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2004.12.08

はじめの一歩

 魂に、強烈な愛の記憶を刻み込んでいる人は、前世で深く関わった魂のことを記憶している。だから、現世でその魂と出会うと、自分と深く愛し合ったことのある魂だとすぐにわかるのである。そういう魂が複数存在しているということは、私たちが、たった一つの魂と深く関わっただけでは完結してしまわないことの証であると思う。

 魂に、強烈な愛の記憶を刻み込んでいない人もいる。自分自身を開かず、毎日を淡々と生きている人は、閉じてしまっているために、深い愛の感動を味わうことができない。よって、魂に刻み込むものがない。私が思うに、魂に刻み込まれるのは、通常の感覚よりもはみ出した想いなのではないだろうか。

 例えば、仕事の帰りに夜空を見上げながら、愛する人のことを想い、涙が溢れて来るか。時には溢れ出すその想いで、うずくまりたくなるほどか。いつもパワー全開で恋人や配偶者と関わっているか。想いが溢れて来て、どうしてもたまらず、トイレに駆け込むことがあるか。愛のはなしが好きで好きでたまらないか。これらの感動で流した涙が、はみ出した想いとして魂に刻まれて行くのではないだろうか。

 一つの魂と密に関わることを知ると、その魂との愛の記憶を自分の中に留めながら、別の魂と深く関わるようになる。そして、これを繰り返しているうちに、どの魂と関わったとしても、その関わりが特別深いものならば、同じ一体感を味わえるということに気づいて行くだろう。そうなれば、魂同志の区別がなくなる。区別がなくなれば、境界が取れて一つになる。これが、精神世界で言うところのワンネス(すべてはひとつ)に繋がって行くのではないだろうか。

 はじめの一歩は、恋人や配偶者と、はみ出すほどの想いで強烈に愛し合うこと。それを体験した人なら、その次にどんなことが起こるか、予想はつくだろう。それは、離れていても繋がっているような感覚だったり、別のパートナーと密に関わっていることが頼もしく思えたり。もしもそう思えないのであれば、まだ二つの魂は一つにはなっていないと私は思う。

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