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2004年10月

2004.10.31

サイクル

 ここのところ、「サイクル」についてあれこれ考えを巡らせている。短いものでは、まばたきや呼吸から始まって、長いものでは春夏秋冬や景気など、あらゆる事象に「サイクル」はついて回っている。実はこの週末、ガンモと二人で日本三景の天橋立に泊まりで出かけていた。観光地に足を運ぶと、観光客を一日に何度も輸送するバスの運転手さんや船の操縦士さんにお目にかかることになる。私自身、数ヶ月という単位で一つのものを創り上げる仕事をしているため、わずか数十分で完結してしまうこれらの仕事のサイクルには、多少の戸惑いを感じてしまうことがある。そのことを念頭に起きながら、三つの旅に書いたような関係に意識を移行してみると、これらの関係が、まるで歯車のように完璧に噛み合っているのを感じる。

 三つの旅に書いた関係性の中で、最も長い周期を持っているのはツインソウルだと思う。そして、その内側に、ソウルメイトやカルマの相手と関わるサイクルが組み込まれている。プログラミングで言えば、ツインソウルは一番外側にあるループ処理。その中に、ソウルメイトやカルマのループ処理が含まれている。ソウルメイトやカルマは、特定の条件を満たすことにより、それぞれのループ処理から抜けて、ツインソウルの大きなループ処理に戻ることになる。また、ツインソウルのループにいるときに、何らかの行動を取ることによって、ソウルメイトやカルマの関係が誕生し、新たなループが生まれる。それらの大小の歯車の動きを想像すると、何と緻密で美しいのかと思えて来る。

 ツインソウルの原型がアダムとイブだとすると、ヘビにそそのかされて食べてしまった禁断の果実は、ツインソウル以外の異性と関わろうとしたことを意味しているのかもしれない。

※この週末、たくさんの方がランキングに投票してくださったようで、どうもありがとうございました。ブログのコメントはどこに書いたらいいのかというお問い合わせを受けているのですが、さてさて、それはそれは・・・・・・。(^^;

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2004.10.30

永遠の愛

 私の知る限り、永遠の愛を知る方法は、二つ存在している。一つは、ソウルメイトと過ごした愛の経験を、自分の中に取り込んで行く方法。そしてもう一つは、ツインソウルが人生を別々に生きる選択をしたとしても、お互いへの愛をずっと忘れないでいることだ。

 私のホームページには、どういうわけか、ソウルメイトとの愛を体験していらっしゃる方は極端に少なく、ツインソウルと人生を別々に過ごす選択をされた方が多く来られている。更に、彼女たちの多くは、ツインソウルと人生を別々に過ごす選択をしたことを後悔したり、一緒に過ごせない苦しみを抱え込んでしまっているようだ。

 私はきのうの記事に、ツインソウルは人生を一緒に過ごしても過ごさなくても変わりがないと書いた。これは、ツインソウルの結び付きを信頼しているからこそである。永遠の愛を証明しようとするとき、人生を一緒に過ごすだけではまだまだ不完全だと思う。お互いに離れてしまってもなお、その愛を存続させてこそ、初めて永遠の愛を語れるようになるのではないだろうか。更には、その愛を、他の愛と決して矛盾させないことも大変重要なことである。

 私はもはや、コソコソした関係や、不完全な多対多の愛に感動することはできなくなってしまった。人生を別々に生きる選択をしていても、ツインソウルだからどうしてもくっつきたくなるのだという言い訳は、ツインソウルの結び付きを信頼していない証拠だと思う。愛が純粋であればあるほど、ツインソウル特有の霊的なシンクロ現象がどんどん起こって行くものだ。離れたのは、永遠の愛を証明するためかもしれないのだ。自分で与えたその試練にパスするためにも、もっともっとツインソウルの結び付きを信頼して欲しい。そうすれば、例え離れていたとしても、相手の魂がすぐ側にあることを実感することができるだろう。

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2004.10.29

三つの旅

 大まかに言って、男女の組み合わせには、三つの関係がある。

 まずは、原因と結果の関係。つまり、「愛すれば愛される」という愛の法則に基づいた関係である。この関係は、ソウルメイトとカルマという二つの関係に分類することができる。前者は、「愛すれば愛される」という法則がプラスに出た場合の関係で、後者は、マイナスに出た場合の関係である。

 ソウルメイトは、共感をベースにした関係を築き上げ、二つの魂が一つに向かおうとする旅の過程において、関係性の蓄積を行う。お互いの愛情はいつも安定していて、心をオープンにできる関係である。お互いの好きなものに興味を持ち合い、どちらからともなく歩み寄り、そしてお互いに似て来る。男女ともに、中性的である。転生を重ねて行くうちに、ある程度の役目を果たすと、男女としての関わりを必要としなくなる。しかし、役目が果たされていない状態においては、人生を一緒に過ごせなくなると悲劇的に感じる。

