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2005年1月

2005.01.31

真子ちゃん、四十四歳になる

 一月三十一日は、石野真子ちゃんの四十四歳の誕生日だ。ここだけの話だが、ガンモは真子ちゃんのファンである。ファンの前に大がつかないのは、部屋にポスターを貼るなどして、熱狂的に応援しているわけではないからだ。かつては大ファンだったといったところだろうか。真子ちゃんへの想いは、今でもガンモの中で静かに輝いている。

 実は、私も真子ちゃんのことが好きだった。だから、真子ちゃんが飼っていた犬の名前も覚えていた。
「真子ちゃんが飼っていた犬の名前って、ツンだよね」
「ええ? 何でそんなこと知ってるの?」
「雑誌で読んだのを覚えてる。確か、黒い、プードルみたいな犬だったよね」
「そうそう」
 おそらく私は、真子ちゃんだから覚えているのであって、これが榊原郁恵ちゃんとか、柏原芳恵ちゃんなら覚えていなかっただろう。

 ガンモが真子ちゃんのファンだとわかってからは、古本屋さんで昔のアイドルの写真集のコーナーを見つけると、私は必ず真子ちゃんの写真集を探してしまう。もしも見つけられたら、きっとガンモが大喜びするに違いないからだ。

 ガンモは、真子ちゃんのCDを未開封のまま所持している。当時はLPレコードで聴き込んでいたため、CD化された作品を大人になってから買い集めたものの、もったいなくて開封できないようだ。私がCDのビニールを剥がそうとすると、
「禁止!」
と言って怒り出す。

 いつだったか、真子ちゃんがゲスト出演しているトーク番組を一緒に見ていたとき、司会者が真子ちゃんの過去の結婚について尋ねたことがあった。それは、誰もが知っている、悲しい結末を迎えてしまった、ミュージシャンとの結婚生活についての話題だった。ガンモは、その話題に及んだ途端、自ら立ち上がってチャンネルを変えてしまった。私は、
「どうして? もう過去の話なんだからいいじゃん!」
と言って反抗した。しかし、ガンモは、
「禁止! もう、いいから」
と言って、チャンネルを元に戻そうとはしなかった。私はこのとき、真子ちゃんを真剣にかばうガンモの優しさを感じた。

 宇高連絡船がまだ健在だった学生時代、ガンモは早起きして、神戸のポートピア'81のイベントにゲスト出演する真子ちゃんを見るために、日帰りで神戸まで出掛けたと言う。不思議なことなのだが、私はこの当時、ゴダイゴの大ファンだった。(こっちは正真正銘、大がつくファンである。ポスターも部屋に貼っていたし、ファンクラブにも入っていた)ご存知のように、ゴダイゴは、ポートピア'81のテーマソングを歌っていた。あの歌は、歌詞を一般公募したのだが、当時中学生だった私(私の古い記憶では、ポートピア'81は、1981年3月からの開催だったように思う)も応募したのだが、見事に落選してしまった。

 私はガンモに、
「そのとき、ゴダイゴも来ていたの?」
と尋ねた。ガンモは、
「わからない」
と答えた。

 こんなふうに、将来夫婦になるはずの二人は、何となく、何となく、何となく、どこかの接点に足跡を残しながら、次第に大人になって行くのであった。

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2005.01.30

興味深いシンクロ現象

 呼吸を合わせながら生きていると、興味深いシンクロ現象が起こって来る。例えば、ガンモやツインソウルと私は、同じ時期に仕事が忙しくなったりする。ガンモと待ち合わせて帰るとき、予め時間を決めているわけでもないのに、お互いにとって都合のいい時間に待ち合わせをすることができる。しかし、呼吸が合わずにどちらか一人でも突っ走っているときは、会話をする場合でも、両方が同時に発言したりして、吸収のタイミングがずれてしまう。一方、お互いの呼吸が合っているときは、同じタイミングに同じことを思いついたりする。

 しかし、そうは言っても、ソウルメイトとツインソウルは明らかに別物である。例えば私は、ソウルメイトとツインソウルの違いとして、相対的であるか絶対的であるかを挙げている。ソウルメイトが相対的であるというのは、長い時間をかけて親しい関係を築いて来たことにある。これは、ソウルメイトとの関わりの中で、自分自身が気付いて行くことだろう。魂として向き合うとき、その魂との関わりが新しいのか古いのか自然にわかる。私は、ガンモの魂との関わりは、まだまだ新しいと感じている。

 ツインソウルが絶対的なのは、次第に築き上げて来たものではなく、お互いにもともと持っている素質が反応し合うという点にある。もっとも顕著に現れるのは、肉体的なシンクロ現象が起こるということだ。かつて、ツインソウルが足の指に深い傷を負ったとき、私の同じ足の指が数週間に渡って黒ずんだことがある。私自身は怪我をしたわけではないのでまったく気付いていなかったのだが、ガンモがそれを見つけてくれて、とても驚いた。また、鼻血を出したその最中に、ツインソウルも鼻血を出していることがわかったりする。更に、去年発覚した、お互いの第二チャクラの異常も大変興味深い。

 ときどき、現在のパートナーがソウルメイトでもツインソウルでもないとわかっているとき、一体どのように関わって行けばいいものかと質問を受けることがある。ソウルメイト、ツインソウル以外の関係としては、カルマの関係がすぐに挙げられるが、パートナーがソウルメイトでもツインソウルでもない場合、例えカルマの関係であっても、その関係はソウルメイトに向かう途中であると考えられる。先天的な繋がりを持つツインソウルは、最初から決まっている魂の片割れなので、関係を積み重ねて行くことによってあとから形成されるものではない。だから、現在のパートナーとの関係が苦しいと思うのなら、その人とソウルメイトになれることを思い描きながら関わって行くことが救いになるのではないだろうか。ただ呼吸を合わせて一緒に生きて行くだけでも、次々と興味深いシンクロ現象が起こって行く。そのシンクロ現象の素晴らしさを少しずつ実感して行くことは、愛の経験として蓄積されて行くことだろう。

 ちなみに、呼吸を合わせるというのは、究極的には、二人で光合成ができるほどの関係を築き上げるということである。しかし、そこまで行かなくても、パートナーの行動に注目し、お互いが歩み寄りを見せて行くことが大切なのだと思う。そのときに、注意しなければならないのは、決して切り離しを行わないこと。何故なら、切り離しを行うと、限定された関係に転んでしまうからだ。こうした歩み寄りの積み重ねによって、ソウルメイトは時間をかけて誕生して行くものだと思う。

 個人的には、まったく新しい魂と関わるときは、親子として関わるように思う。それが、ソウルメイトの始まりなのではないだろうか。

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2005.01.29

『あさかぜ』『さくら』の引退

 来年三月一日のJR各社のダイヤ改正で、東京から九州・山口に乗り入れる寝台特急が相次いで姿を消す。国内初の「あさかぜ」(東京―下関)と、二番目の「さくら」(東京―長崎)。現在、いずれも一日一本運行しているが、旅客輸送の高速化とともに新幹線や航空機へ乗り換えが進んだことから、約半世紀の歴史に幕を閉じる。

 「あさかぜ」は、国鉄時代の一九五八年十月に登場。独特の青い車体は寝台特急の「ブルートレイン」の呼称につながった。当時、東京―下関を一日一本、東京―博多を同二本運行したが、九四年までに東京―博多は全廃。JR三社(東日本、東海、西日本)で共同運行する今も乗客減は止まらず、JR西日本によると、民営化した八七年と比べ、需要は四分の一以下に落ち込んだ。

(以上、西日本新聞より)

 このニュースを受けて、またしてもガンモが思案に暮れている。来月、私たちは東京に出かける予定が入っているのだが、そのときにこれらのブルートレインに乗れるような予定を組み込みたいようだ。つまり、行きは大阪から『あさかぜ』に乗り、帰りは関西を通り越して長崎まで『さくら』に乗るという強行スケジュールである。それが実現した場合、長崎から関西までは、飛行機で帰って来ることになる。

 そもそも、何故、このような話に発展したのかと言うと、私が派遣先の仕事仲間から、一冊の本を借りて帰ったことがきっかけだった。それは、「クウネル(ku:nel)」という雑誌で、ある女性記者が、今春引退する『さくら』に乗車したレポートが掲載されている。私はその記事を、ガンモと一緒に目を通した。その女性記者は、にわか『さくら』ファンなのだが、とても情緒にあふれていて、いい感じなのだ。東京から長崎までの二十時間を『さくら』で過ごした彼女は、列車が終点に着いても、しばらく『さくら』の側を離れたくなかったと言う。こうしたレポート記事においては、淡々と事実だけを述べる記者が多い中で、いまどき、こういう情緒あふれる記事を書ける人はなかなかいない。私はこれを読みながら、ついつい目頭が熱くなるのを感じた。

 ガンモに、
「この記事、とってもいいねえ」
と言うと、
「うん、なかなかいい記事だ」
とガンモも感動している。そして、
「仕方ないなあ」
などと独り言を言っている。何が仕方ないのかと言うと、こんな感動的な記事を読まされては、東京から『さくら』に乗らないわけには行かないということなのである。そして、
「個室が取れたら『さくら』に乗ろう」
と私に提案する。『さくら』の寝台は、急行銀河の寝台と違って、ひどく狭い。そのため、これまでのように、二人で一つの寝台に寄り添って眠ることは非常に困難であるようだ。
「多分、個室はもう取れないだろうなあ。でも、個室が取れないとなると、二十時間はきついし。しかも、個室が取れても、コンセントがないから、パソコンの充電はできないね」

 そんなこんなで、ガンモはずっと思案し続けている。果たして、『さくら』の個室は取れるのだろうか。

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2005.01.28

掲示板に癒されて

 今週は、仕事がとても忙しく、ガンモと一緒に夕ご飯を食べることがほとんどできなかった。夕方の休憩時間に、
「今日も残業だから、社員食堂でご飯を食べて帰る」
とガンモに電話を掛けると、ガンモから、ちょっとがっかりしたような返事が返って来る。今年本厄のガンモも、仕事にはすっかりまってしまっているようで、二人とも夜中に帰宅し、すぐにお風呂に入っては眠るという日々が続いた。一方、私自身も大殺界の停止の年回りで、これまでの活動的な自分をすっかり見失ってしまっている。自分のペースをなかなか取り戻すことができないまま、掲示板やメールの返信が停滞し、皆さんに大変ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳なく思っている。

