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2005年5月

2005.05.31

おさらい

 ガンモがいない三日目の夜。仕事がとても忙しく、遅い帰宅となった。私は、またまたかつてのガンモの出張を思い出していた。当時はまるで、ガンモの出張に同調するかのように、私の仕事が忙しくなっていたのだ。夜中にタクシー乗り場まで歩く間、私は仕事が辛くてガンモに泣きながら電話を掛けていた。そう、あまりにも仕事が辛くて、幽体離脱しそうになった頃だ。思えば、あの頃はまだ今よりも好景気だった。毎日のようにタクシー代が支給されていたのだから。

 最寄駅に着いて、ガンモの自転車を確認したとき、自転車のサドルをなでなでしておいた。かつてはそれを見て激しく泣いていたのに、今ではサドルをなでなでできるようになっている。これは、大きな進歩だ。

 実は、仕事上で大きな問題が持ち上がっていて、明日からしばらくの間、電話対応に追われることになってしまった。その問題は、他のメーカでもプライオリティを上げて対策を取っている大きな問題で、ガンモの勤務するメーカでも、そのことをホームページでユーザに緊急告知を出している。ガンモは直接的な担当ではないが、そのような対応が必要だということをメールで通知されていると言う。ガンモから電話が入り、今日の出来事を報告しているうちに、その話になったのだ。

 「えっ? まるみがそれの担当なの?」
とガンモが言う。
「そうそう。今のプロジェクトのグループが、それの窓口になってるんだよ」
私が力なく答えると、仕事のパソコンを持ち歩いているガンモは、それに関するメールを検索し、声を上げて読み始めた。
「いやいや、そんな話、いいよ。仕事の話なんてうんざりんだよ」
私がそう言っても、ガンモは得意になって読み続けている。
「うわー、もうやめてー。仕事の話はうんざりなの!」

 そう言って電話を切ると、すぐにガンモからメールが届いた。開封すると、その問題について記載されたURLが書かれていた。仕事から解放されたいと思って家に帰って来ているのに、何故、仕事のことをおさらいしなくちゃいけないのだろう? このときばかりはガンモが同じ業界人であることを少しばかり恨めしく思った。そんなわけで、私はガンモのいない寂しさを少しだけ忘れることができている。

※掲示板やメールのお返事が停滞してしまい、本当に申し訳ありません。相変わらずのパワー不足と、まとまった時間が取れないため、なかなかお返事できない状況にあります。メールもたくさんいただいているのですが、実は、メールよりも掲示板に書き込んでくださるほうが、出先からでも書き込みができる上に、貴重な体験をシェアできるため、有り難いです。メールは、自宅のパソコンに引き込んでしまうため、出先からは返信し辛い状況にあります。個人情報を含まない内容に関しましては、できる限り掲示板をご利用くだされば幸いです。また、掲示板の書き込みに関しましては、根気強く待っていただけるのでしたら、基本的に、すべての発言にコメントを書かせていただく方針で運営しております。しかし、一人の方が複数の書き込みをしてくださった場合、最新の発言にのみコメントを返させていただくこともございますのでご了承ください。みなさまのご協力をよろしくお願い致します。m(__)m

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2005.05.30

ガンモの自転車

 朝、ガンモと電話で話しをしながら出勤した。何だか短かった恋人時代を思い出すようだ。あの頃、私は東京に住んでいて、ガンモは兵庫県に住んでいた。そう、今の状態とまったく反対である。

 今日も残業だったが、家に帰っても独りぼっちなので、早く家に帰りたいという気持ちは起こらず、いっそのことグレてしまいたいような衝動に駆られながら帰路についた。

 最寄駅まで帰って来たとき、駅の自転車置き場でガンモの自転車を発見した。私はそれを見て、とても安心するような、暖かい気持ちに包まれた。

 そう言えば、結婚してまだ間もない頃、同じように、ガンモが長い出張に出掛けたあとで、駅の自転車置き場に残されたガンモの自転車を見て激しく泣いたことがあったのを思い出す。当時、その話をガンモにすると、
「俺もそんなの見たらダメだわー」
と言った。

 おそらく、自転車置き場でそのような光景を見てしまうと、一人で想像することがたくさんあるのだと思う。その自転車に乗っている人ととても親しく、いつも連れ立って一緒に帰っているのに、相手が不在のため、今日は一緒に帰れない。そんな切ない非日常に、思わず泣けて来るのだ。

 ガンモの帰宅まで、あと三泊。出張に出掛けているガンモの自転車を見つけても、家に帰ってガンモの姿がなくても、もう激しく泣くことはなくなった。それは、私たちの絆がそれだけ強くなって来たことの証なのかもしれない。

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2005.05.29

ガンモの出張

 今日からガンモが四泊五日の出張に出掛けて行った。関東地方で行われる研修に参加するためである。結婚当初は長い出張の多かったガンモだが、ここ二年ほど、そのような長い出張のない日々が続いていた。

 いつもは新大阪から新幹線に乗るガンモだが、今日は朝から三ノ宮で仕事が入っているとかで、その仕事を終えたあと、新神戸から出張先に向かったようだ。

 数年前、ガンモが新神戸から出張に向ったとき、お互い離れ離れになるのが寂しくて、二人で新神戸駅で泣いた覚えがある。あのときガンモは、新大阪駅で降りようかと思ったらしい。私は今回も、「ガンモ、出張に行くの? 出張に行くの?」と目をウルウルさせながらガンモに何度も出張の意志を確認したが、かつてのように泣きはしなかった。これまでガンモと重ねて来た時間が、私を安心させてくれているのだろう。

 しかし、こうして夜、一人になってみると、その静寂から、ガンモの不在を寂しく思う。そして、ああ、私たちは本当に、これまで寄り添って生きて来たのだなあと実感するのだった。

 出張の最終日、ガンモは新幹線ではなく、寝台列車で帰って来ると言う。いつも私と一緒に一つの寝台に寄り添って寝ている寝台列車の下りに乗ってみたいそうだ。何故なら、いつもは上りばかり利用しているからだ。
「帰りは新幹線にしようかな。それとも、寝台列車にしようかな」
とガンモが迷っていたとき、出張が終わったら、当然、新幹線で飛んで帰って来るものと思っていた私は、
「新神戸で泣いた二人はどこに行ったんだろうねえ」
と言った。ガンモはゲラゲラ笑っていた。
「私もライブに行ったときに、夜行バスで帰って来たことがあるから、ガンモも寝台列車で帰って来ていいよ。だって乗りたいんでしょ?」
と私が言うと、ガンモはすまなさそうに、
「まるみ、ありがと」
と言って私を抱きしめた。

 今朝、ガンモは早起きして、何かやらゴソゴソ探していた。寝台列車の中で聴こうと思っているCDプレーヤーが動かないので、代わりにカセットプレイヤーを探しているのだと言う。音の大きい寝台列車で快適に睡眠を取るためには、ヘッドフォンから流れる心地良い音楽が必要なのだ。私は、ガンモのためにあちこちからカセットプレイヤーやヘッドフォンを調達したりした。ガンモは若い頃にLPレコードを録音したカセットテープを一緒に持って行った。それにしても、いまどきカセットプレイヤーを持って行くなんて。

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2005.05.28

私たちの帰る場所

 今日は、ガンモと神戸に出掛けた。三宮から無料のボンネットバスに乗り、タイムズメリケンという神戸海洋博物館で行われている催し物を見て回った。タイムズメリケンは、コンセプトを掴み切れなかったのだが、ボンネットバスに乗ることができたのは大きな収穫だった。その後、私たちは、中華街のある南京街(なんきんまち)まで歩き、更に、元町から神戸までJRに乗った。

 神戸にあるダイエーの寝具売り場で、陳列されているいくつものダブルベッドを見て、私はふと思った。この狭いスペースが、それぞれの夫婦の世界であり、夫婦とは、この狭いスペースでいくつもの夜を共にして来た運命共同体なのだと。そう思うと、何だかじーんと熱いものがこみ上げて来た。

 来月でガンモと結婚して丸九年になる(丸九年と書くと、九九年みたいだ)。考えてみると、私はもう九年もの間、ガンモと一つのシングルベッドで夜を共にして来たのだ。

 昼間、起きている時間は、お互いに仕事を持ち、別々に行動している。しかし、夜になると仕事を終えて帰宅し、更に就寝時間になると、二人ともシングルベッドに集合し、一緒に眠りに就く。今まで特に意識したことはなかったが、シングルベッドは私たちの帰る場所だったのだ。

今日撮影した写真:タイムズメリケンと南京町

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2005.05.27

肉体と精神の融合を目指して

 先日、ガンモが夜勤だった日に、「夜勤の夫を持つ人妻」というタイトルのメールが届いた。メールのタイトルを見たとき、何故、今夜ガンモが夜勤であることを知っているのだろうなどと思い、ギクリとしてしまったのだが、開いてみると案の定、スパムメールだった。

 参考までに、内容をそのままご紹介しよう。

夜勤の夫を持つ人妻

最近の人妻で注目していただきたいのは夜勤の夫を持つ人妻です。
旦那は夜から、でも自分は昼間の生活…

当然夜はひとりっきり…

そんな寂しい人妻をつかまえてみませんか?

