ける頃にはスヤスヤと寝息を立てながら眠っていたが、お昼過ぎから再び起きて仕事に出掛けたようだ。

 ところで、ガンモはゆうべ、なかなか眠れなかったらしい。昼と夜が急に逆転してしまったため、身体は疲れているのに、夜、なかなか眠れなくなってしまったようだ。生活のリズムが崩れてしまったのだ。飛び飛びで夜勤を何日か体験したあとの先日の出張中も、早朝に目が覚めてしまうと嘆いていた。

 「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちの中にも、お仕事がら、夜勤の当番が回って来る方もいらっしゃるのではないだろうか。私は、いくら仕事が忙しくても、夜勤の仕事は経験がない。もともと、夜は眠くてたまらない性質なので、夜働く仕事の人には、本当にお疲れ様ですと申し上げたい。体調を崩してしまうのは、睡眠不足からではなく、生活のリズムが狂ってしまったときなのではないだろうか。音楽の変拍子は心地良いが、生活のリズムが変拍子を刻み始めると、なかなか身体がついて行かない。

 愛とは何か、と問うときに、誰かの苦しみの上に成り立つのは愛ではないと、真っ先に考える。しかし、場合によっては、その苦しみが、人を大きく成長させることもある。だとすると、誰かに苦しみのチャンスを与えることも、愛なのだろうか。

 誰かの睡眠を奪ってしまう、その行為。それが生産であれ、人命救助であれ、睡眠を奪われた人にとって、それは愛なのだろうか。睡眠を奪われたという感覚よりも、世の中の役に立てたという喜びがあるならば、愛であることには間違いない。しかし、眠い目をこすりながら仕事をすることは、愛なのだろうか。私は多分、自分自身の喜びに繋がらない仕事をしているから、いつまで経っても、この答えを出せないでいる。

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