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2004年11月

2004.11.30

サービス低下の床屋さん

 冬になると、サービス満点の床屋さんのサービスは、極端に低下する。カットするほうもカットされるほうも、服を着ていないと風邪を引いてしまうからだ。

 ガンモが風邪を引いているため、ガンモの髪の毛を切るのをしばらくじらしていたのだが、今日は顔を見る度にガンモに髪の毛をカットしてくれと懇願されたので、とうとう私も重い重い腰を上げた。余談だが、私の腰は、本当に重いのだ。

 寒いので、いつものように二人とも裸にはならずに、もっとも薄手の衣服をつけたまま浴室に入った。ガンモが、
「最近、寒いですねえ」
と私に話し掛ける。ガンモは既に、床屋のお客さんモードに入っているのだった。
「そうですねえ」
と私が床屋さんモードで答える。

 床屋さんの私としては、ガンモが風邪を引いているため、髪の毛を濡らしていないので、なかなかカットし辛かった。いつもより時間もかかるし、パサパサした状態のままでは、うまくカットできているかどうかもわかり辛いのだが、ガンモには早く早くと急かされる。湯船にお湯が入っているといえども、冬場のお風呂場は薄手の衣服だけでは寒いらしい。

 ようやくカットし終えると、ガンモは急にニコニコ顔になった。その幸せそうな顔を見て、私も幸せな気持ちになる。
「さっぱりして気持ちがいい」
とガンモがうれしそうに言う。どうやら、床屋さんには、余計なサービスはいらないみたいだ。

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2004.11.29

ガンモのおあずけ

 数日前からガンモが風邪を引いてしまっている。どうやら、寝ているときに私が毛布を奪い取ったことが原因らしい。ガンモが冬に引く風邪の80%はこれが原因だ。しかし、ガンモはそのことで怒ったりしない。そこがガンモの凄いところだ。私は、「ガンモ、ごめん」と謝りながら、ガンモの喉に、カイロをくるんだバンダナを巻いてあげる。風邪を引いているときは、喉を温めると気持ちがいいからだ。

 ガンモが風邪を引いているために、お風呂でサービス満点の床屋さんができず、ガンモの髪の毛は伸び放題である。私の顔を見る度に、
「髪の毛を切ってくれ」
と言う。しかし、お風呂で風邪を悪化させると困るので、床屋さんはしばらくおあずけなのだ。

 ところで、おあずけと言えば、最近、ガンモの中で、「フランダースの犬ごっこ」がマイブームになっている。私のところに寄り添って来て、
「パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ」
とか、
「来てくれたんだね、パトラッシュ」
などと言う。どうやら、愛読している日記ネタを拝借しているらしい。・・・・・・ということは、私がパトラッシュ? ワン!

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2004.11.28

防犯カメラに適したおっぱい

 今日は、地元の警察の方が来てくださって、防犯指導を受けた。先日、私たちのマンションで空き巣事件が発生したからだ。警察の方は、私たちのマンションをひと目見て、
「ああ、これは狙われやすいですね」
とおっしゃった。マンションが立体駐車場で死角になっていることと、オートロックにもかかわらず、一階の塀の高さが低いために、簡単に乗り越えられることなどを次々に指摘された。夜になると暗いので、センサー付きのライトを設置することや、防犯カメラを増設することに関しても、アドバイスをいただいた。

 ガンモは仕事に出掛けていたので、仕事から帰宅したガンモにこれらのことを報告した。するとガンモは、私のところにゴロンと寄り添って来て、
「まるみのおっぱいは防犯カメラに適している」
と言った。一体何を言い出すのかと思えば、要するに、私のおっぱいは、「たれパンダ」みたいになっているので、広い範囲を見渡しやすいということらしい。
「何言ってるの。ガンまる日記に書けないようなこと言わないでよ」
と言いつつ、今、こうして書いている。

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2004.11.27

限定されない世界を目指して

 以前、ある掲示板で、ある女性と、夫婦のあり方について語り合っていたときのことである。彼女は、ご主人さんがマスターベーションをする時間を彼のプライベートな時間として尊重しているのだそうだ。彼女は、夫婦にもプライベートな時間は必要だと言った。私はこの話を聞いて、目を丸くした。何故、マスターベーションが必要なのかということと、夫婦にもプライベートな時間が必要だということについてである。「ご主人さんのプライベートな時間」=「彼女に一緒にいて欲しくない時間」だとすると、彼女たち夫婦が、そこに触れないようにすることで成り立っている関係のように思えたのだ。それを尊重という言葉で表現されることに対し、私は納得が行かなかった。

 私が彼女に、新婚当時、どうして夫婦が仕事によって離れ離れにならなければならないのか寂しく思ったと話すと、彼女は、私たち夫婦の関係を、「まるで子供みたいな関係だ」と言った。おそらく、「いつも一緒にいたい」という感覚が、彼女には理解できなかったのだろう。彼女は、ご主人さんを仕事に送り出すときも、また帰って来てくれるとわかっているから送り出せると言った。私は、「いつも一緒にいたい」という気持ちを彼女にわかって欲しかったし、彼女もまた、ご主人さんとの間に信頼関係があるということを主張したかったのだろう。しかし、そのあたりを突っ込んでやりとりしようとすると、どうしてもお互いの夫婦の関係を否定してしまう形になり、その後、彼女と私の関係はこじれてしまった。

 今になって思うのだが、私が何故このとき心地が悪くなってしまうかと言うと、限定された世界の中でしか愛の話ができないと感じてしまったからだと思う。つまり、彼女が、「夫婦とはこういうもの」といった、ある種の諦めのような形で現状を受け入れようとしていることが、非常に心地悪かったのだと思う。それに対し、私は、「夫婦とはこういうもの」という枠を越えようとしていた。もっともっと人間対人間の根本的な部分から夫婦を始めたかった。それが、彼女には伝わらなかったと思うし、また、愛の経験も、彼女とは大きく異なっていたため、話が噛み合わなかったのだと思う。

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2004.11.26

「所有」について

 アルベルト・モラヴィアの『倦怠』という小説を読み終えた。お金持ちのご子息ディーノが、いつまでも情熱を持続させることができずに、突然、これまで情熱を持っていた対象から切り離されたような感覚に陥り、その対象がやがて、自分とはまったく関係のないものに変化してしまうという「倦怠」の悩みを抱えている。ある日ディーノは、まだ十代のチェチリアという女性に出会う。二人は決して恋に落ちたわけではなく、好きとか愛しているとかいう感情を介さないまま、肉体的な関係に溺れてしまうのだが、チェチリアのアプローチが熱心なので、ディーノは自分がチェチリアに愛されているものと思い込んでいた。やがてディーノは、チェチリアに十分愛されていると感じることで、再び「倦怠」を感じるようになってしまう。ところが、ある時点から、ディーノに対するチェチリアの行動が、これまでほど積極的ではなくなってしまう。ディーノはチェチリアに十分愛されていると思っていたはずなのに、チェチリアからの愛情を十分に感じ取れなくなってなってしまい、チェチリアを猛烈に「所有」したいという気持ちに駆られてしまう。ディーノがチェチリアを「所有」していると感じられるのは、彼女と肉体的な関係を持っているその瞬間だけだった。所有欲のために、ディーノはこれまで以上に激しくチェチリアを求めるようになる。

 私は、相手を「所有」したいと思うのは、二人の気持ちがアンバランスであることの証であるように思う。言い換えると、二人の気持ちのバランスが取れているときは、相手を「所有したい」という感情は生まれないのではないかということである。私はガンモを所有している。ガンモは私を所有している。どちらもピンと来ない。「所有したい」と思わないのは、お互いに、相手がどこにも行かないことを知っているからなのだろう。反対に、「所有したい」と思うのは、「所有していない」という現状の証でもある。すなわち、相手が自分の元を去って行くかもしれないという心配があるために、先回りして、「所有したい」と思うのではないだろうか。つまり、相手を「所有したい」と思うかどうかは、二人の間に信頼があるかないかの違いだと思う。

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2004.11.25

上質の喧嘩

 最近、私のホームページの掲示板では、「上質の喧嘩をしましょう」というのがスローガンとなっている。相性の良い相手とは喧嘩の相性も良く、喧嘩の最中でさえも相手の言い分を吸収し、対等でさっぱりした喧嘩をすることができる。反対に、相性の悪い相手とは喧嘩の相性も悪く、喧嘩の最中に吸収が行われないためにお互いの言い分がネチネチして、エネルギーを奪い合う喧嘩になってしまう。言い換えると、前者は愛のある喧嘩、後者は愛のない喧嘩と言えるだろう。

 私の経験から言えば、女性同士で上質の喧嘩をすることはなかなか難しい。そう思うのは、女性の多くは、本心を明かすことで関係が壊れてしまうと思っているために、なかなか本音を言い合える関係にまで発展しないからだ。言い換えると、女性同士の関係は、表面的に取り繕っただけの関係が多いと言える。つまり、無理にでもプラスの要素だけで関わる関係にしがみつこうとする。