 ハアーと溜息の出るような内容のメールなのだが、この内容から連想されるキーワードは「代用」だ。夫が夜勤に出掛けて寂しいというところまではわかる。しかし、その寂しさを、まったく愛情で結ばれてもいない男性と肉体的な関係を結ぶことで代用しようという考えがどうしてもわからない。また、そうした代用が成り立ってしまうことも理解できない。

 しかし、精神ではなく、肉体が寂しがっているのだとしたら、同じように肉体が寂しがっている者同士が容易に結びついてしまう世の中なのかもしれない。そして、悲しいことに、多くの人たちが、肉体と精神の問題を切り離して考えてしまっていると私は思う。つまり、肉体と精神を切り離すことで、自分自身の取っている行動を正当化したり、また、傷ついてしまいそうな自分自身を無理に納得させたりしているのだ。

 セックスの歴史は長いが、これまでのセックスは男性本位だった。しかし、男性本位のセックスを野放しにしていては、肉体的な欲求を満たすことがセックスの主たる目的となってしまう。だから、風俗の存在を余儀なくされてしまっているのだ。

 私は、肉体とは精神の想いを実現させるための道具に過ぎないと思っている。もちろん、精神と欲求は別物である。だから、肉体を使うセックスも、精神の想いを実現させるための行為であって欲しい。そのためには、女性達がまず精神性を高め、肉体的な男性たちを導くという流れを作って行くことが必要なのではないかと思う。

 精神的なセックスは、確かに存在している。精神の想いが肉体で実現されたセックスは、愛の深さに涙が溢れて来る。そのようなセックスを体験してしまえば、もはや肉体的なしがらみからは解放される。どういうわけか、聖者と呼ばれる人たちには男性が多いので、精神性を極めて行くことは、男性にも可能なはずだ。

 完全に肉体を使わない形では、幽体離脱した状態で、遠隔地に居ても実現できるセックスが存在しており、私の他に、複数の人たちがそれを体験している。私はそれを、「魂のセックス」と呼んでいる。

ガンまる.comの動きが安定しなくて申し訳ありません。モデムを変更してから、インターネットの接続状況にムラがあるようです。サーバは快適に動作していますが、ときどき回線が切断される場合があり、皆さまには大変ご迷惑をおかけしています。m(__)m

※なお、ガンまる.comは、毎朝6:00〜6:10くらいまで、自動的に再起動するスケジュールを組んで運用しています。その時間帯にアクセスされる方は、ご注意ください。

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2005.05.26

 最近、オフィスの空調との戦いが続いている。私の職場は、ビルの構造上、低層階をひどく冷やさないと、上層階の人たちが暑い思いをしてしまうという造りになっている。そのため、私のいる低層階のフロアは、温度設定が十八度になっていることもしばしばある。私は、気がつく度に二十二度に上げているのだが、日付が変わるとまた十八度に戻っていたりする。特に、私の席の真上には、空調の噴出し口があり、頭のてっぺんから冷たい風がざーっと降りて来る。

 そんなオフィスだから、もともと冷え症の私は、自分の身体を守るために、なりふりかまないような格好になってしまう。まず、首を冷やさないようにするために、首にスカーフを巻きつける。スカーフと言っても、バンダナのような、日本てぬぐいのような場合もある。手にはリストバンドをし、風をさえぎるフード付きのジャンパーを着込む。そして、そのフードで、冷たい風から頭と首を守る。更には、ひざ掛けの間から冷気が降りて来るので、レッグウォーマーで足を守る。冷え込みが激しいときは、夏でも腰にカイロを貼る。こんな風に防備しても、冷たい風にはかなわず、体調を崩してしまうこともしばしばある。もちろん、仕事に集中できないことも多い。

 暑い、寒いの感覚は、本当に人それぞれだ。同じオフィスに居ても、座っている場所によっては、暑いと感じている人もいるようだ。また、私のように始終座りっぱなしでなく、動き回る仕事をしている人は、十八度の温度設定でも、寒さを感じてはいない。更に、男性などは、夏でも長袖やスーツを着ている人もいるため、暑がる人が多い。

 一度、身体が冷え切ってしまうと、温まるのに時間がかかってしまう。仕事帰りの電車の冷房にさえ、敏感になってしまうのだ。以前から、空調の問題を、オフィスの人たちに持ちかけてはいたのだが、改善される気配がない。最近は、省エネのため、お昼休みに消灯する会社も多いが、電気を消すよりも、空調の温度を上げる方がより効果的なのではないだろうか。こんなに冷やされてしまっては、いつか身体がもたなくなる。しかも、残業時間間は、空調が一斉に止められてしまうため、今度はオフィス全体が蒸し暑くなり、頭がぽやんとして来る。しかし、残業を終えて一歩外に出ると、まだ肌寒い五月の風が吹いて来る。この温度差に、私の身体はいつまで持ち堪えられるのだろう。

 省エネ以外の面からも、私は、暑い季節に長袖スーツを着込んで仕事をすることに、どんな意味があるのかと思ってしまう。私は、夏の暑い時期に、長袖スーツを着込んで就職活動をしている学生さんや、ビジネスマンが気の毒でならない。もっと軽装で動き回り、そして、服装に関係なく信頼されることのほうが、よっぽど自分らしくいられるのではないだろうか。

 そもそも、スーツを着込むということは、本来の自分を押し隠してしまうことになっていると思う。私のような生き方を選択している人にとって、スーツは鎧だ。だから私は、スーツを着ている人よりも、軽装でいる人の方を信頼する傾向にある。というのも、昔、社員をやっていた頃、営業の仕事を手伝ったことがあり、そのとき一緒に仕事をした営業マンが、裏表のある人間だったからだ。技術者よりも身なりはいいのだが、心の中で本当に思っていることと裏腹のことばかり言う。そんな、人を騙すようなことはできないと、私はその会社を去ったのだった。

 鎧を着込んだ人には、同じように、鎧を着込んだ人との人間関係しか生まれない。省エネのためにも、ギャップのない人間関係を築くためにも、鎧を脱いで欲しいと思う。そういう私も、ジャンパーという鎧を脱いでしまいたい。

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2005.05.25

ガンまる.com騒動

 今日は、先日より予告していたモデム切り替えの日。(どうやら、お昼過ぎからサーバがダウンしていたようで、皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。m(___)m)

 今回のモデム切り替えとは、利用しているインターネット接続サービスの通信速度がアップするための対応だった。最初にインターネット接続サービス側で切り替え工事が行われ、これまで使用していたモデムが使えなくなったのを確認したら、通信速度の速い新しいモデムに切り替えるという手はずだった。

 ガンモは今日も夜勤だったので、昼間は家で睡眠を確保しようとしていた。ガンモがお昼過ぎに起きたときに、インターネットに接続できないことがわかったので、新しいモデムに切り替えたらしい。それによって、自宅サーバのガンまる.comも、全世界に発信できるサーバとして(ちょっと大袈裟?)再接続できるようになるはずだった。しかし、夕方、私が職場のパソコンからアクセスしても、また、モバイル環境からアクセスしても、ガンまる.comには繋がらなかった。私はガンモに電話を掛け、
「ガンまる.comがダウンしてるよ」
と言った。技術者のガンモは、慌てて原因を究明しようとしたのだが、調べたところによると、どうも、インターネット接続サービス側で、80番のポートが閉められてしまっているらしいことがわかった。(ポートというのは、通信を行うための接続口。通常、80番のポートが閉じられていると、サーバを立ち上げて発信することが困難になってしまう。参考:ポート番号

 私たちは、とにかく慌てた。
「これから先、ガンまる.comはどうなっちゃうの?」
という私の問いかけに、ガンモはシュンとするばかり。ガンモは自分でもガンまる.com上にフォト日記を書いているので、それが発信できなくなることがとても残念だったようだ。

 私が仕事から帰宅すると、ガンモはベッドの上でウジウジしていた。技術者として、できるだけの手を尽くし、もはやどうすることもできないと判断したようだ。
 「ガンまる.comが使えないなら、今のインターネット接続サービスを解約して、Yahoo! BBにする」
などとガンモは言う。しかし、デジタル電話機を使用している我が家の電話回線は、ISDN回線である。Yahoo! BBに変更するとなると、電話回線をアナログ回線に戻さなければならない。そんなことをしていると、サーバ復旧までに、一体どれだけの時間がかかってしまうのやら。

 そんなこんなで、ガンモはかなりいじけた気持ちのまま、仕事に出掛けて行った。私は、ガンモが少しでも落ち込みから解放されるようにと、livedoorにガンモの書いているフォト日記を少しだけ移行してみた。私は、あちこちのレンタルブログに記事を書いているので、容量や写真を大きく表示できるかなどのレンタルブログ事情を良く知っているのだ。とりあえず、ガンモのフォト日記は発信できるようになったものの、ガンモはそれでもまだ、ガンまる.comを諦め切れない様子だった。

 私自身も、精神世界のはなしというページをガンまる.com内に持っているので、そこに来てくださる人たちのことがとても心配だった。ずっとアクセスできない状況が続くと、せっかくアクセスしてくださっている方々に大変申し訳ないと思い、他のサーバでミラーサイトを立ち上げようかと動き始めていた。

 自宅サーバは、外からの参照は絶たれていても、家庭内のネットワークからは容易に参照できる仕組みになっている。しかし、家庭内で見えているページが、外からも参照できるかどうかというのは、割り当てているIPアドレスの体系が異なっているため、実際に家庭の外からアクセスしてみないとわからない(専門的なことを言えば、ローカルアドレスからのアクセスは、hostsファイルで対応している)。私たちは、80番のポートが閉じられていると判断したため、もはや外部からの接続状況を再確認する必要はないと諦めかけていたのだ。

 しかし・・・・・・。ふと、ガンまる.comに残されている外部からのアクセス記録を見て、あれれ? と思った。そこには、私たちのローカルアドレス(家庭内からのアクセス)以外の記録が残っていたからだ。え? ガンまる.comが、外からも見えている?

 そう思って、私はモバイル環境からアクセスしてみた。何と、ちゃんと見えているではないか! 確かに、繋がりにくくはなっていたようだが、ちゃんと、外からも参照できるということがわかってほっとしたのだった。急いでガンモに連絡すると、ガンモは声を上げて大喜びしていた。何はともあれ、やれやれ((c)村上春樹)である。

※お昼過ぎから、根気強くアクセスしてくださった皆さん、どうもありがとうございました。m(__)m

※外部から接続できなくなっていた原因は、ガンまる.comのIPアドレスが更新されたために、DNS(IPアドレスとホスト名の対応が記載された住所録のようなもの)の更新に時間がかかったことにあるようです。

※ポート80番の閉鎖問題に関しては、ガンモは実際にポートスキャン(現在、どのポートが開いているかを調べること)を行ったわけではなかく、自宅サーバを立ち上げた人向けに公開されているサイトに、外部から参照できるかどうかを調べてくれるツールがあり、その表示結果で判断しただけだそうです。(^^;

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2005.05.24

しゃべり続ける関西人

 昔、とあるサイトの掲示板に、こんな書き込みをした。

またまた自分のHPに書けないので告白に来ました。

ここ最近、ネイティヴ関西人の友人と二人で食事をしたり、お酒を飲んだりということが続いたのですが、
別れ際になると彼女たちは決まってこう言いました。

「あら、私ばっかりしゃべってごめんね。まるみちゃんの話も聞きたかったのに・・・・・・。」

私はうそつけー、と思いながらいつも苦笑いです。
彼女たちの機関銃のようなしゃべりには、到底太刀打ちできません。
いつも聞き上手と言われるけど、何か違うような・・・・・・。

私自身が彼女たちに心を開き切ってないのかもしれませんが、
どうもテンポが違うような・・・・・・。
関西人ネイティヴのみなさんよ、どうしてそんなにしゃべり続けるの?

