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2005年4月

2005.04.30

開かずの扉

 我が家には、開かずの扉がある。と言っても、ここでいきなり怪談を始めたいわけではない。埋め込みタイプの物置の扉なのだが、扉の前にたくさんの荷物を置いたままにしているために、何年もの間、開けられることなく過ごして来たのだ。

 しかし、この夏に、ガンモの加入している保険の契約更新をしておかなければ、これまで掛け続けて来た保険がすっかり効力を失ってしまうらしい。私は、保険のことはさっぱりわかろうとはせず、すべてガンモに任せてある。ガンモによると、保険の契約を更新するための証書は、開かずの扉の中にあると言う。

 せっかくの春季休暇だ、何か家で働かなければと思い、私は意を決して、開かずの扉の前にある荷物をいったんよそへやって、開かずの扉を開けたのだ。

 久しぶりに開けた開かずの扉の奥で見つけたものは、探していた保険の証書や古いコンピュータ雑誌、使われることのない数多くの雑貨の他に、何年か前まで私たちが身につけていた衣服だった。私はそれらを手に取って見てみた。
「えっ? こんなサイズのジーンズ履いてたんだっけ?」
驚いてしまった。それは、今ではとても履けないようなサイズのジーンズだったのだ。そんなジーンズが何本も、ひっそりとそこに収められていたのだった。一体何年ここにしまいこんだままにしていたのだろう。

 どうやら我が家には、いろいろなサイズの衣服があるらしい。もう着られなくなった衣服など、捨ててしまえばいいと思う方もいらっしゃるかもしれないが、もしかするとまた着られるようになるかもしれないというわずかな望みを捨て切れないでいるために、衣服も捨て切れないのである。そのために、余計に荷物が増えて、開かずの扉を作リ出す要因になってしまっていたりする。とにかく私たちは、切り離すことが苦手なのだ。

 さて、開かずの扉の前には、再び元の荷物を置いて、再び封印してしまった。今度開けるときには、今日見つけたジーンズを探す目的であって欲しいものだ。

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2005.04.29

春季休暇にフェードイン

 今日から十日間の春季休暇に入った。つい先日までは、この休暇が始まるのが楽しみで楽しみでたまらなかったはずなのだが、どこか手放し状態では喜べないような、そんな気分である。でも、私はやがて、少しずつ日常感覚を取り戻して行くことだろう。

 普段、テレビなど見ることのない私が、久しぶりにテレビを見た。ワイドショーと呼ばれる番組では、脱線事故のことが大きく取り上げられていた。テレビで報道されている内容は、私がインターネットで目にして来た内容とは、視点が著しく異なっていた。事実だけを伝えようとするインターネットのニュースに対し、テレビのワイドショーは、誰かを悪者にするために、しきりにネタを探そうとしているようだった。

 テレビが苦手になったのは、いつの頃からだったろう。何かを聴きながら作業をするとき、私はテレビではなく、音楽をかける。テレビだと作業に集中できないが、音楽だと集中できる。どうやら、テレビは私の気を乱すようだ。そんな私だから、テレビが発端となっている流行に、ひどく疎い。マツケンサンバもトリビアの泉も、わざわざ人から説明を受けなければ理解できなかった。

 今や、ほとんどのことがインターネットで実現できる時代になった。インターネットの普及により、自分の欲しい情報を選べないテレビが、どんどん苦手になって行ったのだと思う。

 ところで、この十連休の予定だが、前半はガンモの仕事が入っているので自宅で過ごすことが多い。そこで私は、しばらく中断していた創作活動を再会しようかと思っている。何の創作活動か、それはヒ・ミ・ツ!

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2005.04.28

私たちにできること

 脱線事故から四日目の今日、ようやく救助捜索活動が終了した。今回の事故で亡くなられた方の数は、一〇六人にも膨れ上がっていた。やはり今日も、事故のことで頭がいっぱいである。

 私たちにできることは一体何なのだろうと考えていた。最も身近でできることは、JR西日本を積極的に利用して行くことなのではないだろうか。それが、間接的な形での循環を成り立たせて行くように思う。

 通勤のために、私も毎日JR西日本を利用している。しかし、今年三月のダイヤ改正直後から、朝の通勤電車に遅れが目立つようになった。そのために、フレックスのコアタイム開始時間である午前十時に間に合わないこともしばしばである。今回の関連記事で読んだのだが、JR宝塚線の現役の運転士は、過密ダイヤで、日々プレッシャーを感じていると言う。今回の脱線事故をきっかけに、JR西日本は、無理のないダイヤ改正を行うことも必要なのではないだろうか。

 仕事の帰り、年末に起こったバスと自転車の衝突事故のことを思い出し、その後の事故現場の様子を見てみた。事故のあと、その現場には、つい先日まで、花がそえられていた。その花が、最近なくなっているのだ。これが何を意味しているのかと言うと、遺族の方たちの気持ちが、少しは前向きになれたということなのではないかと私は思っている。

 実は、ガンモもその昔、水の事故で弟を亡くしている。長い年月を経て、義父や義母も、今ではその悲しみから立ち直っている。だから、死はきっと、いつまでもネガティヴな状態では留まらないだろうと私は思う。遺族の方たちには、時間をかけてゆっくりと、本当に少しずつ、悲しみを解放して行って欲しい。

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2005.04.27

温度差

 JR宝塚線(福知山線)の脱線事故から三日目。次第に他のニュースも取り上げられるようになり、世の中の人たちの意識も分散して来た。ネガティヴな一体感も、そろそろ崩れつつあるようだ。遺族の方たちの悲しみはまだ始まったばかりだと言うのに、当事者でない人たちは、早くも同じ話題に集中することができなくなって来ている。つまり、当事者よりも立ち直りが早いのである。

 インターネットのニュース記事を見ていても、様々な疑問は残る。葬儀での遺族の悲しむ写真などは、掲載するべきではないのではないだろうか。それを目にするすべての人たちが、遺族の方たちと同等の悲しみを感じることができるならば、掲載しても差し支えはないと思う。しかし、現実には、それを目にする人たちと、遺族の方たちの間に、大きな温度差を感じずにはいられない。

 脱線事故の反応は、本当に人それぞれだった。私は事故を知ったとき、何事もなかったかのように仕事を続けるのは困難だと思った。しかし、何事もなかったかのように仕事を続けている人はたくさんいた。中には、自分の問題に置き換えて悲しみを感じ取った人もいた。自分の知っている人は大丈夫だろうかと気遣った人もいた。亡くなられた方たちの悲しみをダイレクトに感じ取って泣いた人もいた。

 テレビやインターネットのニュースを目にするなら、当事者の方たちと一緒に泣けるほどの強い感情を持つ覚悟が必要だと思ってしまうのは私だけだろうか。また、マスコミも、大惨事を取り上げるなら、遺族の悲しみが和らぐまで徹底的にケアするつもりで取り上げて行くのも、一つの愛の形なのではないだろうか。遺族の方たちの一番苦しいときだけを取り上げ、まるで突き放すかのように、次第に他のニュースへと転向して行く。そうした取り上げ方では、単に右から左へと、情報を伝えただけに過ぎない。

 温度差があるから、あちこちで問題が起こっている。世の中には、人それぞれでいい部分と、そうでない部分があるのではないだろうか。

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2005.04.26

SPITZ JAMBOREE TOUR "あまったれ2005" 神戸公演(初日)

 今朝になると、脱線事故で亡くなられた方の数は、七十人を超えていた。本当に胸が痛む。昼休みにインターネットでその後の様子を確認してみると、あまりものむごたらしさに涙がにじみ出て来た。

 私たちが今回のような大惨事を見せられていることに意味があるとすれば、「一つになる力が足りていない」ということなのだろうか。

 私たちは、通常、様々な方法で一体感を感じることができる。例えば、私自身はまったく興味がないのだが、スポーツを通して一体感を感じる場合がある。音楽が好きな人たちは、ライブで一体感を感じる。複数の人たちが同じテーマを持ち寄って、同じことをしたり、一つの方向に向かうのを応援したりすることで、私たちは一体感を感じることができる。これらはすべて、ポジティヴな一体感である。

 今回のような大惨事が起こると、全国の人たちがこのニュースに注目する。感じ方はそれぞれでも、多くの人たちの意識が一箇所に集中し、一つの方向へと向かおうとする。私たちがネガティヴな形でこれを見せられたということは、これと同じくらいのポジティヴな一体感が、今の私たちに足りていないということなのではないかと思うのだ。

 また、こうした大惨事をきっかけに、久しぶりに連絡を取り合う人たちもいる。しかし、本当に大切な人ならば、普段からもっと密に連絡を取り合うべきなのではないだろうか。

 そう考えて行くと、最近、地震などの天災が多いことにも納得が行く。ネガティヴな手段を用いてまで思い出さねばならないほど、私たちがポジティヴな一体感を忘れてしまっているということなのだろう。