 喧嘩をしていて最も心地が悪いのは、こちらの発言をまったく受け止めずに、これまでとはまったく別の話を始められてしまう場合である。話がいよいよ核心に迫ろうとしているのに、まるで今までのことなどなかったかのように、まったく別の話を始められると面食らってしまう。おそらく、核心に触れないようにすることで争いを避けようとしているのだと思うが、それが空振りに終わると、かえっていつまでもその問題をくすぶらせ続けることになる。お互いの主張ばかりの喧嘩についても、吸収が行われないという点では同様である。また、こちらが正直に話しているのに、相手が黙り込んでしまう状況も耐えられない。すなわち、お互いのエネルギー量が異なる喧嘩は、大変心地が悪い。

 喧嘩をしていて最も心地がいいのは、お互いのエネルギー量が同じで、立場的に対等な喧嘩である。これは、本当に、やみつきになるほど面白い。いつも新しい発見があり、喧嘩が終わったあと、「また喧嘩しようねえ」とまで言える。そういう関係は、喧嘩のあとにフィードバックが行われ、お互いの人間性の幅が広がって行く。しかし、このような喧嘩ができるようになるためには、相手との間に絶大な信頼関係がなければ実現できない。通常、この信頼関係は、喧嘩を行う相手との間に、愛と感動に満ちたやりとりの実績があることで築かれる。そういう観点から見ると、その相手との間に過去に味わった感動を守ろうとするための喧嘩になるのだ。

 上質な喧嘩は、愛を持って、根気良く言葉を発し続けて行くことで実現される。決してどちらかが「もう、やあめた」にならず、双方のエネルギーが飽和することで喧嘩が完結する。

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2004.11.24

宅配ボックスのデバッグ

 旅行から帰ると、「6番の宅配ボックスに荷物を入れておきました」という宅配便の不在連絡票がポストに入っていた。私たちの住むマンションには、不在のときでも荷物を受け取ることができるように、宅配ボックスが設置されている。この宅配ボックスで、元払いの荷物なら受け取ることができるのだ。宅配業者が宅配ボックスを操作し、空いている宅配ボックスに荷物を預けると、私たちが荷物を受け取るときに宅配業者の伝票に押すような受け取り印を押せるようになっている。

 宅配業者によって宅配ボックスに荷物が預けられると、宅配ボックスに受取人の部屋番号が表示される。荷物を受け取る人は、それぞれの部屋専用の磁気カードを通して宅配ボックスを操作し、自分宛に届いた荷物を取り出す。

 ところが、不在連絡票には6番の宅配ボックスに預けたと書かれているのに、宅配ボックスを見ても、私たちの部屋番号が表示されておらず、専用の磁気カードを通しても「荷物は届いていません」と表示されるばかりだった。

 そこで、今日、宅配業者に問い合わせてみたところ、宅配業者が宅配ボックスを操作したときに、エラーになってしまい、確かに6番の宅配ボックスに私たち宛の荷物を預けたにもかかわらず、私たちの部屋番号が表示されなかったことがわかった。預けたときにエラーになったことをどうにかして知らせたかったが、私たちがずっと不在だったため、どうしたものかと気をもんでいたらしい。「預けるときにエラーになりましたが、お荷物は確かに6番の宅配ボックスに入っています」というようなメモでも残しておいてくれると良かったのだが。

 ガンモにこのことを話すと、ガンモは、
「ちょっとテストしてみよう」
と言って、宅配ボックスへと向かった。何を始めるのかと思えば、ガンモは宅配業者になりすまし、荷物を届けるフリをして宅配ボックスを操作した。宅配ボックスは、現在利用できる空のボックス番号を示し、そのボックスの扉を開けた。最初に4番が開いたので、ガンモはそこにダミーの荷物を入れて扉を閉めた。宅配ボックスの中にはセンサーがついているようで、中に何も入れない状態で扉を閉めようとすると、扉が閉まらないような仕掛けになっていた。ガンモは、ダミーの用紙を使って、受け取り印をもらった。再び同じことを繰り返し、5番の宅配ボックスにもダミーの荷物を入れた。ガンモの狙いは、6番の宅配ボックスを開けることだった。ガンモは宅配ボックスに起こっている現象をロジカルに分析し、おそらく中のセンサーが壊れているために、荷物を預けるときに中に荷物が入っていることを認識できなかったものと睨んだのだ。

 再び同じ操作を繰り返すと、運良く6番の宅配ボックスが開いた。そして、その中には、私たちが受け取るはずだった荷物が入っていた。私は喜びの声をあげながら、中の荷物を取り出した。更にガンモは、6番の宅配ボックスのセンサーが壊れていないことを確認するために、再び同じ操作を繰り返し、6番の宅配ボックスを開き、ダミーの荷物をそこに入れた。その結果、6番の宅配ボックスのセンサーは壊れていないことがわかった。おそらく、何らかの悪条件が加わってしまい、センサーがうまく動作しなかったのだろう。

 こうしたロジカルな発想は、理系出身のガンモの得意とするところだ。私は文系出身なので、このようなことは思いつかない。ちなみに、こうした作業のことを、コンピュータ業界ではデバッグ(バグつぶし)と言う。

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2004.11.23

合掌村

 ゆうべはぐっすり眠れた。どうやら、私の空耳だったようである。(心霊体験記事を期待されていた皆さん、ごめんなさい)

 旅館をチェックアウトし、合掌村(がっしょうむら)まで歩いた。合掌村は、岐阜県白川郷から、いくつかの合掌造りの民家を移築した下呂温泉の観光スポットである。

 合掌村の中には「しらさぎ座」という芝居小屋があり、何と、一回三百円でお芝居と歌謡ショーを観劇できる。

 時間があったので観劇してみたのだが、本格的で、何とも味のある演技を披露してくれた。公演中、会場からたくさんの「おひねり」が飛び交っていたのが印象的だった。普段、宝塚歌劇団などの華やかなお芝居に慣れている私たちにとって、日本にはこういう文化がまだまだ残っていたのだということに気づかされるきっかけとなった。おそらく、宝塚の舞台に立つ人たちも、こういった旅芸人の方々も、舞台にかける意気込みは同じなのだろう。ただ、メジャーであるかマイナーであるかの違いだけなのだ。

 私はガンモと、旅芸人としての生き方について語り合った。
ガンモ「旅芸人の子供の生まれると、学校にもろくに行けないらしいよ。一ヶ月に一回、転校しなきゃいけないらしいから」
まるみ「へええ」
ガンモ「それに、劇団員を確保するためには、自分たちの子供を増やさなきゃいけないしね」
まるみ「だって、公演中はどこに泊まるの? 芝居小屋?」
ガンモ「そうなんじゃないの?」
まるみ「だったら、他の劇団員とのプライバシーもなくて大変だよね」

 私には、決して儲かっているようには見えないその劇団員の人たちが、とてもうらやましく思えた。何故なら、彼らは決してお金のために働いているのではないことがわかっていたからだ。好きなことを仕事にするというのは、ほんのちょっと勇気を出すだけなのに、お金のために働くという気持ちが先立って、なかなか実践できないのが現状である。それでも、ここにいる人たちは、自分の好きなことを仕事にしようという勇気を振り絞った人たちなのだと思った。

 ところで合掌村には、スーパーローラースライダーと言う、パイプのようなものがたくさんついたすべり台の施設があった。単に斜面をすべるだけでなく、パイプのようなもので転がされるので、スピードがどんどん加速するのである。利用金額は一回百円。私たちは、童心に返ってこのすべり台を利用してみた。つるつると滑って、スピードが出て怖いのだが、その怖さの中で私は、自分の子宮が活性化されるのを感じた。何故だかわからないが、これまで閉じていた感覚が、突然開かれたように感じたのだった。おまけに、私は高所恐怖症だったはずなのに、高いところから下を見下ろしても、そのときは大丈夫だと感じた。高所恐怖症が緩和されたことに関しても、これまで何か閉じていた部分が開かれたような感じだった。

 合掌村をあとにし、下呂駅まで歩いた。河原には無料の露天風呂があり、そこには何人かの男性がすっぽんぽんの姿で、さも気持ち良さそうに温泉に入っていた。橋を渡る人たちの視界に入るのだが、その姿を見ながら、
「自然がそうさせるのかねえ」
と首をかしげながら橋を渡って行く人たちがいた。私は何となく、露天風呂にすっぽんぽんで入れる男性たちがうらやましかった。何故なら私には、彼らが私たちよりもずっと開かれていると感じたからだ。

 下呂駅から少し歩いたところに、温泉を利用した幸乃湯という銭湯があったので、ガンモと入った。入銭料三百円。ただし、来月から三六〇円に値上がりするそうだ。露天風呂やサウナもある、本格的な銭湯だった。きのうの大浴場では、空耳のせいであたたまれまれなかったので、ここでゆっくりと身体をあたため、夕方の特急列車に乗って帰宅した。

 こうして、私たちの三泊四日の旅行が幕を閉じた。温泉は、腫れ物を緩和させる働きを持っているらしい。そんなこともあって、まるで老夫婦のように、鉄道乗りつぶしの旅とからめて温泉巡りを始めた私たちであった。

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2004.11.22

下呂温泉で空耳

 富山をあとにした私たちは、JRと神岡鉄道、それから濃飛バス、再びJRを乗り継いで、下呂温泉にやって来た。途中で乗った神岡鉄道は何と、列車の中に「いろり」があるという変わりものの鉄道だった。しかし良く見ると、いろりの火は電球だった。