 何故、こんな書き込みのことを思い出したかと言うと、今日、仕事帰りの電車の中で、ずっとおしゃべりを続けているおばさんに出会ったからだ。そのおばさんは、三、四人のグループの中の一人だったのだが、おしゃべりしているのはただの一人だけ。あとはみんな聞き役に徹していて、しゃべっているおばさんの声だけが、電車の中で大きく響いていた。

 先日、島根の日御崎(ひのみさき)灯台に足を運んだときも、灯台の狭くて急な階段を降りながら、ずっと一人でしゃべり続けている関西人のおばさんに出会った。そのおばさんは、もう一人のおばさんと二人連れで来ていて、私たちが灯台の階段を昇ろうとしているときに、階段を降りて来る人としてすれ違った。もう一人のおばさんが、かなりの高所恐怖症らしく、後ろ向きにそろそろと階段を注意深く下りようとしているにもかかわらず、ただの一言も励ましもせず、彼女に対して、大きな声でずっと一方的にしゃべり続けていた。高所恐怖症のおばさんは、降りることに意識を集中させていて、彼女の話を聞くどころではなかったはずだ。何しろ、高所恐怖症にとっては、急な階段を降りることは命がけなのだから。

 関西人のおしゃべりは、とにかく切れ目がない。あんなにしゃべり続けられるのだから、きっと頭の回転が速いに違いない。彼女たちはのどがカラカラに渇くまでおしゃべりを続け、
「あーら、私ばっかり話してしまってごめんなさいね。あなたの話も聞きたかったわ」
などと、心にもないことを言って再会を約束するのである。彼女たちに騙されてはいけない。

 それでも何故か、愛すべき関西人。あなたの周りにもきっといるはず。

※お知らせ
きのうもおとといもお知らせしましたが、5月25日(水)、モデム入れ替えにより、私たちの自宅サーバ(ガンまる.com)が一時的に停止します。一日中、停止するわけではありませんが、ホームページは参照できていても、掲示板などに書き込みをしてくださる場合は、送信のタイミングでサーバが停止する可能性がありますので、お手持ちのパソコンに、掲示板に書き込む内容を保存しておくなどの注意を払ってくださると助かります。特に、精神世界のはなしにアクセスしてくださっている皆さんは、十分ご注意ください。

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2005.05.23

待ってくれていた

 今日は、ガンモも私も残業だったが、帰りはほぼ同じ時間になった。ただし、ガンモのほうが先に出ていたので、勤務先の遠い私は、ガンモと同じ電車には乗れなかった。私が三ノ宮に着いてガンモに電話を掛けると、あともう少しで最寄駅だと言う。

 「じゃあ、先、帰ってて」
と言って電話を切った。私が最寄駅に着いて、駅の駐輪場に足を運ぶと、暗がりの中で、自転車の横にしゃがみ込み、PDAをいじっている男の人がいた。何この人、怪しいと思って良く見てみたら、ガンモだった。先に最寄駅に着いたガンモは、家に帰らずに、私が到着するのをそこでじっと待ってくれていたのだ。私はすっかりうれしくなった。しかし、五月の終わりといえども、夜の風は冷たかったので、ガンモは少し寒そうだった。ガンモ、ごめん。そしてありがとう。うれしかった。

 帰り道、きのうカットした髪の毛の話になった。床屋さんの私は、お客さんであるガンモにアンケートを取ってみた。
「カットの具合、いかがでしたでしょうか? もしもお気に召さないところがございましたら、対応させていただきますが」
と私が言うと、ガンモは、
「横も後ろも前も大変良く切れています。上出来です。しかしですね、頭のてっぺんあたりがちょっと涼しいんです。ひょっとして、切り過ぎてないでしょうか?」
と言った。私は笑いながら、
「それはお客様ご自身の問題です」
と答えた。

※お知らせ
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それと、今日はこんなものを作ってみました。ハイクブログ

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2005.05.22

ガンモの気ぜわしい顔

 今日は、ガンモの緊急呼び出し担当の日だった。コールセンタからの連絡もなく、何ごともなく一日が終わりかけた午後十時頃、ガンモが持ち歩いている会社の携帯電話が鳴った。その途端、ガンモは急にモードが切り替わったかのように、気ぜわしい顔つきになった。

 「ねえ、これからどこかに行くことになるの?」
と私が訪ねると、ガンモは余裕のない様子でパシャパシャとパソコンのキーボードを叩き、会社のオンラインシステムに接続しようとしていた。
「ごめん。ちょっと黙ってて。これから出掛けて、三、四時間はかかる仕事かもしれないんだよ」
と厳しい口調でガンモに言われ、私はシュンとしてしまった。

 ガンモは、仕事となると、急に顔つきが険しくなる。これから車で出掛けて、夜中まで作業し、それから再び自分の車で帰宅しなければならない可能性があるからだ。コールセンタから電話が入ったときは、いつもその瀬戸際に立たされることになる。

 私は、このとき初めて、コンピュータ業界なんて因果な商売だと思った。そして、いっそのこと、二人でこの業界からきれいさっぱり足を洗ったらどうなるだろうなどと考えてみた。しかし、私たちが辞めたところで、私たちの仕事を他の誰かが代わりに請け負うだけだと思い、そんな状況を想像しただけで耐えられなくなってしまった。私たちがイヤだと思っている仕事を他の誰かに押し付けるわけにはいかない。今、目の前にある課題は、常に私たちの課題だ。そう思ったのだ。

 ガンモは、会社のオンラインシステムで、明日休みを取っている人を探していたらしい。ガンモは明日、朝から仕事が入っていたため、夜中の作業ともなると、体力的に厳しいからだ。ガンモの職場は、持ちつ持たれつの関係が出来上がっていて、お互いのスケジュールをカバーし合うような調整が取れている。だから、夜に呼び出しが掛かったときは、次の日に休みを取っている人に作業をお願いすることもあるのだ。

 しかし、休みの人がいなかったので、ガンモは自分が出掛けて行こうと覚悟を決めたようだった。

 私は、これからガンモが出掛けなくても済みますようにと祈った。夜、こんな気持ちのまま出掛けて、睡眠不足のまま車を運転する危険を考えると、どうしても祈らずにはいられない。しかし、あまりにも自分本位な祈りである場合、この祈りは通用しない場合もある。しかし、今回は通じたのか、電話対応しているガンモの様子が次第に落ち着いて来るのがわかった。ガンモは電話でいろいろな人とやりとりをしていたが、ついには出掛けなくて良くなったらしい。私の想いが通じたのだ。

 出掛けなくても良くなったガンモは、私に黙ってているように制したことをちょっぴり後悔しているような素振りを見せた。そして、すっかり普段の様子に戻り、
「髪を切ってくれ」
と私にせがんで来た。そろそろ髪が伸びて来て、邪魔になっていたのだ。だから私は、お風呂に入るときに、再びサービス満点の床屋さんに変身したのだった。

※お知らせ
5月25日(水)、モデム入れ替えにより、私たちの自宅サーバ(ガンまる.com)が一時的に停止します。一日中、停止するわけではありませんが、ホームページは参照できていても、掲示板などに書き込みをしてくださる場合は、送信のタイミングでサーバが停止する可能性がありますので、お手持ちのパソコンに、掲示板に書き込む内容を保存しておくなどの注意を払ってくださると助かります。特に、精神世界のはなしにアクセスしてくださっている皆さんは、十分ご注意ください。

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2005.05.21

骨董市日和

 ガンモは朝早くから起きて、自転車のタイヤとチューブの交換を始めた。私はその間に歯医者に行き、虫歯を治療してもらった。歯医者から帰ると、ガンモは自転車の修理をすっかり終えて私を待っていた。これで、気持ち良く出掛けることができる。おまけに外は、半袖でも一日過ごせそうなほどの素晴らしいお天気である。

 毎月二十一日は、弘法大師の命日にちなんで、大阪の四天王寺と京都の東寺にたくさんの参拝客が集まる。その参拝客向けに始まったのか、その日に合わせて、大規模な骨董市が開催されているのだ。四天王寺の境内には、骨董品を扱うお店、古着を扱うお店、新品の衣類を格安で扱うお店、リサイクル品を扱うお店など、およそ三百から四百もの露店がずらりと並ぶ。それらのお店を一つ一つ見て回るのだ。

 とても良い天気に恵まれ、とにかく絶好の骨董市日和だった。ガンモは小銭入れを、私は靴下と帽子を買った。

 家に帰ってから、デジカメの画像を整理していると、ガンモを写した写真があり、それを見ているとあたたかい気持ちが込み上げて来た。その写真には、ガンモがニコニコしながら、古い小銭入れから今日買ったばかりの新しい小銭入れに中身を移し変えている姿が映し出されていた。私は、ガンモの取るほんの些細な行動や仕草の中にも、私の感じられる愛が存在しているのだと思った。その愛に気づかずに過ごしてしまうことは、何と愚かなことなのだろう。もっと心の目を開いて生きて行けば、多くのことを見逃さずに済むのではないかと思った。

 これに関連して、最近、うれしいと感じたことがいくつかある。それは、先日ここに書いた友人が、私のホームページで公開しているガンまるのメールのやりとりを見て泣けたと言ってくれたことである。また、掲示板に、いつも泣きながら読んでいますと書いてくださった方や、過去の掲示板でのやりとりの熱さを感じ取ったと書いてくださった方がいる。

