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2004.11.27

限定されない世界を目指して

 以前、ある掲示板で、ある女性と、夫婦のあり方について語り合っていたときのことである。彼女は、ご主人さんがマスターベーションをする時間を彼のプライベートな時間として尊重しているのだそうだ。彼女は、夫婦にもプライベートな時間は必要だと言った。私はこの話を聞いて、目を丸くした。何故、マスターベーションが必要なのかということと、夫婦にもプライベートな時間が必要だということについてである。「ご主人さんのプライベートな時間」=「彼女に一緒にいて欲しくない時間」だとすると、彼女たち夫婦が、そこに触れないようにすることで成り立っている関係のように思えたのだ。それを尊重という言葉で表現されることに対し、私は納得が行かなかった。

 私が彼女に、新婚当時、どうして夫婦が仕事によって離れ離れにならなければならないのか寂しく思ったと話すと、彼女は、私たち夫婦の関係を、「まるで子供みたいな関係だ」と言った。おそらく、「いつも一緒にいたい」という感覚が、彼女には理解できなかったのだろう。彼女は、ご主人さんを仕事に送り出すときも、また帰って来てくれるとわかっているから送り出せると言った。私は、「いつも一緒にいたい」という気持ちを彼女にわかって欲しかったし、彼女もまた、ご主人さんとの間に信頼関係があるということを主張したかったのだろう。しかし、そのあたりを突っ込んでやりとりしようとすると、どうしてもお互いの夫婦の関係を否定してしまう形になり、その後、彼女と私の関係はこじれてしまった。

 今になって思うのだが、私が何故このとき心地が悪くなってしまうかと言うと、限定された世界の中でしか愛の話ができないと感じてしまったからだと思う。つまり、彼女が、「夫婦とはこういうもの」といった、ある種の諦めのような形で現状を受け入れようとしていることが、非常に心地悪かったのだと思う。それに対し、私は、「夫婦とはこういうもの」という枠を越えようとしていた。もっともっと人間対人間の根本的な部分から夫婦を始めたかった。それが、彼女には伝わらなかったと思うし、また、愛の経験も、彼女とは大きく異なっていたため、話が噛み合わなかったのだと思う。

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