 さて、ゆうべのスピッツの神戸公演(初日)の話をしよう。

 会場は三階席まで満員で、平日だと言うのに、立見さえ出るほどの熱気ぶりだった。多くの人たちに愛されているスピッツのライブは、熱狂的なファンと、何となくチケットを取ってやって来た人たちの二手に分かれる。前者の人たちは、彼らのどのアルバムもじっくり聴き込んで、最初からノリノリなのだが、後者の人たちは、自分の知っている曲が演奏されるときだけノリノリになる。今回の神戸公演は、前者の人たちが比較的多かったように思う。そのため、会場は、最初から熱気ムンムンだった。

 喉を痛めて一週間ライブを休んでいたマサムネも、元気そうな姿を見せてくれた。彼一人でリードヴォーカルを担当しているのだから、喉を痛めてしまうのも無理はないだろう。回復してくれて、そして、ゆっくり休んでくれて良かったと思った。

 ただ、少々厳しいことを書かせてもらえば、今回のスピッツのライブは、あまりクリアな音響ではなかった。音響設備がそれほど良くないのだろうか。ヴォーカルの音質もちょっと曇っている上に、それぞれのパートの音のバランスもあまり良くなく、今一つ、音が混ざり合っていないような印象を受けてしまったのである。更に、いつものことながら、マサムネのギター音はあまり耳に入って来なかった。

 彼らのMCも、どこか素人っぽくて、思わず助け舟を出してあげたくなるような衝動に駆られる。しかし、そこがスピッツのいいところなのかもしれない。私の知る限り、MCが芸人のように達者な音楽アーチストは、たった一組だけである。とにかく、演奏以外の部分では、どこかモジモジしていて、見ていてハラハラドキドキするのだ。

 ライブの後半、四年前の隼ツアーのときと同じような曲の展開になり、当時のようなハイテンションの状態に導かれた。それまでは、脱線事故のことがずっと胸につっかかっていて、セーブモードだったのだが、私をハイテンションに誘ってくれたその曲が、「今を楽しまなけれ後悔する」という気持ちを起こしてくれたのである。私は思い切り弾け、ライブでポジティヴな一体感を感じることができた。

 彼らは、MCでは脱線事故のことについて一言も触れなかった。予め台本が出来上がっていたのかもしれないし、あれほどの深刻な内容は避けたかったのかもしれない。でも、もしも、彼らが一言でも脱線事故に触れたなら、もっと別の一体感を私たちは感じたかもしれない。

 私は、ライブでもっともっと弾けたかった。だから、今回のスピッツのツアーを、別の場所であと何本か観たいと思っている。ライブの余韻に浸るため、会場で買ったツアーTシャツを、今日、早速仕事に着て出勤した。三枚買ったので、今日からゴールデンウィーク直前の日まで、毎日一枚ずつ着て出勤するつもりだ。

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2005.04.25

JR福知山線の脱線事故

 私の職場では、お昼休みになると、NHKのニュースが流れる。そのニュースで、JR福知山線(通称:宝塚線)の脱線事故のことを知り、声を上げて驚いた。すぐにインターネットでニュースを確認して、自宅にいるガンモに電話を掛けた。今日はスピッツのライブに行くため、ガンモは休みを取っていたのだ。

 私が電話を掛けたとき、ガンモはまだベッドで横になっていたらしい。
「尼崎で脱線事故があったんだよ」
と私が言うと、ガンモは、
「何? 路面電車でしょ?」
などと言う。尼崎に路面電車が走っているわけがない。ガンモは一体何を言っているのだろうと思っていたら、尼崎を長崎と聞き間違えていたらしい。ガンモはまさか、尼崎などという身近な場所で、列車の脱線事故が起こるなどとは思ってもいなかったようだ。もちろん、私だって思っていなかったのだが。

 脱線事故の事実を知ったあとの私は、胸がざわざわして、仕事中も落ち着かなかった。何故、こんなに胸がざわざわするのだろうと思った。実は、宝塚線(地元の人たちは、福知山線とは言わない)は、四〜五年前の私の通勤経路だった。塚口のすぐ近くにあるM電機に、とあるソフト会社から二重派遣されていたのだ。胸がざわざわするのはそのせいだろうか? いや、違う。

 亡くなられた方たちの中に、自分の知っている人がいるかもしれないとか、そういうことではなかった。事故の原因は、きっと些細なことであるはずなのに、このような大惨事に発展してしまったことが苦しかったのだ。いつもその電車に乗っている人もいれば、今日に限ってその電車に乗った人もいるだろう。その人たちの、まったく予測することができなかったであろう突然の死。そして、その事実を受け入れなければならない数多くの遺族の方たちがいるということ。この世に、愛する人の死ほど辛くて苦しいものはないということ。それらの想いが、私の中で大きく渦巻いていた。

 私は今朝、十時頃自分の職場に着いた。そのとき、職場のすぐ近くで、何台もの救急車やパトカーが、サイレンを鳴らしながら慌しく通り過ぎて行く音を聞いた。あれは一体何なのだろうと思っていたのだが、インターネットのニュースで、私の職場がある神戸市も、事故現場にレスキュー隊などを派遣したことを知った。私の職場は神戸市の西の外れにあり、事故のあった尼崎までは車でおよそ一時間半ほどかかる。それでも、あの時間に何台もの救急車やパトカーが走り去って行ったことを考えると、やはり事故現場に向かっていたのではないかと思う。

 あまりにも身近な出来事に驚き、そして、無事で良かったという言葉を聞く度に、無事でなかった人たちのことを思った。心より、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 ざわざわした気持ちがずっと続いて、スピッツのライブの最中も上の空だった。スピッツのライブの話は、明日に回すことにしよう。

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2005.04.24

出雲大社

 私たちは、このゴールデンウィークに出雲大社に行くことになっている。出雲大社は、結婚前にカップルで訪れると、神様が焼きもちを妬いて二人を別れさせるなどというジンクスがあり、これまで何度か出雲大社付近を訪れているにも関わらず、そのジンクスを鵜呑みにして、敬遠してしまっていた。しかし、ネットでいろいろ調べて行くうちに、それは、悪い縁を断ち切ってくれるという意味なのだということがわかって来た。考えてみれば、男女を結び付けるはずの神なのに、カップルで訪れると焼きもちを妬くなんて、絶対におかしなことである。

 出雲大社の近くで生まれた人は、「例えカップルでも、夫婦でお参りするのはいいのよ」と教えてくれた。実際、ネットの情報にも、「夫婦でお参りすると神様が喜ぶ」と書かれている。これこそ、縁結び大社としての正式な参拝方法なのではないだろうか。

 実際に訪れた人たちのコメントを読むと、出雲大社はとてもスピリチュアルなスポットらしい。私は、スピリチュアルなスポットとしては、名古屋の熱田神宮が特に好きだ。熱田神宮は、木々と人間が仲良くできる場所である。果たして、出雲大社ではどんなパワーを感じるだろう。ガンモと一緒に訪れて、神々に是非とも喜んでもらいたいものだ。

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2005.04.23

スピッツ神戸公演は?

 何を隠そう、私は、スピッツベルゲンというスピッツのファンクラブに入っている。普段は、プログレなどという、たいそうひねくれた音楽を聴いている私だが、スピッツのような素直な音楽も好きなのだ。

 初めてスピッツのライブに足を運んだときの感動は、忘れることができない。今から五年前のことだった。ライブハウスでもみくちゃにされながら、彼らのライブに酔いしれた。CDに忠実な演奏で、とても実力のあるアーチストだと思った。スタジオ録音されたCDは、ある程度加工されているため、実際のアーチストの実力とギャップがある場合が多い。しかし、彼らのライブは、CDの演奏とほとんど変わらない内容だった。

 観客が密着したライブハウスで、周りの人たちが勢い良く飛び跳ねるため、彼らと一緒に飛び跳ねなければ大怪我をしてしまいそうなほどの熱気だった。ライブが終わったとき、私は汗だくになっていたが、自分がどんどんスピッツにのめり込んで行くのがわかった。

 それからというもの、私は、スピッツのライブに足を運ぶ度に、彼らの演奏曲とMCを走り書きで手帳に収めるようになった。その内容をホームページで公開していたところ、ライブに足を運ぶ習性のない人から、
「まるみさん、ライブを録音されているの?」
と言われ、ひどくショックを受けたことがある。世の中には、そうした情熱の傾け方を理解しない人もいるのだと残念に思った。私は、手帳に走り書きして書き留めたくなるほどの、彼らのライブへの情熱を理解して欲しかったのに。

 さて、そのスピッツは現在、ツアー中なのだが、ヴォーカルのマサムネの体調不良のため、今月に入ってから二本のコンサートが延期になっている。十七日の新潟と、今日の和歌山だ。