 そんな中、仕事の休み時間に、自分のホームページの掲示板を開いたとき、
「ああ、ここは癒される!」
と実感した。中には、今月の半ばくらいから返信できていない書き込みもある。でも、いつも私の返信を根気強く待ってくださって、愛と感動を共有してくれる仲間たちがいる。掲示板の記事を読んでいると、その幸せを実感し、次第に涙がにじんで来た。

 仕事先の環境では、私用のメールや掲示板の閲覧・書き込みが禁止されているため、私は自分の小さなノートパソコンを持ち込んでいる。休み時間になると、私は自分の小さなノートパソコンを開いて、ゴソゴソと活動している。そんな私の姿を、職場の人たちは、「メールでも書いているのだろう」と思っているに違いない。もちろん、メールを書くこともあるのだが、掲示板の返信を書くことも多い。ホームページや「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちと、こんな感動的なやりとりが実現できていることを、私の職場の人たちは知らない。だから、いつも、休み時間が終わってしまうことが残念でならない。感動とは切り離された厳しい世界に引き戻されてしまうからだ。

 私は、訪れてくださっている皆さんと、密な交流が実現できている自分の掲示板を誇りに思った。それなのに、皆さんをずっとお待たせしていることを大変申し訳なくも思った。ああ、掲示板にコメントを返したい。そんな気持ちが、むくむくと湧き上がって来た。皆さん、いつも本当にありがとう! 気長に待ってくれてありがとう!

※少しずつメールと掲示板の返信を書かせていただきたいと思います。ずっと返信が滞っているために、いっぺんにというわけには行かないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

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2005.01.27

打倒! 「ガンまる日記」!

 だってガンモなん駄もの。を書いているガンモが、私にライバル心を抱いている。どういうことかと言うと、ここからはリンクしていないとある日記投票システムの得票数を気にしているのだ。

 これまで、その得票数は、ガンモがダントツだった。きっと、鉄道好きの方が投票してくださっているのだと思う。ところが、今年になってから、この「ガンまる日記」に投票してくださる方の数が急激に増えて来た。(どうもありがとうございます。m(__)m)そして、あれよあれよという間に、ガンモのこれまでの得票数を上回ってしまったのだ。今や、ガンモは、仕事で午前様帰宅をしても、
「打倒! 『ガンまる日記』!」
などと呪文を唱えながら、眠い目をこすりつつも日記を更新している。そして、今見てみると、何と、得票数の差が一票までに縮まっているではないか! 「ガンまる日記」、危うし!

 ところで、ガンモは、「ガンまる日記」 に目を通す度に、
「俺のことをネタにして、禁止!」
などと言いながらも、実は密かに喜んでいる。それに対し、私は、
「だって、『ガンまる日記』なんだもの」
と言って、切り返している。

 そう言えば、まだ書いていなかったガンモのネタを一つ思い出したので、ついでに書いておこうと思う。私たち夫婦の服のサイズが上下とも同じである話は、以前にも書いた通りだ。だから、私はいつも、二人で着られるように、色違いの同じ服を二枚買って来る。しかし、あるとき私は、自分の仕事着用にと、一着だけズボンを買って来た。その一着だけのズボンを、先日、ガンモが職場の人たちとカニを食べに出掛けたときに貸してあげたのだが、それ以来、ガンモはそのズボンが気に入ったらしく、返してくれない。乾いた洗濯物置き場から、少しだけ避けたところにそのズボンを隔離して、私が履こうとすると、
「俺のよそ行き用だから」
と言って返してくれない。私の仕事着用なのに。服以外のものは一つでも間に合うのだが、服だけは、やはり同じものを二つ買い揃えないといけないようだ。

 ああ、また一つ、ネタばらししてしまった。

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2005.01.26

人体のしくみ

 男女が、上半身よりも下半身で結び付きを持ちたがるのは、人体のしくみに原因があるのではないかと思う。下半身には性器がある。男性性器の形は凸で、女性性器の形は凹である。そのために、大きなフィット感があるのだと思う。上半身にもフィット感を持たせるなら、女性の胸の形が凸であるのに対し、男性の胸の形は凹でなければならない。また、キスを交わす口の形も、どちからかが凸でどちらかが凹でなければならない。このように、上半身にも凸凹があれば、もっと肉体の密着度が高まると思うのだ。

 ところで、ヘンな話ついでに恐縮なのだが、男性の下着のパンツは性器の形である凸を意識したふくらみがあるのに対し、女性の下着のパンツには性器の形である凹を意識した窪みがない。いや、私が何を言いたいのかと言うと、女性が下着のパンツをはくときでさえも、愛する男性の力を借りなければならないような状態なら、もっともっと夫婦間のスキンシップも増えるのでは? ということである。そうなると、こんな夫婦の会話も想定できる。

「あなた、パンツをはかせて」
「ああ、いいよ。ほら」

「あなた、パンツをはかせて」
「ごめんね、ハニー。今日はちょっと、君のパンツをはかせてあげられる状態じゃないんだ」

 更に、ヘンな話しついでにますます恐縮なのだが、私は個人的に、立ちションに憧れている。しかし、性器の形が凸ではないので、立ちションはできない。男性は、道ばたで立ちションをすることができるのに、女性はできないことが不公平だとずっと思っていた。屋外にいて突然尿意をもよおしたとき、ときどき私はガンモの凸を借りられないかなと思ったりもする。そのうち、女性性器を凸に変換するアダプタが開発されるのを楽しみに待つことにしようか。

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2005.01.25

まったく、ツインソウルってヤツは・・・・・・!

 数日前に、ツインソウルからメールの返事が返って来た。つい先日、私は、「ツインソウルは絶対に勝つことのできない究極のライバルである」と書いた。しかし、今度ばかりは私が負けてしまいそうである。

 まず、「無口とムラ」について。ご存知のように、私は大変わかりやすい性格である。自開症と呼ばれているだけに、自分で言うのも何だが、愛情表現もオープンで豊かだ。それに対し、ツインソウルは、感情を見えないところにしまい込んでしまう。そのことに対し、ツインソウルは自分のことを、「いかにも日本人である」と分析している。「日本人」というのは、例えば、妻に対する愛情を抱いていても、はっきりと表現したりしない。私は、常日頃から、日本人男性のそういうところが苦手だと思っているのだが、ツインソウルは、まさにその典型なのだ。おそらくツインソウルは、自分が日本人であるがゆえに、無口であると言いたかったのだと思う。ムラに関しては、私がツインソウルのムラを認めたら、私の何を認めてくれるかと尋ねたら、ツインソウルは私のムラじゃないことを認めてくれると言う。ちょっと想像してみたが、これはなかなか面白い展開になりそうだ。これで、ようやく商談成立か?

 ところで、ツインソウルは、私のオープンな愛情表現が理解できないらしい。そのことについて、ツインソウルとこんなやりとりをした。以下、ま=まるみ、ツ=ツインソウルである。

ま「愛してると表現するのは、鼻が垂れて来るのと同じで、逆らえない引力なのよ」
ツ「鼻水垂れることに対して、おい、自分は鼻水垂れてるぞってやるかいな。
 風邪引くと鼻水垂れそうになるけど、
 より表現したくなるときって、風邪を引いた時なのか。
 鼻水は相手のいないところでも垂れるけど、
 意思表示や表現は相手のいないところでもするのか。
 相手のいるところでするのなら、その鼻水をどうしたいのか。
 相手の服や顔にネチョっと、つけてやりたいのか。
 また、鼻を垂らすのを啜ることはないのか。
 その鼻水が垂れる前に啜って飲み込むことはできると思うが、
 では、鼻水が垂れてしまった、その鼻水をティシュで拭き、
 ティシュに付いた垂れた鼻水を、再度、口の中に入れ、
 飲み込むことははできるか。
 鼻水じゃあピンとこなければ、唾でもいい。
 唾を一度、コップに吐いて、それを改めて飲めるか」

 これにはとにかく笑った。まったく、ツインソウルってヤツは・・・・・・! ああ、参った。今度ばかりは降参である。それにしても、ツインソウルは何故、こんなにも面白いのだろう? それに、何故、ついこの間まであんなにムカムカしていたのに、いつの間にかこうして笑えるのだろう? 私のムカムカは、一体どこへ行ってしまったのだろう?

