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2005.01.20

義理チョコへの抵抗

 ようやくお正月気分が抜けて来ると、スーパーには、バレンタインに向けて様々なチョコレートが積み上げられる。そのほとんどが義理チョコと呼ばれるものだ。

 自慢じゃないが、私は、義理チョコというものを、生まれてこのかた一度もあげたことがない。バレンタインなんて、お菓子屋さんが始めたことなのに、本命以外の人には、絶対にチョコレートをあげたくなかったのだ。愛情もなしに、形式だけにとらわれたくないという気持ちと、自分の想いを決して安売りしたくない気持ちが強く働いたのだと思う。しかし、派遣社員としてあちこちの会社で働いていると、
「女性だけで男性たちにチョコを買うのですが、ご一緒にいかがですか?」
などというお誘いを受けることがある。しかし、私は、
「義理チョコはあげない主義なので」
と、毎回断っている。

 バレンタインと言えば、思い出すのが、東京に住んでいたときに、バレンタインの売り子として、銀座の某店で働いたときのことだ。毛皮のコートに身を包んだホステスさんと思われる女性が、名刺のコピーをたくさん持って来て、高価なチョコレートをたくさん買い込み、それぞれの名刺の宛先に発送してくださいと言った。それらの名刺を見ると、どの人も、会社の社長さんや役員クラスの人たちばかりだった。当時、学生だった私は、見たくはなかった大人のいやらしい世界を見せつけられたような気がしたものだ。

 私は、現世では女性として生まれたので、バレンタインデーを過ごす男性の気持ちは良くわからない。もしかすると、チョコレートを一つももらえないのは、男として最低などと悲観してしまうのだろうか。もしそうだとすると、私は、そんな悲観はしなくてもいいと思う。百個の義理チョコよりも、想いのこもった本命チョコ一つだけのほうがいいし、たった一つの義理チョコをもらうくらいなら、もらわないほうがまだましだ。もしも義理チョコをあげることで、人間関係がスムーズに行くのなら、その関係はどこか嘘っぽい気がしてならない。家族でチョコを贈り合う人たちもいらっしゃるようだが、感情がこもっているのであれば、それはいいことだと思う。感情を込めずに、ただ、ものを右から左に流すだけの行為なら、しないほうがましだということである。

 今をどう生きるかというのは、もらったチョコの数でもないし、何人の女性と関係を持ったかということでもない。魂に深く焼き付けられるほどの深い愛を経験したかどうかだと私は思う。

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