 私は、彼女たちが、愛に関して開かれた状態にあることがとてもうれしい。愛に関して開かれていなければ、それらの出来事を前に、きっと素通りしてしまうに違いない。そして、愛について開かれている状態にある彼女たちの言葉もまた、私を大きな感動の波で震わせてくれる。そうした喜びがあるから、掲示板のコメントは、決して素通りすることなく、時間をかけてゆっくりと丁寧に書かせてもらいたいと思ってしまう。そうした開かれた人たちとの交流が、いつも私を元気にさせてくれていることは間違いない。皆さん、本当にどうもありがとう。

今日撮影した写真:四天王寺大師会(だいしえ)

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2005.05.20

喧嘩にはならなかった

 金曜日くらい早く上がってもいいだろうと自分に言い聞かせ、私はコソコソと会社をあとにした。ガンモの待つ我が家へ帰る途中、ガンモに電話を掛けた。ゆうべ夜勤だったガンモは、午前十時頃に帰宅し、お昼くらいから睡眠を取っていたと言う。睡眠時間がしっかり確保できていないらしく、ガンモはまだ眠そうだった。

 明日はガンモも休みなので、午前中から二人で一緒に出掛けることになっている。しかし、先日パンクしたガンモの自転車は、パンク修理は終えたものの、空気を入れてしばらくすると、空気が抜けてぷよぷよになってしまった。どうやら、チューブごと取り替えなければならないほど、タイヤの損傷が激しいようだ。

 実は、我が家には、自転車のメンテナンスができるようにと、タイヤやチューブの買い置きもいくつかある。しかし、
「チューブを取り替えるのは面倒臭い」
とガンモは渋り始めた。私は、ガンモがただ単にダラダラしたいだけなのだと思い、ちょっと腹が立って来た。何故なら、もともと明日は鍼灸治療の予約を入れていたのに、午前中から出掛けることにしたため、わざわざ予約を変更してもらったからだ。チューブを取り替えなければ気持ち良く出掛けられないことはわかっているはずなのに、一度宣言したことを撤回しようとするガンモに、だんだん腹が立って来たのだ。

 一時間半後に私が帰宅したとき、私はすぐにはガンモのいる寝室には行かず、しばらくトイレにこもり、これからの作戦を練っていた。さて、この腹の虫をどのように退治しようかと思いながら。私がなかなか寝室に寄り付かないでいれば、やがてガンモのほうから私を探しに来てくれるのではないかと期待していたが、待てど暮らせど一向にそんな気配はなかった。

 私はとうとうしびれを切らして、寝室に乗り込んだ。しかし、寝室のドアを開けた途端、寝室の電気が消えていることに気がついた。つまり、ガンモはまだベッドで眠っていたのだ。

 私は、そのときになって初めて、ガンモの疲れが相当ひどいことを悟った。私がガンモの眠っているベッドに歩み寄ると、ガンモは目を覚まして私の名前を呼びながら、大きく両手を広げた。そんなガンモの姿を見た私の腹の虫は、瞬く間に治まってしまい、私はガンモの広げた手の中になだれ込んだ。

 ガンモは本当に疲れていた。だんだん年齢を重ねて来て、昼と夜が逆転した勤務に、体力が追いつかなくなってしまっているのだ。
「疲れた、疲れた」
とガンモは言う。再会を果たした私たちは、しばらくの間、ベッドの中で固く固く抱き合っていた。

 一日半ぶりに会って、いきなり喧嘩が始まってしまうのかと覚悟していたが、喧嘩にはならなかった。喧嘩は、相手の立場を理解しないために起こることなのだと、改めて気づかされた。

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2005.05.19

鉄分の補給と旧友

 どうやら、ここ最近の私のパワー不足は、鉄分不足に原因があるということがわかって来た。鉄分(赤血球を形成するヘモグロビン)が不足すると、細胞が酸欠状態になり、疲れやすくなったり、集中力がなくなったりするのだそうだ。

 ガンモに、
「やっぱり貧血気味なのか、鉄分が不足してるみたいなんだよね」
と言うと、ガンモは目を輝かせながら、
「大丈夫。鉄分をしっかり補給できるようにするから」
などと言う。いや、ガンモの言う鉄分とは、まぎれもなく、鉄道のことなのだが・・・・・・。

 さて、そんなガンモは、イベント続きで今日も夜勤である。私が帰宅したときには既に出掛けていたので、今日はガンモの寝顔しか見られなかった。今日は昼過ぎから出掛けたらしく、電話で眠い、眠いと言っていた。明日もきっと、私が出掛けるまでには帰宅できないだろう。そして、明日は私も残業で遅い帰宅。久しぶりに会うのは恥かしいかもしれない。

 ところで、久しぶりに友人がメールをくれた。彼女は、ガンモと私が付き合う以前から見守ってくれていた友人である。初めて会ったその日に、同じホテルの同室に泊まるという運命的な出会いを果たしたあと、関西に住んでいた彼女は東京の専門学校に通うために上京し、その後、東京で働き始めた。

 私たちは都合を合わせてはしょっちゅう会い、音楽や精神世界など、いろいろな話をしていた。思えば、喧嘩も良くした。その後、彼女は関西に戻り、ガンモと付き合うきっかけとなった、あの感動的な神戸オフ(神戸で行われたクラシックカメラのオフ会)に一緒に参加してくれた。そして、東京からやって来た私を泊めてくれたのだった。彼女は久しぶりに、私のホームページや「ガンまる日記」を読んでくれたらしい。

 私は、神戸オフのとき、私はガンモとくっついてばかりいて、彼女をほったらかしにしていたことを思い出した。あのときは、本当にごめんね。でも、今こうして思えば、今の私たちは、あの頃の友人たちに支えられていたのだ。そのことを改めて実感して、ついつい目頭が熱くなった私である。本当に、どうもありがとう。これからもどうぞよろしく。

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2005.05.18

言葉に対する信頼

 ツインソウルと出会った人たちは、相手から見て、自分が相対的に陰であるのか陽であるのかを知ることになる。陰のグループに属している人たちの多くは、基本的に、言葉というものを信頼してはいない。何故かと言うと、いつも本心を言わないことで人間関係を成り立たせているために、相手もまた、本心を明かしてくれるとは思っていないからだ。

 すなわち、陰の人たちは、自らの感情と、表に出す言葉が必ずしもイコールになっていないことが多い。更に、言葉に対する信頼がないために、言葉に依存しない芸術などの間接的な表現方法を好む。陰の人たちは、陽の人たちと違って、普段から感情を小出しにしていないために、自分の中に感情をどんどん溜め込み、それらの感情を、芸術などを通して間接的に表現することを得意としているのである。一方、普段から感情を小出しにしている陽は、溜め込むものがないために、芸術による間接的な表現方法よりも、ストレートな表現方法を好む。陽は、言葉を信頼しているので、自らの感情と、表に出す言葉のギャップが少ないのだ。

 言葉に対する信頼がない陰は、沈黙を守り続けることも厭わない。しかし、心の中では、自分の感情とイコールの表現がなかなか見つからないことを嘆いている。的確に表現できないくらいなら、黙るほうがマシだと思っている。一方、言葉を信頼し、言葉で思考する陽は、沈黙が大の苦手である。「先にしゃべったほうが負け」というゲームをしたならば、陽が負けるのは間違いないだろう。陽は、言葉を信頼しているからこそ、感情を言葉に変えることができるのだ。そして、その感情は、いつだって熱い。

 私は、もっと多くの人が、言葉を信頼するようになれば、コミュニケーションがもっと円滑に進むのではないかと思うことがある。陰の人たちは、自分の感情を押し殺しながら、わざわざ感情をストレートに表現しない方法を選択している。その中には、表現したほうがいいことも含まれている。しかし、彼らに言わせれば、そうした方法で、世界平和を守っているらしい。

 彼らから沈黙を取り上げたなら、彼らの言葉に対する信頼も戻って来るのだろうか。しかし、同時に、世界平和と芸術が消えてなくなってしまうかもしれない。

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2005.05.17

パン食ってっから

 朝、私が出勤する時間になっても、ガンモはまだ帰宅しなかった。結局ガンモは、午前十時くらいに帰宅したらしい。夜勤、お疲れ様。

 ガンモの自転車がパンクしてしまったので、私はゆうべ、ガンモに自分の自転車を貸したのだ。だから私は、バスで出掛けた。仕事から帰って来たガンモは、一眠りしたあと、自転車のパンク修理を始めたようだ。機械いじりの好きなガンモは、自転車のパンク修理などのメンテナンスを、いつも自分で行っている。私が仕事を終えて電話を掛けると、ガンモは、
「パン食ってっから」
と言う。「パン食ってっから」というのは、もともと、「パンを食べているから」という意味なのだが、実は、またまたガンまる用語では、「パンク修理してるから」という別の意味を持っている。それは、ある聞き間違いから端を発している。

 ガンモはときどき仕事で淡路島に出掛けることがある。淡路島までは、明石海峡大橋を渡れば、我が家から一時間半程度で着く。ガンモは淡路島に行くとき、朝食のためのパンを持って、早朝に出掛けて行くのだが、途中で休憩しているときに私に電話を掛けて来る。私が、
「今、何してるの?」
と訪ねると、
「パン食ってっから」
と言う。私はその言葉が、
「パンクしてっから」
と聞こえてしまい、
「え? パンクしてるの?」
と心配して聞き返してしまった。ガンモは、
「違う違う。パンを食ってるの」
と私の聞き間違いを訂正した。

 それ以来、パンを食べているときには、
「パンクしてっから」
と言い、パンク修理しているときには、
「パン食ってっから」
と言うようになったわけである。

※7万ヒット、ありがとうございました。m(__)m それから、「精神世界のはなし」も、いつの間にか10万ヒットを達成してました。こちらも、ありがとうございました。m(__)m

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2005.05.16

ガンモの夜勤

 今日は、通院のため、仕事を休んだ。先月受けた検査の結果を聞きに行くだけだったためか、いつもよりも長く待つことなく順番が回って来た。検査とは、いわゆるガン検診で、悪性の細胞は認められなかったと医師から報告を受けた。決してそれらしい兆候があったわけではなく、おそらく、ここ数ヶ月に渡って診断を受けた区切りとして受診を勧められたのだと思う。私は、手術はしませんと、その場できっぱりと言った。そして、次回の検診は半年後となった。しかし、何かあったら来てくださいと言われた。