 神岡鉄道の終点から折り返して濃飛バスに乗り、JR飛騨古川駅で降りた。そして、駅前を少し散策。ここは、倉敷と金沢を足して二で割ったような整備された街で、勢い良く流れる川の中を、大きな鯉が流れに逆らいながら、必死に留まろうとしていた。私にはこの鯉が、自分の子宮にはりついている筋腫に見えた。(苦笑)

 飛騨古川から飛騨高山まで出て、そこから高山本線に乗り換えて、下呂温泉にやって来た。ガンモも私も、下呂温泉に足を踏み入れるのは初めてである。

 駅の出口では、たくさんの運転手さんたちが、旅館の名前を書いた看板を掲げて立っていた。きっと、それぞれの旅館専属の運転手さんたちなのだろう。自分の泊まる旅館の名前を見つけた観光客は、次々に運転手さんに連れられ、運ばれて行った。

 私たちの泊まる旅館には、迎えの車がなかったので、駅からタクシーに乗った。タクシーが温泉旅館街を走り抜けようとしたとき、そこに広がっていた景色は、これまで見たこともないほど本格的な温泉旅館街だった。まるで、映画か何かのセットみたいだった。明日、温泉街を散策することを思うと、妙にわくわくして来た。

 旅館に着いて、大広間で夕食を取った。旅館でいただくお料理はボリューム万点で、とにかくおなかがいっぱいなる。ガンモは部屋に帰ると、牛みたいに横になってウトウトし始めた。そのとき、女性のため息のような声が、部屋の中からはっきりと聞こえた。ガンモにもそれが聞こえていたようだった。

ガンモ「まるみが何か言ったのかと思った」
まるみ「違う、私じゃないよ」

 このとき、特に寒気がしたわけではなかったので、もしかすると、そのとき廊下を歩いていた女の人の声が聞こえて来たのかもしれなかった。

 それからしばらくして、私たちは大浴場に行った。脱衣場には一つも衣服を脱いだ形跡がないのに、私の耳には扉の向こうの大浴場から、女性の鼻歌のようなものが聞こえていた。いやいや、あれは空耳だったかもしれない。もしかして、誰かいるのかと思い、大浴場に続く扉を開けてみると、やはり誰もいなかった。私はちょっと怖くなって、大急ぎで髪の毛と身体を洗った。髪の毛を洗い終わって、ふと鏡を見たとき、見てはいけないものが映っていたらどうしようと思うと、髪の毛を洗う仕草が極端に不自然になってしまった。

 それから湯船につかったのだが、湯船の温度はとてもぬるかった。しばらく湯船の中で温まらないと風邪をひきそうなほどのぬるさだったと言うのに、私はゆっくりと湯船につかることができずに、そそくさと上がり、着替えを済ませ、大浴場をあとにした。

 しかし、大急ぎで大浴場を出たところで、部屋の鍵はガンモが持っている。ガンモはいつもカラスの行水で、すぐに出て来るのだが、このときに限ってなかなか出て来ない。どうやらお客さんが少ないので、中でのんびりしているようだ。私は、「ガンモ、早く! 早く!」と祈りながら、寒い待合所でガンモが大浴場から出て来るのを待っていた。

 ようやくガンモが出て来たので、事情を説明して部屋に帰った。湯冷めをしないように注意しながら、Googleで「下呂温泉 幽霊」などのキーワードで検索してみた。それらしい記事は見当たらなかったので、とりあえずホッとしている。おそらく私の空耳だったのだろう。

 どうか今夜、ぐっすり眠れますように。

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2004.11.21

一歩後退

 きのうから、ガンモと北陸に来ている。きのうは和倉(わくら)温泉に泊まった。いつもはホテル泊まりなのだが、今回は、部屋に食事を運んでくれる旅館に泊まった。今回の私の生理は、驚くほど軽い。どうやら大変だったのは、初日だけだったようだ。

 今日は一日かけて、近々その八割程度が廃線になる「のと鉄道」を完乗した。それから、特急サンダーバードを乗り継いで、富山に入った。特急サンダーバードは、特に大きな特徴もない地味な列車である。ここのところ、あちこちの在来線特急列車に乗っているが、もっともインパクトがあったのはやはり、JR九州のリレーつばめだった。(リレーつばめとは、九州新幹線の一部として運行されている在来線特急。車両がとても近代的)

 富山に着いて、実家に電話を掛けた。すると母が出て、
「ガンモまるみ日記読んだよ」
と言う。そう、この「ガンまる日記」のことだ。私の症状が気になって、目を通してくれたらしい。
「親にも言わんことをいっぱい書いてえ」
と母は言う。はい、確かに。しかし、検査の結果が出た日、母は私に言ったのだ。
「ガンモと二人で先生の話を聞いたのなら、これからのことは二人で相談して決めなさい」
と。それなのに今日は、
「症状が重くならないうちに、さっさと手術しなさい」
と言う。せっかく自分でも一歩前進できたと思っていて、そのことを、一緒に喜んでくれた友人もいたのに。しかも、
「以前は子供が欲しいなんて積極的に思っていなかったのに、産めなくなってからあんなこと言うなんてね」
とも言われた。言われてみれば確かにその通りだ。こんな形で自分の過去の言葉が返って来ることになろうとは思ってもみなかった。子宮筋腫なんて、生理のときだけしのげば何とかなるし、身体を動かせば動かすほど調子がいいので病気じゃないと思って前向きになっていたのに、母の一言で、何だか気分が一気に暗くなってしまった。ああ、一歩後退。

 結局のところ、できる限りスピリチュアルに生きたいと思っていても、自分一人だけではそれが実現できないということがわかった。自分が開いている部分を提示しようとしても、相手がその部分に対して閉じてしまっていればそれまでである。ひとたびソウルメイトやツインソウルの関係の心地良さを知ってしまうと、こういうときに辛いのだ。この一歩後退が何を意味するのか、良く少し考えてみたい。

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2004.11.20

マンネリって何?

 これは、愛と人生ってなんだろうね結婚後の二人に起こるかも知れない事へのトラックバックである。

 結婚後にセックスレスに陥ってしまった男女が、外の異性に目を向けてしまう要因について、書き手のmiyashuさんは、以下のように書かれている。

これらのことからある長い期間連れ添っていたカップルがやがてマンネリ化して自分の相方に対しての性としての興味を失ってしまうということは十分考えられます。 日常生活の中で私たちは他人にはしないようなことを平気で自分の相手にやっていたりするものです。つまり、「だらしない」と他人に思われそうな言動や格好です。それらの事の積み重ねが二人の間の緊張感や羞恥心をなくしていき、やがて生活感が強い状態になっていきます。 それはそれでいいもんです。あるがままの自分をそのまま出してもなにもお咎めがない許しあう状態・・・きっと多くのカップルが望んでいることでしょう。しかしながらそれはセックスレスへ近づいていく道なのかもしれません。それが良いか悪いかは別にして。

 私は、セックスの原動力となるものが何であるかによって、上記のことが当てはまったり当てはまらなかったりするのではないかと思う。セックスの原動力である愛に、いろいろ余分なものをくっつけると、マンネリが起こってしまう。これは、miyashuさんの書かれている通りだと思う。

 周知の通り、我が家は互いに非常にリラックスしたオープンな関係である。人前ではおならができなくても、二人でいるときはおならができるし、時にはセックスの最中におならをすることだってある。トイレで用を足すのも開け放し。歯ブラシも共有、時には下着のパンツさえも共有、家の中は散らかっていてだらしない。体型だって、結婚前とはずいぶん違っている。それでも、決してマンネリにはならないのだ。

 マンネリの原因は、お互いのリラックスした態度から来るものではないと私は思う。マンネリの原因、それは、一言で言って、どちらかの怠慢から始まって行くものだと思うのだ。言い換えると、愛のエネルギーの循環を止めてしまうこと。すなわち、パートナーを心から愛する気持ちを表現することを、どちらかが一方的にやめてしまうことだ。その途端、愛のエネルギーの循環が停止し、継続的に愛を表現することがお互いに億劫になってしまう。そうなってしまうと、失ってみて初めてその大切さに気づくといったような関係に変化してしまうのだ。

 愛し合う男女は、継続的に愛のエネルギーを交換し合っている。そこには絶えず、美しい循環がある。愛のエネルギーの交換はとても感動的で、私は毎回のように涙を流している。マンネリに陥ってしまう人は、セックスの原動力を、純粋な愛以外のものに求めようとしているのだと思う。純粋な愛以外のものとは、例えば変化やメリハリのような、相手に飽きられないようにする「努力」であったり、常に異性として意識してもらえるような「努力」であったり。私は、それらの「努力」は、いつか必ず崩れて行くと思う。むしろマンネリとは、それらの「努力」(=本来の自分の姿でない態度)の老朽化した姿が、マンネリと呼ばれるものなのではないだろうか。

 愛をベースにセックスを考えると、そこに変化を求める必要はない。お互いが愛の循環を停止させない限り、いつも同じでつまらないとか、相手の行為に興ざめしたりすることはあり得ない。

※安心感のある関係が、必ずしもマンネリにはならないということを伝えたくて、ついつい力を入れて書いてしまいました。(苦笑)

