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2005.06.24

量より質

 以前、同じ職場で働いていた女性は、アメリカ人の男性と国際結婚をしていた。日本では、英会話教室で英語を教えていたご主人さんは、女性の生徒さんたちからとても人気があったらしい。バレンタインデーに、女性の生徒さんからチョコレートをいくつかもらったことを知った彼女は、
「自分の夫が女性から人気があるのって、ちょっと複雑な気持ちだけど、やっぱりうれしいよね?」
と私に同意を求めて来た。私は、
「うーん、それはどうだろう」
と言いながら、お茶を濁してしまった。正直言って、あまりうれしいとは思えなかった。嫉妬や焼きもちの観点からではない。英会話の先生にチョコレートをあげるという女性の生徒さんたちの気持ちが、非常に軽いと思えたからだ。もしもその女性たちが、自分の夫に対して本格的な愛情を持ってくれているのであれば、私は心から喜べると思う。

 多くの人たちから好意を持たれることを誇りに思っている人もいるかもしれないが、私は逆に、不幸だと思ってしまう。第一、好意を持たれたとしても、肉体は一つしかないのだから、すべての人に同じだけの気持ちを返すことなど不可能だ。それに、数が多いということは、それだけ本格的でない愛情も含まれていることを否めないだろう。多くの人たちから好意を持たれることは、想いの質よりも、量で勝負といった傾向が強くなってしまう。だから、いわゆるモテる人というのは、愛情が薄い人が多い。一人の人に留まろうとするエネルギーよりも、次へ次へと向かうエネルギーのほうが強いのだ。そして、縁の数だけ多くて、まだまだ本格的な愛情を知らない人が多い。また、好意を示されることに大して受身で、自分からも愛するということを知らない。私は、そういう人には魅力を感じない。

 多くの人たちから好意を持たれる芸能人も、そういう面においては気の毒だと思ってしまう。ふと一人になった芸能人を目にするとき、彼の心の奥底に見え隠れする寂しさのようなものを感じ取らずにはいられない。本格的な友情や愛情が育ちにくく、自分が人々に利用されていると感じてしまうことも多いのではないだろうか。芸能人を前にすると、気持ちの浅いファンほど、彼の元へと寄って行ってサインや握手を求めるが、気持ちの深いファンほど、彼の元へは近づかず、遠目で見守っている。

 本格的な愛情が、何故ありがたいか。それは、人を傷つけることのない愛情だからだ。本格的な愛情は、誰からも何も奪おうとはせず、その人の既存の環境に、容易に溶け込んで行くことができる。

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