« SPITZ JAMBOREE TOUR "あまったれ2005" 神戸公演(初日) | トップページ | 私たちにできること »

2005.04.27

温度差

 JR宝塚線(福知山線)の脱線事故から三日目。次第に他のニュースも取り上げられるようになり、世の中の人たちの意識も分散して来た。ネガティヴな一体感も、そろそろ崩れつつあるようだ。遺族の方たちの悲しみはまだ始まったばかりだと言うのに、当事者でない人たちは、早くも同じ話題に集中することができなくなって来ている。つまり、当事者よりも立ち直りが早いのである。

 インターネットのニュース記事を見ていても、様々な疑問は残る。葬儀での遺族の悲しむ写真などは、掲載するべきではないのではないだろうか。それを目にするすべての人たちが、遺族の方たちと同等の悲しみを感じることができるならば、掲載しても差し支えはないと思う。しかし、現実には、それを目にする人たちと、遺族の方たちの間に、大きな温度差を感じずにはいられない。

 脱線事故の反応は、本当に人それぞれだった。私は事故を知ったとき、何事もなかったかのように仕事を続けるのは困難だと思った。しかし、何事もなかったかのように仕事を続けている人はたくさんいた。中には、自分の問題に置き換えて悲しみを感じ取った人もいた。自分の知っている人は大丈夫だろうかと気遣った人もいた。亡くなられた方たちの悲しみをダイレクトに感じ取って泣いた人もいた。

 テレビやインターネットのニュースを目にするなら、当事者の方たちと一緒に泣けるほどの強い感情を持つ覚悟が必要だと思ってしまうのは私だけだろうか。また、マスコミも、大惨事を取り上げるなら、遺族の悲しみが和らぐまで徹底的にケアするつもりで取り上げて行くのも、一つの愛の形なのではないだろうか。遺族の方たちの一番苦しいときだけを取り上げ、まるで突き放すかのように、次第に他のニュースへと転向して行く。そうした取り上げ方では、単に右から左へと、情報を伝えただけに過ぎない。

 温度差があるから、あちこちで問題が起こっている。世の中には、人それぞれでいい部分と、そうでない部分があるのではないだろうか。

|

« SPITZ JAMBOREE TOUR "あまったれ2005" 神戸公演(初日) | トップページ | 私たちにできること »