 以前、ガンモと一緒に出掛けた鳴門公演が、やはりマサムネの体調不良により、突然中止になったことがある。そのときは、他のメンバーがステージに立ち、公演中止のお詫びの言葉をそれぞれが述べてくれた。わずか十五分ほどの短い時間だったが、彼らがマサムネを気遣っているのがわかる、とても感動的なひとときだった。メンバーの一人がマサムネのメッセージを読み上げた。その中に、
「みなさんの大切な土曜日を無駄にしてしまいました。申し訳ありません」
という表現があり、思わず涙がこぼれそうになった。こういうとき、私たちは、何が一番大切なことなのかを問われているのだ。

 コンサートが延期になると、たくさんの人たちが動くことになる。実際、鳴門公演では、延期された日は都合が悪いという人たちのために、イベンターが払い戻しの手続きを行っていた。

 たくさんの人が動くこと、楽しみにしてくれているファンの期待に応えたいことなどを考えると、少々無理をしてでもステージに立つことを選択するアーチストが多いのではないだろうか。そんな中でも、こうした判断が下されるのは、彼らがスタッフやファンに深く愛されていることの証なのだと思う。

 あさって二十五日は神戸公演である。神戸公演のチケットを握り締めている私たちは、久しぶりのスピッツのライブをとても楽しみにしている。しかし、もしもマサムネの体調がまだ回復しないのであれば、公演は延期されてもかまわない。いや、むしろ、延期されるべきだ。
 
 例えライブが延期になったとしても、彼らがファンを大切に思い、また、ファンが彼らを大切に思う気持ちがある限り、そこに大きな感動があることは間違いない。

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2005.04.22

お金を何に変えるか

 かつての派遣仲間が、空き巣に入られたそうだ。車で出掛けた直後を狙われたらしい。彼女は怒りに打ち震えながら、彼女とお母さんの貴金属をすべて持って行かれてしまったと話してくれた。もしも彼女が忘れ物でも取りに帰っていたら、空き巣と鉢合わせしていたかもしれない。それを考えると、まだ物を取られただけで良かったと思わなければならないような時代になって来ている。

 自宅から通勤している独身の彼女は、高級外車を乗り回している。しっかり下調べをしているはずの空き巣が、彼女の家を狙ったのは、あそこに行けば必ず金目のものがあると思ったからかもしれない。

 私は、彼女と私たち夫婦のお金の使い方がまったく異なっていることに気がついた。まず、高級外車。我が家では、絶対に有り得ないことだ。(ちなみに、我が家の車も、一応、外車ではある。一九八八年製のメルセデス・ベンツ、190E。しかし、ガンモの会社の人から、カーナビ付きを三十万円で譲り受けたという、おそらく、世界一安価なベンツなのである。)それから、貴金属。我が家には、これらが皆無と言っていい。中古カメラならたくさんあるが、空き巣にはどのカメラが値打ちのあるものか、わからないだろう。何しろ、五百円のジャンクカメラも、二十万円以上のカメラも、区別することなく一緒に置いているのだから。パソコンも、かなりの数があるが、デスクトップが主流なので、持ち去るにはかさばることだろう。

 働いたお金を何に変えるかというのは、本当に人それぞれで面白い。お金と同等の、別の価値のあるものに変える人もいれば、私たちのように、あとに残らないものに変えてしまう人もいる。現在、私たちの働いたお金のほとんどは、住宅ローンの繰り上げ返済と、ガンモと二人で出掛ける旅に費やされている。つまり、空き巣が入っても、持って行くものがないのだ。だって、彼らは私たちの旅の思い出を盗むわけには行かないだろうから。

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2005.04.21

おばちゃん

 ガンモは、とある保険会社のシステムを担当している。十七年前に初めてそこに足を踏み入れたとき、当時、まだ若かったガンモは、「ここにはおばちゃんがたくさんいるなあ」と思ったそうだ。端末への入力業務を行うためなのか、その保険会社には、現在の私たちと同じくらいの年齢の女性がたくさんいたそうだ。

 十七年経った今でも、私たちと同じくらいの年齢の女性はたくさんいるらしい。しかし、ガンモは言う。
「最近はね、自分が歳を取ったからなのか、『若い子もいるじゃん』と思うようになったの」
「あははは」
と口にした私の笑いは乾いていた。

 「おばちゃん」というのは、少なくとも、自分よりも年上の女性に対して使う言葉である。かつての「おばちゃん」よりも、すっかり歳を取ってしまったかもしれないガンモ。自分では時が止まっているかのように思えていても、時が止まっていないことはいつも、第三者が教えてくれる。

※ココログのスタイルシートが変わってしまったのか、文字が小さくなってしまい、申し訳ありません。借り物のテンプレートであるため、文字の大きさを調節することができません。大変お手数ですが、読みにくい場合は、ブラウザの文字を大きくしてご覧ください。

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2005.04.20

まるみ用

 パソコンは、眺めるものではありませんに書いた通り、オークションでパソコンを落札したガンモだったが、つい先日、それと同じパソコンをもう一台落札した。ガンモ曰く、それは「まるみ用」になるらしい。

 そのパソコンは、北海道からやって来た。きのう、郵便局の不在連絡票が入っていたのだ。送料着払いで発送してもらったため、宅配ボックスには入れてもらえなかったので、今日、帰宅してから郵便局まで取りに行くことになった。私たちの地元の郵便局では、不在連絡票で指定された郵便物を二十四時間、好きなときに受け取ることができるのだ。

 「郵便局に行くなら、○○寿司に行くから」
とガンモが提案すると、
「ええっ? ご飯炊いてるのに」
と私が反論した。

 ○○寿司というのは、私たちのお気に入りの回転寿司屋の名前である。郵便局と近いので、郵便局に行くなら○○寿司に行くというのが、ガンモのお楽しみらしい。最近、お弁当を持参している私は、ご飯を炊いているので抵抗した。それでも、ガンモに連れ去られ、○○寿司でご飯を食べたあと、郵便局に寄ることになった。

 しかし、郵便局では、
「現在、再配達のため、お客様の荷物は出払ってます。あともう少しで配達の者が帰って来るとは思うんですがね・・・・・・」
と言われたそうだ。頼みもしないのに、勝手に再配達されるのはおかしい。ガンモは首をかしげながら郵便局から出て来た。不在時に再配達されると、再び不在連絡票が入るが、帰宅しても、再配達の不在連絡票は入っていなかった。

 帰宅して一時間ほど経ってから、ガンモは再び郵便局に出向き、包みを抱えて帰って来た。最初に郵便局の窓口を訪れたときに、再配達に出ていると言われたのは、どうやら受付の人の勘違いだったらしい。

 ガンモは包みを開けて、パソコンを確認し始めた。
「ちょっと、このヘンがウジウジしてるから、やっぱりまるみ向きだね」
とガンモが言う。見ると、確かに、ガンモの「眺めるパソコン」と違って、ほんの少しだが、しばらく使用していた形跡が残っている。
「やっぱり、パソコンは眺めるものじゃないんだよ」
と私は切り返した。

 こうして、お揃いのパソコンは私たちの元へとやって来た。実は、これまでのパソコンもお揃いだったのだが、五〇〇万画素のデジカメで撮影した画像を編集するにはとても厳しいスペックだったので、買い換えたというわけである。現在、初期セットアップは、ガンモが担当してくれている。旅に持ち歩くようになると、やがて傷もついて来て、ガンモも眺めているわけにもいかなくなるだろう。そもそもパソコンは、眺めるものではないのだから、それでいいのだ。

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2005.04.19

抜け作

 最近、お弁当を作って出勤しているという話をここに書いた。しかし、お弁当を作って来ていることを忘れてしまい、いつもの習慣から、ついついコンビニでお弁当を買ってしまったこともここで暴露した。今夜は、新たな暴露をしよう。

 実は、せっかく作ったお弁当を自宅に忘れてしまった。電車に乗ったときに気がついたのだが、ものすごく悔しかった。お弁当は別腹じゃないが、いつも持ち歩いている荷物とは別の小さな手提げに入れるので、うっかり忘れてしまったようだ。帰宅すると、お弁当の包みが玄関にそのまま置いてあった。悔しい。ガンモには「禁止!」と言われてしまう。せっかく作ったのにもったいない。

 その悔しさの反動で、今日、新しいお弁当箱を買った。お弁当箱が変わると、いろいろなレイアウトの組み合わせが楽しめる。しかも、お弁当箱がたくさんあると、食べ終わったお弁当箱を職場に忘れて帰ったとしても大丈夫だったりする。