 このことについて、しばらく書いていなかったのは、私の中で、既に病気という感覚が薄れてしまっていたからだ。私の場合、数は多いものの、多くの人が同じ症状を抱えているということもわかった。しかし、貧血さえ起こっていなければ、手術はしなくてもいいと、素人ながらに思う。症状としては、歩くときに、内蔵に突き刺さるような感覚がある場合もあるが、患部にお灸をするとそれが和らいで来る。だから、旅行中も、お灸を持参することは欠かさない。更に、血液の流れを良くするための漢方薬を食前に服用しており、これでかなり改善されている。おそらく、この先も、私は手術をしないだろう。ただ、気になっているのは、他の臓器に癒着してしまうことだ。これについては、中を開けてみないとわからないと医師には言われた。

 さて、今日はガンモが夜勤の日だったので、私が病院に行っている間、ガンモは夜に備えて家で睡眠を取っていた。私は、ガンモを起こさないように静かに帰宅したのだが、私が午後三時頃に帰宅すると、ガンモはもう起きていた。

 ここのところ、イベントが入っているため、ガンモは夜勤が多い。客先の生産システムが停止している間に作業を行うからだ。昼と夜を逆転させるのは、肉体的にかなり厳しいだろう。みんなが寝ている時間に働き、みんなが起きている時間に眠るのだから。しかも、昼間は自分以外の世界が活動的であるため、きっと熟睡できない。

 夜になって、ガンモが出掛けなければならない時間がやって来たとき、私たちはまた、離れ離れにならなければならない寂しさを味わった。五月とは言え、夜の外は寒い。そんな肌寒い夜空の中を、自転車で出掛けて行くガンモ。送り出すとき、ガンモの行きたくない気持ちが伝わって来て、胸が痛かった。仕事とは、こんなにも非情なものなのだろうか。そして、明朝、私の出勤とすれ違ってしまえば、私たちが会えるのはいつのことになるのだろう。

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2005.05.15

脱線事故の現場へ

 脱線事故のあった現場には、事故で亡くなられた方たちのために献花台が設置されているという。私は、そこに足を運び、亡くなられた方たちのために祈りを捧げ、彼らの魂を感じたいとずっと思っていた。しかし、肉体的にとても疲れていたり、また、ガンモともなかなか休みが合わなかったりと、それが叶わないまま時が過ぎてしまった。

 ガンモは今日も仕事だったが、夕方には仕事を終えたので、最寄駅で待ち合わせ、二人で尼崎へと向かった。電車に乗っている間、私は厳粛な気持ちでいっぱいになっていた。心臓もドキドキしていた。まるで、事故現場に向かうにふさわしいかどうかを、試されているかのようだった。私たちは尼崎で降りると、JR宝塚線の線路を目指しててくてく歩いた。

 二〇分ほど歩くと、JR宝塚線の高架が見えて来た。そこには、事故車両ではないと思うが、JR宝塚線の電車が止まっていた。更に、線路沿いに歩いて行くと、白いテントが張られ、人だかりのできている場所が見えて来た。その後ろには、インターネットのニュースで何度も目にしたマンションがあった。

 私たちは無言のまま、その場所の前に立った。私は手を合わせ、祈りを捧げた。しかし、亡くなられた方たちの魂を感じ取ることはできなかった。献花台は大きな台と中くらいの台が二つ設置され、中くらいの献花台の両側にはJRの職員が立ち、花を添えるために訪れた人たちに対し、うやうやしく礼をしていた。大きな献花台の上には、たくさんの花がお供えされていた。

 マンションの一階部分には、電車がぶつかったときにつけた、大きな傷跡が残っていた。マンション付近のフェンスもぐちゃぐちゃに壊れ、また、マンションの前に敷かれているはずのレールは切断され、既に取り外されていた。そして、しばらく電車が走っていないせいだろう。JR宝塚線のレールは赤く錆びていた。

 報道関係の人たちが十数人いて、何かを待っているようだった。彼らは取材のための機材を持ち歩きながら、感情の入り込まない表情で仕事をしていた。私は、いつもの習性でカメラを持ってはいたが、そこで写真を撮る気には、とてもなれなかった。報道関係の人たちの他にも、何人もの警備員の人たちが事故現場を守っていた。私はそこで、様々な立場の違いと温度差を感じずにはいられなかった。仕事でその場所にいる人、祈りを捧げるためにここを訪れた人、実際に身近な人を亡くしてしまった人。温度差のあるそれぞれの立場の人たちの気持ちが一つになることは、とても難しいことだと感じた。

 亡くなられた方たちの魂を感じることができなかったのは、私自身の想いが不十分だったからではないかと反省している。わざわざ事故現場まで足を運ばなくても、祈りはどこからでも捧げられる。しかし、訪れた時間帯も、時期も、私にとってはもっとも適切だったと実感している。私は事故現場の光景を、しっかりと自分の目に焼き付けた。

 実際に事故現場を訪れた私は、インターネットのニュースで見ていた映像が、ほんの一部の事実がクローズアップされたに過ぎなかったと感じた。ニュースはただ、事実を伝えるだけの役割を持っている。そして、それらのニュースは、今回、感情の入り込まない仕事をしていると感じた、報道関係の人たちの手により、発信されたものだ。

 私たちはこれから少しずつ、この事件のことを忘れて行くことだろう。遺族の方たちにも、笑顔が戻るときがやって来るかもしれない。いや、是非ともそうであって欲しい。きのう、掲示板の過去ログを読み返しながら思ったことは、私たちは、一日たりとも立ち止まることなく、前進し続けているということだった。その前進は、すべての人に当てはまっていると思う。

 私にも、ガンモと出会う前、今が人生の一番辛いときだと感じた時期があった。当時は、自分がいつか、その苦しみから抜け出せるなんて、考えもしなかった。でも今は、まるでバラ色のような人生を送っている。そこから私を引き上げてくれたのは、ガンモを含めたソウルメイトたちだった。彼らには、いくら感謝しても感謝し足りないくらいだ。人と人は支え合って生きている。人生は、決して悲しみばかりではなく、そこから這い上がって来た人たちもたくさんいるのだ。だから、遺族の方たちにも、これから自分の中に起こって行く変化を楽しみに生きて欲しいと思う。

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2005.05.14

表裏一体

 今日は、しばらく非公開にしていた、かつての公開掲示板の過去ログを思い切って整理して公開した。掲示板の過去ログを読み返しながら、私は感動のあまりむせび泣いていた。その掲示板は、男女の愛という共通のテーマを持った人たちが集う、とてもエネルギー値の高い掲示板だった。しかし、私がホームページを通して伝えて行きたい内容とは著しく異なる主張を書き込まれる方がいて、大きなストレスを感じてしまい、とうとう閉鎖してしまったのだ。それ以外にも、掲示板の流れがどんどん速くなり、週末ごとに二〇件ほどの返信を書き続けて行くことにも限界を感じていた。

 その頃の掲示板の過去ログを読み返しながら、私は気づいてしまった。私たちが高いバイブレーションを感じれば感じるほど、同時に深い影を落としてもいることを。私たちは、決して光の部分だけを選択することはできないのだ。光と影は表裏一体で、いつも同時に存在しているのだった。

 だから、心地良く流れていると思われる掲示板にも、必ず大きな嵐をもたらす人が出て来る。そして、不思議なことに、大きな嵐が起こったときにこそ、掲示板に参加している人たちが一体となり、困難を乗り越えようとするのだった。この嵐を一緒に乗り越えられない人たちとは、どんどん疎遠になってしまっていることがわかった。また、ほとんどの場合、嵐が起こるのは、感覚や経験の共有ではなく、言葉だけのやりとりに発展してしまったときだった。言葉だけで理解し合おうとすると、お互いにエネルギーを消耗し、結果がとことん裏目に出て失敗することが多いのだ。つまりそれは、感覚や経験を、言葉だけでは表現し切れないということなのだと思った。

 更に、辛い経験をして、アドバイスや答えを求める書き込みをした人に対して、感動的なコメントを返してくれている人は、単に光の経験だけでなく、闇の経験も同時に持ち合わせていることがわかった。闇の経験が、その人に愛の深みを持たせていることは明らかだった。

 しかし、実際は、多くの人たちが、光だけの立場を主張しようとしたり、もしくは、闇だけの立場を主張したがっていると感じた。男女の愛について深く語り合うことに照れがある人は、闇の経験は多いが、光の経験が極端に少ないことがわかった。光と闇の表裏一体の経験を最もバランス良く持ち合わせているのは、ツインソウルと一緒に過ごしている人たちだった。ツインソウルと一緒に過ごすことは、光と闇を同時に体験することになるからだ。

 私は、このような高いエネルギーを感じさせてくれる人たちに、心から感謝した。何て素晴らしい掲示板なのだろうと思った。掲示板は、共通のテーマを持った人が学び合う、学校のようなものだ。その中には、悪ガキもいれば優等生もいる。学校から悪ガキを追い出すのではなく、悪ガキが優等生に一歩でも近づけるような学校であれば、もっと素晴らしいのではと思った。

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2005.05.13

目の深さ

 帰りが遅くなると、電車の中は、酔っ払いが多くなる。仕事帰りに乗った電車に、仕事がらみの飲み会帰りと思われる三人組がいた。四〇代後半から五〇代の男性二人と、三〇代後半と思われる女性一人だった。男性の一人が女性の手をしっかりと握り、女性に向けて顔をすり寄せるなどして、しきりにアプローチしているのを、もう一人の男性が見守っている。女性のほうは、男性からのアプローチを、それほど好ましく思ってはいない様子だったが、たいして逆らいもせず、受身の姿勢を取っていた。まったく面識のない私から見ても、彼らが恋人同士でも夫婦でもないことは、すぐにわかった。私は、見ていてとてもいやあな気分になってしまった。

 もしも彼らの間に愛があれば、もっと優しい目でお互い見つめ合うことだろう。更に、決して強引なアプローチではなく、相手の自由意思を尊重した接し方になるはずだ。しかし、男性の態度はとにかく強引で、女性を、自分の身体にぴったりくっつけるように引き寄せたりしていた。こうした態度からも、二人が本当に愛し合う関係でないことがわかる。愛し合う関係ならば、二人がともに歩み寄るものである。自分のいる場所を一歩も動かず、相手を自分のところに力づくで引き寄せようとするのは、自分は決して変わらず、相手にだけ変われと言っているようなものだ。

