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2004.10.26

凸凹理論

 きのうの記事でちょっと感情的になってしまったのは、実は、かつて交流していた人の日記を見つけてしまったからである。そこに何が書かれてあったのか、具体的なことは書かないでおくが、人が過去の事象を述べるとき、自分の立場からの検証しか行わないものだということを、まざまざと見せ付けられた。きっと、私の書いている記事だってそうに違いない。片方向の検証しかできなかったからこそ、噛み合わなかった。そうも言える。最初から双方向の検証ができていれば、何も離れる必要はなかったのだ。だからこそ、美しい凸凹のやりとりが実現できている関係が、とても貴重に思えて来たのだった。

 残念ながら、相性のよしあしは、確実に存在する。相性の悪い相手には、どういうわけか、自分の一番見て欲しい部分が引き出されずに、見て欲しくない部分ばかりが奇妙にねじ曲げられて伝わってしまう。きのう、凸(主張する側)と凹(主張を受ける側)の話を書いたが、相性が悪い場合は、相手の凹になることが、とことん苦痛になってしまう。どうして苦痛かと言うと、相手もまた、凹になってくれていないからだ。だから、凹の役を担当している人は、そのうち心地悪さを感じて、対話を止めたくなってしまうのだ。

 誰にでも、どうしてこの人とはいつまでも話が尽きないのかと思うような相手がいることだろう。その相手との関係を冷静に分析してみると、必ずそこに美しい凸凹の関係が浮かび上がって来るはずである。

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