 こんな抜け作の私だが、お弁当作りはとても楽しいことに気がついた。これまでは、漢方薬を煎じる間にできるお弁当のはずだったが、最近では、煎じる時間を大幅にオーバーしてしまっている。お弁当を作るようになって、煎薬を飲めるようになったこともありがたいのだが、何よりも、ヘルシーなものを口にできるのがうれしい。電子レンジでチンするだけの温野菜でも、身体は喜んでいる。おそらく、私はそのうち、お気に入りのランチョンマットを職場に持参することだろう。私はそういうヤツなのだ。

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2005.04.18

ガンモのトサカ

 ガンモはゆうべ、夜中の作業が入っていたため、今日は仕事が休みだった。ガンモの会社はハード屋さんなのだが、ソフトウェア屋さんのように、連続してがむしゃらに働くといったようなことはなく、お客さんの都合(要するに、機械を止めて作業してもいい時間)に合わせてセッティング業務などを行っている。ただ、ときどき徹夜作業が入ることがある。

 ガンモの会社は外資系なので、年度始まりは一月である。おまけに、有給休暇を年度末までにすべて消化してしまわなければ、自己管理ができていないと、悪い評価がついてしまう。有給を取りにくい状態にある日本の企業とはまったく事情が異なっている。日本の企業に派遣されている私は、いつも恐る恐る有給を取得しているので、ガンモの環境はちょっとうらやましい。(派遣社員にも、有給休暇はある)

 ところで、ガンモは休みの日、たいていどこにも出かけずに、家でゴロゴロしている。そんな様子だから、私が家に帰ると、ガンモの髪の毛に寝癖のトサカができていたりする。そのトサカが、とってもかわいいのだ。

 近所のスーパーでガンもと待ち合わせたりすると、そのトサカを見つけて、思わずガンモを抱きしめたくなってしまう。もともと「ガンモ」とは、漫画のGuGuガンモから拝借したハンドルネームである。GuGuガンモはニワトリだから、トサカがあってもおかしくはない。でも、仕事に行くときは、そのトサカを必死で隠さなければならない。ニワトリがトサカを隠すのは、なかなか至難の技なのである。上司や会社の人たちも、ガンモのトサカを見つけて、ガンモを抱きしめてくれたらいいのだが。

※申し訳ありません。4月19日午前中、自宅サーバがしばらくダウンしておりました。現在は復旧しています。

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2005.04.17

ところ変われば

 私は、愛媛の片田舎で生まれ育った。一学年の生徒数が五十名強しかいなかった小学校時代、男子は女子の名前を呼び捨てにしていた。中学校時代、男子の頭は三年生になるまで丸坊主だった。高校時代、女子の髪の毛は眉毛が見えるまでカットするか、長い場合はゴムで結ばなければならなかった。他にも、スカートの長さなど、厳しい校則に従わなければならなかった。

 そんな環境で育って来たので、大学進学のために東京へ出て来たときは驚いた。校則が緩やかで、自由にのびのび育っているし、何よりも驚いたのは、男女が友達感覚で話をしていることだった。付き合っているわけでもないのに、男女が親しくするとなど、田舎ではあり得ないことだったのだ。

 大学でサークルに入ったおかげで、私にも男の子の友達ができた。男女の関係ではなく、友達であるという証に、彼らから恋の悩み事を打ち明けられたことが何度かある。また、夜通し電話でおしゃべりをしたり、ドライブがてら、夜中に喫茶店で語り合ったことも多々あった。

 しかし、私から見ると、東京の男の子たちは、ナヨナヨしているように映って見えていた。言葉使いもそうだったのだが、田舎の男の子たちの中にあるようなハングリー精神を感じ取ることはなかった。彼らはとてもあっさりしていて、ねばり強さがなかった。バイタリティに関して言えば、江戸っ子は、地方出身者にはかなわないと思う。一人暮らしの経験があるかないかで、にじみ出て来るものは変わって来る。同じ江戸っ子でも、一人暮らしの経験がある人には、自立心とハングリー精神を感じた。

 私は、彼らと恋愛をすることは一度もなかった。おそらく、お互いにタイプではなかったのだろう。ナヨナヨくんたちにもやはり、上品な都会の女性が良く似合う。彼らには、私と二人きりで歩いていても、きっと噂になったりはしないだろうなどと良く言われたものだ。しかし、高校時代までに体験できなかった、男の子の友達ができたことは、私にとって大変貴重な体験だったと言える。そんな男の子の友達とも、私が結婚して関西に移り住んでからは、すっかり疎遠になってしまった。今では、ほんのわずかな人たちと、思い出した頃に年賀状を交換するくらいである。

 ところ変われば人も変わる。そして、ところ変わっても、お近づきになるのは、どこか同じ匂いを持った者同士だった。私には、本当にガンモがぴったりだなあと思うこの頃であった。

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2005.04.16

私たちを寂しくさせたのは・・・・・・

 きのうに引き続き、今夜も彼らのライブに足を運んだ。大都市で開催される彼らのライブは、ほとんどの場合、二日間に渡って行われる。もちろん、私はニ日間とも足を運ぶ。

 今夜のライブは、別のメンバーの誕生日の前日ということもあってか、駅から会館に向かうまでの道の途中に、今夜のチケットを手に入れることができなかったたくさんの人たちが「本日のチケットを譲ってください」と書いた紙を持って立っていた。(同じバンドに、誕生日が二日違いのメンバーがいて、そのメンバーの人気度がかなり高いのだ)彼女たちはみんな、口をへの字にして、「チケットを譲ってください」と切実に訴えかけている。更に、会館に着いてみると、入口付近を「チケットを譲ってください」の紙を持った人たちがずらりと取り囲んでいた。チケットがなくても会館まで足を運んで来る人たちがこれだけいるのだから、チケットが手に入らなくて諦めてしまった人は、もっとたくさんいるのだろう。土曜日のため、関西圏以外の地域から遠征して来る人たちも多く、競争率が高くなってしまったのだ。

 いつもはガンモと一緒なのだが、今夜はガンモが仕事だったため、私一人でライブに出掛けた。きのうと違って、隣にガンモが居ないことがとても寂しく思えた。ソウルメイトは、お互い離れ離れになると、とても悲劇的に感じてしまう。この頃、仕事を終えたガンモも、私と離れて一人で食事をしていて、とても寂しい気持ちになっていたそうだ。私たちを寂しくさせたのは、土曜日に仕事が入ってしまったことなのか、はたまた、ライブがあったことなのか・・・・・・。

 実は、ゴールデンウィークも彼らのライブの予定が入っている。毎年、ガンモはゴールデンウィークに仕事が入ってしまうので、私はいつも日帰りライブで倉敷に行ったり、鳥取から夜行バスで帰って来たりと、できる限り泊まりを入れないようなスケジュールで動き回っていた。今年のゴールデンウィークもガンモは仕事なのだろうと思っていたのだが、チケットの発売が完了した直後に、ガンモがゴールデンウィークに休めることがわかってしまった。しかし、ライブのチケットは、一枚ずつしか確保していない。それでも、ガンモは私と一緒にツアーに同行してくれることになったのだが、鉄道好きにとっては、どの地域も既に乗りつぶしした場所なので、新しい乗りつぶしができないと、ちょっとご機嫌斜めのガンモなのである。

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2005.04.15

バースデー・ライブ

 今日は、私の好きなアーチストの誕生日である。私は午後四時に仕事を上がり、この日のために休暇を取ってくれたガンモと大阪で落ち合った。大阪で行われる彼らのライブに、ガンモと二人で参加するためだ。そう、今夜はバースデー・ライブなのである。

 通常通り本編を終えたあと、アンコールで二曲ほど演奏すると、他のメンバーの掛け声で、お祝いモードに切り替わった。ステージに、アーチストにゆかりのある着ぐるみが登場した途端、会場は笑いの渦に包まれた。更に、「ひろしです」を真似て、これまでのアーチストの経歴が、「ひろし」ではなくアーチストの名前で読み上げられる。それから、ステージに大きなケーキが運び込まれ、アーチストはろうそくの火をふーと消した。前から五列目の席だったので、ステージの様子がとても良く見えた。

 ライブを見ながら、彼らと私の間には、「持続」という共通のテーマがあると感じた。私にとって「持続」とは、男女の愛や自分自身の生き方にも通じる重要なテーマである。一つのテーマを探求し続けて行くということ。また、同じ状態を保ち続けるということ。彼らのリーダーがMCで言う。
「十代の頃に出会って、五十代になっても一緒に音楽をやっているということが、僕らの誇りです」
と。彼らはあと三十年、ライブをやりたいと言っている。だから、君らも付いて来いと。会場からは、当然、歓声が上がる。