 実は、先日、私の掲示板に、私がツインソウルに対して放った言葉が、まるで自分に言われているようで胸に突き刺さるという書き込みをしてくださった方がいた。その書き込みを拝見して再認識したのは、ツインソウルに言っているようなどぎついことは、決して他の人に言ってはいけないということである。ツインソウルと私がこのように強烈なやりとりを実現させられるのは、このような強烈な言葉を放っても絶対に壊れないという信頼感があるからなのだと思う。

 話は変わるが、私のサイトには、ツインソウルと一緒に過ごせないことに対し、とても辛い想いを抱えていらっしゃる方々がたくさんアクセスされているようだ。私は、そういう方たちに対して、少々厳しい態度を取らせていただいている。ツインソウルと人生を一緒に過ごさなくても、こういう関わり方もあることを、どうか知っておいて欲しい。私は、ツインソウルという無限の可能性を秘めた存在を、男女の愛という枠の中に押し込めてしまうのは、非常にもったいないと思う。ツインソウルへの愛も、ソウルメイトへの愛も、性別を超えた魂の愛だと私は思う。人生を一緒に過ごせなくて辛いのは、関わり方を改めたほうがいいという赤信号なのではないだろうか。

 それから、ツインソウルと向き合うことは、本当に根気のいることである。私自身も、何度挫折しそうになったか知れない。しかし、根気よく向き合えた暁には、このようなおだやかで笑いのあるご褒美がプレゼントされるのである。私にとって、ガンモも、ツインソウルも、本当にかけがえのない存在である。私は、彼らとの関わりを通して、愛は一つだと実感している。それらは決して矛盾することなく共存し合い、私に大きなエネルギーと輝きをもたらしてくれる。

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2005.01.24

道を照らしてくれた人

 私の生まれ育った市は、人口わずか三万人の小さな街で、去年の十一月に隣の市に吸収合併された。そのことをテーマに掲げたラジオの公開録音が、三月に行われるのだが、その番組のゲストとして、私がずっと応援し続けているアーチストがやって来ることになった。このアーチストと主催する地元のFM局はとても仲が良くて、およそ年に一度の割合で、このアーチストをゲストに呼んでラジオの公開番組を製作している。私はその度に実家に帰り、公開録音にも参加して来た。

 今度、公開録音が行われるのは、私が通っていた高校のすぐ近所らしい。私が青春時代を過ごしたあの街に、そのアーチストがやって来るのかと思うと、胸が熱くなる想いでいっぱいである。

 公開録音のことを教えてくれたのは、私の両親だった。市の公報に掲載されていたらしい。母は、公開録音の入場券を配布している公民館にいち早く足を運び、入場券を確保してくれたと言う。公開録音が行われるのは、キャパおよそ千人程度の小さな会館だ。そこに、私の両親とガンモと私の四人で出掛ける。アーチストに、「これが母で、これが父です」と紹介できたらいいのに。そのことを考えると、心が躍る。久しぶりに手紙でも書こうか。いや、手紙なんて、しばらく書いていないから照れ臭い。第一、相手を何と呼べばいいのだ。さすがにもう、「ちゃん付け」もできないだろう。

 それにしても、このアーチストには、とても不思議な縁を感じる。私をマニアックな世界に引き入れた張本人でもあるのだが、彼のおかげで、実に楽しい人たちと出会うことができた。ガンモに出会えたのも、彼のおかげなのである。だから、私にとってその人は、道を照らしてくれた人なのだ。

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2005.01.23

日帰りでガンモの故郷へ

 先日、去年と同じ症状が発覚し、義母が再手術をした。そのため、今日は、徹夜明けのガンモの帰りを待って、午後からガンモの故郷である香川にガンモと二人で帰った。いつもはガンモが運転する車で帰省するのだが、ガンモが徹夜明けということもあって、電車かバスを利用することになった。電車では、どうしても乗り換えが多くなるため、連続した三時間を睡眠時間に当てることができるであろうバスを選択した。

 ところが、ガンモはバスがとても苦手だった。乗っているだけで、酔ってしまうらしい。実際、バスが走り始めても、ガンモは、「眠れない、眠れない」と言いながら、ガサゴソしていた。後ろのほうの席を割り当てられてしまったため、確かに私も、エンジンの響く音が気になっていた。眠れないガンモは、じっと外の景色を眺めている。私は、
「寝れー」
(「寝れー」とは、ガンまる用語で「寝なさい」の意。)
と言って、ガンモを落ち着かせようとしたのだが、ガンモはなかなか落ち着いてくれない。そうこうしているうちに、私のほうが眠くなり、うとうとと眠ってしまった。

 小一時間ほど眠っただろうか。ふと目を覚ますと、ガンモはまだ起きていた。シートに腰をうずめて目を閉じようとはしているものの、すぐに目を開けて活動し始める。やはり、バスの中ではなかなか眠れないらしい。私は、テレパシーを送るときの要領で、精神を集中させて、ガンモに癒しのエネルギーを送り込んだ。それまでは、「寝れー」という命令口調だったのだが、ガンモと呼吸を合わせて癒しのエネルギーを送り込むと、瞬く間にガンモが落ち着いて来るのがわかった。はっきりとした手応えを感じていた私は、ガンモが眠りに就けると確信していた。そして、実際にそれは成功したのだった。

 ガンモはそのまま、およそ一時間ほど眠った。やがて、バスが終点に到着し、そこから歩いて義母の入院する病院へと向かった。ガンモは、多少jの睡眠を取ることができたものの、バスにはすっかり酔ってしまったらしく、
「ああ、気持ち悪い。バス、禁止!」
と連発していた。眠ることだけを考えてエネルギーを送り込んだせいか、バス酔いまでには対応し切れなかったようだ。

 数日前に手術したばかりなのに、義母は既に自分で歩行できるくらいに回復していた。お医者さんからも、軽い運動をするように言われているらしい。思ったよりも元気そうな義母の姿を見て安心した。私は義母に、腹巻をプレゼントした。身体に冷えがあるため、私は日頃から腹巻きを愛用している。冬の寒い時期に開腹手術をしたのだから、これからは傷口をあたためたほうがいいと思ったのだ。

 義母や義父とは、離れて暮らしている上に、私たち夫婦に子供がいないため、まだまだ距離感のある関係ではある。しかし、こうした出来事が、毎回、絆を深めてくれていると実感する。まだまだ距離感のある関係だけに、いざというとき、どこまで近づいていいものか、いつも迷ってしまうのだが、迷わずに直感的に動いたことは、常に良い結果をもたらしてくれることがわかって来ている。

 いつか、義母や義父と遠慮のない関係になれることを密かに目指そう。

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2005.01.22

離れがたかった

 今日はガンモが夜勤の日だった。昼間のうちにたっぷりと睡眠を取り、夜になって出掛けて行ったのだが、とても辛そうだった。

 「まるみはいいね。俺も家に居たい」
とガンモは言う。そりゃそうだろう。この寒い夜に、わざわざ車を走らせて、仕事に出掛けて行くのだから。今夜の場合は、あらかじめ夜勤だとわかっているからまだいい。ときどき、コールセンタ経由で緊急呼び出しがかかり、例え夜中であっても出掛けて行かなければならないことがある。人命に関わるようなことでもないのに、睡眠時間を削ってまで働くことが、本当にあるのだろうかと思うことがある。

 私たちは離れがたくて、ギリギリまでベッドの上で抱き合っていた。とうとう時間が来て、ガンモはベッドから起き上がり、支度を整えて出掛けて行った。

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2005.01.21

究極のライバル

 あれからツインソウルには、九百行近いメールを書いて送った。後にも先にも、あんなに長いメールを書いたのは初めてのことだった。それでも、まだ返信を保留にしている部分がいくつもあり、それらをすべて書き上げてしまうと、千行を軽く越えてしまうだろう。

 そもそも、最初のメールは、シグネチャを入れても、わずか三十五行程度のものだった。それが、返信を繰り返して行くうちに、どんどん話が膨れ上がってしまったのだ。

 今回の対話のテーマである「無口とムラ」についてのやりとりは、簡単に言うと、こんな流れである。以下、ま=まるみ、ツ=ツインソウルである。

ま「最近、静かだけどどうかしたの?」
ツ「静かって、うまく言えないけど、静かにしてるのが自然なんだと思う」
ま「だって、もっと頻繁にやりとりしてたときがあったでしょ。あるときずっとにぎやかで、あるとき急に静かになられるのは戸惑うよ」
ツ「そんなこと言われても、ムラがあるんだから仕方がない」
ま「静かになるときは、一言知らせて欲しい」
ツ「他の友達からは、そんなこと言われたことない」
ま「それって、お互いが利用する関係なんじゃないの?」
ツ「利用する関係もあるかもしれないけど、近づく、遠のくという距離感だけで、人間関係は計れない」

 とまあ、こんな感じである。ツインソウルと対話を始めると、お互いに自分の主張を譲ろうとしないため、どうしても張り合ってしまう。そして、とことん話し合いを重ねた挙句、「あれれ? これは、正反対の主張だけど、もしかして、行き着くところは同じ?」というような、非常に気持ち悪い結末を導き出す。しかし、その気持ち悪さがやがて、奇妙な一体感を伴うことになる。

 張り合うと言えば、つい先日も、こんなやりとりをした。ガンモと私が、今でもシングルベッドで寄り添って寝ているという話を受けて、
「うちは、結婚当初から、ダブルはおろか、クイーンサイズ。くっついたり、離れたり、ベッドサイズとは無頓着。ばったんばったんの大きな運動は、物理学者も解読できない。シングルだと、そのサイズに収まらざるを得ないから、運動量の検証がしやすくて、いいかも」

 なぬ? 何じゃあ、こりゃあ? まったく、ツインソウルというヤツは、何が何でも張り合いたいようだ。それにしても、何だかものすごく悔しい。ツインソウルはおそらく、絶対に勝つことのできない、究極のライバルなのだろう。

 さて、ここのところ停滞気味だったツインソウルのエネルギーも、次第に充満しつつあるのを感じる。今後の展開が楽しみでもある。

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2005.01.20

義理チョコへの抵抗

 ようやくお正月気分が抜けて来ると、スーパーには、バレンタインに向けて様々なチョコレートが積み上げられる。そのほとんどが義理チョコと呼ばれるものだ。

 自慢じゃないが、私は、義理チョコというものを、生まれてこのかた一度もあげたことがない。バレンタインなんて、お菓子屋さんが始めたことなのに、本命以外の人には、絶対にチョコレートをあげたくなかったのだ。愛情もなしに、形式だけにとらわれたくないという気持ちと、自分の想いを決して安売りしたくない気持ちが強く働いたのだと思う。しかし、派遣社員としてあちこちの会社で働いていると、
「女性だけで男性たちにチョコを買うのですが、ご一緒にいかがですか?」
などというお誘いを受けることがある。しかし、私は、
「義理チョコはあげない主義なので」
と、毎回断っている。

 バレンタインと言えば、思い出すのが、東京に住んでいたときに、バレンタインの売り子として、銀座の某店で働いたときのことだ。毛皮のコートに身を包んだホステスさんと思われる女性が、名刺のコピーをたくさん持って来て、高価なチョコレートをたくさん買い込み、それぞれの名刺の宛先に発送してくださいと言った。それらの名刺を見ると、どの人も、会社の社長さんや役員クラスの人たちばかりだった。当時、学生だった私は、見たくはなかった大人のいやらしい世界を見せつけられたような気がしたものだ。

