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2005.01.01

一年の計は元旦にあり?

※みなさま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 私たちがカウントダウンライブに出掛ける直前に、某駅の改札で働いていた彼女から電話がかかって来た。私たちが彼女のいる改札に突然やって来たので、とにかく驚いたが、相変わらず仲が良さそうで何より、と彼女は言った。彼女は大晦日もお正月も関係なく働くのだと言う。世の中は、そういう人たちが支えている部分が大きい。彼女のような人たちが、私たちの日常を保ってくれているのは大変ありがたいことだ。

 私は、今夜のライブのパンフレットの購入を友人に頼んでいたため(パンフレットは限定販売のため、売り切れる可能性があった)、できるだけ早い時間に会場に着いておきたかった。宿泊したホテルは、普段その会場を利用している駅とは反対方向にある別の駅付近にあったが、会場まで歩いて十五分くらいだとガンモは言う。彼女との電話を終えてホテルを出たのは、開演時間のおよそ四十五分前だった。

 何とか間に合うだろうと思いながら、会場までの道のりを急いだのだが、ホテルに地図を忘れて来てしまい、会場を目前にして迷子になってしまった。会場は、とある大きな敷地の中にあった。私たちは、その敷地内を、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、彷徨い続けていたのだった。時計を見ると、開演まであと十分しかない。私は、私のためにパンフレットを買ってくれている友人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。暗闇の中、道端に立てかけられている地図で確認すると、まるっきり正反対の方向に歩いて来てしまっていることがわかった。私は、いつも用意周到なガンモが、地図を持って来なかったことに対し、文句を言った。
「何で地図を持って来なかったの? いつも持ってるのに」
とにかく、私はイライラしていた。ガンモは、
「○○さん(友人の名前)から電話があったので、それに気を取られて忘れてしまった」
と言う。私は、最初からタクシーに乗った方が確実だと提案したのだが、ガンモは会場に近い大きな建物が見えているので大丈夫だと言い張った。一年の締めくくりの日だと言うのにぶつぶつ文句を言いながら歩き、私の到着を、今か今かと待ち望んでいるであろう友人のことを思った。しかし、やがて、こうして私の道楽に付き合ってくれているガンモに対して、会場への案内を任せっ切りにしていたことも悪かったのだと思い、ガンモに謝った。
「ガンモ、ごめん。私もガンモに任せっ切りだったから」
こうして、私たちはすぐに仲直りした。

 元来た道を引き返し、ようやく会場に続く道を見つけた。しかし、裏側から入っていることになるため、いつもと勝手が違う。見慣れているようでいて、見たことのない景色ばかりが目に入って来る。結局、会場の周りをぐるっと周り、やっとのことで、いつも利用している正面入口を見つけた。チケットを提示し、会場の中に足を踏み入れると、舞台はまだ暗く、静かな音楽が流れていた。もう、完全に遅刻だと思っていたのだが、何と、幸いなことに、まだ開演されていなかったのだ。おそらく、十分は遅刻していたと思う。会場内がまだ明るかったので、私は、パンフレットを買ってくれた友人の席に向かって走った。しかし、友人の席に辿り着くまでに会場内は消灯され、とうとうライブが始まってしまった。

 もはや、友人のところには、終演後に行くしかない、と思っていた。しかし、終演後となると、人の流れに逆らうことにもなるし、何よりも、終演後は一刻も早く自宅に早く帰りたいのではないだろうかという気持ちもあった。私の遅刻のために、彼女をいつまでも会場に引き留めてしまうことが、申し訳ない気がした。

 しかし、何という幸運だろうか。カウントダウンライブだったせいだと思うが、本編が始まっておよそ一時間後、
「これから三十分休憩!」
とアーチストが宣言したのだ。会場からは、驚きの声が上がっている。彼らのライブは、いつも長丁場になるが、アンコールは別にして、ライブの途中に休憩を挟むことなど有り得ない。またしても、私は彼らに助けられた。私は、明るくなった会場を、彼女の席を目指して走った。

 彼女に謝り、事情を説明し、そしてパンフレットを受け取った。実は、彼女自身は携帯電話を持っていなかったのだが、開演まであと十分というときになって、彼女と一緒にライブを観るという彼女の友人の携帯電話にメッセージを残しておいたのだ。その友人が私の残したメッセージを聞いて、彼女に説明し、ある程度の事情を察してくれていたらしい。とにかく、彼女には気をもませてしまったが、何とか気がかりなことが落ち着いた。

 しかし、実は、もう一つ気掛かりなことがあった。それは、私たちの睡眠不足だった。私たちはきのう、早朝から起きて活動していた。しかも、ライブの予定終演時間は午前一時半となっている。果たして、そんな時間までしっかりと目を開けていられるのだろうか。

 三十分の休憩の後、彼らが一曲演奏すると、カウントダウンの時間となった。10・9・8・7・6・5・4・3・2・1! Happy New Year!
 私は、隣にいるガンモと軽いキスを交わした。こうして、2005年が幕を開けた。

 午前一時を過ぎると、私たちは眠くて眠くて仕方がなくなってしまった。私は、コンタクトレンズを入れた目がしょぼしょぼする。あと三十分ほどで終演だ。それまで眠らずに頑張れと自分を励ましていたが、とにかくまぶたが重い。ガンモはとうとう力尽きて、席に身体をうずめて眠っている。風邪を引いてしまってはいけないので、私のコートをガンモにかけてあげる。私は、何とか頑張っていたが、午前一時半になっても、午前二時になっても、ライブは終わらなかった。眠い、助けてくれ・・・・・・、と私は思っていた。

 ライブは、午前二時二十分に終演した。途中の休憩時間を入れると、実に四時間もの間、会場に居たことになる。私たちは早々に会場を出て、ホテルまで歩いて帰ることにした。来るときに迷ってしまっただけに、帰りは何とか迷わずにホテルまで帰り着きたいと思っていたが、またしても迷ってしまった。というのも、方向としては合っていたのだが、道が塞がれていたのだ。よって、再び来た道を折り返すことになってしまった。終演直後、たくさんのタクシーが会場近くに集まっていたが、再びその場に戻ってみると、二台ほどしかタクシーがなかった。しかも、その二台は、行き先によって、乗車拒否をしているようだった。深夜の仕事だけに、行き先を選びたくなるのだろう。

 こうして、私たちは、帰りも一時間歩いた。会場に近いホテルを予約したはずなのに、片道一時間も歩くなら、自宅に帰ったほうがましだった。ホテルに帰り着いたとき、私たちは寝不足と肉体的な疲労でへろへろになっていた。

 一年の計が本当に元旦にあるのだとすると、私たちの2005年は、ことごとく直感が外れ、遠回りする年になってしまいそうだ。

 さて、開けて、今日。午前十時にホテルをチェックアウトし、阪和線を経由して和歌山に出た。そこから和歌山市まで出て、南海電車に乗り換え、和歌山港まで行き、徳島行きのフェリーに乗った。フェリーの中の二時間は、大変貴重な睡眠時間となった。この睡眠のおかげで、私たちはようやく元気を取り戻した。そして、徳島から高徳線に乗り、高松まで出て、高松から予讃線に乗り替え、ガンモの実家にやって来た。高徳線の中でもたっぷり睡眠を取った私たちは、すっかり元気になっていた。

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