 たくさんのバンドが結成しては解散して行く中で、彼らは今も、ライブ中心の音楽活動を続けている。インタビューなどで、「いつまでもバンドを続けていられる秘訣は?」と聞かれることが多いようだが、「秘訣はありません」と答えているらしい。おそらく、「音楽仲間である前に友達だから」というのが本当の答えなのだろう。単なる仕事仲間だけでは絆が浅い。彼らは、ライブの途中にバカ話ができる友人同士であり、また、仕事の上でも友人面においても、メンバー同志の役割分担がしっかりでき上がっているからこそ、バンド活動を持続させることができるのだと思う。

 彼らには、比較的新しいファンもたくさんいるのだが、古いファンは、私と同じように二十年以上通い続けているファンが多い。音楽活動の長い彼らも、ファンがどんどん入れ替わっているのを知っているからこそ、古いファンを大切にしてくれる。また、ファンレターもまめに読んでくれているし、ファンの名前や顔も良く覚えてくれる。

 彼らが音楽活動を続けているという「持続」と、私がライブに通い続けるという「持続」。結婚してからは、私の「持続」に、ガンモも一緒に参加してくれるようになった。だから、ガンモも私と同じ「持続」を体験している。それが、何とも感慨深い。それに加え、学校や職場では巡り合えないたくさんの友達と引き合わせてくれた彼らに深く感謝もしている。

 私が出会った頃、まだ二十代だったアーチストは、今日、五十一歳になった。ああ、本当に、お誕生日、おめでとう。

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2005.04.14

能動と受動

 おそらく、この二元的な世界においては、ほとんどすべての事象に対し、二つの局面が存在している。特に、ツインソウルと対話をしていると、その二つの局面を行ったり来たりすることになる。二つの局面は、表と裏、陽と陰という言い方もできるが、能動と受動という言い方のほうが、よりしっくり来る。

 例えばツインソウルが、
「意見がかみあわないときは、どちらかが折れることも必要なんだよ」
と言うと、私は、
「折れることは、歩み寄ることは違うの?」
などと切り返す。この場合、歩み寄ることは能動で、折れることは受動に当たる。ツインソウルに言わせれば、能動は光の法則、受動は闇の法則ということらしい。そして、私は能動的な生き方を選び、ツインソウルは受動的な生き方を選んでいる。

 能動と受動は、結果的には同じことなのだが、表現方法が異なっていたり、そこに辿り着くまでのルートが著しく異なっていたりする。しかし、実際には、同じ事象を観察する視点が異なっているだけである。

 視点が異なっていても、結果的に同じところに辿り着くというのは、愛という観点から見ると、非常に興味深い現象である。決して横道にもそれず、また、袋小路にも迷い込まない選択は、一つの極を全うしたことになり、同時に両極を体験したことにもなる。

※こんな抽象的な表現方法でも、思わず書きたくなってしまったのは、ツインソウルと関わって行くことに対し、非常に困難だと感じている人が多いからです。確かに、正反対を吸収して行くことは困難なことに違いないのだけれど、根気強く関わって行くことによって、本当に素晴らしいご褒美がもらえる関係でもあります。どうか、挫折しないで向き合って欲しいと思います。そして、どんなご褒美を受け取ったのか、私に報告してくださいな。

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2005.04.13

前世の続き

 以前も書いたことがあるように、ある転生において、私はガンモよりも早く肉体を去ってしまった。

 前世で離れ離れになった二人が、現世でも出会い、再び愛し合う場合、前世での離れ方は、喧嘩別れなどではなく、死別によるものが多いのではないかと思う。つまり、片方が肉体を去ったままの状態で二人の時間は止まり、現世ではその続きから始めることになるのではないだろうか。だから、二人の間には憎しみなどのネガティヴな感情はなく、現世で再会したときは、ただただ懐かしい気持ちがこみ上げて来る。このような愛し合い方は、単に時間がかかっているだけで、永遠の愛と言われるものの一つであると、私は思う。

 一方、喧嘩別れや強制的な離縁などの方法で、魂が傷を負ったまま離れ離れになった二人が再会した場合、懐かしい気持ちではなく、とてつもなく悲しい気持ちが湧き上がって来る。この場合もまた、二人で前世からの続きを始めることになるのだが、その先の二人に待ち受けているものは、前世では達成できなかった課題の追試である。

 課題の追試には、二通りの方法がある。一つは、まったく同じ立場で行われる追試と、もう一つは、お互いの立場が入れ替わった状態で行われる追試である。追試の種類を決定付けるものは、良くわからないが、カルマの深さによるものなのだろうか。

 今、私は思う。前世において、ガンモよりも先に肉体を去った私には、ガンモを残して先に死んでしまったという後悔がある。その後悔から自分を解放するために、私は現世で、ガンモと同じ時に肉体を去ることを選択するだろう。それが一体、いつになるかはわからないが。

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2005.04.12

個を認める

 もしも実際に、一番、二番、三番・・・、そして五十億番の区別がなくなって行くのだとしたら、それは、個々の魂と、相対的ではなく、絶対的な関係を結んで行くことに等しい。

 私たちは、意識するしないに関わらず、相対的な感覚の中で生きている。例えば、私たちが暑いと感じるとき、それは、いつもよりも暑いか、さっきよりも暑いということである。つまり、無意識のうちに比較を行ってしまっているのである。

 誰かを愛していると感じるときも、私達は無意識のうちに比較を行っている。他のたくさんの愛していない人たちの存在が、特別な人の存在を際立たせ、その人を愛する気持ちを強固なものにしている。そのとき、他のたくさんの愛していない人たちは、みんな脇役に回ってくれているのである。その脇役の中には、悪役をかって出るカルマ的な関係もあるだろう。彼らの迫真に迫る悪役の演技は、特別な人との結びつきを一層強めてくれる。

 区別がなくなるということは、それらの脇役がいなくなり、全員が主役になるということである。つまり、比較することが不要になり、それぞれの個を認め、個々の絶対的な素晴らしさに目を向けることができるようになって行く。

 更に、別の視点からも言えば、自分の愛する人が、別の人を愛することが、大きな喜びになって行くはずだ。そして、愛する人と、同じ時や空間を共にしなくても、心から愛する気持ちがいつまでたっても消えない。おそらく、そのような展開になって行くことだろう。そして、これらの出来事は、いっぺんにではなく、段階的、部分的に起こって行く。

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2005.04.11

排他的比較級にもの申す

 私たちは、特に意識することなく、愛を他の誰かと比較しながら表現して行く方法を身につけている。もっとも顕著なのはラヴ・ソングの歌詞で、「君だけを愛している」とか、「あなたが一番好き」などという愛情表現が、ごく当たり前のように登場している。これらの歌詞の中に見られるのは、排他的な想いである。私はどうも、この手の愛情表現にひっかっかりを覚えてしまうのだ。おそらくそれは、愛されていない人たちに対して意識が向いてしまうからだと思う。何かを宣言したとき、決して裏側を生み出さないのが愛なのではないだろうか。

 かつて、インターネットで流行した「100人の村」も、他者との比較をベースにした表現方法である。(参考URL:Google検索:100人の村

 私は、こうした表現方法を見ると、誰かと比較することなく、もっと前向きになる方法はないものだろうかと考え込んでしまう。人々がワンネスに向かい始めると、比較も切り離しも行わない方法を習得行くことができるのではないかと思うのだ。

 実は、私は、ソウルメイト的な学びの目的は、そこにあると思っている。ソウルメイト的学びの最終目的は、区別(一番、ニ番、三番、・・・・・・五十億番の区別)をなくして行くこと。しかし、完全に区別を取り払うには、時間がかかってしまう。そのために、私たちは何度も生まれ変わりながら、少しずつ区別をなくそうとしているのではないだろうか。

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2005.04.10

変わり果てた姿でも

 先日、梅田のヨドバシカメラの書籍コーナーで、見知らぬ男性に声を掛けられた。いや、ナンパではない。
「以前、雑誌に載ってた方ですよね?」
一瞬、何のことだろうと思ったのだが、ちょうどそのとき手に持っていた本が、ライカに関する本だったので、ようやく思い出すことができた。数年前に、ライカ本の取材を受けて、私たち二人の写真を掲載していただいたことを。(以前、ここに書いたのとは別の取材である)

 そのとき、ガンモもすぐ側にいたので、ガンモに、
「この方が、雑誌に載ってたことを覚えてくださっていたんだよ」
とご紹介した。ガンモも一瞬、どの雑誌のことかわからない様子だったが、私がヒントを与えると思い出したようだ。

 その人に別れのご挨拶をしたあと、ガンモがぼそっと言った。
「でも、良くわかったなあ。今ではこんなに変わり果てた姿なのに」

 確かに私たちは、あの頃とはすっかり体型が変わってしまっている。それなのに、わかってくださったということは、余程インパクトがあったのだろうか。それとも、写真の中から、不変の何かを感じ取ってくださっていたのだろうか。

