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2004.12.05

遠くで汽笛を聞きながら

 京都・東寺で行われている骨董市にガンモと二人で行って来た。東寺では、毎月第一日曜と毎月二十一日に骨董市が開催されている。規模としては、毎月二十一日に開催されている「弘法さんの市」のほうがずっと大きい。

 家を出る前、私が住んでいる地域ではまったく雨が降っていなかったのだが、京都では雨が降ったり止んだりしていたようで、地面のあちこちに水溜りがあり、せっかくの骨董市も、全体的に消極的モードだった。

 古いものというのは、見ているだけで心が躍るものが多い。誰かが愛着をもって使用していたものや、これまで欲しかったのに、時期を逃してしまったため入手できなかった懐かしいものなど、いろいろな素性を持ったものたちが、まるで買ってくれといわんばかりに並べられている。私たちは、骨董市で古いカメラを買うこともある。最近では業者さんの目が肥えてしまったので珍しくなって来たが、以前は希少価値のある古カメラが格安な値段で手に入ることも多かった。

 ところで、骨董市を見て回っている間に、すぐ近くで汽笛が聞こえているのを、とても不思議に思っていた。最初は効果音のようにも思えたが、耳をすまして聞いてみると、本格的な汽笛であることがわかった。ガンモは何やら閃いたらしく、
「行こう」
と私に言った。どうやらガンモには、その汽笛に心当たりがあるらしい。

 骨董市をあとにして、汽笛の音を頼りに何十分も歩いた。すると、とある公園に着いて、公園の入口で提示されている地図の中に、「梅小路蒸気機関車館」と書かれているのが見えた。
「新幹線に乗ってると見えるとこだから。いつかここに来ようと思ってたんだ」
とガンモが言う。私は、地図も見ずにここまで辿り着いたガンモの鉄への情熱の深さに感心したものだ。

 そこでは、ほんの短い線路を行き来するだけなのだが、SLスチーム号という本物のSLに乗車することができた。汽笛の音は、SLスチーム号が鳴らすガンモへの熱いラブコールだったのだ。SLの乗車券は大人二百円。私たちはわくわくしながら、SL乗車待ちの行列に並んだ。

 間もなく、ホームに入線して来たSLを見ると、トロッコ列車になっている。それだけでも、楽しい気分になる。SLに乗るために集まって来た人たちを見ると、子供さん連れの家族も多いが、大人もたくさんいる。みんな、子供みたいにうれしそうな顔をしている。

 みんなの喜びが伝わるのか、毎日、決められた時間に、決められた回数、同じことを繰り返しているはずの係員の人たちの顔もほころんでいる。あたかも、乗客それぞれにとっての当別な日を応援しているかのようだ。私は、非日常を体験しようとやって来ている乗客の誰かの喜びが、日常お決まりの仕事としてこなしている係員にも伝わっているということが、とてつもなくうれしかった。そして、その状況に愛を感じずにはいられなかった。

 SLスチーム号は、本物の石炭を消費しながら動いている。たくさんの石炭を使用しても、実際にSLの原動力になるのはほんのわずかである。つまり、SLは、大変燃費の悪い贅沢な列車である。それでも、これだけ多くの感動を私たちに与えてくれるのだから、多少の無駄には目をつむりたくなってしまう。

 人々は、非日常であるSLの一つ一つの動きから目を離さず、じっと見守っていた。こうした感動的な体験が、日常に戻ったときの糧になって行くのではないだろうか。

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