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一歩前進

 今週は納品が控えていたため、仕事が特別忙しかった。その忙しい最中に休みを取ったので、プロジェクトのメンバーには大変申し訳ない気持ちでいっぱいだった。私が出勤してみると、私の担当していた部分のプログラムの修正が、上司の手によって完了されていたようだった。ああ、ありがたい。そして、今夜、出来上がったものを発注元に発送するため、作業はいよいよ大詰めに入っていた。

 しかし私には、一つだけ心配なことがあった。それは、今日から生理が始まってしまったことである。子宮筋腫を抱えている私にとって、生理は大変な恐怖だ。出血の量が多いので、トイレに行く度にズボンにもれてやしないかと心配になる。また、鉄分不足で頭がぼーっとして、頭が働かない。しかし、二ヶ月ほど前から鉄分を多く含んだサプリメントを服用していたせいか、貧血に関してはずいぶん調子がいいようだ。おなかの痛みをやわらげるため、おなかにカイロを貼った。残された問題は、出血の量だった。机の中に忍ばせてある生理用品のストックを見ると、ナプキンの数にはかなりの余裕があったが、タンポンがわずか二本しかなかった。これだけでは夜中の作業まで絶対に持たない。また、ズボンに血をにじませてしまうのかと思うと、気が滅入った。

 お昼過ぎには、タンポンを消費し切った。私はナプキンを二枚あてがい、外に漏れるのをしのいだ。しかし、そんな努力の甲斐もむなしく、私は再びズボンに生理の血をにじませてしまった。トイレに備え付けの便座シートに水を染み込ませてズボンに付いた血を一生懸命ふき取ったが、水で濡らした部分がかえって目立ってしまう。そのため、ほどほどに乾くまで、トイレで過ごした。

 私は、夕方の休憩時間に近くのスーパーまでタンポンを買いに行くことを決意した。そして、夕方の休憩時間になるのを待ちかねて職場を飛び出した。

 こうして私は救われた。結局、夜中の0時近くまでかかり、ようやく作業を終えた。地下鉄の終電の時間をとうに過ぎてしまっていたので、車通勤の人に、まだ動いているJRの最寄駅まで送ってもらった。家に着くと、午前一時を回っていた。

 仕事で他の人の作業待ちの間、私はいろいろなことを考えていた。きのう、筋腫と一緒に生きて行くと決心したのと同時に、私の中で長年くすぶり続けていた「妊娠・出産に対する恐怖心」が克服されたように思えた。子宮全摘の手術を受けるくらいなら、出産の痛みを味わうほうがずっとポジティヴだ。そう思えたのだ。高校のとき、初めてコンタクトレンズを目に入れたときに気を失い、眼科で酸素呼吸を受けた私。血液検査のときに、注射の針が怖くて気分が悪くなってしまう私。自分の脈拍を測ることも怖かった私。そんな臆病な私から、ようやく卒業できそうな気がした。

 ゆうべ、私はガンモに言った。
「私、ガンモの子供を産めないのかな」
そう言った途端、熱いものが込上げて来た。それは、自分の身体を嘆き悲しむと言うよりも、ガンモの種を残せないというガンモに対する申し訳ない気持ちから来るものだった。こんな気持ちになれたことは、私にとっては大きな一歩前進なのだ。

※皆さん、たくさんの励ましの言葉、ありがとうございます。ご覧の通り、私は大丈夫です。今回、このような記事を赤裸々に書かせていただいたのも、自分の気持ちを整理するためでもあります。今後、私の気持ちはどんどん変化して行くかもしれません。でも、過去にこんなことを思っていたという証を、ここに残しておきたかったのです。

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2004.11.18

『愛しの筋腫ちゃん』

 今日は、仕事を休んで病院に行って来た。先日のMRIの検査の結果を聞きに行くためだ。ガンモも一緒に付いて来てくれた。予約していたにもかかわらず、待合室で1時間半ほど待ち、ようやく名前を呼ばれて診察室に入った。

 レントゲンの写真を見るときのように、私のおなかの画像を輪切りにしたネガが、医師の手によって、白いライトをバックに照らし出された。医師はネガを差しながら、
「これが膀胱で、これが子宮。黒く映っているのはすべて筋腫です」
と説明してくれた。先日の内診でも言われた通り、確かに私の筋腫の数は四つどころではなかった。一番大きなもので直径七センチ。それが、膀胱を圧迫するような形に位置しており、あとは、ニセンチから三センチ台の筋腫があちこちに散らばっていた。子宮の内膜に張り付いている筋腫もあり、そのせいで、生理の出血量が多くなる現象が発生するそうだ。私は大きくうなずいた。ある程度、覚悟をしていたので、もはやそれらの画像を見せられても驚かなかった。あまりにも派手なその筋腫たちに、笑いさえ出て来た。

 医師に、
「夫にこの写真を見せたいのですが」
と申し出ると、
「ご主人さん、今、来られているのですか? なら、どうぞどうぞ。大事なお話ですので、一緒に聞いてもらってください」
と言ってくれた。私は診察室から顔を出して、待合室にいるガンモを呼んだ。ガンモは、何かよからぬことを聞かされるのかと思い、最初はしぶっていたのだが、「先生が一緒に聞いて欲しいと言ってくれている」と説明すると、一緒に診察室に入ってくれた。診察室に戻ると、看護婦さんがガンモのために椅子をもう一つ用意してくれていた。

 医師は、ガンモの前で、私にしたのと同じ説明を、もう一度、丁寧に繰り返してくれた。ガンモもいつになく緊張した様子で聞き入っている。

 医師の説明がひととおり説明が終わって、どのような治療法を選ぶかという話になり、子供を望んでいるかどうかで選択肢が変わって来ると言われた。もしも、子供を望む、望まないに関わらず判断するのであれば、私の場合は筋腫の数が多いので、子宮全摘手術という選択肢が最良の方法だろうと言われた。筋腫を一つずつ摘出する手術もできなくはないが、手術に時間がかかり、大量の血が奪われるため、予め自分の血液を保存しておくことが必要なのだそうだ。ただし、その方法では、手術のときに隠れて見えない筋腫を体内に残してしまう可能性も否めないそうだ。

 手術を勧められるという点では、地元の病院で診てもらったときと同じなのだが、こちらの病院では、手術の他にもいろいろな選択肢を提示してくださるので、それだけでもこの医師に対する信頼感が増して来た。私はやはり、手術をする決心はまだつかないと答えた。医師も、筋腫は悪性のものではないし、今すぐに手術が必要なわけではないので、納得の行くまで考えて答えを出してくださいと言ってくださった。来年一月に診察の予約を入れ、病院を後にした。

 ガンモもその医師がとても気に入ったようだった。
ガンモ「あの先生、気に入った。まあ、俺自身があの先生に診てもらうことはないけどね」
まるみ「あはは。産婦人科の先生だもんね」
私も今回の診断で、この医師に自分を預けてみようと思った。何よりも、大切な話だからと、ガンモを診察室に招待してくれたことがうれしかったし、こちらの話を良く聞いてくれるし、手術以外の選択肢も提示してくれるからだ。

 不思議なことに、私は重い気分にはなっていなかった。ガンモと一緒に診察を受けたことの安心感と、信頼できる医師と出会えたこと、そして、MRIの検査を受けたおかげで、これまで見えなかったものが見えて来たという安心感が、私を穏やかな気持ちにさせたのだった。また、先日読んだ、愛しの筋腫ちゃんという本の中に、私の求める答えを見つけたことも大きい。それは、子宮筋腫は病気ではないということ。この本の筆者も、私と同じように手術が嫌いで、東洋医学を始めとして、いろいろなスピリチュアルな治療法を探求して行くのだが、結果として筋腫は小さくならなくても、これまでの生活を改めることによって、筋腫以外の部分でどんどん健康になっている。Amazoneでの評価は低いが、私はこの本を高く評価する。第二チャクラに問題があることも、この本に書かれていた。

 どんな治療法を取って行くかは、本当に人それぞれなのだろう。私も、子宮筋腫は病気ではないと思う。何故なら、家の中でじっとしているよりも、外を歩き回っていたほうが、ずっと調子がいいからだ。そして、病気ではないと思うからこそ、切ってしまうことに抵抗がある。筋腫はもはや、私自身の一部という気がしているのだ。だから、これからも私は筋腫と一緒に生きて行く。そんな選択肢があってもいいのではないだろうか。

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2004.11.17

現実離れした誉め言葉

 今日、仕事の帰りに中年の女性に声を掛けられた。
「毎週土曜日に青年団の集まりをやっています。学生さん?
そのとき私は、ぶうっと吹き出した。
「いえ、違います」
それだけ言って、その人を残して足早に通り過ぎた。

 私は、すぐにでもガンモに電話を掛けたい気分だった。しかし、たった今、「今、ちょっと忙しいから」と言われて電話を切ったばかりだった。以前にも、学生と間違われたことはあるが、現在三十九歳の私にとって、「学生さん?」は、少々現実離れした誉め言葉だった。