 同じ書籍コーナーに、私が独身時代にちょくちょくメールの交換をしていた男性の書籍が平積みされていた。その名前を見つけて、
「おおっ!」
と、同時に声を上げた私たち。今度は私がぼっそっとガンモに言った。
「私も、この人と結婚していれば作家の妻だったんだけどねえ。まあ、そんなことは、絶対に有り得なかったけどねえ」

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2005.04.09

桜満開

 桜が満開で、明日からは天気が崩れると聞いたので、お弁当を作って、ガンモと二人で夙川(しゅくがわ)にお花見に行った。桜の名所である夙川は、たくさんの花見客で賑わっていた。その中でも特に多かったのは、学生さんたちである。数十名単位のサークルで大きなシートを敷いて、眺めの良い場所を陣取っている。ときどき、まとまった笑い声が聞こえて来る。私たちは、なるべく人通りの少ない場所を選び、レジャーシートを敷いて腰を下ろした。

 サークルの集まりを見ると、自分が学生のときのことを思い出す。私が入っていたサークルは、写真研究会だった。大所帯のサークルだったので、少人数で関わるのが好きな私は、サークル全体の催し物に参加するのがとても苦手だった。

 そんなことを思い出しながら、ふと横に目をやると、四十代半ばと思われる仕事仲間風の女性二人が、缶ビールを何本も空けながら、熱心に語り合っている姿が目に入って来た。「そうだよなあ、人間関係はこうでなくちゃなあ」と思いながら、その二人が熱心に語り合っている様子を微笑ましく眺めていた。大人数でいくら騒いでみても、あとに残るものは少ないが、少人数で心を裸にして語り合うと、ぐっと心に残って行くものがある。私は、学生時代からずっと、そういう付き合い方を好んでいた。

 外は、ぽかぽかして気持ちが良かった。ガンモは寝転がって桜の写真を撮り、私は谷川俊太郎さんの詩集を取り出して、暖かい日差しの中で詩を読んだ。しかし、たくさんの花見客が往来するため、何だか気持ちが落ち着かない。予定よりも早目に花見を切り上げ、駅に向かって歩き始めると、阪急電車が視界に飛び込んで来た。鉄のガンモは、思わず目を光らせ、デジカメのシャッターを切り始めた。そして、そのまま何本か阪急電車を見送り、それらの雄姿をデジカメに納めて帰宅した。

 実は、夙川に出掛ける前に、近所のとある施設内に咲いている桜を見物した。そこは、夙川のような本格的な桜の名所ではなく、ただ単に、誰かの思いつきで桜の木が植えられているという程度だった。それらの桜の下で、ささやかにお花見をしている人たちもいたのだが、メジャーな夙川でお花見をするよりも、マイナーなその場所でお花見をするほうが、私たちには合っていると思った。メジャーな場所では、桜も人間も慌しく感じられ、桜と人間が特別な関係を結ぶことは困難であるように思えたが、マイナーな場所では、特別な関係を結ぶことが可能であるような気がしたからだ。

 なお、本日撮影した写真は、こちら

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2005.04.08

愛の言葉

 素晴らしいブログに出会った。ku-kaiの☆心に夢を君には愛を☆という、結婚二十年の男性が、奥様への熱い想いを綴っていらっしゃるブログである。ku-kaiさんのブログには、奥様に対する溢れるほどの愛が綴られていて、読んでいるうちに、愛の言葉の素晴らしさに涙がつーと出て来てしまう。今日は、そのku-kaiさんのブログにトラックバックさせていただこうと思う。

 まずは、記事を引用させていただく。

君がご飯を作っている時、テレビを見ている時、うたた寝している時、いつも僕は君を抱きしめてしまう。愛しくて抱きしめずにいられない。子供たちの前でも構わず。子供たちもなれっこになってて、笑って見てるだけ。自分で、なんだかほのぼのした家族だなあと思う。こんなほのぼの家族になれたのも君が居たから。とても感謝してるよ。ありがとう。

 ああ、何て素晴らしいのだろう。愛に曇りがないからこそできる行為だ。まっすぐで、とてもピュアな愛情を感じる。何よりも素晴らしいのは、子供さんたちの前でもその愛がオープンであること。まさしく、私にとって、理想的な家族関係である。「愛しくて抱きしめずにはいられない」という気持ちは、とても良くわかる。本当にそうなのだ。

 ku-kaiさんは、別の記事の中で、輪廻転生についても触れていらっしゃる。我が家と同じように、幸せな結婚生活を送っている人たちは、深い深い魂の繋がりを実感されているのだ。また、我が家と同じように、奥様との間に秘密がないとも書かれている。こういうブログの存在を知ると、私は本当にうれしくなる。ブログを通して、愛の素晴らしさを伝えて行きたい気持ちも良くわかる。

 愛の言葉は、決して即席では綴れない。そして、誰かの綴った愛の言葉を通して、自分の愛の深さを知ることになる。愛を決してねじ曲げず、ピュアな状態を保って行くには、愛する人に対して、想いを素直に表現し続けて行くことが大切なのではないだろうか。愛の表現を少しでも怠ると、私たちはすぐに恥かしさを感じて、愛の言葉を表現できなくなってしまう。愛の言葉は、使い続けなければ忘れてしまう、魔法のようだ。

 愛の言葉は、強いエネルギーを持っている。そして、その強いエネルギーに、人々は目覚めさせられるのだ。

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2005.04.07

何故、仕事を辞めないのか

 新月の時期に言葉を紡ぎ続けるのは、なかなか根気のいることである。おそらく、月からのパワーをもらえないからだろう。

 さてさて、もう少し仕事の話をしよう。

 私が仕事を辞めないでいる最も大きな理由は、自分が選んだ環境から逃げ出したくないからだと思う。自分にとって必要なことしか起こらないという視点から考えて行くと、自分に起こっている出来事を出来る限り受け入れながら生きて行きたいと思うようになるる。

 もう一つは、今の自分の作業を誰かに引き継ぐことに対し、大変申し訳ないという想いがある。私の担当している作業内容は、かなり専門的な分野になっていて、経験のない人が理解するのは非常に困難な状況にある。私自身、前任から作業を引き継いだのだが、最初のうちはわけがわからず、かなり四苦八苦した。仕事内容が専門的であるがために、覚えることがたくさんあり過ぎて、途中で挫折する派遣社員も多いらしい。そういう人たちは、ある日突然、出勤して来なくなるのだそうだ。私の前任もその病気が出て、他の人をアサインして欲しいと派遣会社に要請があったらしい。

 社員の人たちの作業は、既に手一杯なので、私が仕事を辞めるとしたら、別の派遣社員を採用して引き継ぐという形になると思われる。しかし、そのことを想像しただけでも、私は気が重くなるのだ。新任の人がやって来て、専門的な知識やノウハウを一生懸命吸収しようとしてくれる姿を想像すると、大変お気の毒だと思ってしまう。

 こんなことを派遣仲間に話すと、
「それは会社が考えることなんだから、私たちがそこまで気にしなくてもいいんじゃない?」
と言われる。彼女は、自分は派遣社員なのだからと、すぱっと割り切れるタイプである。私は、その割り切りができなくて、いつも試行錯誤してしまう。何においても、切り離しが嫌いなのだ。だから、本当は切り離したいと思っているときでも、なかなか切り離しを行わない。モノをなかなか捨てられないのも、おそらく、そういうところから来ている。

 ところで、最近、私はお弁当を持って出勤している。手作りのおかずではなく、まだまだお総菜弁当なのだが、コンビニ弁当と違って油分が少ないせいか、すぐにおなかが空いてしまう。これまでは、その油分でおなかが持っていたのだ。それだけ身体に悪いものをどんどん溜め込んでいたことがわかり、ちょっと身震いしている。

 もう一つ、改善されたことがある。それは、服用している漢方薬を、エキス剤から煎薬に変えることができたことである。煎薬は、決められた時間、煎じる必要があるため、ちょっと敬遠していたのだが、お弁当を詰めている間に煎じることができるので、煎薬を飲めるようになったのだ。エキス剤よりも、煎薬のほうが効果があると聞いているので、お弁当を詰めて持って行くことは、一石二鳥だったのである。

 しかし、ちょっと失敗してしまったこともある。実は、自分で詰めたお弁当を持っているのに、普段の習性から、コンビニでお弁当を買ってしまったことである。そのときはさすがに、ガンモに
「バカだなあ」
と言われてしまった。そうか。私はバカだったのか。

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2005.04.06

そんな当たり前のこと

 またまた派遣仲間と飲みに行った。三カ月ほど前から同じ職場で働き始めた派遣仲間が、仕事に関する悩みを抱えていると聞いたので、派遣仲間たちで緊急対策会議を開いたのだ。

