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2005.05.06

出雲大社と日御碕灯台

 春季休暇八日目。身体がとても疲れているのに、ゆうべはあまり良く眠れず、朝方、金縛りにあってしまった。私が一生懸命何か叫んでいたのが聞こえたのか、ガンモが私の腕を引っ張ってくれたので、助かった。ガンモは眠りながら、しばらく私の腕を手で支えてくれていて、私はうとうとしながらガンモに助けられたことに感謝していた。

 外は、朝から小雨が降ったり止んだりしていた。雨のせいでほんの少し肌寒い。私たちは、松江しんじ湖温泉駅から一畑電車に揺られ、出雲大社に向かった。一畑電車は、去年の夏に全線制覇している。今回は、去年乗り遅れて乗ることができなかった、一日一本だけ運行している急行出雲大社号に乗車した。

 出雲大社に足を踏み入れた途端、木の香りがぷうんとただよって来た。お天気が良ければ、きっと最高の景色と雰囲気を感じさせてくれたに違いない。しかし、そんな意地悪な雨もやがて上がり、私たちは本殿を参拝したり、絵馬を見たり、おみくじをひいたりしながら楽しいひとときを過ごした。

 不思議なことに、出雲大社で出会った男女は、みんなとても仲が良かった。身体をぴったりくっつけて歩いていたり、楽しそうにおしゃべりしていたりと、すれ違うだけでも仲の良さが伝わって来る。普段、街角で見かけるような、冷め切った雰囲気の男女は、ただの一組もいなかった。

 境内につるされた絵馬の「良縁に恵まれますように」という言葉を見て、私はふと考えた。「はてさて、良縁とは一体何だろう?」と。お互いに無理をすることなく自分らしくいられ、同じ想いでずっと引き合い続ける関係のことではないだろうか。反対に、良縁でないというのは、どういう意味なのだろうか。深い愛情で結ばれていない関係のことだろうか。苦労の多い関係のことだろうか。でも、愛する人と一緒に背負う苦労ならば、それはやがて、大きな喜びに繋がって行くのではないだろうか。私は、頭の中でそんなことを考えていた。

 良縁という言葉に反応したとき、私たち夫婦はきっと良縁に違いないと確信した。そして、この良縁にありがというという気持ちでいっぱいになった。更に、その気持ちのまま本殿の前に行き、「ガンモと出会わせてくれてありがとうございます」とお礼を述べた。それは、じんと来る瞬間だった。出雲大社に来ている男女がとても仲がいいのは、自分たちが良縁であることを確信するからなのではないだろうか。

 さて、昼食を取ったあと、出雲大社近くのバスターミナルから、今度は日御碕(ひのみさき)灯台に向かうバスに乗り込んだ。日御碕灯台は、石造りの灯台としては、日本で一番高い灯台である。灯台を昇って行くとき、途中に休息できるスペースがあるのが、何よりもうれしい。以前、犬吠崎の灯台に昇ったときは、途中の休息場所がなくて、かなり厳しかったのだ。灯台の中は通路が狭く、昇る人と降りる人が階段を譲り合うことになる。休息場所があると、どちらかが退避できるのでスムーズに流れるのだ。

 高所恐怖症の私も、一生懸命灯台の階段を昇った。高所恐怖症の人は、昇るよりも降りるときのほうが恐怖を感じる。灯台は、高所恐怖症を克服するにはもってこいの場所だと思う。ただ、灯台の一番上の階段は、はしごのように急なので、高所恐怖症の人が降りるとなると、命がけとなる。あまりも急な階段に怖気づいて、降りられなくなってしまった人はいないのだろうかなどと、余計なことを想像したくなってしまう。

 日御碕灯台をあとにした私たちは、安来で安来節の顔抜きの写真を撮り、再び松江に戻って来て夕食を取った。今夜も松江泊まりなのである。出雲大社に参拝したせいだろうか。ガンモのことが、これまでよりもかわいくて仕方がない。これはきっと、出雲大社に参拝したご利益だと思い、ガンモに、
「ねえ、私のことがこれまでよりもかわいくて仕方なくなってる?」
と尋ねてみると、
「いや、いつもと同じだよ」
という答えが返って来た。まあ、いいか。でも、心なしか、いつもよりも情熱的なガンモを感じる。

 どうか今夜は、金縛りに遭うことなくぐっすり眠れますように。

今日撮影した写真:
出雲大社
日御碕灯台

今日、撮影した写真を記事にしたもの:
顔抜きのはなし
列車のはなし

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