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2004.12.04

寄せては返す波のように

 今朝、私を自開症と言った人からメールが届いていた。そのメールの中に、今のスランプを抜けるヒントが隠されていた。そう、波だ。陽の私は、寄せている波だけが心地良いと思いたがる。しかし、引いているときも、再び寄せるための準備を整えている。だとすると、波は、再び寄せるという信頼があるから引くことができるのかもしれない。もしも波が二度と寄せないとわかっていたら、波は停止してしまうのではないだろうか。

 もしかすると、音楽も同じなのかもしれない。単調なリズムが繰り返されたかと思えば、やがて変拍子になる。耳をつんざくような大音響が聞こえて来たかと思えば、繊細なアコースティックサウンドが心地良く耳に響いて来る。これらが一つのアーチストで実現されるからこそ、本当に面白いと思えるのではないだろうか。

 話は変わるが、実は先日、向かい合わせの関係と背中合わせの関係が、同じ意味であることに気がついた。私は、向かい合わせの関係こそが素晴らしい関係だと思っていたが、地球が丸いとするならば、背中合わせの関係もまた、もっとも遠い向かい合わせの関係だったのだ。だから、波が寄せているときは、もっとも遠まわしの状態で引いているのだし、反対に、波が引いているときは、もっとも遠まわしの状態で寄せているのだった。

 嵐の翌日は、からりと快晴になる。空はまるで、たくさんの雨を降らしたことを忘れているかのようだ。すべては対比の中にあり、陰と陽は過不足なく存在している。

 戦争と平和の繰り返しもまた、同様なのかもしれない。多くの人が平和を願っているにもかかわらず、いつまで経っても戦争がなくならないのは、人々が平和という単調なリズムに飽きが来てしまうからではないだろうか。

※脱線ついでに、ちょっと興味深い記事を。
米、ヘビメタ攻撃 武装勢力に効果!? 大音響で「精神的苦痛」らしい

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