 現在、彼女は、プログラムの開発業務ではなく、開発し終わったプログラムのテスター(テスト要員)として働いている。しかし、仕事の内容がかなり専門的で理解し難い上に、その日のうちに終わらせなければならない作業が急に降って沸いて来るなど、仕事の進め方にも疑問を感じているようだった。

 そんな彼女も、かつては私と同じようにプログラムの開発業務を行っていたと言う。しかし、連日の残業と、度重なる休日出勤のために、開発業務からとうとうリタイアしてしまったのだそうだ。

 彼女は、目にうっすらと涙を浮かべながら、当時の仕事の厳しさを語ってくれた。毎日のように朝の四時くらいまで働いていたと言う彼女。客先の担当者が複数の仕事を抱えているために、打ち合わせできるのは日曜日の夜しかないと言われたと言う。現在の派遣先はそこまでの状況ではないにしても、私自身、過去に似たような経験を持っているので、彼女の辛さはとても良くわかる。私も、仕事のことでは職場で何度も泣いたし、夜中のタクシー帰りが続いたこともあれば、あまりもの忙しさから、職場で幽体離脱しそうになったことがあることなどを話した。

 いつも納期に追われ続けている私たちは、時として、時間や曜日の感覚がないほど働き続けなければならなくなることがある。その代わり、時給はまあ良い。時間や曜日の感覚がないほど働き続けていると、金銭感覚まで麻痺して来る。

 彼女は言った。
「あれだけ働いても、結婚している男性の中には、家庭のしがらみから逃れられる分、楽だっていう人がいるんだよね」
「ちょっと待った! それは絶対におかしいよ。結婚してたら、早く家に帰りたいって思うもんだよ」
と、すかさず私が切り返した。
「そうでしょう? 家にも帰りたい、友達とも連絡を取りたい、買い物にも行きたい。でも、そんな当たり前のことが全然叶わない状況だった」
と、彼女は目をウルウルさせながら言った。
「私もね、友達が連休を利用して、よその地域から泊まりがけで遊びに来る予定だったのに、『お友達のホテルの手配をこちらでしますから、どうか休日出勤してください』って頼まれたことがあるよ」
と言った。そう、多くの人たちが日常使っているどんなソフトウェアも、開発に携わる人たちが、このような犠牲を払いながら制作されているのだ。だから、血のにじむような努力を重ねて作り上げられたソフトウェアを、違法コピーしたりなどして、開発者をいじめないで欲しい。
「あとね、『何かを犠牲にしながら、いい仕事なんてできないんだよ!』って、会社で思い切り叫んだことがあるよ」
と私は言った。私自身、現在の状況が、まだまだ恵まれている状態にあると心の中で思いながら。

 だいたいにおいて、仕事が火の車状態に陥ってしまうのは、上司の力のなさと、愛の知らなさによる。上司に力がないと、個人の力に頼られることになり、誰からも手を差し延べられることなく、プログラム開発者の負担が大きくなってしまう。また、愛を知らないと、状況改善に向けての努力を怠るようになる。例えば、かつての彼女のケースのように、家に帰りたくないと思っている人がいると、ズルズルと仕事に引き込まれる状況が、いつまで経っても改善されなくなってしまうのだ。

 実際に、幸せな結婚生活を送っている人たちは、残業をして収入を増やすことよりも、早く家に帰るほうを選びたがっている。これまで残業ばかりしていた人が、結婚した途端、仕事を早く切り上げて家に帰る姿を見ていると、私は思わず幸せな気分になってしまう。

 だから、誰かを深く愛し、仕事を終えて、その人に早く会いたいと思う気持ちを持つということは、本当に大切なことなのだ。一人一人の人が早く家に帰りたいと思っていたら、それらはやがて大きなパワーとなり、仕事はもっと早く片付けられるように思う。しかし、そう考えると、誰かを深く愛することと、働いてお金をもらうことは、相反することのように思えてしまう。何故なら、仕事を早く片付けてしまうと、収入が少なくなってしまうからだ。

 もしかすると、仕事というものは、日常生活のメリハリ程度に存在するべきものなのかもしれない。お金を稼ぐことが目的ではなく、そのプロセスにおいて、何らかの価値観を見いだすためのもの。そうでなければ、会社そのものの存在を否定しなくてはならなくなってしまう。労働者全員が、愛があるからと言って、仕事をしたくないと思うのだとしたら、それは愛があるからではなく、怠け心のせいだろう。しかし、そのもっと先には、隣人同士がお金の介入なしには関われない悲しさも潜んでいる。もしも本当に愛があれば、すべての人々が隣人のために、喜んで労働できるはずなのである。それは、世の中で、自分の役割を見つけ出すことに等しいのかもしれないが。

※ココログメンテナンスのため、更新が遅れました。

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2005.04.05

思考のトリップ

 掲示板のコメントを読みながら、感動の涙でぐじゅぐじゅにさせられる。私には、そんな感動を味あわせてくれる仲間たちがいる。つんと込み上げて来る感動。言葉が思考に追いつかなくて、表現し切れなくなる。思考が度々トリップさせられるのだ。そのトリップは、どんな旅の窓口に行っても、切符を手に入れることができない、意識のトリップだ。魂と魂を突き合わせながら交流できる喜び。言葉の一つ一つが無限の広がりを持ち、交流が決して袋小路にならない。そんな交流をさせてもらっていると、私の意識は開かれ、どうしても泣かずにはいられない。立ち止まっておろおろしていることが、恥ずかしくなる。

 愛に関する対話を続けていると、言葉がどんどん膨らんで来る。相手の言葉を吸収し、自分の経験や解釈を融合させようとするからだ。そこには、どんな省略も手抜きも存在しない。言葉が思考に追いつくように、根気強く待ってあげると、言葉はどんどん溢れて来る。一ヵ月後に書く返事だろうと、二ヵ月後に書く返事だろうと、いいじゃないか。ビックリ箱を開けるような楽しみが増えるというものだ。

 ああ、私にこんな素敵な仲間たちを与えてくれたことに深く感謝している。私もいつか、人々を感動の涙でぐじゅぐじゅにする化け物になってやる。

※六万ヒット、ありがとうございました。m(__)m

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2005.04.04

津和野

 きのう訪れた津和野では、およそ二時間余りしか自由時間がなかったため、SLやまぐち号の方向転換を撮影したあと、私たちはレンタサイクルを借りて津和野の街を効率良く回った。しかし、あいにくの天候で、レンタサイクルを借りる直前に大雨に降られてしまったのだが、しばらくするとすぐに雨は止んだ。また降り出しては大変と、レンタサイクルのお店の人が気をきかせて、カッパを貸してくれた。

 津和野は、自転車で回るにはちょうどいい広さの街である。二キロも走れば、森鴎外の旧宅まで足を伸ばせる。街の周辺を流れる川の中に大きな鯉がいるところなどは、飛騨古川に良く似ている。また、その周辺の風景は、倉敷の美観地区にも似ている。

 途中、雷とともに、再び大雨が降り出した。私たちは近くの建物に身を寄せて、しばらく雨宿りをしたのだが、駅から比較的近かったので、思い切ってカッパを着込んで走ることにした。雨がざんざん降りしきる中、私たちは必死に自転車をこいで駅まで辿り着いた。手がちぎれそうになるくらい、雨が冷たかった。それでも、雨が降って最低という気分にはならず、むしろ、大雨という困難をガンモと二人で乗り越えたことに対し、すがすがしい気持ちでいっぱいだった。

 レンタサイクルのお店に自転車を返し、お店の人が出してくれたタオルで身体を拭いた。本当に至れり尽くせりのお店だった。しかし、カッパを着ていても、私たちのズボンはびしょ濡れだった。

 集合時間が来たので、私たちは津和野に別れを告げ、停車中のSLやまぐち号に乗り込んだ。SLやまぐち号の中から見える景色も雨模様だった。同席のお子さんたちは、ひどくお疲れのご様子で、席につくとすぐに寝息を立ててお昼寝を始めた。お父さんが女の子を、お母さんが男の子をだっこして、家族四人が一つのテーブルにまとまった。自転車に乗って運動したせいか、私たちも眠くなり、SLやまぐち号の終点、新山口までこっくりこっくりしていた。

 行きは天気が良くて、地元の人たちがSLやまぐち号を見つけて手を振ってくれた。その手は、私たちに振ってくれているのか、それともSLやまぐち号に振っているのかわからなかったが、とにかく私たちも楽しくなって、手を振り返した。

 普段の生活の中では、列車を見ると手を振るという、小さい子供たちにとっては当たり前の行為が、大人にはできない。それなのに、SLやまぐち号に対しては、大の大人だって手を振れてしまう。乗っているこちらも、思わず振り返してしまう。これが、通勤電車だったら、きっとヘンな大人になってしまうだろう。でも、そんなまっすぐな気持ちがあったことを、子供たちの素直な行動は、私たちに示してくれているのではないだろうか。