 私は、現世では女性として生まれたので、バレンタインデーを過ごす男性の気持ちは良くわからない。もしかすると、チョコレートを一つももらえないのは、男として最低などと悲観してしまうのだろうか。もしそうだとすると、私は、そんな悲観はしなくてもいいと思う。百個の義理チョコよりも、想いのこもった本命チョコ一つだけのほうがいいし、たった一つの義理チョコをもらうくらいなら、もらわないほうがまだましだ。もしも義理チョコをあげることで、人間関係がスムーズに行くのなら、その関係はどこか嘘っぽい気がしてならない。家族でチョコを贈り合う人たちもいらっしゃるようだが、感情がこもっているのであれば、それはいいことだと思う。感情を込めずに、ただ、ものを右から左に流すだけの行為なら、しないほうがましだということである。

 今をどう生きるかというのは、もらったチョコの数でもないし、何人の女性と関係を持ったかということでもない。魂に深く焼き付けられるほどの深い愛を経験したかどうかだと私は思う。

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2005.01.19

最小単位に返る

 最近、一つ一つの魂と丁寧に関わることができなくなって来ている。しばらくぼんやり過ごしているうちに、掲示板やメールの返信がどんどん溜まってしまい、気が付いたらその数はおよそ三十件ほどにも膨れ上がってしまっていた。こういうときこそ私は、最小単位に返らなければと思ってしまう。私にとっての最小単位とは、そう、ガンモだ。

 今日はガンモの仕事が休みだった。私は仕事を終えて帰宅し、ベッドの上でガンモと夕食を取った。そのときに、ガンモの顔を見ていると、突然、たくさんの涙がこみ上げて来た。ガンモが鉄道乗りつぶしを始めた頃、ガタンゴトンツアーから帰って来ると、ベッドの上の壁に貼り付けた鉄道路線が印刷された白い地図を、蛍光ペンで、さも得意そうに塗りつぶしていたことを思い出したのだ。私は、そのときのガンモの動作の一つ一つを焼き付けている。ああ、ガンモは本当に鉄道が好きで好きでたまらないのだなあと思うと、それだけで涙がポロポロ出て来た。愛する人が熱狂しているものというのは、連鎖的にその人の魂を思い起こさせ、思わず涙を誘うのだった。

 私は、ガンモが鉄道を好きだということを、魂に深く刻んでおきたいと思った。来世でガンモと出会っても思い出せるように。

 夕食を食べ終わって、ベッドの上でガンモとしばらく抱き合っていた。もっと体重が軽かった頃は、私がガンモの上に乗っかったままソファの上で眠りに就いたこともあった。
「今だと圧死しちゃうよね」
と、お互いに笑い合う私たちであった。

 ガンモのおかげで、ちょっと回復できた。行き詰まったときは、いったん最小単位に返り、そこから再スタートするのが一番いい。

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2005.01.18

ガンモのプレッシャー

 だいぶ落ち着いて来たものの、まだまぶたがトローンとして重い。日中、稼働率六十パーセントで仕事をする。

 今夜、ガンモは飲み会のため、遅く帰宅した。帰って来るなり、
「まーるみ」
と言う。
「どうしたの?」
と尋ねると、職場でリーダーを担当することになり、これまでよりも仕事の責任が重くなってしまったのだと言う。やがて、便意をもよおしたガンモは、話の続きがあると言って、私をトイレに呼んだ。そして、ガンモは便座に座り、私はトイレのドアから顔を出してガンモの話の続きを聞くことになった。
「これからは、ガタンゴトンに出掛けても、しょっちゅう仕事のメールをチェックしなきゃいけなくなるの」
「事務処理が大変なの?」
「それもあるけど、いろいろ大変なの」
「文章を考えるの、苦手だもんね。文章を組み立てるくらいだったら力を貸すから、いつでも言ってよ」
と私は言った。

 トイレから出て来たガンモと抱き合ったら、飲み会の席で染み付いたと思われる煙草の臭いがした。満四十一歳、本厄のガンモ。これからどんどんガンモに仕事の責任が降りかかって行く。こんなだから、サラリーマンは、いつまでも少年のようには生きられない仕組みになっているのだ。私にも、家庭生活と社会生活のギャップが存在しているように、きっとガンモにも、こうありたいと思う自分と、実際の自分との間に大きなギャップが存在しているのだろう。

 お金とは、愛情のなさを埋め合わせるためのもの。その証拠に、愛情で結ばれた関係においては、ビジネスとしてのお金のやりとりは発生しない。そんなお金を稼ぐために、自分をおかしくしてしまってはいけない。だから、ガンモにも、もっとリラックスして欲しい。何故なら、お金のある世界は、むしろ恥なのだから。

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2005.01.17

新人くんとベテランくん

 今日も身体がだるく、休みを取りたい気分だったのだが、何とか出勤した。睡眠時間をたっぷり取っているはずなのに、まぶたが自然に降りて来る。三カ月ほど前の生理のときも同じような症状だったのだが、この二ヶ月、生理がとても軽かったので、ちょっと油断していたかもしれない。しかし、夕方になると、ようやく意識がはっきりとして来た。今日は定時退社日だったので、さっさと仕事を上がり、ガンモと自宅近くの駅で待ち合わせをして夕ご飯を一緒に食べた。

 入ったのは、アルバイトと思われる店員さんが二人だけで切り盛りしているお店だった。新人くんがカウンター、ベテランくんが厨房を担当していた。新人くんは、見るからにおどおどしていて、何か失敗をするのではないかと、見ていてヒヤヒヤだった。ガンモにはお茶を出してくれたが、私にはお茶を出してくれなかった。しかし、おどおどしている新人くんに声を掛けて、彼が頭の中で描いているシーケンスを狂わせるのは申し訳ないような気がした。私が、言おうかどうしようか迷っていると、珍しくガンモが新人くんに、
「すみません、お茶ください」
と、声を掛けてくれた。新人くんは、申し訳なさそうにお茶を運んでくれた。

 ベテランくんは、厨房から店全体を見渡しながら、てきぱきと新人くんに指示を出している。新人くんは、ベテランくんに踊らされているようにも見える。お客さんの数が増えて来ると、ベテランくんの口調も次第に厳しくなる。他のお客さんたちも、新人くんとベテランくんのやりとりに、すっかり目を奪われているようだった。

 私たちは、新人くんが手際の悪いように見えていても、目が真剣な輝きを放っていることを見逃さなかった。私はガンモに言った。
「彼は、あのお店を辞めちゃうと思う?」
「いや、辞めないと思うよ。彼、一生懸命だもん」
とガンモは言った。私もまったく同じ意見だった。

 ベテランくんの無駄のない態度と、新人くんのおどおどしてはいるが真剣な目は、私たちに、仕事に対するプライドと、与えられた仕事を一生懸命こなすということを教えてくれたような気がする。今日会った新人くんもいつか、ベテランくんのようにてきぱきと働けるようになるだろう。しかし、ベテランになっても決して忘れてはいけないのは、自分が新人だったときのことである。もしも新人のときの気持ちを忘れてしまったら、新人くんに逃げ道を作ってあげられず、新人くんを追い込んでしまうことだろう。私が見る限り、ベテランくんは、自分が新人の頃の気持ちを忘れてはいなかったと思う。凸凹だけど、なかなかいいコンビだった。

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2005.01.16

ガンモの帰宅

 きのうから生理が始まった。生理の最中に鍼灸治療を受けると、身体が恐ろしくだるくなる。おそらく、その影響だろう。今日は一日中トローンとしていて、思うように活動できなかった。おまけに、ホルモンのバランスが崩れているせいだろう。どうにもこうにも眠くて仕方がない。夕方、ガンモが帰って来るので、大阪まで迎えに行き、一緒に夕食を食べて帰る約束をしていたのだが、どうも出掛けられそうにない。そこで、ガンモに電話を掛けていったん断った。しかし、その後、パソコンを立ち上げ、メールをチェックしてみると、電話を掛ける前に送ったと思われるガンモからのメールがあり、「○時○分に大阪に着くから」と書かれてあった。そうだ、私たちは、ようやく一日振りの再会なのだ。やっぱり、予定通り大阪に行こう。そう思って、ガンモにもう一度電話を掛け、支度を整え、家を出た。

 ガンモが到着するまでにまだ時間があったので、私はボーっとした頭のまま、ヨドバシカメラにフラフラと立ち寄り、携帯電話の機種変更をした。年が明けたら新しい機種に変更しようと決めていたからだ。機種変更にはおよそ四十分かかり、その間、私が現在使っている携帯電話を預けることになってしまった。私はガンモにもう一度電話を掛け、機種変更したことを告げたあと、待ち合わせ場所を決めて、携帯電話を預けた。

 携帯電話を預けていたため、ちょっとしたすれ違いもあったものの、ヨドバシカメラの店内で何とかガンモと再会できた。ガンモはすっかり鼻声になっていて、時折咳き込んでいた。風邪を引いていたため、旅館でお風呂には入らなかったと言う。見ると、私が伝授した方法で、カイロをバンダナに巻き込み、自分で喉を保護していた。ガンモに、
「カニはどうだった?」
と尋ねると、
「カニの話はやめて」
と言う。どうやら、カニのことを想像するだけでも気持ち悪くなってしまうほど、カニをたらふく食べて来たらしい。

 夕ご飯を食べて家に帰ると、ガンモは、
「やっぱり家が一番いい」
と言って喜んだ。そして、私たちは、歓喜天のように、一日振りの熱い抱擁を交わした。

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2005.01.15

ガンモ、かにカニガタンゴトン

 会社の行事のため、今日から一泊の予定で、ガンモが鳥取までカニを食べに出掛けた。現地集合ということなので、ガンモは先日の旅行で余った青春18きっぷを使い、片道六時間半もかけて、一人で鳥取入りした。私は、午前中は歯医者と鍼灸医院、夕方はマンションの管理組合のミーティングと、慌しく動き回っていた。

 管理組合のミーティングが終わり、家に帰ったとき、ああ、今夜はガンモがいないのだということを強く実感した。家の中は、しんと静まり返っていた。ガンモとたった一日離れるだけなのに、やはり寂しいものだ。

