喧嘩のメカニズム
私たち夫婦は、普段からほとんど喧嘩をすることがないのだが、先日、久しぶりに喧嘩をした。原因は、ほんの些細なことだった。夕飯のときに、私がお味噌汁の中に入れるネギを手で取ったことに対し、ガンモが、
「汚い手で入れないでよ」
と言ったのだ。ガンモは、ほんのギャグのつもりで言ったのかもしれない。普段なら、
「何言ってるの。きれいだよ。ちゃあんと洗ってるんだから」
と即座に答えただろう。しかし、そのときは、そんなことを言われてしまうことが悲しくて、
「手が汚いなんてひどいよ」
と言いながら、その場で「うわーん」と泣いた。ガンモはとても困った顔をしていたが、私はしばらく膨れっ面をしていた。
泣いているとき、私は冷静に自分の気持ちを分析していた。心の中では、「これって、私の自己愛なんじゃないの?」と思っていた。それに、普段からマメにお料理をしていれば、お料理をする妻の手がきれいか汚いかなどという意識はガンモにないはずだろう。つまり、自分の行為が自分に返って来ているだけのことだったのだ。
しばらくして、膨れっ面をしている私のところへ、ガンモがゴロニャンと寄って来た。それだけでもう仲直り完了。喧嘩をすると、私たちはじっと見詰め合う。いつも私が怒って、ガンモが困った顔をするのだが、私はガンモの困った顔を見ていると、ガンモのことがたまらなくいとおしくなる。そして、そのいとおしさに、また新たな涙が出て来るのだった。
喧嘩は、自分自身のことを大切に思う自己愛から起こる。それは、先日から書いている、愛の分離である。自分だけが愛から外れ、自分勝手に一人歩きしようとしたときである。つまり、自己愛が自己愛を生むのだ。そして、喧嘩の状態を解除するのは、相手のことを心から大切に思う気持ちを思い出したときである。これは、分離とは正反対の、含有である。
夫婦にしても、交友関係にしても、喧嘩をしたあとにネガティヴな感情を残さないでいられることは素晴らしい。そのためには、喧嘩の種を毎回完全燃焼させて、燃やし尽くしてしまうのだ。完全燃焼が起こらない場合、喧嘩の種はお互いのどこかでくすぶり続け、それらが積もり積もって大爆発、ということにもなりかねない。喧嘩に限らず、何事においても、毎回完全燃焼できるかどうか。それが相性の善し悪しを決定付けているのではないだろうか。
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