 家に帰ってから、早速ガンモにこのことを話した。
ガンモ「ええ、うそお?」
まるみ「嘘じゃないよ。ホントだよ」
ガンモ「十年前の話でしょ」
まるみ「違う、違う。今夜の出来事!」
ガンモ「わかった! 『小さめに作ってありますから』と一緒じゃないの?」
まるみ「違う! 違う!」
(『小さめに作ってありますから』とは、先日の結婚式に着て行く衣装を選んでいたときに、そこの店員さんが私に言った言葉である。ガンモの解釈では、「お客様の場合、もう少し大きめのサイズを選ばれたほうがよろしいかと思います」というのを、暗黙的に表現した言葉だそうだ)

 これまでに、三十代を軽く過ぎてからも、ときどき「学生さん?」と言われたり、実際の年齢よりも若く見られることは何度かあったが、(詳しくは、年齢の話再び年齢の話をご参照ください)、来年、四〇歳になろうとしている私にこのような言葉はうれしいやら情けないやらで、ちょっと複雑な気持ちでもある。

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2004.11.16

我ら、半纏エイジ

 半纏(はんてん)の季節になった。半纏(はんてん)は、地方によってはドテラと言ったり、ちゃんちゃんこと言ったりすることもあるらしい。この季節になると、ガンモも私も、家の中では半纏を着込んでいる。さすがに、これで外に出掛けるのは恥ずかしいのだが、お互いに、半纏姿を見ると安心する。半纏を着たまま抱き合っても、ふかふかして気持ちがいい。心がほっこり暖かくなる。

 私は暖かい地域(と言っても四国だが)で生まれたので、ときどきテレビなどで目にする雪国に住む人たちが使用しているという布団の形をした半纏にひどく憧れる。一度、あんな布団で寝てみたいものだ。でも、一人寝は寂しい。あれの、二人用の布団はあるのだろうか?

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2004.11.15

遠慮

 先日、ガンモと神戸−元町間の高架下(通称モトコータウン)を歩いたとき、私たちがまだ付き合う前に、神戸オフの帰りに二人でここを歩いたときのことを思い出した。(詳しくは、私たちの結婚をご参照ください)

 あのとき私たちは、神戸から元町まで小走りに歩いて、JR元町駅の前で別れた。夕ご飯を一緒に食べてもいい時間帯だったにもかかわらず、私は、ガンモがチラチラと携帯電話を見ているため、これから仕事があるものと勘違いして、「じゃ、また・・・・・・」と言って改札をくぐった。あとから聞いた話によれば、ガンモは、私が友人のところに泊まっているため、早く帰さなければと気遣ってくれたようだった。更に、携帯電話をチラチラ見ていたのは、仕事があるわけでも何でもなく、ただ単に、携帯電話を時計代わりに使っていただけだったという。

 改札をくぐったあとの私は、どういうわけか、涙があとからあとから出て来て困った。もっともっとガンモと一緒にいたかったと思った。私は翌日には東京に帰ることになっていた。自分の気持ちに素直になれないことは、こんなにも悲しいことなのかと思った。友人は、私がガンモと一緒にご飯を食べて帰るものと思っていたようだ。

 こんなふうに、相手のことを気遣えば気遣うほど、相手に対する遠慮が出て来る。まだお互いの気持ちを知らないうちは、特にその傾向が顕著だと思う。相手のことを大切に思うからこそ、相手の立場を尊重するのだ。だから、お互いの気持ちがわかったあとは、一気に親しくなる。

 中には、相手の気持ちを考えずに、自分の都合でグイグイ押して来る人もいる。例えば、既に別の親密な関係があるのに、その人の存在を否定するような形でアプローチして来る人。そういう人は、アプローチしている対象を本当に愛しているのではない。何故なら、本当に愛していれば、相手の都合を第一に考えるからだ。そういう人が愛しているのは他でもない、自分なのである。

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2004.11.14

彼女との再会

 今日は、ガンモは仕事に出掛け、私は、先日出席した結婚式で出会ったエネルギーの高い女性と大阪で待ち合わせをして、一緒に夕ご飯を食べた。ガンモに、
「今日、友達と大阪で会ってご飯を食べて帰るから」
と言うと、
「えっ、一対一で会うの? 珍しいね。人と合うのが苦手なのに」
そう。ガンモは私の性格を良くわかっている。私が一対一で人と会うときは、心を許した人であることを。
「もしかして、男ができたんじゃないの?」
とガンモが冗談っぽく言った。その冗談があまりにもおかしかったので、私はゲラゲラと声を上げて笑った。

 彼女は関西の住人ではないのだが、たまたま関西で用があり、帰りの新幹線に乗る直前まで時間を作ってくれたのだ。パスタのお店に入り、二時間ほど話をした。

 彼女から聞かせてもらった話でとても印象的だったのは、飼い猫の話だった。彼女が飼っていた猫が、最近、家出をしてしまったのだと言う。しかし、彼女はそれほど落ち込んでいる様子でもなかった。それどころか、飼い猫の家出を応援しているようにさえ思えた。
「ずっと家の中にいて、ストレスが溜まってたから仕方がないと思うのよ。だから、外でのびのび生活したほうがいいんだろうなって思って」
と言う。いろいろ事情を聞いてみると、その猫はかつて、重い病気にかかり、ようやく回復はしたものの、身体に障害が残ってしまい、歩きながらくるくる回る癖がついてしまったのだと言う。そのとき彼女は必死に看病し、家の中にいるときも、エプロンの中に入れて介抱したのだそうだ。その状態では外を出歩かせるのは危険なため、しばらく外に出さないようにしていたところ、余程ストレスが溜まっていたのか、あるとき猫に、まぶたのあたりを強く引っ掻かれてしまったのだそうだ。不幸中の幸いで、目には傷が及ばなかったことと、現在は傷もわからない程度になっていた。彼女は、あれだけ大事にしていた飼い猫が自分を裏切るはずはない。きっとこの傷が、何か自分にとって必要な傷になって行くのだとポジティヴに考えたそうだ。

 その数日後、彼女は、好きなアーチストのサイン会に行くことになっていたが、まぶたに傷があるのもかまわず、サイン会に出席したそうだ。そのアーチストも猫を飼っていたので、サインをしていただくときに、
「飼い猫に引っ掻かれましたア」
と彼女はそのアーチストに言ったらしい。すると、それで印象付けたのか、その後のサイン会で、およそ三度に渡って、
「傷、だいぶ良くなりましたねえ」
と、好きなアーチストから声を掛けてもらえたそうだ。私はこの話に心から感動し、彼女のポジティヴパワーに拍手を送った。

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2004.11.13

イノセントワールド

 ゆうべはガンモが深夜勤務だったため、私はシングルベッドの右半分に一人で寝ていた。朝、目が覚めると、ガンモが隣にいてくれてうれしかった。どうやら、ガンモが帰宅したことに気がつかないまま眠り続けていたらしい。

 私は、まだ寝ているガンモをベッドに残して、歯医者と鍼灸医院に出掛けた。お昼前に帰宅すると、ガンモが起きていたので、ベッドの上でお昼ご飯を一緒に食べた。

 今日はガンモが休みだというのに、私は夕方からバンドの練習に出掛けることになっていた。ガンモを残して一人で出掛けるのはものすごく名残惜しかった。出掛ける前に何度も何度も抱き合ってキスをし、後ろ髪が引かれる思いで家を出た。

 スタジオを借りて音合わせをするのは、慌しい一日以来、ニ回目のことである。今回の課題曲は、ミスチルの「イノセントワールド」だったのだが、ギターを始めたばかりの頃、練習曲として使っていたこともあって、「オリジナルキーはEだから、4カポのストロークで大丈夫だろう」などと思い込み、練習もせずに出掛けてしまった。ところがこの曲は、思いのほか難しくて、演奏するのに四苦八苦した。他のメンバーも「この曲は難しい」と嘆いていた。曲のキーも高いので、歌おうにも声は出ないし、メンバー全員、ボロボロになりながら何とか最後まで演奏した。

 今日、バンドメンバーのエレキギター担当の男性と話していて気が付いたことがある。彼は週に一度、プロの先生からギターを習っていたことがあるのだそうだ。プロは、音の出し方から全然違うので、とても勉強になったと言っていた。そして、私にはこれまで、その姿勢がまったくなかったことに気付かされた。つまり、人からモノを教わるという姿勢である。私自身、現在のギターのプレイには行き詰まりを感じてしまっている。もっと上達したいと思えば、プロの先生に習ってみるのも一つの方法である。そう考えると、何だかとてもわくわくして来たのである。

 今の私に、現実的にその時間が取れるかどうかとなると、かなり難しい状況ではある。プロにギターを教わるということは、ピアノに例えると、バイエルの課題曲を一つずつこなして行くようなステップを踏んで行くことになるらしい。それでも、私の頭の中は、ギター教室に通うことでいっぱいになってしまった。

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2004.11.12

趣味と仕事

 最近、仕事が忙しくて、夕ご飯は勤務先の社員食堂で食べている。通勤に時間がかかる上に、お腹を空かせたままでは仕事に集中できないからだ。ガンモに、
「今日も残業だから、晩御飯、食堂で食べて帰るよ」
と電話をかけると、ガンモのちょっとがっかりしたような声が聞こえて来て、何だか申し訳ないような気持ちになってしまう。私も、ガンモと一緒に晩御飯を食べるのが好きなのに。