 津和野で撮影した写真は、こちら

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2005.04.03

SLやまぐち号で行く津和野の旅

 博多のホテルをチェックアウトした私たちは、添乗員さんに連れられて、新幹線こだま号に乗り、新山口へと向かった。新山口から、SLやまぐち号に乗り換えて、津和野まで行くのだ。

 私たちにとって、添乗員さんに同行してもらうツアーに参加することは、大変稀なことだった。しかし、どうやら、SLやまぐち号などの特殊な列車は、旅行会社がツアーなどを組んで、ほぼ全面的に指定席を押さえているため、一般の人たちが窓口で指定券を購入するのはとても難しいようだ。

 いつもは自由気ままに行動している私たちだが、次は○時□分集合、といった制約の入るツアーもなかなか面白いのではないかと感じた。何故なら、ツアーに参加している人たちにはいろいろな人たちがいて、人間ウォッチングができるからだ。もちろん、私たちが見ているということは、私たちも同じツアーの人たちにウォッチングされているということでもある。

 さて、ホームに入線して来たレトロ調のSLやまぐち号を見た私の心は、大きく躍った。これからガンモとこの列車に乗ることのできる喜びを、大きくかみしめていた。

 SLやまぐち号の座席は、四人掛けの小さなテーブル付きシートだった。私たちは二人組なので、あとの二人は、同じツアーに参加している別の人たちがやって来ることになる。私たちと同じテーブル付きシートに座ることになったのは、奇しくも、私たちと同じ苗字のご家族連れで、しかも、ご主人さんの下の名前が、ガンモの本名とほんの一字違いという奇想天外な組み合わせだった。彼らは四人家族で、小さな女の子と小さな男の子と一緒だった。ツアーの締め切りギリギリに申し込まれたそうで、大人二人分の正式なシートを確保することができず、お父さんがお子さんを一人連れて立ちっぱなしだったりと、非常に涙ぐましい努力を重ねられていた。私は、そこまでしてツアーに参加されるのだから、きっとお二人は仲のいいご夫婦に違いないと思った。何故なら、お二人は、座席が足りないことなどものともせず、ご家族での旅行を存分に楽まれていたからだ。また、お子さんに対する態度も大変友好的で、決して叱らない主義なのか、それとも、叱らなくてもいいほどいい子なのか、とにかく、二人のお子さんたちの行動を決して否定せず、彼らの良さをうまく引き出そうとしてあげているのがわかった。お子さんは二人とも大変大人しく、両親から注がれるまっすぐな愛情のためにひねくれる様子もなく、とても好感が持てた。更に、あとでわかったことなのだが、彼らは私たちと同じ市内に住んでいるということだった。

 私たちが、一つのテーブルで、行き帰りともに同じ時を過ごしたことは、何か大きな意味があったのではないかと思う。それは、私たち自身が、子供に対する考え方をそろそろ更新する時期に来ているということなのではないだろうか。私たちは、夫婦間の愛情を無視した親子関係ばかりを目にしては、自分たちは決してこうはなりたくないと思い続けていた。子供のすることなすこと否定し、公衆の面前で大声で子供を叱り付け、親が完全に主導権を握り、子供は愛情不足で落ち着かない。また、夫婦間の愛情よりも子供中心の家庭で、子はかすがいなどと平気で言える。そんな親子関係ばかりを見て、これは絶対に違う! と思っていた。しかし、そうじゃない親子関係があるということを最初に教えてくれたのは、掲示板で交流させてもらっている女性たちだった。彼女たちは私に、子供と魂として接することの大切さを教えてくれた。今日会ったご家族は、彼女たちが示してくれた、私の理想に近い親子関係を築いていると思う。

 帰り道、ガンモと話したことは、「たまにはツアーに参加してみるのもいいね。子供っていいね」という感想だった。夫婦間のしっかりした愛情がにじみ出ている家を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになれる。決して子供中心の家族にならず、夫婦間の直接的なコミュニケーションが成り立っていて、親子も夫婦もすべてが対等な魂としての親子関係。ああ、本当に美しい親子関係を見せられた。彼らが同じ市内に住んでいるなんて心強い。またどこかで彼らに会えたらいいのに。

 今日、撮影した一部の写真は、こちら

※今夜は、帰宅が遅かったため、津和野の写真は後日掲載します。サイドバーのまるみのマイページよりご参照ください。

※掲示板へのコメントやメールをくださっている皆さん、本当にどうもありがとうございます。実は、現在も、返信できていないコメントやメールが、おそらく60件以上あります。これまで、一生懸命、カメのように進んで参りましたが、もはやすべてに返信をさせていただくことは非常に困難な状況にあり、大変申し訳なく思っています。皆さんからいただいたコメントやメールは、すべて拝見しております。この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。すべてにお返事ができない状態であることを、ご了承くだされば幸いです。

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2005.04.02

「0系ひかり」の旅&博多総合車両所見学

 さて、私たちは、午前七時半に新大阪駅に集合し、0系ひかりに乗って博多までやって来た。私たちにしては珍しく、旅行会社のツアーに参加しているのである。

 0系ひかりが山陽新幹線にデビューしたのは、ちょうど三〇年前のことだった。(0系ひかりのデビューは、東海道新幹線のほうが早かった)今回のツアーは、0系ひかりに乗車し、山陽新幹線の博多開業三〇周年を記念して博多総合車両所で行われるイベントに参加するためのものである。

 参加している人たちの多くは小さなお子さんのいらっしゃるご家族連れで、しかも、お子さんたちのほとんどが、新幹線にちなんだグッズを何かしら身につけている。これは、親の趣味なのか、それとも、お子さんご自身の意志によるものなのか、私たちには区別がつかなかった。新幹線が好き! と自己主張できるお子さんたちは、素直でとても好感が持てる。しかし、大人になってそれを主張すると、周りからオタク扱いされてしまう。このあたりにも、日本人が好きなものを好きとはっきり言えないカラクリが隠されているのではないだろうか。妻を愛していると言えない人や、夫を愛していると言えない人は、子供の素直さを見習うといいのかもしれない。

 私たちは、新幹線の中で特別弁当を食べ、博多総合車両所では、500系のぞみのミニカーのようなものに二回も乗車し、童心に返ってはしゃいだ。また、普段は見られないドクターイエローなどの車両を見学し、しっかりとデジカメに収めた。

 今では、次々に新しい車両が登場している新幹線だが、新しい車両には一切興味が持てず、古い車両にのみ心惹かれてしまうのは、それだけ歳を取ってしまったということなのかもしれない。童心に返ったといえども、ほんのちょっと懐古主義が入っている分だけ、今のお子さんたちとは、確実に違う道を歩んでいる。

 なお、本日撮影した写真は、こちら

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2005.04.01

嫁さんもらう?

 いつかここに書いたお弁当日記のことがまだ頭に残っていて、本屋さんに行ってもお弁当のレシピを手にとって見てしまうし、レンタル日記のサイトを巡っても、ついついお弁当日記を探してしまう。お弁当日記で公開されているどのお弁当も、色とりどりでとても美しい。そして、愛情がこもっていて、見ているだけでもうっすらと涙がにじんで来る。

 これまでは、きちんと家事をしながら家を守る間接的な愛情表現よりも、もっと直接的な愛情表現のほうに重きを置いていた私だが、お弁当作りを極めた女性たちに、間接的愛情表現を極めるということを教えてもらったような気がする。彼女たちが、決して手抜きではなく、お弁当作りを極めているからこそ、私に間接的愛情表現の感動をもたらしてくれたのだと思う。

 しかし、お弁当作りに時間をかけている彼女たちと私は、まったく違う世界を生きている。彼女たちはきっと、専業主婦なのだろう。朝、みんなよりも早く起きてお弁当を作り、それをデジカメに収め、夫や子供達を送り出してからパソコンに向かい、お弁当日記を更新する。そして、スーパーの開いている時間に買い物に行き、新鮮な食材を仕入れて帰って来る。ああ、ちょっと想像してみただけでも、普段の私の生活とはまったく異なっている。私には、お弁当を作ること以外に、優先度の高いことがたくさんあるからだ。

 時間を何に使うかで、人生は大きく変わる。でも、私はきっと、お弁当作りが嫌いではないはずだ。何故なら、お弁当箱をたくさん持っているからである。私だって、色とりどりのお弁当を作りたい。でも、お弁当を作る時間を捻出するなら、他にもっともっとやりたいことがたくさん出て来てしまう。今の私は、そういうサイクルで動いている。

 ガンモに、
「色とりどりのお弁当、いいなあ」
と言うと、
「嫁さんもらう?」
と言われた。ああ、私も、色とりどりのお弁当を作ってくれる嫁さんが欲しい。でも、私は、色とりどりのお弁当を作ってくれるその嫁さんに、一体何ができるのだろう?

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