 私は、女性の態度にも問題があると思った。男性からの強引なアプローチをあからさまに拒絶しない彼女は、私から見ると、あたかも男性からのアプローチを受け入れているかのように見えた。もしかすると男性は、会社のお偉いさんだったのかもしれない。いや、例えそうだとしても、私なら、愛を汚さないように守るため、正々堂々と立ち向かうことだろう。愛を曇らせるような行為に関してはビシっと言うし、その前に、男性にそんな態度を取らせるような隙を作らない。少なくとも、その女性の取っている態度は、「いやよいやよもいいのうち」の部類に入っていたのではないかと思う。

 私のほうが先に電車を降りたので、彼らの行く末は知らない。しかし、あの男性は、何食わぬ顔で自宅に帰って行くのだろうか。酔いが覚めたとき、彼らの間に芽生えるものは何なのだろうか。

 私は、大切なのは目の深さだと思った。目を見れば、その人がこれまでどんな生き方をし、何を考えているのかがだいたいわかる。目は特に、愛の深さを映し出す。いくら歳を重ねていたとしても、目が浅い人には魅力を感じない。

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2005.05.12

出雲大社のご利益

 今日は久しぶりに残業をした。社員食堂で夕ご飯を食べて残業するからとガンモに電話を掛けた。いつもは、三ノ宮あたりでガンモと待ち合わせて一緒に帰るのだが、今日は別々に帰ることになるだろうと思っていた。ところが、私が残業を終えて再び電話を掛けたとき、ガンモはまだ仕事をしていたのだった。そして、
「ボチボチ帰る」
と私に言った。

 私の職場から三ノ宮までは、およそ一時間かかる。だから、ガンモのほうが絶対に先に帰宅するだろうと思っていた。しかし、三ノ宮に着いて、もう一度ガンモに電話を掛けてみると、
「今、神戸。新快速の中」
と言うではないか。ガンモは今日、三ノ宮のずっと先の加古川で仕事をしていたのだった。神戸と三ノ宮間の新快速の所要時間は、ほんのわずかだが、私が地下鉄の改札を出て、JRのホームに辿り着くまでには、ちょうどいい時間だった。次にやって来る新快速電車に、ガンモが乗っているのだ。

 私は、ホームに入って来た新快速電車に乗り込んだ。しかし、ガンモは一体どこにいるのだろう? そう思って、またしてもガンモに電話を掛けてみると、あいにく、ガンモは前のほうの車両に乗っているという。というわけで、乗換駅で再会を果たした私たちであった。

 特に待ち合わせたわけでもないのに、別々の場所から、ぴったんこの時間に同じ電車に乗ることができたのも、出雲大社のご利益なのかもしれない。出雲大社パワーは、とにかく凄い。ありがとう、本当にありがとう。

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2005.05.11

前シッポの神様

 以前、飲み会の席で、プロジェクトメンバーの奥さんのお腹に、男の子の生命が宿っているか、女の子の生命が宿っているかの賭をしてしまった話を書いたと思う。私は男の子だと言い張り、部長は女の子だと主張したのだが、先日の検診で、男の子であることが判明したと言う。私が賭に勝ったら部長席に座れることになっていたのだが、それはまだ実現されていない。ただ、この賭はちょっと不謹慎だったかもしれないと、今となっては少し反省している。

 実は、同じプロジェクトメンバー同士で、昨年十月に結婚した女性もこのほど妊娠し、今月いっぱいで仕事を辞めることになっている。仕事の帰りに彼女と一緒になり、お腹の赤ちゃんの話になった。私は日頃、彼女と接しながら、彼女のお腹の中の赤ちゃんは、間違いなく男の子だと確信していた。しかし、そのことを彼女に言っていいものかどうか迷っていたのだが、彼女と二人だけだったので、思い切って口に出してみた。
「こんなこと言っていいものかどうかわからないけど、男の子だよね」
彼女は、私が確信した口調で言うので驚いていた。そして、
「実は、○○さん(彼女の夫の名前)と妹にしか話してないんですけど、お医者さんには、男の子だって言われたんですよ」
と言った。彼女に、
「どうしてわかるんですか?」
と尋ねられたのだが、
「一緒に仕事をしていればわかるよ。ああ、男の子なんだなって」
と答えておいた。

 お医者さんは、胎児におチンチンがあるかどうかで男の子か女の子かを判断すると聞いたことがある。確かに私も、男の子だとわかりやすい。以前、やはり同じ職場で女の子を出産された方がいたのだが、彼女の妊娠中、私は彼女のお腹の中にいる赤ちゃんの性別がわからなかった。性別がわからないときは、どこかはっきりしない、どんよりとした気持ちになってしまう。

 ガンまる用語でおチンチンのことを、「前シッポ」という。お医者さんは、前シッポがあるかどうかで男女を判別するが、私の場合、前シッポの神様と交信しているのかもしれない。だから、前シッポがある男の子しかわからないのだ。

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2005.05.10

心はでっかいどう

 G.W.が終わったかと思えば、私たちの目標は、早くも夏休みにある。ガンモと夏のガタンゴトンツアーを始めてから、北陸、中部、甲信越、東北、九州と回って来た。となると、今年はやはり、北海道! 数年前にライブ目的で出掛けたときは、パソコンショップ巡りやカメラ屋巡りなど、ほとんど観光らしい観光をしなかったので、あとになってから、かなり後悔したものだ。しかし、こうしてようやく、後悔をクリアするチャンスがやって来たのだ。

 ホテルは三カ月前からインターネットで予約ができるので、ガンモはせっせせっせと予約を始めている。松○千○ファンのガンモは、足寄にも行きたいと言っている。北海道はでっかいどうなので、青春18きっぷではちまちま回っていると、すぐに日が暮れてしまうらしい。そのため、青春18きっぷは使わず、特急列車の自由席を乗り放題できる切符を使うことになりそうだ。

 更に、行きは寝台特急日本海に乗り、いったん青森まで出て、そこから函館入りするらしい。そして、帰りは豪華寝台特急トワイライトエクスプレスを利用する。トワイライトエクスプレスは、非常に人気の高い列車なので、座席を確保できるかどうか、少し心配ではある。

 二年前に出掛けた東北は、風邪を引きそうなほど寒かった。北海道の夏は、もっともっと寒いのだろうか。でも、この北海道、本当に行けるのかどうか、まだ実感が湧いて来ない。

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2005.05.09

厄年のお祓い

 十連休明けの今日は、お弁当を作ることも忘れなかったし、作ったお弁当を持って行くことも忘れなかった。更に、お弁当を持って来ていることも忘れなかった。今週いっぱいは、三ヶ月ごとの納品の時期にさしかかっていたため、またとてつもなく忙しくなるかもしれない状況だったのだが、それも何とか免れた。何もかもが順調な滑り出しだった。

 夜、ガンモと待ち合わせをして、一緒に帰宅した。ガンモと仲の良い同僚の奥さんが、手術のため入院することになり、この週末、入院前の家族旅行で城崎温泉に行くと言う。かなり深刻な状況にあるらしく、手術をするに当たって、地元の大病院から、医大病院へと転院しそうだ。
「何だかなあ」
とガンモは溜息をついた。数週間前、初めてこの話を私に聞かせてくれたとき、ガンモはとても落ち込んでいた。そして、私も一緒に落ち込んだ。誰かがとても厳しい状況にあるとき、自分にも同等の苦しさの経験がなければ、言葉だけの慰めになってしまう。苦しみや悲しみは、他の人の苦しみや悲しみを理解するために存在しているのかもしれない。

 ガンモの同僚は、自分はお金を払って前厄のお祓いをしているのに、本厄のお祓いもしていないガンモには何もないと、半分冗談みたいな口調で言ったそうだ。確かに、今年運気が悪いはずの私たちには、これまでのところ、これと言って大きな出来事は起こっていない。ガンモは本厄、私は大殺界の停止。私はエネルギーが低迷気味で、メールや掲示板の返信がかなり滞っているくらいのものだ。ガンモの厄年のお祓いは、お金こそ払ってはいないが、ゑびすさんのお参りに出掛けたときに、私が施した。もしかすると、それが一番効力があったのだろうか。

 とにかく、奥さんの手術が無事に成功し、あとは順調に快復されることを祈るばかりだ。手術の日には、奥さんに向かって、光を送ることを忘れないでいたい。

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2005.05.08

後悔の最終日

 泣いても笑っても、春季休暇十日目の最終日。

 ガンモは早朝から仕事に出掛けた。私自身、旅の疲れがまだ取れず、かなりの肉体的疲労感を感じていたので、早朝から仕事に出掛けたガンモは、もっと辛かっただろうと思う。

 旅に出掛けるといつも、宿題が山積みになってしまう。メールや掲示板の返信もさることながら、デジカメで撮影した写真を整理しながらサイトにアップすることも、私の宿題の一つである。しかし、今回は特に、肉体的疲労感が激しくて、なかなか作業がはかどらなかった。

 そんな中にあっても、尼崎の脱線事故現場に足を運んで、黙祷を捧げたいという気持ちもあった。我が家から事故現場までは、電車でおよそ十数分のところにある。この連休の間にそこに行かなければ、私の連休は終わらないような気がしていたのだが、肉体的疲労感が先立って、これも実現できなかった。実は、休暇が始まった頃に宣言していた創作活動というのは、脱線事故で亡くなられた方々への鎮魂歌を作ろうと思っていたのだ。しかし、連休の前半は、集中力が欠乏していたため、それも実現できなかった。

 これもやりたい、あれもやりたいと、頭の中でやりたいことがあれこれ渦巻いているのに、なかなか消化できなくてもどかしい。

 ところで、今日は母の日。母と義母へは毎年同じものを贈っている。今年は、「ふくろう」というインスピレーションが来たので、ふくろうのステンドランプにした。ネットで注文したのだが、選んでいてとても楽しかった。ただし、注文するのが遅かったので、まだどちらの実家にも届いていない。

