« 天井から見てみたい | トップページ | エンドレスのメカニズム »

2005.03.30

 今日は、女性の派遣仲間四人での飲み会だった。メンバーは、元同じ職場で働いていた女性が一人と、私を含めた同じ職場の女性が三人だった。

 飲み会の席での共通の話題と言うと、ほぼ100%が職場の話題だった。しかし、話をしているうちに、私の心は次第に乾いて来た。もっと内面に触れる話をしたいと思っていたのだが、どうしても職場の話題ばかりになってしまっていた。

 職場のメンバーと飲みに行ったときに、女性の手を握って来る男性がいたと誰かが言った。ちょっと驚きだったのは、そういう行為が許せるかどうかという質問に対し、私以外の人は全員、「ああ、そういう人なんだなと思って許せる」と答えたことだった。私は、「(夫以外の人に)手を握られるなんて、絶対にイヤだ!」と、頑なに拒んでいた。どうも私は、その手のことに対し、どうしても譲れないところがある。例え相手がツインソウルだとしても、私は頑なに拒否することだろう。

 飲み会の帰り道、仕事帰りのサラリーマンが、私の前を歩いているのが見えた。年齢や雰囲気からして、おそらく部長クラスの人ではないかと思う。その後ろ姿はとても寂しそうだった。ああ、この人もまた、自分を出し切れない職場で働いているのではないかと思うと、何だか急に泣けて来た。人は何故、自分を出し切れる空間に自分自身を配置しようとしないのだろう? そんなことを考えながら、私は他の派遣仲間にその涙を見られたくなくて、彼女たちから少し離れて歩いた。

 人と人の交流が、特定の枠からはみ出すことができない場合、その関係は、とても窮屈なものになってしまう。枠というのは、最大公約数に置き換えられる。しかし、これまでの枠を越えて、別の共通の枠を見つけたることができたとき、その関係性は、別の役割を持って来る。例えば、派遣仲間から友達へ、あるいは、友達から恋人へと。そして、更に別の枠を見つけると、その関係はもっともっと密なものへと発展して行く。

 ガンモと私の間には、もともと、クラシックカメラという枠があった。しかし、いつの間にかクラシックカメラという枠からはみ出して、フォークソングやコンピュータ、骨董市など、様々な新しい枠を作り出して行った。

 これから彼女たちと、今の枠からはみ出して、新しい枠を作って行けるのだろうか? 私が作りたい枠は、精神世界の枠。スピリチュアリズムの枠。彼女たちは、私がそんな枠を持っていることすら知らないかもしれないのに。

|

« 天井から見てみたい | トップページ | エンドレスのメカニズム »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。