 出掛ける前、ガンモは風邪を引いて喉が痛いと言っていた。私は、カイロをバンダナでくるみ、それをガンモの首に喉を保護するように巻いてあげた。ガンモは、喉が温まって気持ちがいいと言った。鳥取は寒いので、風邪が悪化しなければいいのだが・・・・・・。

 今夜は広い広いシングルベッドで一人寂しく眠ろう。

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2005.01.14

モデル撮影会への抵抗

 ガンモが所属している某カメラ倶楽部の会報に、ヌード撮影会の案内が書かれていた。ガンモも私も趣味でカメラをいじくったり、あちこち出掛けては写真を撮ったりして楽しんでいるが、ヌード撮影会と名のつくものには、一度も参加したことがない。私は、ヌード撮影会どころか、服を着たモデル撮影会にさえ抵抗がある。

 何故、抵抗があるのかと言うと、撮影するときに、モデルさんたちと心を通わせることがないからだ。相手はあくまで商売として撮られようとする。カメラを向けられたら、誰に対しても愛想を振り撒くのが当たり前。彼女たちの笑顔は、心を許した特定の人だけに向けられる笑顔ではなく、大多数に向けられた営業用スマイルだ。撮影する側にも愛はなく、モデルさんたちを人間ではなくモノとして扱う。お互いに、感情をはさまないドライな関係。私はそこがイヤなのだ。

 ガンモと二人で参加している神戸のカメラクラブが主催する写真撮影会に、いつもモデルさんと一緒に参加しているメンバーがいる。その撮影会は、毎年行われているのだが、その方は、毎回違うモデルさんを連れて来る。単に風景だけを撮るわけにはいかないものだろうかと私はいつも思う。その方にも奥さんがいらっしゃるはずなのだが、奥さんではなく、何故、毎回モデルさんと同行されているのかも不思議でならない。芸術と生活は、常に切り離されなければならないのだろうか。

 そう言えば、学生の頃、DPEショップでアルバイトをしていたときに、ヌードの写真ばかり持って来るお客さんがいたことを思い出した。確か、どの写真を見せてもらっても、違うモデルさんだったように思う。私は、そのお客さんが苦手だった。

 果たして、撮影会という限られた時間の中で、モデルと撮影者は、親密な関係を築き上げることができるのだろうか。そうした撮影会で撮られた写真よりも、日常のスナップ写真のほうが、ぐっと心を動かされることが多いのは、気のせいだろうか。

※メールと掲示板の返信が、合わせて二十件ほど溜まってしまっています。現在、少しずつ返信させていただいておりますので、しばらくお時間をくださいますよう、お願い申し上げます。m(__)m

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2005.01.13

もしかして男前?

 今日は診察の日だったので、またまた仕事を休んだ。私は、
「あれから調子がいいので手術は見送ります」
ときっぱり宣言した。医師は、
「わかりました。では、しばらく様子を見ましょう」
と言ってくれた。あれだけ大騒ぎしていたのがバカみたいだ。次回の診察は三カ月後となった。しかし、いつかは切ることになるのだろう。

 それにしても、平日に仕事を休んで出歩くのは、かなりうれしい。私は、伸び放題の髪の毛をカットしてもらい、思い切りショートヘアに変身した。私はガンモの髪の毛をカットしてあげているのだが、ガンモは私の髪の毛をカットできない。だから、私は自分で美容院に行くしかないのだが、何しろ、日頃から当り障りのない会話が大の苦手なので、必然的に美容院でのやりとりも苦手である。だから、なかなか同じ美容院に通い続けることができない。顔なじみになることを恐れているのだ。今日も、病院の帰りにふらっと立ち寄ったお店でカットしてもらった。

 それから、三宮のインターネットカフェにこもり、ネットサーフィンに明け暮れた。夕方、ガンモと待ち合わせをして、夕ご飯を一緒に食べたのだが、私の髪型を確認した途端、ガンモはこう言った。
「いいなあ。そんな髪型、憧れるよ。俺もそんな髪型にしたい」
「えええええ? どこの世界に、妻の髪型に憧れる夫がいるんだよ」

 もしかして、今の私の髪型は、男前なんだろうか?

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2005.01.12

ああ言えばこう言う

 これは、えいりえさんの月見草:ムラについてのトラックバックである。えいりえさん、記事に取り上げてくださってありがとう。えいりえさんの記事を拝見したとき、私はまだツインソウルに対してムカムカした気持ちが残っていて、えいりえさんの記事になかなか反応できなかった。しかし、そのムカムカもようやく落ち着いて来たので、そろそろ五百行のメールに返信しようと思ったら、メールを読み返してまたムカムカ。結局、まだメールの返信ができていない。ツインソウルはやはり、ソウルメイトのように、共感ベースには行かないものだ。およそ受け入れがたいことばかり書かれてある。

 ツインソウルに、「メールを読んでてムカムカした」とメールを送ったら、そのムカムカが気に入ったらしく、「感情が揺れ動く、これぞダイナミズム」などと言う返事が返って来た。彼は一体何者なのだろう?

 さて、えいりえさんの記事を少し引用させていただく。

実は私はとてもムラのある人間である。
小説を書き出したときもそうであるが、何かに心や頭を捉われると、そのことばかりをしたくなる。他のことはする気にならないという状況だ。11月後半からはじまった小説書きは、仕事の忙しい12月にピークを迎え、年末を越えて年始にはサイトの立ち上げまでしてしまった。
一番しなかったのは年賀状の作成。言ってしまえば人との交流が一番関心が薄れていた。私は良くしゃべる人間だが、没頭すると全然しゃべらないことが苦にならない。年末年始の休みの間は、実家に帰ったときと友人から電話が来た以外人と喋らなかった。
すでにイラストも書いてあるのに、年賀状はいまだ手元に残っている。

 なるほど。この集中力は、私のツインソウルにとても良く似ている。もしかすると、集中力があるか、意識が分散しているかの違いなのだろうか? いや、他者との切り離しができるかどうかの違いでもあるように思う。私は、夢中になることがあったとしても、他者と自分をなかなか切り離すことができない。だから、旅行中でも、掲示板やメールの返信が気になったりする。もっとも顕著なのは、トイレ。自分の後ろに並んでいる人がいると思うと、リラックスできないため、出るものも出て来ない。おそらく、他者を切り離すことができないため、マイペースにできないのだと思う。

 集中型の人たちは、ここぞというときに集中できるようになっているのかもしれない。私は気が散りやすいので、集中したいときは音楽の力に頼ったり、仕事中には耳栓を使ったりする。

 今回、ツインソウルと話し合っているのは、ムラがあると、利用する関係を作り出しやすいということである。「自分の都合の良いときにしかアクションを起こさないのだから、お互いに利用する関係に陥りやすいのでは?」と私が指摘すると、「利用する関係も確かにあるが、近づく、遠のくという距離感だけで人間関係は計れない」とツインソウルは言う。私が、「もう、こんなムラのある交流は苦しい」と言うと、ツインソウルは、「全然苦しくない」と言う。

 ああ言えばこう言う。とにかく、ツインソウルと私はそんな感じの悪友なのだ。こんなやりとりからも、私がツインソウル的学びではなく、ソウルメイト的学びを好む理由がおわかりだろう。ソウルメイトであるガンモとは、いつも安定した関係で、やすらぎすら覚える。このやすらぎに、普段、私がどれだけ救われていることか。

※実際のところ、ツインソウルは、もの凄いエネルギーを放つ存在である。ただ、常にもの凄いエネルギーを放っているのではなく、波がある。今回の記事は、エネルギーが低いときの状態を表したものである。

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2005.01.11

肉体と精神の休養

 ゆうべ布団に入ったときに、ガンモの体温を感じながら、ガンモが私の隣にいてくれることがとてつもなく幸せだと感じた。そして、この平穏がずっと続いて行くことを、心から祈りながら眠りに就いた。

 今朝、目覚めたとき、肉体的にも精神的にも、仕事に出掛けることが困難であると感じた。肉体的には、旅の疲れと睡眠不足のため、体調を崩してしまっていた。精神的には、仕事に出掛けることは、愛からかけ離れる行為だと直感した。ガンモと愛情たっぷりの休日を送ったあと、無機質なやりとりしか行えない職場に足を運ぶことは、非常に困難であると感じたのだ。私は休暇を取り、肉体と精神を休養させた。

 肉体の休養に関しては、多くの人に理解していただけると思うのだが、精神の休養に関しては、なかなか理解し難い人も多いのではないだろうか。私はここのところ、「開いている」、「閉じている」という表現にこだわっているが、愛情いっぱいの楽しい休日を過ごし、愛し愛される喜びを実感しているときは、愛に関して開いているときである。しかし、職場では、愛に関して開いている必要がないので、せっかく開いている部分を閉じることになってしまう。それが苦痛なのだ。

 実は、これが、私がガンモと結婚してから感じ続けている家庭生活と社会生活とのギャップなのである。こうしたギャップを感じている人は、家庭生活が円満な人に多いのではないだろうか。ギャップを感じる対象は、何も仕事に限ったことではない。交友関係に対しても感じることが多々ある。だから私は、自分の世界を守るためにホームページやブログを持ち、開いている部分を維持しようとしているのだと思う。

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2005.01.10

宝塚観劇とえべっさん

 朝の新幹線で関西まで帰り、十五時から宝塚歌劇団・宙組公演を観劇した。ガンモが、
「何で東京にいるのに、宝塚を観に帰らなきゃいけないんだろう?」
と言った。いつもならば、せっかく東京に滞在しているのだから、最終日は秋葉原を散策したりする余裕があるものだ。何故、こんなにも慌しい旅になってしまったのか、詳しくは、ダブルブッキングをご参照あれ。

 今回の宙組公演は、これまでとは違う演出で、なかなか面白かった。ガンモもかなり満足している様子だった。しかし、連日の疲れのためか、レビューのときに、私はついウトウトして、ガンモに「禁止!」と言われてしまう。そう、私よりもガンモのほうが、宝塚に熱を入れ上げているのだった。