 ああ、本当に、十日間の休暇は、あっけなく終わってしまった。楽しかった旅の思い出と、実現できなかったことへの後悔の気持ちを残して。こんなにも後悔が残ってしまっているのは、私が十日間もの休暇を、精一杯過ごせなかったことの証なのだろう。

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2005.05.07

鳥取砂丘と城崎温泉

 春季休暇九日目。私の十連休も、残すところあと一日である。ゆうべは金縛りに遭うこともなく、ぐっすり眠れた。天気予報によると、今日の気温はきのうとの温度差がマイナス五度もあるとか。長袖のジャケットを持っていったほうがいいという私の忠告を無視して軽装で旅行に出て来たガンモは、この寒い日に半袖のまま歩き回ることになってしまった。

 きのうまでは、何とか半袖でも過ごせたのだ。しかし、もっとも肌寒くなってしまった今日、訪れる場所はどこも観光地で、長袖のジャケットを売っているようなお店もなく、しかも列車の時間の都合もあり、ガンモが風邪を引かないことを祈るばかりだった。かろうじて、半袖のシャツをもう一枚持っていたのでそれを着込み、カイロを持っていたのでおなかに貼り付け、なるべく首を冷やさないようにするために、バンダナを首に巻きつけて、何とか寒さをしのいだ。

 松江のホテルをチェックアウトした私たちは、特急スーパーまつかぜに乗って鳥取へと向かった。生まれて初めて鳥取砂丘に行くのだ。鳥取駅からバスで十数分のところにある鳥取砂丘は、私たちが想像していたものとはまったく異なっていた。砂丘というと、暑い暑い砂漠を想像してしまうのだが、鳥取砂丘は、海辺にある砂浜が拡大したような感じの砂丘だった。そこには、じりじりと照りつける太陽もなく、私たちは、寒さに震えながら砂丘を少しだけ歩いた。

 砂丘にはラクダがいると聞いていたのだが、その姿は見えなかった。ただ、彼らの仕事である記念撮影のための看板だけが目に入った。私はラクダの音楽が好きなので(プログレッシヴロックのCAMELのこと)、お土産売り場で、ガンモとお揃いのラクダのマスコットを買った。

 お昼ご飯を砂丘の上にある砂丘センターで食べたあと、再びバスに乗り込み、鳥取駅まで折り返そうとしたとき、人間に引かれながら、ラクダが坂を昇って来るのが見えた。あまりにも突然のことで、シャッターチャンスを逃してしまったのだが、すれ違い様に見た彼らの平和そうな顔に、私たちはとことん癒された。でも、もしも仕事中の彼らを見てしまったら、私は悲しくなっていたかもしれない。何故なら彼らは、本来の自分たちの生き方を選択できず、人間の娯楽のためだけに利用されているからだ。それなのに彼らは、そんなことを知ったこっちゃないといったような、とても平和な顔をしていたのだ。

 更に私たちは、鳥取駅から普通列車に乗り、浜坂(はまさか)まで出た。浜坂からは、臨時快速あまるべロマンに乗り、城崎温泉で降りた。七つの外湯がある城崎温泉へは、今回で三度目の訪問になる。前回訪れたのは、今年の二月下旬頃だったろうか。今回は、たった一時間半の滞在ということで、一の湯という洞窟のある外湯にゆっくりと入ったあと、特急はまかぜに乗り、帰宅した。帰宅して家の中に入った途端、
「家の中は暖かい!」
とガンモが言った。何はともあれ、風邪を引かなくて良かった。

 さてさて、出雲大社でのご利益なのだが、やはり、あると思う。ガンモも私も、いつもよりも情熱的になっているのだ。ガンモに、
「出雲大社のご利益があったよね?」
と言うと、
「いつもと一緒」
と言う。ダジャレ好きの私は、
「いつもと一緒? 出雲といっしょ? 出雲大社?」
と言って笑った。

今日撮影した写真:
鳥取砂丘

今日、撮影した写真を記事にしたもの:
顔抜きのはなし

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2005.05.06

出雲大社と日御碕灯台

 春季休暇八日目。身体がとても疲れているのに、ゆうべはあまり良く眠れず、朝方、金縛りにあってしまった。私が一生懸命何か叫んでいたのが聞こえたのか、ガンモが私の腕を引っ張ってくれたので、助かった。ガンモは眠りながら、しばらく私の腕を手で支えてくれていて、私はうとうとしながらガンモに助けられたことに感謝していた。

 外は、朝から小雨が降ったり止んだりしていた。雨のせいでほんの少し肌寒い。私たちは、松江しんじ湖温泉駅から一畑電車に揺られ、出雲大社に向かった。一畑電車は、去年の夏に全線制覇している。今回は、去年乗り遅れて乗ることができなかった、一日一本だけ運行している急行出雲大社号に乗車した。

 出雲大社に足を踏み入れた途端、木の香りがぷうんとただよって来た。お天気が良ければ、きっと最高の景色と雰囲気を感じさせてくれたに違いない。しかし、そんな意地悪な雨もやがて上がり、私たちは本殿を参拝したり、絵馬を見たり、おみくじをひいたりしながら楽しいひとときを過ごした。

 不思議なことに、出雲大社で出会った男女は、みんなとても仲が良かった。身体をぴったりくっつけて歩いていたり、楽しそうにおしゃべりしていたりと、すれ違うだけでも仲の良さが伝わって来る。普段、街角で見かけるような、冷め切った雰囲気の男女は、ただの一組もいなかった。

 境内につるされた絵馬の「良縁に恵まれますように」という言葉を見て、私はふと考えた。「はてさて、良縁とは一体何だろう?」と。お互いに無理をすることなく自分らしくいられ、同じ想いでずっと引き合い続ける関係のことではないだろうか。反対に、良縁でないというのは、どういう意味なのだろうか。深い愛情で結ばれていない関係のことだろうか。苦労の多い関係のことだろうか。でも、愛する人と一緒に背負う苦労ならば、それはやがて、大きな喜びに繋がって行くのではないだろうか。私は、頭の中でそんなことを考えていた。

 良縁という言葉に反応したとき、私たち夫婦はきっと良縁に違いないと確信した。そして、この良縁にありがというという気持ちでいっぱいになった。更に、その気持ちのまま本殿の前に行き、「ガンモと出会わせてくれてありがとうございます」とお礼を述べた。それは、じんと来る瞬間だった。出雲大社に来ている男女がとても仲がいいのは、自分たちが良縁であることを確信するからなのではないだろうか。

 さて、昼食を取ったあと、出雲大社近くのバスターミナルから、今度は日御碕(ひのみさき)灯台に向かうバスに乗り込んだ。日御碕灯台は、石造りの灯台としては、日本で一番高い灯台である。灯台を昇って行くとき、途中に休息できるスペースがあるのが、何よりもうれしい。以前、犬吠崎の灯台に昇ったときは、途中の休息場所がなくて、かなり厳しかったのだ。灯台の中は通路が狭く、昇る人と降りる人が階段を譲り合うことになる。休息場所があると、どちらかが退避できるのでスムーズに流れるのだ。

 高所恐怖症の私も、一生懸命灯台の階段を昇った。高所恐怖症の人は、昇るよりも降りるときのほうが恐怖を感じる。灯台は、高所恐怖症を克服するにはもってこいの場所だと思う。ただ、灯台の一番上の階段は、はしごのように急なので、高所恐怖症の人が降りるとなると、命がけとなる。あまりも急な階段に怖気づいて、降りられなくなってしまった人はいないのだろうかなどと、余計なことを想像したくなってしまう。

 日御碕灯台をあとにした私たちは、安来で安来節の顔抜きの写真を撮り、再び松江に戻って来て夕食を取った。今夜も松江泊まりなのである。出雲大社に参拝したせいだろうか。ガンモのことが、これまでよりもかわいくて仕方がない。これはきっと、出雲大社に参拝したご利益だと思い、ガンモに、
「ねえ、私のことがこれまでよりもかわいくて仕方なくなってる?」
と尋ねてみると、
「いや、いつもと同じだよ」
という答えが返って来た。まあ、いいか。でも、心なしか、いつもよりも情熱的なガンモを感じる。

 どうか今夜は、金縛りに遭うことなくぐっすり眠れますように。

今日撮影した写真:
出雲大社
日御碕灯台

今日、撮影した写真を記事にしたもの:
顔抜きのはなし
列車のはなし

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2005.05.05

もっと神を信頼せよ

 春季休暇七日目。倉敷のホテルをチェックアウトした私たちは、普通列車と特急列車を乗り継いで、米子へと向かった。今夜も米子で行われる彼らのライブに参加するためである。私のゴールデンウィークは毎年こんな感じで、倉敷や鳥取あたりをウロウロしている。しかも、離れた土地での連チャンライブなので、肉体的にもかなり厳しいのだが、その厳しさが勲章だったりもする。いつもはこのような連チャンライブでも、いったん帰宅してから再び出掛けるのだが、今回はガンモが組んでくれたスケジュールで、ガンモと一緒に行動できることが何よりもうれしい。

 ライブは米子で行われるのだが、今夜の私たちの宿泊先は松江である。ホテルに荷物を預けたあと、私は特急列車に乗って、さきほど通過した米子へと、再び舞い戻った。ライブに参加しないガンモは、米子とは反対方向の特急列車に乗り、出雲で列車の撮影をしていたらしい。

 米子で、友人たちと落ち合ってお茶をした。彼女たちもまた、毎年鳥取近辺のライブに顔を出している常連さんたちで、二十年来の友人である。同じ熱いときを過ごして来た彼女たちとは、彼らへの想いのギャップを感じることなく話をすることができる。何故なら、同じように熱いときから変化し、今ではすっかり落ち着いて来ているからだ。つまり、彼女たちとは温度差のない関係と言える。私たちは、開演少し前までお茶をしたあと、会場で、来年の再会を約束して別れた。

 ライブは、きのうとほとんど同じメニューだったのだが、彼らの卓越したMCには、まるで喜劇でも見ているかのような新鮮さを覚える。彼らはまだ売れない頃、よしだたくろうさんに言われたらしい。
「お前ら、絶対売れるから。音楽以外で」

 彼らのライブはみっちり三時間続き、その中で、通常、二回のアンコールに応えてくれる。私は、ガンモから「二十一時二十四分の特急列車に乗らないと、帰りが遅くなるよ」とメールをもらっていたので、意を決して、一回目のアンコールが終わったあとに会場を出た。会場は、駅から近かったので、ギリギリまで観ていても良かったのだが、二回目のアンコールの途中で抜けることになると、彼らをがっかりさせてしまうのではないかと思ったからだ。

 会場を出て、ガンモに電話を掛けると、私を迎えるために米子駅に来ていると言う。その優しさに、うれし涙が出て来た。私は小躍りしながら米子駅まで歩き、ガンモとの再会を喜んだ。

 乗ろうと思っていた特急列車は、およそ八分遅れて米子駅に到着した。ということは、終演時間までライブを見ていたとしても、十分間に合ったかもしれない。ライブを最後まで観ずに、慌てて出て来てしまった私は、ちょっぴり恥ずかしくなってしまった。このことは、もっと神を信頼せよ、というメッセージだったのかもしれない。

今日、撮影した写真を記事にしたもの:
列車のはなし
顔抜きのはなし
(米子駅の霊番線ホームで、鬼太郎とねずみ男の顔抜き発見!)

