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2004.12.01

時間と空間

 インターネットが著しく普及した昨今、時間や空間を超えたコミュニケーションが、これまでよりも容易になったと言える。かつては、海外に住んでいる人とは、手紙やFAXによるコミュニケーションが主流だった。手紙は時間がかかるし、FAXは電話回線と共用していると、時差のため、朝方の呼び出し音に目覚めてしまうなどという難点があった。E-Mailや掲示板は、大変手軽でお互いの都合の良いときに交流できるコミュニケーションツールである。

 関係性によっては、空間の隔たりが気になる人もいれば、時間の隔たりが気になる人もいるだろう。私の場合、空間よりも、時間の隔たりが気にかかるほうである。

 時間差というものが気にかかり始めたのは、確か、高校生の頃だったと思う。私は全日制の高校に通っていたのだが、普段自分が使っているその机を、定時制の生徒も使っているということに、不思議な感覚を覚えたのだ。誰だかわからないが、時間差はあっても、同じ空間を共有しているのは間違いなかった。もしも彼(女)と私が同じ時間軸にいれば、同じ机を共有して授業を受けることはできないわけである。

 この考えは、男女の関係にも応用できるのではないだろうか。そして、これらの時間と空間の一致した出会いが、私にはあまりにも緻密に計算されているとしか思えない。

 例えば、ガンモと私は同じ四国に生まれ、同じ時期に東京で暮らしていたことがある。厳密には、ガンモが住んでいたのは横浜だったのだが。ガンモが横浜を離れて五年後、私は、当時、ガンモが勤めていた会社の仕事を請け負うことになる。しかし、ガンモはもはやその会社を退職してしまっていたので、その仕事を通じてガンモと知り合うことはなかった。このとき、ガンモと私には時間差が生じていたことになる。

 この時間差を吸収できたのは、それから更に五年ほど経ってからのことだった。今になって思えば、あのときガンモと仕事を通じて知り合っていたとしても、これほどまでには盛り上がらなかっただろうと思う。お互いに、まだまだ精神的な準備が整っていなかったのだ。私には、凄まじいカルマの相手との関係を精算し終えたあとにガンモと出会う必要があったと思う。何故ならガンモは、カルマの相手との関係に疲れた私を、まるで癒すかのようなご褒美的な存在だからだ。

 いわゆる魂が近い存在とは、こうしたニアミスといったものが多発している。同じ場所に出掛けて行くのだが、時間軸がずれているために、同じ場所で同じ時間を共有できないのである。しかし、それは、これから自然に整って行く可能性を示唆しているようにも思える。無理に時間差を調整しようとすると、その後の計画が大きく狂ってしまうのではないだろうか。

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