 宝塚を観劇したあと、阪急電車と阪神電車を乗り継いで、阪神西宮で降りた。関西にお住まいの方なら、きっとピンと来るだろう。そう、西宮えびす神社で行われている「えべっさん」に足を運んだのだ。商業が盛んな関西では、毎年一月九日から十一日までの間、「えべっさん」と言って、商売繁盛を祈るために、えびす神社と名のつく神社にたくさんの人たちが参拝する。いつもなら、「骨董ジャンボリー」と重なってしまって行くことができないのだが、今回は、宝塚観劇のために慌てて帰って来たので、こうして参拝することができたのだ。

 西宮えびす神社の周辺には、参拝客を喜ばせるために、たくさんの夜店が並ぶ。私たちは、晩御飯代わりに、お好み焼きやいかの姿焼きを買って食べた。

 神社に入り、おみくじを引くと、二人とも吉だった。引いたおみくじの番号はまったく異なっているのだが、書かれている内容はほとんど同じだった。二人とも、「旅行よし」とある。今年も、あちこち出歩くことになるのだろうか。

 今年はガンモが本厄なので、笹を買って、神社の境内で私がお払いをした。しかし、笹は、商売繁盛を意味するようなので、笹よりも、厄除けのお札を買ったほうが良かったのかもしれない。

 神社の境内をにぎわせているたくさんの夜店に紛れて、ある奥のほうの一角に、お化け屋敷があるのを発見し、ガンモと二人で入った。入場料金五百円。実は、このお化け屋敷は、人形ではなく、生身の人間が客を驚かせる、大変怖いお化け屋敷だった。人形なら、急に現れてもまだ平静を保てるが、生身の人間にふいに驚かされるのは、とにかく心臓に悪い。以前、敦賀だったと思うが、同じように夏祭りが行われていた神社の境内で、生身の人間がお化けをやっているお化け屋敷に入ったことがあり、このときも、ガンモとギャアギャア言いながら、命からがら出口から飛び出したのを覚えている。

 このような夜店も、お祭りが終わると、跡形もなく消え去ってしまう。それでも、夜店の仕掛け人たちは、また新たなお祭りの場所を求めて、全国を旅しているのだろう。むしろ、跡形もなく消え去ってしまう夜店のほうが、お化け屋敷としてふさわしいと言えるのかもしれないが。夜店の中に、こんなお化け屋敷を見つけたら、皆さん是非ともお試しあれ。

※メールの返信が、かなり滞っています。少しずつ書かせていただいていますので、少々お時間をくださいませ。

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2005.01.09

日立電鉄と骨董ジャンボリーと新婚さんのお宅訪問

 今朝も早起きして、鉄道乗りつぶしに勤しんだ。本日のターゲットは、今年三月に廃線となる日立電鉄である。乗りつぶしのために、一日乗車券を購入したのだが、利用しているほとんどの人たちが、立派な鉄だった。カメラを構え、電車の雄姿を思い思いに撮影している。ガンモが外で撮影している間、車内でパソコンを取り出してごにょごにょやっていると、私自身もうっかり優秀な鉄に間違われてしまった。私はまだそれほど鉄ではないのだと否定しておいたのだが、どうやら、撮影した写真のデータをパソコンに入力していると思われてしまったらしい。

 こうして日立電鉄を乗りつぶしたあと、水郡線、常磐線を乗り継いで、上野まで出た。そこから山手線に乗り換え、新橋で降りて、ゆりかもめに乗った。これから目指すは、東京ビッグサイトである。

 東京ビッグサイトでは、骨董ジャンボリーという大規模な骨董市が開催されている。骨董ジャンボリーは、夏と冬に年二回開催され、私たちは数年前の開催開始から、わずか一〜二回欠席しただけで、ほとんど毎回顔を出している。一番の魅力は、入場料金を支払う有料製の骨董市のため、業者さんがかなり値引きをしてくれる確率が高いということと、馴染みの業者さんや友人たちに会って、楽しく話ができるということだ。

 思わぬラッキーだったのは、入場するためにエスカレータを降りようとしていると、カメラ仲間の大先輩たちと遭遇し、
「これから入場するんだったら、これをあげるよ」
と言って、招待券を二枚くださったこと。いやいや、大変ありがたい。大先輩方に感謝である。

 入場して間もなく、いつも黒山の人だかりができている中古カメラのお店の前で、去年結婚したばかりの友人たちご夫婦と再会した。もともと友人だったのは男性のほうで、私たちがこうしたカメラ関係のイベントで東京に出掛けると、必ずと言っていいほど行動を共にしていた。その彼が、奥さんをもらって、三人ではなく、四人で行動できるようになった。そのことが、私にはとてもうれしかった。奥さんも、かなりのマニア筋の方で、会話をしていると、同じ血が騒いで来るのを感じる。温和でマニアっぽくて、いつもニコニコ笑っていて、私たちとも、まるで昔からの知り合いのような感覚で話ができる奥さん。私たちは、彼らとの再会を心から喜んだ。

 骨董市や中古カメラ市に出掛けても、最近の私たちは、購買意欲がすっかり落ちて来ている。欲しいものはもう集め尽くしたという感じなのだ。だから、滅多なことでは財布の紐が緩むことはないのだが、やはり、中古カメラはブームが去りつつあるので、驚くべき値段の目玉商品が残っていたりすると、思わず救出したい衝動に駆られることはある。しかし今回は踏み留まって、単に雰囲気を楽しむだけに終わった。

 それから、友人たちご夫婦のご自宅に、去年購入したばかりの新車でお送りいただいて、お邪魔した。私はその新居が一目見て気に入った。足の踏み場のないほど不要なものがたくさんある我が家と違って、必要最小限のものだけ揃えられたクリーンなイメージのその新居は、私たちに、結婚生活の原点に返ることを教えてくれた。そして、愛し合う男女の最小単位の組み合わせとして、結婚は存在しているのだということを、改めて実感した。私は彼らの生活に、男女の愛の原点を感じずにはいられなかった。結婚生活には、こうでなければならないという規則などなく、ただただ愛し合う男女が純粋に寄り添い、力を合わせて生活して行くことが最も基本的なことなのだと思った。それが結婚生活の原点であり、そこからいろいろな形に派生して行くものなのだと思った。

 前回の骨董ジャンボリー開催のときもそうだったのだが、友人たちご夫婦には、またしても夕ご飯をご馳走になってしまった。本当にありがとう。

 彼らは「ガンまる日記」をいつも読んでくださっている。Mac使いの彼らに、MacのI.E.で見ると、現在、「ガンまる日記」で使用している「森のくじらのテンプレート」の表示が記事の部分だけずれておかしくなるとご指摘いただいた。しかし、I.E.ではなく、Safariだと大丈夫なようである。(このテンプレートは、ユーザがカスタマイズできない仕様になっているため、MacのI.E.でご覧になっている皆様には、ご不便をおかけして大変申し訳ございませんm(__)m)

 友人宅から私たちの宿泊しているホテルが近かったため、またまた車でホテルまでお送りいただいた。本当にありがとう。重ね重ね、お世話になりました。余分なものを持ち過ぎている私たちに、男女の愛の原点を教えてくれてありがとう。

 今日はとにかく、いろいろな感動の多い一日だった。最後に、きっと、わかる人にしかわからないと思うのだが、東京ビッグサイトの一角に、インターネットコーナーが設置されているのを見て、またまた感動した。ああ、今日はいい一日だった。今日、お会いした皆さん、本当にどうもありがとう。

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2005.01.08

灯台下暗し?

 大揺れする寝台急行「銀河」が東京駅に着いたのは、午前七時前のことだった。前回同様、ほとんど眠れなかったのだが、どういうわけか、気分はさわやかだった。東京駅周辺で朝食を取り、千葉県の銚子へと向かう。これから銚子電鉄を乗りつぶすのだ。

 銚子電鉄は、社員数わずか二十四名という大変こぢんまりとした電鉄会社である。古びた車両には、テプラで作成したと思われる電車の路線図が掲示されている。良く見ると、車内に掲げられている広告も手作りのものが多い。更に、一日乗車券を買うと、日付のスタンプではなく、車掌さんが手書きで日付を書き入れてくれる。とにかく、アットホームな雰囲気の漂う情緒ある電車なのだ。

 私たちは、終点の外川で折り返し、外川から一つ手前の犬吠(いぬぼう)で降りた。ここから十数分歩いたところに、かの有名な、社会科の教科書に必ず出て来たであろう犬吠崎の灯台がある。

 灯台の中には、九十九段の階段があり、これをてくてく昇ると、お城で言うところの天守閣のような高い場所に到達できる。実は、九十九段の階段を上った先に、更に鉄製のひどく急で小さな階段があり、高所恐怖症の私は、昇るときはまだ良かったのだが、降りるときに命が縮まる思いがした。私はその階段を、手すりにつかまりながら、すべり台をすべるように、恐る恐る降りた。灯台の頂上に到達したときも、下を見下ろすと、思わず足がすくんだ。ガンモはガンモで、九十九段を休みなく昇ったために、あとで膝が笑うと言い出した。階段が一方通行で、私たちのすぐ後ろから昇って来ていた人がいたため、早く昇らなければと思ったのだ。

 ところで、最近、観光地などで見かけるポストに、その土地をもっとも象徴するオブジェが乗っかっていることに興味を示していることを、つい先日も書いたばかりだが、残念なことに、犬吠崎の灯台のすぐ側にあるポストには、何も乗っかっていなかった。私はガンモに、
「あのポストには、どうして灯台が乗っかってないんだろう?」
と尋ねた。すると、ガンモは、
「灯台下暗しなんじゃないの?」
と言った。このポストには、灯台が乗っかっていて欲しかった。