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2005.05.04

ガンまる、赤穂へ行く

 私にとっては、春季休暇六日目。今日からガンモもG.W.の休暇に入った。私は今夜、倉敷で行われたライブに参加するため、ガンモと二人で夕方、倉敷入りした。倉敷までは、新幹線を使えばすぐに来られるのだが、ガンモが「これはガタンゴトンツアーだ」と言うので、新幹線を使わず、普通列車都心快速列車を乗り継いでやって来たのだった。先月の0系ひかりの旅から数えて、およそ一ヶ月ぶりの旅行である。

 途中、播州赤穂(ばんしゅうあこう)で降りて、レンタサイクルを借りて四時間ほど観光した。レンタサイクルの利用料金は何と、二百円。これまでいろいろな観光地でレンタサイクルを借りて来たが、二百円というのは破格値である。

 私は歴史に詳しくないので良くわからないのだが、赤穂市は赤穂浪士で有名な場所で、自転車でちょっと走るとお堀に囲まれた赤穂城跡があったり、古いお蔵のような建物が並んでいたりと、歴史を感じさせる古い街並である。兵庫県の西の方に位置しており、岡山市街まで普通列車でおよそ一時間強の距離である。

 今日はすこぶる天気が良く、私たちはガイドマップを片手に、赤穂の街を自転車であちこち走り回った。半袖でちょうど過ごせるくらいの、ぽかぽかした初夏を思わせるような陽気だった。春季休暇に入ってからの運動不足は、今日のレンタサイクルの移動で、いっぺんに解消されたと思う。やはり、身体を動かすのは気持ちがいい。

 赤穂を満喫したあと、倉敷に入り、私はそのままライブ会場に向かい、ガンモは先にホテルにチェックインした。駅でガンモと離れ離れになったとき、ガンモと別行動にしてしまったことを少し後悔した。先日も書いたように、今回のライブはガンモが仕事だと聞いていたので、ガンモの分のライブのチケットは手配していなかった。倉敷は日帰り圏内に入っているため、私はいつも日帰りで倉敷のライブに参加している。しかし今回は、ガンモが同行してくれて、観光と鉄道の乗り潰しを行うことになったのだ。

 ライブはものすごい盛り上がりを見せてくれた。午後六時からのたっぷり三時間余り、彼らはクリアなサウンドと高度なテクニックを駆使したサウンドシャワーを存分に浴びせてくれた。倉敷のライブは毎回参加しているのだが、G.W.であちこちから遠征して来る人たちが多い割りには、会場の一体感が素晴らしいのだ。

 ライブを終えてホテルでガンモと再会したとき、私たちは久しぶりに会った恋人同士のように抱き合った。やっぱり離れ離れでいると、どこか調子が出ない。おまけに、肉体的にはヘロヘロだ。何しろ、日中、あちこち動き回った挙句、夕方からはパワフルなライブに参加し、今はこうして「ガンまる日記」を書いているのだから。しかし、肉体を思い切り使うということは、何とすがすがしいのだろう。なまっていた身体が再び活性化して来るような、そんな感じである。

今日、撮影した写真を記事にしたもの:
顔抜きのはなし
へんてこ写真のはなし
列車のはなし

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2005.05.03

愛妻弁当

 きのうの「ガンまる日記」を読んだガンモが、
「俺の鼻パックの結果は書かないの?」
と言うので、書いておこう。ガンモが鼻パックにより取り出した毛穴のゴミの数は、わずか三本だった。鼻パックは、ガンモにはあまり効果をもたらしてはくれず、ガンモはかなりがっかりした様子だった。

 さて、十日間の春季休暇も、今日でとうとう折り返し地点である。ガンモは今日も仕事に出掛け、私は家でゴロゴロしていた。そんな休日だったので、今日は脱線事故のときに話題にできなかったことを書いておきたいと思う。

 実は、脱線事故のあった日、私はまたしても手作り弁当を家に忘れて出勤してしまった。お弁当を玄関に置いたまま出て来てしまったのだ。

 しかし、ちょうどその日はスピッツのライブの日で、ガンモが休みを取って自宅に居たのだ。お弁当を忘れたことに気がついた私は、まだベッドで寝ているであろうガンモに電話を掛けた。
「ごめん。今日もお弁当忘れちゃったんだよ。玄関に置いてあるから、お昼に食べて」
と私が言うと、
「うん、わかった」
とガンモは言った。

 そのお弁当は、自分のために作ったお弁当には違いないのだが、実際に食べるのはガンモなのだから、ガンモから見ると愛妻弁当なんじゃないだろうか。私はそう思うことにした。

 愛妻弁当を食べ終わったガンモに感想を聞いてみた。
「愛妻弁当どうだった?」
「何か量が多いんじゃない? おなかいっぱいになったよ」
「・・・・・・」

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2005.05.02

ライブを泣く泣く見送って

 まずは、ゆうべの続きから。

 ペリペリに乾いた鼻パックを、ガンモにはがしてもらった。ガンモは、それはそれは楽しそうな顔をしていた。鼻パックをはがし終わると、まるで剣山のように、毛穴につまったゴミがきれいに吸い取られていた。私たちはしばらくの間、その剣山の美しさに見入っていた。そして、こんなに取れるのならと、今日はガンモが自分で鼻パックをしている。

 さて、春季休暇の四日目の今日、私は徳島県の鳴門で行われるライブに参加するため、チケットを購入していた。私の住んでいる兵庫県から鳴門へは、JRのほか、高速バスが通じている。ガンモが仕事で一緒に動けないため、私はライブを終えたあと、鳴門から日帰りするつもりでライブのチケットを購入したのだが、鳴門からライブを終えて自宅まで日帰りすることは不可能であることがわかってしまい、今回はライブへの参加を泣く泣く見送ったのだ。

 ライブというものは、通常、十八時半からスタートする。しかし、それは平日の場合のスタート時間で、休日の場合は十八時スタートが一般的である。私は、自分の仕事が休みだったため、てっきり今日は休日だと思い込んでいたのだ。つまり、ライブのスタート時間が十八時なので、二十一時過ぎにはライブがお開きになることになり、その時間ならば、何とか帰宅できるのではないかと思い込んでいたのだ。

 ところが、今日、五月二日は平日だった。なるほど、チケットを見ても、十八時半スタートと記載されている。私が参加しているアーチストのライブは、たっぷり三時間も演奏されるので、終演時間は二十一時半になってしまう。そうなると、帰宅することが非常に困難になってしまう。

 更に、もっと詳しく調べてみると、鳴門から兵庫県に向けて日帰りするには、二十時五十五分の高速バスに乗らなければならないことがわかってしまった。ということは、高速バス乗り場までタクシーを飛ばすとしても、会場を出るのは二十時半ということになってしまう。それでは、帰りの時間が気になってライブに集中できない。そう思って、ライブを見送ることにしたのだった。

 もしも今日が休日ならば、終演時間よりも少し早めに会場をあとにして、最終の高速バスに乗る覚悟でライブに出掛けたことだろう。自宅にガンモを一人だけにして自分だけがライブに出掛けるという考えは、最初からなかった。私たちは、離れ離れになると、本当に悲劇的に感じてしまうからである。

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2005.05.01

とうとう鼻パック

 春季休暇の三日目。創作活動をするなどと宣言したものの、春の陽気のせいか、まったく集中力がない。創作活動どころか、保険証書の捜索活動止まりである。

 お風呂に入る前に、ガンモから、
「今日は鼻パックするから」
と言われた。ここのところ、私の鼻の頭には、老廃物が溜まりつつあり、もはやガンモの手作業では追いつかなくなってしまっていた。お風呂から上がるときに、ガンモに、
「鼻を濡らして寝室に来るように」
と指示されたので、言われた通りにして寝室に行くと、私の濡れた鼻の上に、ガンモが鼻パックを丁寧に貼り付けてくれた。鼻パックを丁寧に伸ばしたあと、ガンモがチュっと私に口づけをしてくれた。

 そして、待つこと十分。

 お風呂から上がり立ての私は、しっかり温まったせいで、顔から汗が吹き出ていた。そのために、十分経っても、なかなか鼻パックが乾いてくれなかった。ガンモに、
「ねえ、もう十分経ったんじゃない?」
と尋ねると、ガンモは私の顔を覗き込んでこう言った。
「まだダメですねえ、お客さん」
「ええっ? お客さんなの?」

 私がガンモの髪の毛を切るときは、ガンモが私のお客さんになる。同様に、ガンモが私に鼻パックをするときは、私がガンモのお客さんだったのだ。

 「でも、もう十分経ったよ」
と私が言うと、ガンモは鼻パックをベリベリベリっと剥がしてくれた。しかし、まだ乾いていなくて失敗だった。
「お客さん、失敗ですね。また貼り直しておきますから、完全に乾いてペリペリになってから来てください」
とガンモに言われた。だから私は、こうして鼻パックをしたままで「ガンまる日記」を書いている。

 そろそろペリペリに乾いたところだ。さあて、ガンモに剥がしてもらおう。

関連記事:鼻パックいらずサービス満点の床屋さん

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