 社員食堂でご飯を作ってくれているおばちゃん達の存在は、大変ありがたい。もちろん、それが彼女たちの仕事なのだが、ご飯を作ることが本当に好きでなければやって行けない仕事だろうと思う。そう考えながら、私自身は一体何が好きなのだろうかと振り返ってみた。

 文章を書くことが好きではあるが、それを職業としていない。小さい頃は、文章を書くことで食べて行けたらなどということを考えてもいた。小学生の頃から、「お話」を創作していた。

 文章を書くことに加え、演劇が好きだった。小学校のとき、国語の教材についていた脚本をみんなの前で感情を込めて読み上げた。そのとき、震えるような感動が走ったのを覚えている。中学生になると、図書館で演劇の台本を借りて友達と一緒に役を演じてみたり、また、自分で脚本を書いたりもしていた。しかも、自分が書いたその台本を、カセットテープに自分で多重録音して、自作自演のテープを作っていた。そのテープを、友達の誕生日にプレゼントしたりした。更に、高校のときは演劇部に所属し、何度か舞台にも立った。
 
 音楽に関しては、ピアノを習ってはいたが、下手くそだった。しかし、ハモることが大好きだった。だから、好きになるのはいつも、単独のアーチストよりもバンドだった。しかし、田舎で育った私は、良き音楽仲間を見つけることができずに、そのまま成長してしまった。それでも、歌ではハモりたかったので、これまたカセットテープに自分で多重録音しながらハモっていた。ギターを始めたのは社会人になってからで、遅咲きもいいところ。いや、遅咲きはおろか、いまだにつぼみさえ付けていない。

 考えてみると、以上のどこにも、現在の職業に結び付くような要素は出て来ない。つまり、私は、今の仕事がそれほど好きなわけじゃないことになる。

 では、好きなことを職業にすれば良かったのだろうか。しかし、文章を書くことが好きだと言っても、自分が書きたいと思う文章を書くことが好きなのであって、人から書いて欲しいと頼まれた文章を書き上げるのは、とても苦手だ。趣味の演劇は、いつの間にか、観劇する立場に変わってしまった。音楽では、いまだに一緒にハモれる相手と巡り合っていない。ハモろうとすると、ガンモはつられてしまう。それに、子供の頃の私は、主旋律を聞きながらすぐにハモることができたが、最近はもう、ハモれなくなって来た。

 やっぱり私は、今の仕事を続けて行くしかないようだ。でも、今日、社員食堂でふと思ったのは、家で食事を作らなかった分、もしも今の仕事を辞めたなら、食堂のおばちゃんになって、ご飯をたくさん作ってみるのもいいかもしれないということだった。

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2004.11.11

感覚の世界

 最近、人間関係がうまく行っていない。すっかり倦怠ムードが漂ってしまっている。しかし、そういう人たちが、ガンモとの関係の素晴らしさを際立たせてくれる。家に帰ると、いつまでもいつまでも変わりなく愛を注ぎ込んでくれるガンモの存在が、たまらなくいとおしくなった。何故人は、一つの関係性を持続させることができないのだろう。何故、一つの話題について、根気強く語り続けて行くことができないのだろう。何故、自分が与えられるとすぐに満足して、与えなくなってしまうのだろう。何故、他の人がSOSを発していることに気がつかないのだろう。今日一日、そのことをずっと考えていた。

 私は、倦怠や省略、無関心といったものが大嫌いだ。説明せずにうまくやって行こうなんて、余程深い絆で結ばれたあうんの呼吸の関係か、ネガティヴな感情を押し隠した条件付の関係でしか有り得ない。愛の経験の違いが、交流にギャップを生むことは間違いない。

 愛の経験が似通っていると、感覚の世界を共有できる。だから、交流するときに、頭を使わない。頭を使わないから疲れない。心地いい。そんな世界に飛び込みたいのに、頭を使うことが必要な世界が私の足をグイグイと引っ張っている。

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2004.11.10

別世界

 きのう、ガンモと神戸の港を歩いた。そのとき私は、風景を見ながら、
「港には港の暮らしがある」
とガンモに言った。そこで見た世界は、オフィスで働いている私たちが、決して普段触れることのできない世界だった。それは、お天気に左右される仕事だったり、男性ばかりが肉体を酷使する仕事だったり。ふと見ると、「造船」と書かれた看板があった。どうやら船を造っているようだった。しかし、視界に入って来る人たちがみんな男性ばかりというのは、ちょっと違和感があった。

 港の堤防近くに鉄製のコンテナボックスが置かれていた。まるで海のゴミを拾い上げるかのようながっちりとした鎖がついていた。コンテナの中に収められているいくつかのゴミと思しきものも、陸の世界では見られないようなゴミばかりだった。

 また、この辺り一帯は、下請けの小さな工場が数多くあり、当たり前のように濡れた作業服が外に干されていた。制服のあるオフィスに例えると、仕事時間中に制服を洗って干すことに等しい。そんな有り得ない光景を、想像しただけでもおかしさがこみ上げて来る。

 私は再びガンモに言った。
「港には、港の仕事があり、港の工夫がある」
と。メインストリートから外れた場所に、ほんの少し足を踏み入れただけで、まったく別世界が広がっていた。もしも目的地までの道のりを、徒歩ではなく、何らかの交通手段を利用していたら、絶対に見ることのできなかった世界だ。自分のスピードを緩めることによって見せられた別世界だった。

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2004.11.09

初めてのMRI

 今日は、ガンモに付き添ってもらい、仕事を休んでMRIの検査を受けて来た。MRIの検査は初めてだったので、開始前まではかなり緊張していたが、検査技師の方がとても親切で面白く、リラックスして検査を受けることができた。

 まず、レントゲンみたいに、身体中の金属という金属をすべて取り去り、検査服に着替えた。検査に必要な情報とかで、体重を聞かれた。検査室に通されるとそこは、宇宙船の中のようだった。細長い寝台に横たわり、おなかにベルトを巻きつけられた。ちょうど子宮のあたりに、暗室で写真を引き伸ばしするときに使う板のようなものを置かれ、しっかりと固定された。しばらくすると、最初の検査技師の方とは違う技師の方がやって来て、
「これまでに目の病気や心臓の病気をされたことがありますか?」
と尋ねられた。私は、
「目の病気って何ですか?」
と質問した。単に視力が悪いということは、目の病気に該当するのかと思ったからだ。
「例えば、白内障とか・・・・・・」
と、その技師の方が言うので、
「いえ、そういった病気はありません」
と答えた。
「心臓もないですね?」
と念を押されたので、
「ありません」
と答えた。何故、そんなことを尋ねられたのかと言うと、検査を行うために、腸や子宮の動きを止める注射を打つことが必要だからだそうだ。私が返事をするとすぐにその技師の方は、手に注射器を抱えてやって来た。注射の針が私の右腕に突き刺さり、ちくりと痛んだ。

 それから、最初の検査技師の方が、検査の内容について説明してくださった。MRIは、息を止めるような検査ではなく、痛みもまったくないということ。ただ、大きな音が聞こえるので、ヘッドフォンのようなものを付けてもらうということ。検査の途中で気分が悪くなったら、これで知らせて欲しいと、カメラを掃除するときに使うしゅぽしゅぽのようなものを握らされた。

 やがて寝台が動き、私は宇宙船の中に入って行った。宇宙船の中はまるで、小さなカプセルホテルのような感じでもあり、狭い狭い寝台列車の中のようでもあった。不規則だか規則的だかわからないような間隔で、いろいろな音が聞こえて来た。どうせなら、チャンネルのついたヘッドフォンで、自分の好きな音楽を選べるようになっていて欲しいと思った。私は宇宙船の中で、チャクラの瞑想を繰り返していた。

 検査はおよそ30分ほどで終了した。それから着替えて支払いを済ませ、病院をあとにした。

 注射の副作用として、喉が渇いたり、お日様の光をまぶしく感じたりするかもしれまないと言われていたのだが、病院を出る頃には、既に私の喉はカラカラだった。私は、ガンモが持って来てくれた海洋深層水をごくごく飲んだ。その後、注射を打った右手だけが少ししびれたような感覚があったが、すぐに治まった。

 今日の検査の結果をもとに、18日に医師の診断を受けることになっている。吉と出るか、凶と出るかは、チャクラの瞑想次第だろう。ガンモがこれからのことを、ネットでいろいろと検索してくれている。て既出された子宮や筋腫の映像も二人で見た。手術を経験された方の体験記も読んだ。ホルモン療法についても調べた。さて、私はどんな選択肢を取ることになるのだろうか。

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2004.11.08

チャクラの瞑想とセドナ

 仕事の帰り、ガンモと待ち合わせをして、おいしいインド料理屋さんに行った。お値段は少々張るのだが、ナンもカレーも絶品だった。ゆったりと食後のチャイを飲みながら、私はガンモに、今後の治療法について相談した。