 それから私たちは、再び電車を乗り継いで、茨城県の日立市にやって来た。今夜は日立泊まりなのである。

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2005.01.07

寝台急行「銀河」の夜、再び

 寝台急行「銀河」の夜、そして、寄り添って眠るからおよそ半年。私たちは再び、寝台急行「銀河」を利用することになった。

 今回も、A寝台の上段が私、下段がガンモだった。しかし、前回と同じように、私は下段のガンモの寝台に枕と布団を持ってもぐり込み、まるでスプーンのように寄り添って眠った。ガンモ曰く、「銀河」の寝台は、我が家のシングルベッドよりも若干広いらしい。だから、自宅で寝ているのとほとんど変わりなく眠ることができた。(ただし、かなり揺れが激しく、熟睡というわけには行かなかった)

 カーテンを閉めると、周りにたくさんの人がいようとも、そこは二人だけの空間になる。私たちはその空間の中で、何度も何度もキスを交わした。

 途中、通り過ぎる駅や追い越して行く列車は、日常の光景を映し出していた。しかし、私たちの乗っているカーテン付きの寝台列車は、「にわか非日常」だった。日常の世界にいる人たちと目が合うと、何となく気恥ずかしい気がした。それはまるで、ルーフバルコニーに子供用のプールを広げて水浴びをしているときの気持ちに似ていた。

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2005.01.06

ツインソウルとの対立

 年末あたりから、ツインソウルとの長い長いメールのやりとりが続いている。理解し合うために、ツインソウルと私は、五百行近いメールを交わす。ガンモの名誉のために書いておくが、ツインソウルと私は決して男女の関係ではなく、愛の言葉を交わし合っているわけではない。人間としてどう生きて行くかというのが、ツインソウルと私が語り合うときの最大のテーマである。ツインソウルとは、お互いに正反対の生き方をしているために、常に相手の立場を理解し難い状況にある。ツインソウルと対話を始めると、どうしてこんなにも長くなってしまうのだろうといつも思う。五百行近いメールを書くには、かなりの時間と労力を必要とするのだが、何故かお互いに挫折しない。しかも、挫折しないばかりか、妥協もしない。深く根を掘り下げ、ベースになるものが同じであることを確認するまでそれは続く。しかし、今回の根は特に深く、私はムカムカしながらメールを書いている。

 不思議なことに、ツインソウルと対立していると、自分の人生のテーマが、ツインソウルの人生のテーマと反転した形で、くっきりと浮かび上がって来る。ツインソウルの取っている立場は明らかに、私が現世で体験したかったことではない。ツインソウルの生き方を知ると、私がこれまで最も毛嫌いして来た生き方を叩き付けられるのだ。そして、私はガンモのように、素直に愛を表現できて、何でも一緒にできる人と人生を一緒に過ごしたかったのだということを、はっきりと思い出す。そして、ガンモのことがたまらなくいとおしくなるのだ。つまり、ツインソウルと関われば関わるほど、それがガンモとの関係に返って来るという不思議な巡り合わせなのである。そして、ツインソウルの話を聞いていると、おそらくツインソウルにとってもそうなのだろうと思う。ツインソウルと愛のはなしを始めると、お互いのパートナーの自慢話みたいになってしまうのだ。

 ちなみに、今、ツインソウルと私が対立している原因は、無口とムラについてである。この両方が、ツインソウルにはあり、私にはない。私は、安定した関係がいかに貴重であるかを主張し、ツインソウルは、お互いにムラがあってもうまく行く関係もあるのだと主張する。ツインソウルの主張はいつも、関係がドロドロになってもそこから逃げ出さないことのほうが、単に安定したプラスだけの関係よりも素晴らしいということだ。私は、ムラがなく、安定し続けている関係のほうが素晴らしいと思っている。どちらも素晴らしいと認め合うことができれば、この対立は終わるのだろうが、お互いに、相手の立場を体験していないだけに、自分の体験していることのほうが素晴らしいと思い込んでいる。はてさて、お互いに負けず嫌い同士のこの対立は、どこまで続くのだろうか。

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2005.01.05

♪四十一歳の春だから

 今日はガンモの四十一歳の誕生日だった。そう、ガンモはとうとうバカボンのパパと同じ年になったのだ。ガンモも童顔なので、きっと四十一歳には見えないことだろう。ガンモは歳を重ねたことに対して、ちょっとしょげ返っている。どうやら自分の誕生日がうれしかったのは、三十代までだったらしい。

 私たちは、毎日が記念日なので、特別なことはしないのだが、今夜は仕事を終えたあと待ち合わせて、お気に入りのインド料理屋さんでディナーを食べた。と言っても、特に記念日でなくても、仕事の帰りにここに寄ることもあるのだが。いつもよりはグレードの高いコースを注文して、おなかいっぱい食べた。しかし、ガンモは仕事のことで悩みがあるらしく、口数が少なかった。

 私は、ガンモがこれまで乗り越えて来た様々なことを例に挙げて、ガンモを励ました。
「あれだけ辛かったことも、今はもう忘れているのだから、今抱えている問題だって、きっと平気になるときが来るよ」
と私は言った。

 駅のホームで、私はマフラーを振り回して、ガンモの厄払いをした。厄払いに行かないのなら、私が厄を払ってあげようと思ったのだ。しかし、厄を受けて立つほうが、ぐんぐん成長できるのではないだろうか? RPGだって、強い敵を打ち倒せば、経験値が大幅にアップするのだし。厄を払ってしまったら、強い敵がやって来ないのでは? ふと、そんなことも思った。

 おなかがいっぱいになったガンモは、ちょっと元気になっていた。

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2005.01.04

目玉焼きタイプと卵焼きタイプ

 男女の愛を考えるとき、大きく分けて、二通りの考え方がある。一つは、人間はもともと一人という割り切った考えで、お互いに個を尊重した付き合い方をする。そしてもう一つは、相手と融合して行くことを喜びとする考えで、互いに溶け合って一つになることに喜びを見出す。私がガンモと体験しているのは、間違いなく後者だ。だから、必然的に似て来るし、最初から似ている部分も多い。

 二つの付き合い方は、それぞれ、目玉焼きタイプと卵焼きタイプと言うことができる。目玉焼きタイプは、白身は白身、黄身は黄身のままで存在しているが、全体としては一つだ。卵焼きタイプは、白身と黄身の境界をなくし、同一のものとして混ざり合う。食べ物に例えたとしても、私は卵焼きのほうが好きだ。

 当然のことながら、それぞれ異なるタイプの愛を体験している人たちが対話を始めると、お互いの立場をなかなか理解し合うことができない。個を守りたい目玉焼きタイプの人たちは、卵焼きタイプの体験している融合が、大変窮屈に思えるらしい。個を尊重するあまり、いつも一緒にいたい、お揃いでいたいという気持ちを理解できないために、お互いの自由意思でそうしていることを、拘束し合っていると思い込んでしまうようだ。一方、卵焼きタイプの人が目玉焼きタイプの人を観察すると、ドライな関係に見えてしまう。何故、一緒に行動しないのか、とても不思議に思ってしまうようだ。更に、「尊重」という表現に妙にひっかかり、「『尊重』などと言うのは、自分が長い時間、相手と一緒にいることを苦痛に感じてしまうからでは?」などとひねくれた考えを持ってしまう。

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2005.01.03

持続と変化

 今日でとうとうお正月休みも終わり、いよいよ明日から仕事が始まる。あちこち出掛けたおかげで、あっという間のお正月休みだった。お正月休み最後の今日は、ガンモも仕事で呼び出されることもなく、まったりとした時間を過ごした。

 ところで、先日、愛と人生ってなんだろうね「理想の相手」が相手を縛るにコメントを書かせていただいたところ、管理人のmiyashuさんより「もう少し詳しく説明を」とのリクエストがあったので、トラックバックさせていただくことにする。

【元の記事より引用】
それは言い換えれば、ここまでの理想的な相手がいながらも「悪魔」の力は強く人を引っ張るものであるということを主張したいのでしょうか。あるいは理想過ぎるからこそそこに問題が生じるといいたいのでしょうか。

【それに対する私のコメント】
世の中に戦争が起こってしまう原因が、これと似ているのかもしれませんね。
私は、生きて行くときのテーマとして、持続と変化があると思っています。
これらは、片方だけでなく、両方必要なのでは? と思うのです。

そう言えば、今年観た『ビッグフィッシュ』という映画の中に、ユートピアにいる詩人が詩を書けないと嘆いているシーンがあり、とても印象的でした。
満たされていない状態は、何かを生み出したいエネルギーになるのではないでしょうか。

 愛を持続させることは男女の関係においてもっとももっとも大切なことの一つであるが、次第に変化して行く要素もある。あたかも持続だけで突っ走っているような男女にさえ、必ず変化は訪れている。その変化が著しくなく、例え変化してもお互いの関係が常に相対的に保たれていれば、変化が持続を上回ることはない。変化が持続を上回った場合、劣化になる。上記の私のコメントに当てはまっているのは、変化が持続を上回る関係に限定されるだろう。と、ここまでは前置きである。

 ホームページを通じていろいろな方々と交流させていただく中で、私がいつも感じているのは、多くの人が男女間の問題を抱えているということである。自由意思に満ち溢れた存在である私たちが、わざわざそのような選択をしてしまうのは、問題を抱えていたほうが、本当の愛を理解しやすいということの証なのではないかと思う。つまり、本当に愛する人の不在でもって、その人が自分にとっていかに貴重な存在であることを確かめようとしているということである。不足している状態が、活力になるのだ。

 愛を持続させることができない多くの人は、本当の愛を知るために、わざわざ遠回りの選択をしてしまう。その遠回りが何故必要なのかと言うと、関わりが長くなって行くと、変化が持続を上回ってしまうからなのではないだろうか。そして、この元記事に書かれているのは、愛を持続することができない人の例ではないだろうか。

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2005.01.02

ガンモの実家

 ゆうべ、午後七時半頃、ガンモの実家に着いた。私たちが帰ると、義母はたくさんの心のこもった手料理で私たちをもてなしてくれる。義母の手料理は、薄味で、私の口に馴染む。私はいつもパクパク食べ過ぎて、ガンモに怒られてしまう。

 私の実家の両親に比べて、ガンモの両親はとても大人しい。私たちの料理を用意してくれたあと、そっと別の部屋にこもり、私たちが食べ終わるのを静かに待ってくれている。私たちと一緒にご飯を食べたがる私の実家の両親とは大違いだ。

