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2004.10.12

煙草について思うこと

 ガンモも私も、今は煙草を吸わない。私は十年ほど前までは少し吸っていたことがある。しかし、ガンモと出会う前にすっぱりやめてしまった。ガンモは私と付き合い始めた頃に、一日に二本だけ吸っていた。
「そんなわずかな本数なら、思い切ってやめてしまえば?」
と私が提案すると、ガンモはちょうど煙草をやめるきっかけを探していたようで、ただちに煙草を吸わない人になった。

 私たちのように、夫婦のどちらも煙草を吸わないか、または、夫婦のどちらも煙草を吸う場合は、同じ環境での生活が成り立ちやすいと思う。しかし、夫婦のうちどちらか一方だけが煙草を吸う場合、ルールを設立しなければ、生活は成り立たないのだろうか?

 煙草を吸わなくなってからというもの、私は、煙草の煙に対して非情に敏感になってしまった。特に、体調の悪いときは、煙を吸い込むと頭が痛くなるので、煙草の煙の多い場所にはいられない。例えば仕事で会議室にこもるとき、会議が長引いてしまうと、愛煙家の方が会議室に灰皿を持ち込むことがある。会議が長引いて頭が回らなくなっているのに加えて、閉め切った会議室では極端に換気が悪くなるので、煙草を吸わない私は、こりゃたまらん状態になってしまう。また、ガンモが飲み会から帰って来たとき、スーツに煙草の臭いがぺっとりとしみついていると、「ああ、かわいそうに。言い出せなかったんだな」と思ってしまう。しかし、そもそもこういった状況は、お互いに愛がないから起こってしまうのではないだろうか?

 つまり、嫌煙家と愛煙家は、煙草を吸いたいという自由と、煙草の臭いをかぎたくないという自由を、お互いに奪い合っているわけである。もしも双方の間に愛があれば、愛煙家は、嫌煙家の前で煙草を吸うことを躊躇するだろうし、また逆に、愛煙家が煙草を吸いたがっているのに煙草を吸わせてあげないのは悲しいと思うだろう。しかし、この方法では、おかしな言い方だが、どちらか一方にしか満足感が得られない。

 私は、実はこの問題は、「双方の気遣いの気持ち」だけで解決できるのではないかと思う。嫌煙家の前で煙草を吸うときは、
「これから一本吸うけどいい?」
と声をかけ、吸っている最中は、換気などに気をつけてあげること。また、嫌煙家は、愛煙家が煙草を吸うのを我慢しているのをさりげなくさとって、
「一服しなくても大丈夫なの?」
などと、声をかけてあげる。おそらくたったそれだけで、嫌煙家と愛煙家の戦いは終わるような気がする。ストレスがたまるのは、煙草を吸われたくないとか吸いたいとかいうことではなく、こういった気遣いがないことが原因だと私は思うのだ。

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