 掲示板で交流させていただいている女性が、第二のチャクラを活性化させることで、子宮を正常な状態に近づけて行くことができると教えてくれた。そのことが詳しく書かれている本が、きのう届いた。読んでみると、なるほど、と思うことばかり書かれている。本を注文する前に、その本を読んだ彼女から、第二のチャクラを活性化させる方法を教わっていたので、しばらくそれを実践していたところ、少しずつ筋腫がつぶれて行くような感じの変化が現れて来た。ところが、あろうことか、その方法をしばらくお休みしてしまっていたところ、一気に調子が悪くなってしまったようである。しかし、再びチャクラの瞑想を始めると、すぐに効果が現れ始めるから不思議だ。

 病気のことを告白してから、たくさんの励ましのメッセージをいただいた。大変ありがたいことである。(みなさん、本当にどうもありがとうございますm(__)m)手術を勧めてくださる方が多い中で、私はもう少し、スピリチュアルな方法を実践してみたいと思っている。いただいたメールの内容とシンクロするのだが、今日は、仕事中に、子宮に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そのとき、病気は愛情の裏返しなのではないかと思った。子宮が愛してくれと言っているのだ。そうしたら、これまで大切にしてやれなかった子宮のことを思い、涙が出て来た。そう、私は、遠隔ヒーリングに書いたようなことが起こって行くのをずっと待ち続けているのだ。あれが起こったときのエネルギーを私は知っている。だから、あともう少し。そう思う。

 それからもう一つ。ある女性からいただいたメールの中に書かれていた「セドナ」という聖地のことが、とても気になっている。セドナはパワースポットなので、しばらく滞在すると病気が治ってしまうこともあるそうだ。実は、そのセドナの魅力に取り付かれて、何度も何度もセドナに足を運んでいる女性と、以前、交流させていただいていたのだが、ケンカ別れしてしまった。その彼女が、先日、私の夢に出て来たのだ。しかも、これまでの角が一切取れてしまったような友好的な立場の女性として。私も近いうちに、セドナに導かれることになるのだろうか。ガンモに相談してみたところ、こちらはまだ半信半疑のようだった。しばらく道は開かれないかもしれない。

 明日は仕事を休んでMRIの検査に行くことになっている。ガンモが、
「俺も明日付いて行くから」
と言ってくれた。いつの間にか休みを取ってくれていたらしい。ガンモ、ありがとう。そして、みなさん、どうもありがとう。

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2004.11.07

愛のはなしはエンドレス

 私のホームページに設置している愛についてとことん語り合う掲示板、「もっとソウルメイト! 掲示板」が新たな形を迎え、うまい具合に流れ始めている。この掲示板は、発足して三年になるが、これまでに何度、この掲示板に泣かされ続けたことだろう。バイブレーションが極度に高められ、とにかく、感動にむせび泣きながら返信することが多い。ホームページを持っていたおかげで、こうした高い波動を持った方たちと出会うことができたことに、とても感謝している。愛のはなしはいくらしても尽きることがない。返信を書いていても、話がどんどんふくらんで行くのだ。

 私は、自分の掲示板以外でも、メールなどで愛のはなしをすることがある。いつの間にか話がふくらんで、200行や300行のメールになっている。愛のはなしは、筋腫のように増殖して行くものなのだろうか。

※もしもこの「ガンまる日記」を読んでくださっている方で、愛のはなしをとことんしてみたいという方がいらっしゃいましたら、精神世界のはなしのEnterの下にある「インフォメーション」をご参照ください。まだ2名ほどの余裕があり、掲示板にご参加いただけます。ただし、愛のはなしを続けて行くことに対し、挫折しない方を望みます。なお、掲示板は、引用レス形式で非公開です。

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2004.11.06

近親相姦

 「セックスは何のために存在するのか?」という質問を、かつて私のホームページのアンケートで回答を募っていたのだが、精神世界とはかけ離れた視点に重きを置いている、検索エンジンなどからやって来られる方たちが、あまりにも下品な書き込みをして行くのでとうとう閉鎖してしまった。

 私は、セックスとは、二つのものが一つに向かおうとする行為だと思っている。すなわち、一たす一は一の考えである。ところが、中には、生殖行為のためだと答える人もいた。こちらは、一たす一はニの考えである。セックスにおける生殖行為は、目的ではなく、結果なのではないだろうか。セックスの度に妊娠していたら、それこそ大変なことになってしまう。

 私自身は、セックスと生殖行為を切り離して考えているため、誰も傷つけないのであれば、近親相姦という形もあっていいのではないかと書いた。すると、そのことに対して、いろいろなご意見をいただいた。

 まず、近親相姦は、神の決めた掟に反するということだった。しかし、何故? という疑問が湧いて来る。私が愛読している手塚治虫先生の漫画には、近親相姦を扱った作品がいくつかある。それらを読んでいても、ちっともイヤな気がしないのだ。何故なら、そこに描かれているセックスが、欲望に基づいたものではなく、もっともっと純粋な愛をベースにしたセックスだからだと思う。

 しばらくすると、近親相姦という言葉に反応して、家族に無理に関係を迫られた経験のある女性からの書き込みがあった。彼女は結婚されていたが、そのときに味わった恐怖心がいつまでも消えず、夫ともセックスができないでいるのだそうだ。私が近親相姦を認めるのは、誰も傷つけず、純粋な愛情で結ばれた関係だけ、という前置きをした。彼女が体験したのは、家族の欲望の対象としてのセックスだったと想像する。私には、彼女の痛みの半分も理解できないかもしれないが、もしもそれが愛情に基づいたセックスだったとしたら、彼女がそれほどまでに深く傷つくこともなかったのではないだろうか。

 愛のない一度限りのセックスが世の中でまかり通っているのに、純粋な愛情で結ばれて、誰も傷つけることのない近親相姦が、胸を張ることのできない関係であり続けるのは、私は納得がいかない。

 こんなふうに思うのは、私の中でガンモが、「前世の弟」という感覚が残っているからかもしれない。

※私の病気のことを気遣って、メッセージをくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ひとつひとつお返事させていだきますので、よろしくお願い致します。

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2004.11.05

双子

 私は、小さい頃から双子への憧れを抱いていた。特に、男の子と女の子の双子に生まれて来たかったと思う。でも、兄妹で愛し合うことはできないから、肉体の双子よりも魂の双子のほうがいい。

 双子に憧れるのは、自分の持つ価値観が特殊で、いつもひとりぼっちという感覚が強かったからかもしれない。今でもそうだが、ベースになるものが異なる人たちの前では、いつも本当の自分を出すことができないでいる。新たな人間関係を形成して行こうとするとき、私はある種のキーワードのようなものを発しながらコミュニケーションを取っているのだが、そのキーワードを拾ってもらえないとがっかりしてしまう。そして、少々大げさかもしれないが、その落胆から立ち直れないために、いつの間にか交流がストップしてしまうようだ。だから、いつまでも交流が続く関係性の中では、相手の放ったキーワードを拾い上げ、そして、自分もまた新たにキーワードを発信するといったような交流が行われている。

 キーワードを拾う、拾わない以外にも、人と知り合うタイミングというものもある。既に親しく交流している人がいるとき、人は守りの体制に入ってしまうものだ。私なら、新たな開拓よりも、現在の関係を維持することにパワーを費やしたくなる。何故なら、私のような特殊な価値観を持った者にとって、どこまでも対話が続く相手というのは、本当に貴重な存在だからだ。

 誰にでも、対話が止まらなくなってしまうような存在が必ずいることだろう。しかしその存在は、対話を続けることのできない他の対象とセットになっている。すなわち、話を続けることのできない人は、話を続けることのできる人の存在を強調している。だから、そういう要素が重なって、「ああ、すべてはひとつなんだ」と私には思える。

 ところで、肉体の双子と同様に、魂の双子にも、一卵性双生児と二卵性双生児があると私は思っている。一つの卵から生まれたのがツインソウルで、別々の卵から生まれたのがソウルメイトだ。ガンモは二卵性双生児。肉体の双子とはちょっとイメージが異なるが、ペアルックを楽しめるのも、双子ならではの醍醐味かもしれない。

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2004.11.04

東洋医学の敗北?