 ところが今回は、私たちの食事中も、義母がキッチンに残ってくれた。私たちとコミュニケーションを取りたがっているのがわかる。そのうち、別の部屋でテレビを見ていた義父もやって来る。静かな人たちなので、わいわい騒いで大笑いするようなことはないが、いつの間にか世間話で盛り上がる。

 ガンモは、両親の前でもほとんどしゃべらないので、私が言葉の繋ぎ役を買って出ることになる。今年本厄のガンモは、義母から地元の有名なお寺にお払いに行くことをしきりに勧められるのだが、厄払いのお寺が駅から遠いこともあって、ガンモは頑なに拒んでいた。こういうとき、親の言うことを素直にきくことが親孝行になるのだろうか? 私はガンモに、
「親の言うことはきくものよ」
と言ってみたものの、心の中ではしっくり来なかった。

 私たちは親に甘えさせてもらったおかげで、旅行の疲れや睡眠不足をすっかり解消させることができた。いつもなら、香川のガンモの実家に一泊したあと、お隣の愛媛の私の実家にも一泊して帰るのだが、明日はガンモが自宅待機の担当のため、自宅に帰らなければならず、私の実家に帰ることは見送った。

 両親とのほんの短い再会はいつも、私たちが両親からの愛情を受け取るだけに終わってしまう。男女の愛と違って、親子の愛には時間差が起こり得る。特に、私たちのようなひねくれ者は、親から受け取った愛をリアルタイムで返すことができない。それは、もともと、ストレートな愛情を親から受けて育っていないせいだと思われる。特に、私の両親などは、私への愛情をストレートに表現せずに私を育て上げた。以前もここに書いたことがあるが、田舎にはへりくだりの文化があるために、親は自分の子供を誉めないのだ。子供は誉めてあげないとひねくれる。そして、一度ひねくれてしまうと、愛情表現が下手になってしまう。ガンモもまた、私と同じように育って来たそうだ。そんな私たちは、こうして親の愛を受け取ることができるようになった分だけ、まだ進歩していると言えるのだ。

 実は、この裏には、私たちが親元を離れる時期が早かったという背景がある。ガンモは十六歳、私は十八歳のときに親元を離れ、一人暮らしを始めた。その後、親元を離れたまま就職、そして結婚したので、私たちは、その頃までしか親と同居していないことになる。世の中には、もっともっと長い時間を親と過ごしている人たちもいる。そういう人たちは、親との密なコミュニケーションがずっと続いているのだと思う。しかし、そうでない私たちは、親からしてみれば、もっともっと手をかけたい対象なのではないだろうか。

 夕方になって、とうとうガンモの実家をあとにすることになり、名残惜しい思いを抱えながらも、帰路についた。きっと、今と違う距離感ならば、親に対して感じることもまた違って来るのだろう。

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2005.01.01

一年の計は元旦にあり?

※みなさま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 私たちがカウントダウンライブに出掛ける直前に、某駅の改札で働いていた彼女から電話がかかって来た。私たちが彼女のいる改札に突然やって来たので、とにかく驚いたが、相変わらず仲が良さそうで何より、と彼女は言った。彼女は大晦日もお正月も関係なく働くのだと言う。世の中は、そういう人たちが支えている部分が大きい。彼女のような人たちが、私たちの日常を保ってくれているのは大変ありがたいことだ。

 私は、今夜のライブのパンフレットの購入を友人に頼んでいたため(パンフレットは限定販売のため、売り切れる可能性があった)、できるだけ早い時間に会場に着いておきたかった。宿泊したホテルは、普段その会場を利用している駅とは反対方向にある別の駅付近にあったが、会場まで歩いて十五分くらいだとガンモは言う。彼女との電話を終えてホテルを出たのは、開演時間のおよそ四十五分前だった。

 何とか間に合うだろうと思いながら、会場までの道のりを急いだのだが、ホテルに地図を忘れて来てしまい、会場を目前にして迷子になってしまった。会場は、とある大きな敷地の中にあった。私たちは、その敷地内を、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、彷徨い続けていたのだった。時計を見ると、開演まであと十分しかない。私は、私のためにパンフレットを買ってくれている友人に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。暗闇の中、道端に立てかけられている地図で確認すると、まるっきり正反対の方向に歩いて来てしまっていることがわかった。私は、いつも用意周到なガンモが、地図を持って来なかったことに対し、文句を言った。
「何で地図を持って来なかったの? いつも持ってるのに」
とにかく、私はイライラしていた。ガンモは、
「○○さん(友人の名前)から電話があったので、それに気を取られて忘れてしまった」
と言う。私は、最初からタクシーに乗った方が確実だと提案したのだが、ガンモは会場に近い大きな建物が見えているので大丈夫だと言い張った。一年の締めくくりの日だと言うのにぶつぶつ文句を言いながら歩き、私の到着を、今か今かと待ち望んでいるであろう友人のことを思った。しかし、やがて、こうして私の道楽に付き合ってくれているガンモに対して、会場への案内を任せっ切りにしていたことも悪かったのだと思い、ガンモに謝った。
「ガンモ、ごめん。私もガンモに任せっ切りだったから」
こうして、私たちはすぐに仲直りした。

 元来た道を引き返し、ようやく会場に続く道を見つけた。しかし、裏側から入っていることになるため、いつもと勝手が違う。見慣れているようでいて、見たことのない景色ばかりが目に入って来る。結局、会場の周りをぐるっと周り、やっとのことで、いつも利用している正面入口を見つけた。チケットを提示し、会場の中に足を踏み入れると、舞台はまだ暗く、静かな音楽が流れていた。もう、完全に遅刻だと思っていたのだが、何と、幸いなことに、まだ開演されていなかったのだ。おそらく、十分は遅刻していたと思う。会場内がまだ明るかったので、私は、パンフレットを買ってくれた友人の席に向かって走った。しかし、友人の席に辿り着くまでに会場内は消灯され、とうとうライブが始まってしまった。

 もはや、友人のところには、終演後に行くしかない、と思っていた。しかし、終演後となると、人の流れに逆らうことにもなるし、何よりも、終演後は一刻も早く自宅に早く帰りたいのではないだろうかという気持ちもあった。私の遅刻のために、彼女をいつまでも会場に引き留めてしまうことが、申し訳ない気がした。

 しかし、何という幸運だろうか。カウントダウンライブだったせいだと思うが、本編が始まっておよそ一時間後、
「これから三十分休憩!」
とアーチストが宣言したのだ。会場からは、驚きの声が上がっている。彼らのライブは、いつも長丁場になるが、アンコールは別にして、ライブの途中に休憩を挟むことなど有り得ない。またしても、私は彼らに助けられた。私は、明るくなった会場を、彼女の席を目指して走った。

 彼女に謝り、事情を説明し、そしてパンフレットを受け取った。実は、彼女自身は携帯電話を持っていなかったのだが、開演まであと十分というときになって、彼女と一緒にライブを観るという彼女の友人の携帯電話にメッセージを残しておいたのだ。その友人が私の残したメッセージを聞いて、彼女に説明し、ある程度の事情を察してくれていたらしい。とにかく、彼女には気をもませてしまったが、何とか気がかりなことが落ち着いた。

 しかし、実は、もう一つ気掛かりなことがあった。それは、私たちの睡眠不足だった。私たちはきのう、早朝から起きて活動していた。しかも、ライブの予定終演時間は午前一時半となっている。果たして、そんな時間までしっかりと目を開けていられるのだろうか。

 三十分の休憩の後、彼らが一曲演奏すると、カウントダウンの時間となった。10・9・8・7・6・5・4・3・2・1! Happy New Year!
 私は、隣にいるガンモと軽いキスを交わした。こうして、2005年が幕を開けた。

 午前一時を過ぎると、私たちは眠くて眠くて仕方がなくなってしまった。私は、コンタクトレンズを入れた目がしょぼしょぼする。あと三十分ほどで終演だ。それまで眠らずに頑張れと自分を励ましていたが、とにかくまぶたが重い。ガンモはとうとう力尽きて、席に身体をうずめて眠っている。風邪を引いてしまってはいけないので、私のコートをガンモにかけてあげる。私は、何とか頑張っていたが、午前一時半になっても、午前二時になっても、ライブは終わらなかった。眠い、助けてくれ・・・・・・、と私は思っていた。

 ライブは、午前二時二十分に終演した。途中の休憩時間を入れると、実に四時間もの間、会場に居たことになる。私たちは早々に会場を出て、ホテルまで歩いて帰ることにした。来るときに迷ってしまっただけに、帰りは何とか迷わずにホテルまで帰り着きたいと思っていたが、またしても迷ってしまった。というのも、方向としては合っていたのだが、道が塞がれていたのだ。よって、再び来た道を折り返すことになってしまった。終演直後、たくさんのタクシーが会場近くに集まっていたが、再びその場に戻ってみると、二台ほどしかタクシーがなかった。しかも、その二台は、行き先によって、乗車拒否をしているようだった。深夜の仕事だけに、行き先を選びたくなるのだろう。

 こうして、私たちは、帰りも一時間歩いた。会場に近いホテルを予約したはずなのに、片道一時間も歩くなら、自宅に帰ったほうがましだった。ホテルに帰り着いたとき、私たちは寝不足と肉体的な疲労でへろへろになっていた。

 一年の計が本当に元旦にあるのだとすると、私たちの2005年は、ことごとく直感が外れ、遠回りする年になってしまいそうだ。

 さて、開けて、今日。午前十時にホテルをチェックアウトし、阪和線を経由して和歌山に出た。そこから和歌山市まで出て、南海電車に乗り換え、和歌山港まで行き、徳島行きのフェリーに乗った。フェリーの中の二時間は、大変貴重な睡眠時間となった。この睡眠のおかげで、私たちはようやく元気を取り戻した。そして、徳島から高徳線に乗り、高松まで出て、高松から予讃線に乗り替え、ガンモの実家にやって来た。高徳線の中でもたっぷり睡眠を取った私たちは、すっかり元気になっていた。

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