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2005.06.09

「詳細なる旅の記録」に教えられたこと

 私がレンタルしているまるみの旅行記は、自分の旅行記から誰かの旅行記をお気に入りに加えるとき、相手からのリンク許可が必要になっている。先日、私の旅行記をリンクしたいという方がいらっしゃることを知らせるメールが自動配信されて来た。その方の書いてくださったコメントは、「鉄道関係のページを調べて行く過程で、たまたままるみさんの旅行記を見つけ、そのおかげで自分もここに旅行記を公開することができました。リンク第一号として、まるみさんの旅行記を是非ともリンクさせてください」というものだった。

 私は、すぐにその方の旅行記を拝見した。ほんの少し拝見しただけで、その方の、写真や鉄道に対する思い入れの深さが感じられ、私は感動で涙がこみ上げて来た。その方は、既にたくさんの写真を公開されているのだが、一枚一枚の写真に詳細なコメントを書き入れ、時間をかけてじっくりと丁寧な旅行記を綴られていた。

 その方の旅行記は、今の私に足りていないものを教えてくれたような気がした。デジタルカメラが高性能になり、これまでよりもお手軽かつ本格的に撮影できるようになってからというもの、旅先で撮影したたくさんの写真をWebで公開するといった作業は、オンラインアルバムの普及も手伝って、とても身近なものになった。しかしその一方で、デジタルカメラの手軽さから、写真を大量生産してしまうなど、写真一枚一枚に対するありがたみが薄れつつあったのも事実である。

 写真を始めた頃は、少しでもフィルムを無駄にしたくないと、一枚一枚、丁寧にシャッターを押していた。シャッタースピードもピントも絞りも、全部自分で合わせた上でのマニュアル撮影を好んでいた。当時は、取り終えた写真が出来上がるのに、少なくとも半日はかかっていた。それが今では、電池さえあれば写したいときに写せて、気に入らなければすぐに抹消できる。写真の仕上がりは、手持ちのパソコンですぐに確認できる上、画像編集ソフトがあれば、加工だってできてしまう。街の写真屋さんの店先には、デジタルカメラのメディアを挿入すれば、すぐにでもプリントできるコイン式のプリンタが備え付けられている。また、家庭のプリンタの性能も紙質もずいぶん良くなり、わざわざ写真屋さんに行かなくても、家庭で高画質の写真を印刷できるようになった。

 そんなこんなで、私は、いつの間にか写真を大量生産するようになってしまっていた。そして、大量生産された写真を扱い切れず、まるで流れ作業のように、簡単なコメントだけつけてWebでどんどん公開していたのだ。それは、「さばく」といった作業に相当するもので、写真一枚一枚の重みなんて、ちっとも考えていなかったのである。

 私の旅行記が、単に自分が前に進むための道具に過ぎなかったのに対し、その方の旅行記は、「詳細なる旅の記録」だった。その方の掲示板にコメントを書かせていただいたところ、その方ご自身のコメントからも、旅の詳細の記録が飛び出して来た。その方は、前に進むことをちっとも急いではいなかった。私のように、一枚一枚の写真を、単に「処理」しているのではなかった。私のたった数行のコメントに対し、あれほどまで詳細なコメントを返してくださるとは・・・・・・。とにかく、何から何まで感動的だった。

 その方の「詳細なる旅の記録」に教えられたことは、他にもある。それは、情熱は必ず人に伝わるということだった。中途半端に好きなだけの気持ちではない、真剣な想いは、第三者に大きな感動を与えるということだった。それから、写真を「処理」しているように、人付き合いまでも、流してしまってはいけないということだった。そう、やはり、私の生き方として、感情を主体にした生き方を選択し続けて行きたいということが、はっきりと見えて来たのだった。

※朝方このブログを読んでくださっている方へ:
「ガンまる日記」は、夜、帰宅してから書き上げ、朝、読み返して推敲するといった手法を取らせていただいております。従いまして、まだ推敲の終わっていない午前中は、文章がまだまだ熟していません。お昼頃でしたら、推敲も終わり、誤字・脱字やおかしな表記も少なくなっているかと思います。

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