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2005.04.06

そんな当たり前のこと

 またまた派遣仲間と飲みに行った。三カ月ほど前から同じ職場で働き始めた派遣仲間が、仕事に関する悩みを抱えていると聞いたので、派遣仲間たちで緊急対策会議を開いたのだ。

 現在、彼女は、プログラムの開発業務ではなく、開発し終わったプログラムのテスター(テスト要員)として働いている。しかし、仕事の内容がかなり専門的で理解し難い上に、その日のうちに終わらせなければならない作業が急に降って沸いて来るなど、仕事の進め方にも疑問を感じているようだった。

 そんな彼女も、かつては私と同じようにプログラムの開発業務を行っていたと言う。しかし、連日の残業と、度重なる休日出勤のために、開発業務からとうとうリタイアしてしまったのだそうだ。

 彼女は、目にうっすらと涙を浮かべながら、当時の仕事の厳しさを語ってくれた。毎日のように朝の四時くらいまで働いていたと言う彼女。客先の担当者が複数の仕事を抱えているために、打ち合わせできるのは日曜日の夜しかないと言われたと言う。現在の派遣先はそこまでの状況ではないにしても、私自身、過去に似たような経験を持っているので、彼女の辛さはとても良くわかる。私も、仕事のことでは職場で何度も泣いたし、夜中のタクシー帰りが続いたこともあれば、あまりもの忙しさから、職場で幽体離脱しそうになったことがあることなどを話した。

 いつも納期に追われ続けている私たちは、時として、時間や曜日の感覚がないほど働き続けなければならなくなることがある。その代わり、時給はまあ良い。時間や曜日の感覚がないほど働き続けていると、金銭感覚まで麻痺して来る。

 彼女は言った。
「あれだけ働いても、結婚している男性の中には、家庭のしがらみから逃れられる分、楽だっていう人がいるんだよね」
「ちょっと待った! それは絶対におかしいよ。結婚してたら、早く家に帰りたいって思うもんだよ」
と、すかさず私が切り返した。
「そうでしょう? 家にも帰りたい、友達とも連絡を取りたい、買い物にも行きたい。でも、そんな当たり前のことが全然叶わない状況だった」
と、彼女は目をウルウルさせながら言った。
「私もね、友達が連休を利用して、よその地域から泊まりがけで遊びに来る予定だったのに、『お友達のホテルの手配をこちらでしますから、どうか休日出勤してください』って頼まれたことがあるよ」
と言った。そう、多くの人たちが日常使っているどんなソフトウェアも、開発に携わる人たちが、このような犠牲を払いながら制作されているのだ。だから、血のにじむような努力を重ねて作り上げられたソフトウェアを、違法コピーしたりなどして、開発者をいじめないで欲しい。
「あとね、『何かを犠牲にしながら、いい仕事なんてできないんだよ!』って、会社で思い切り叫んだことがあるよ」
と私は言った。私自身、現在の状況が、まだまだ恵まれている状態にあると心の中で思いながら。

 だいたいにおいて、仕事が火の車状態に陥ってしまうのは、上司の力のなさと、愛の知らなさによる。上司に力がないと、個人の力に頼られることになり、誰からも手を差し延べられることなく、プログラム開発者の負担が大きくなってしまう。また、愛を知らないと、状況改善に向けての努力を怠るようになる。例えば、かつての彼女のケースのように、家に帰りたくないと思っている人がいると、ズルズルと仕事に引き込まれる状況が、いつまで経っても改善されなくなってしまうのだ。

 実際に、幸せな結婚生活を送っている人たちは、残業をして収入を増やすことよりも、早く家に帰るほうを選びたがっている。これまで残業ばかりしていた人が、結婚した途端、仕事を早く切り上げて家に帰る姿を見ていると、私は思わず幸せな気分になってしまう。

 だから、誰かを深く愛し、仕事を終えて、その人に早く会いたいと思う気持ちを持つということは、本当に大切なことなのだ。一人一人の人が早く家に帰りたいと思っていたら、それらはやがて大きなパワーとなり、仕事はもっと早く片付けられるように思う。しかし、そう考えると、誰かを深く愛することと、働いてお金をもらうことは、相反することのように思えてしまう。何故なら、仕事を早く片付けてしまうと、収入が少なくなってしまうからだ。

 もしかすると、仕事というものは、日常生活のメリハリ程度に存在するべきものなのかもしれない。お金を稼ぐことが目的ではなく、そのプロセスにおいて、何らかの価値観を見いだすためのもの。そうでなければ、会社そのものの存在を否定しなくてはならなくなってしまう。労働者全員が、愛があるからと言って、仕事をしたくないと思うのだとしたら、それは愛があるからではなく、怠け心のせいだろう。しかし、そのもっと先には、隣人同士がお金の介入なしには関われない悲しさも潜んでいる。もしも本当に愛があれば、すべての人々が隣人のために、喜んで労働できるはずなのである。それは、世の中で、自分の役割を見つけ出すことに等しいのかもしれないが。

※ココログメンテナンスのため、更新が遅れました。

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