 ここのところ、自分の病気の進行具合が気になっていた。三カ月ほど前に発覚した頃は、それほど自覚症状がなかったものの、最近では、自分でもはっきりそれとわかるような状況になって来た。ここにはまだ正式な病名を書いていなかったが、私の病気とは、女性でもっともポピュラーな病気と言われている子宮筋腫である。

 八月に地元の病院で診てもらったとき、直径2.5センチから5センチくらいまでの子宮筋腫が全部で四つあると診断された。その医師には最初、手術を勧められたのだが、貧血も起こっていないし、まだそれほど絶えられない状態でもないということから、三カ月の経過観察ということになった。私のような状況の子宮筋腫は、子宮ごと切除するしかないというのがその医師の考えだった。私はインターネットでいろいろ調べて、自分の症状に合った漢方薬を購入して服用したりしていた。また、鉄分や女性ホルモンに似た成分を持つサプリメントなども毎日飲んでいる。しかし、毎月やって来る生理はことのほか重く、頭がフラフラになって、頭の回転もにぶってしまうため、生理のときは仕事を休むようになっていた。生理の出血量も多く、仕事先でズボンに血が漏れてしまったこともあるからだ。

 病気が発覚した頃は、自分で絶対に筋腫を小さくしてみせる。手術なんかしないと心に決めていたのだが、最近、その意志に反して症状がはっきりとわかるようになって来たため、今日、仕事を休んで、これまでとは違う病院に足を運んでみた。三カ月の経過観察の期限は今月末だったのだが、歩くときに右足の付け根あたりにひきつるような感覚があり、卵巣にまで悪影響を及ぼしていないかどうかを確かめておきたかったのだ。インターネットで、漢方薬を処方してくれる病院があるという情報を得て、電車に乗ってその病院まで出掛けた。

 診察の結果は、卵巣にまでは影響はなさそうだったが、やはり病状が進行しているようだった。八月の検診では四つと言われた筋腫の数が、
「四つどころではないですね。きちんとMRIを取って調べたほうがいいですよ」
と医師に言われた。大きさも、八月の時点では直径の最大が5センチだったのが、今では5センチを越えてしまっているようだった。しかも、超音波に映らない筋腫もあるとかで、私の身体は一体どうなってしまっているのだろう。

 その病院の医師には、
「筋腫の数が派手ですので、漢方薬はお勧めできませんね。やはり、これだけ筋腫が多いと、手術するにしても、筋腫だけを切除するよりは、子宮全摘手術を受けられたほうがよろしいでしょう」
と言われてしまった。

 しかし、私はいまだに、自分の症状が信じられないのである。来週、MRIの検査を受けに行き、その結果を元に、再び医師の診断を受けることになった。当然、仕事は休まなければならない。独身の上司に休みを申し出るのも何だか気が引けるし、何よりも気が重い。

 ガンモも困り果てている。手術をすれば、今の症状は緩和されるものの、手術するのは怖いし、子宮を切除してしまうことには、やはり抵抗がある。子供を産むかどうかというよりも、例え出来の悪い臓器だとしても、身体の一部を切除してしまうことに対する抵抗であある。

 実は、私はもともと、妊娠・出産に対する異常なほどの恐怖心を抱えている。おそらく、前世からのトラウマが何か解決されないままなのだろう。その部分がまだ癒されていないので、子宮筋腫という病気を通して、自分の身体を妊娠という恐怖から守るために、妊娠できないような身体に自分が仕向けているのではないかと思った。私のホームページの掲示板で交流させてもらっている出産経験のある女性たちも、その通りだろうと言ってくれた。彼女たちと子供の関わりは、魂的に対等で、話を聞いていてとても微笑ましい。世の中、そういう親子関係ばかりだといいのに、と思う。

 妊娠・出産に対する恐怖心は、どのようにすれば消し去れるのだろう? それがなくなってしまえば、私の病気は嘘のように治ってしまうに違いない。そのためには、魂的に対等な親子の存在をどんどん見せ付けてもらう必要があるような気がしている。

 ああ、今夜のブログは、sus4で終わってしまおう。

※自分の気持ちを整理するためにも、書いておきたかっただけです。私にはガンモがついていますので、きっと大丈夫です。(^^)
※そして、この件について、励ましてくれたり、あたたかい言葉を送ってくれた人たち、みんなありがとう。(^^)

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2004.11.03

憎めないヤツ

 土日を旅行に費やしたあとの祝日はうれしい。しかしその分、自宅でやりたいことがてんこもりになっている。それなのに私は、ホームページで公開している「日々の気づき」をせっせとブログに移行したりなどしている。思い立ったらそれに熱中してしまい、他の作業が進まない。

 私は、何でこうも書くことが好きなのだろうと思ってしまう。何かあると、頭の中で文章を練っている。人前で話をするのはどちらかと言えばと苦手だが、書くことはとても好きだ。

 ところで今日は、先日TSUTAYAで借りて来たDVDを観た。3枚借りて来たのだが、私がそのDVDを観る前に、ガンモはクリッピングソフトを使って再生しながら、
「こんな不倫の映画、禁止!」
と言って怒っていた。私も不倫の映画は好きではないが、どの映画にも感動的なセックスシーンがないので、官能的な映画を探して来ては、本物のセックスシーンかどうかを確認する作業をしている。今日観た映画は、確かに不倫の映画だったのだが、ただの不倫映画ではなかった。というのは、不倫の関係においても、永遠の愛を追求しようとしていて、ある事件の後、説明不足による誤解から、男性が女性を憎んでしまうような別れ方をするのだが、そのときの女性の取った行動がとてもスピリチュアルで素晴らしかったのだ。それに加え、妻の浮気を知った夫と、不倫相手の男性が友情関係で結ばれている上に、最後には三人で一緒に暮らすという驚異的なストーリー展開だったからだ。そのときできる最善のことは、お互いの怒りや嫉妬をぶつけ合うことではないということを、その映画が教えてくれたような気がする。おそらく私が感動したのは、その映画の中で、「切り捨て」ではなく、「融合」が起こっていたからだろう。私はこの手の映画で感動することはなかったが、この映画には感動の涙を流した。

 映画を観たときの感想は、ガンモと私では大きく異なることが多い。ガンモはいつも、映画の世界に完全には入り込まない。しかも、今回はガンモが先にこの映画を観ていた。そして、私がどっぷりとこの映画の世界に入り込んでしまっているというのに、ガンモはそこでストーリーの解説を始めた。
「ちょっと、ガンモお! ストーリー言うの、禁止!」
と、私は言う。しかし、ガンモの顔を見ると、決して悪びれている様子はない。それどころか、こちらを見てニコニコ笑っているではないか。まったくガンモというヤツは、憎めないヤツだ。

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2004.11.02

一瞬のうちに磁場が変わる

 思い切りネガティヴな状況にいるときに、一瞬のうちに磁場が変わるような経験をしたことがあるだろうか。私は、何度か経験がある。独身時代、魂がすり切れるほどの苦い恋愛をして、その恋愛が、自分のまるで意図しないタイミングで幕を閉じてしまったとき、私は三ヶ月間、毎日のように身体を掻き毟りながらのたうち回っていた。そのとき、非常に間接的な方法ではあるのだが、以前ここに書いたことのあるミュージシャンに助けてもらったのだ。それが起こったときの感覚を、私は今でも覚えている。三ヶ月間、私は毎日のように苦痛にもだえていたのに、その途端、まるで画面のスィッチが切り替わるかのように、周りの景色が突然明るくなったのだ。そこは、これまでとはまったく違う世界だった。それまでの私は、霧のかかった薄暗い世界にいたのに、ミュージシャンのおかげで、その霧が一瞬のうちにして晴れ上がったのである。「原因と結果の関係が存在する」ことに気がついたのも、ちょうどこの頃だった。そして、ガンモとの交際が始まったのは、それから数ヶ月後のことだった。更に数ヵ月経ったのち、私たちは結婚した。

 以前も書いた通り、ガンモと私が大きな喧嘩をするのは、年に一度あるかないかの割合である。その喧嘩のとき、私たちはまるで、一瞬のうちに磁場が変わるかのような現象を体験することが良くある。ガンモとは泣きながら喧嘩をするのだが、喧嘩をしているうちにガンモのことがたまらなくいとおしくなり、やがてキスをしたり抱き合ったりする。つまり、ガンモと喧嘩をしていると、怒りむきだしの戦闘モードから、愛情モードへと一瞬のうちに磁場が変わってしまうのだ。

 私のホームページに設置している掲示板でも、これと同じようなことがこれまでに何度も起こっている。本当に不思議なことなのだが、直前まで激しく意見が対立しているのに、何らかのきっかけにより、一瞬のうちに磁場が変わり、掲示板が突然、愛に満たされて行くのだ。私には、その瞬間がたまらなくいい。一体、磁場が変わる現象の裏には、何が起こっているのだろうか。おそらく、何らかのきっかけにより、愛に気づかされることは間違いないだろうと思う。いや、「気づかされる」のではなく、「思い出す」のほうが正確かもしれない。

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2004.11.01

魂の愛

 魂の愛は、単なる男女という枠を超えた永遠の愛。波打つように涙が溢れて来るほどの強い感情を伴う。存在してくれることがありがたくて、その存在によって、自分の魂が孤独にならずに済んだことへの感謝の気持ちでいっぱいになる。顔を見ると、思わず頭をグリグリしたくなる。自分と区別がつかなくなるほどの感覚があり、相手の気持ちになって頭で考えるのではなく、相手の気持ちそのものをダイレクトに感じ取る。魂の愛を認識すると、例え仕事中だろうが、電車の中だろうが、ところかまわずどうしようもなく泣けて来る。ときには、道端にうずくまることさえある。魂の愛は、私たちをすっかり泣き虫にしてしまう。

 魂は、密に関わった愛の日々を確実に記憶している。魂は、愛の記憶箱だ。だから、記憶箱の中から、かつての愛の日々の想い出を取り出すと、尋常じゃないほどの涙が一気に溢れ出して来る。あんなにひたむきに愛してくれてありがとう。私に愛を教えてくれてありがとう。私から、溢れるほどの愛を引き出してくれてありがとう。私も同じように愛している。

 誰かと深く愛し合った魂は、その愛の喜びを他の存在とも分かち合おうとする。もしかすると、ソウルメイトの始まりは、そこにあったのかもしれない。魂の愛は、ツインソウルからソウルメイトへと運ばれて来た。そして、ソウルメイトたちが世界中に愛を運んで行く。

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