 カルマの関係は、強者と弱者の組み合わせである。エネルギーは、強者から弱者にのみ流れ込む。弱者が強者の愛情を求めようとするとき、栓のしていないお風呂にお湯を注ぎ込むような感じで達成感がない。弱者は、自分が与えられないため、いつまでも欲しがる。どちらかが、過去に自分が与えなかったために与えられなくなったのだと気づくまで、役割を入れ替わりながら、何度も何度も同じことを繰り返す。お金や当人同士以外の関係性など、純粋な愛情以外のもので結び付く必要がある関係である。その関係性は、ゼロ(カルマのない状態)に戻ろうとする旅となる。

 そして最後に、二元性を超越していた時代に一つの存在だったツインソウルの関係がある。あるときツインソウルは、陰と陽に分かれ、それぞれが正反対の証明を始めた。そのため、二人の性格は正反対で、お互いに相手にないものを持ち合わせている。もともと一つの存在だったため、その関係性は、一つに戻ろうとする旅となる。素直でいるときは、黙っていても相手の感情がダイレクトに伝わって来ることが多いが、なかなか素直に接することができないため、ひとたび素直さを失うと、相手を誤解したまま対立の関係へと一転する。しかし、根気良く相手を理解しようとする気持ちがあれば、和解のときに素晴らしい一体感を感じることができる。ツインソウルとの関わりは、喜怒哀楽のすべての感情を伴う。また、人生を一緒に過ごしていても、いなくても、それほど変わりがない。素直でいさえすれば、例え一緒に過ごしていなくても、双子のように繋がりを感じられる存在である。

 もしも現在のパートナーとの関係が、上記のどれにも当てはまらないと感じる人がいるならば、その関係は、ソウルメイトの関係を築き上げようとしていると言えるだろう。関係を築き上げている途中の段階においては、ソウルメイトであるという実感は持てない場合があるかもしれない。

 私は、上記のすべての対象に出会っている。彼らとの関わりを通して、私たちの魂の計画が、本当に緻密であると実感せざるを得ない。

 魂レベルで観察してみると、ガンモと私の関わりは、まだまだ始まったばかりのように思える。何故なら、ガンモと人生を別々に過ごすことなど考えられないからだ。もしも私がガンモとの間の目的を達成してしまえば、ガンモと私の経験はお互いの中に取り込まれ、男女としての直接的な関わりを必要としなくなって行くだろうと思う。しかし、どうやら、そんなことはまだまだ先のようである。

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2004.10.28

満月

 今夜と明日の夜は満月だ。私は多分、狼女ではないはずなのだが、満月の夜は落ち着かなくなることが多い。センチメンタルになって、とにかく良く泣く。まん丸のお月様を見ていると、自分が完全でないことを思い知らされるからだろうか。満月の夜は、犯罪も多くなるそうだ。やはり、私と同じように、落ち着かなくなる人が多いのかもしれない。

 反対に、新月のときは心が空っぽになってしまって、何もやる気が起こらなくなることが多い。まるで電池が切れてしまったかのように、パソコンの前に座ることもできず、横になってじーっと過ごしていたこともある。

 月は一定の周期で満月へと向かい、満月からやがて新月になる。そして、新月から満月、満月から新月へとどこまでも繰り返す。それはまるで、呼吸をしているかのようだ。

 月は飽きないのだろうか。満月になったことは、ある意味、完成を意味しているはずなのに。満月になったことで、満足してしまえばいいのではないだろうか。それでも月は、完成に対し、惜しげもなく再び欠け始める。そう、この「惜しげもなく」が永遠を創り上げている要素なのではなかろうか。

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2004.10.27

どこにも属さない

 おおっ、miyashuさんの愛と人生ってなんだろうねで、お待ちかねの恋愛論が始まったようだ。のちほどおうかがいします。(^^)

 今日は、TSUTAYAの会員になってみた。何で今頃? と言われてしまいそうだが、TSUTAYA専用のクレジットカードを作れば、レンタル料金が割引されるという広告につられてしまったのだ。TSUTAYAは、既にガンモが会員なので、一緒に行けばレンタルできるのだが、ガンモと休みが異なることが多い上に、仕事先の最寄駅にTSUTAYAがあるので、以前からチャンスを狙っていたのである。

 私は、運転免許を持っていない上に、派遣社員だから社員証もない。今の派遣先への入館証はあるが、自宅の住所が記載されていない。だから、身分を証明できるものと言うと、派遣会社が作ってくれた健康保険証しかないのだ。しかし、保険証に記載されている住所は手書きだったため、TSUTAYAの店員さんに、「住所が記載された印刷物」の提示を求められてしまった。自分自身を証明するものが何もないなんて、何て情けないのだろう。しかし私は自動車の免許を取りたいとは思わない。TSUTAYAの店員さんには、
「後日、公共料金の請求書など、ご住所が確認できるものをお持ちください」
と言われてしまった。

 どこかに属しているということは、それだけで安心感を覚えられるものなのだろうか。私の存在は、コンピュータのC言語で言うところのポインタみたいなもの。必要なときにだけ割り当てられて、不要になったら解放される。(すみません、技術者ネタです。)しかも、ガンモに属してもいない。

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2004.10.26

凸凹理論

 きのうの記事でちょっと感情的になってしまったのは、実は、かつて交流していた人の日記を見つけてしまったからである。そこに何が書かれてあったのか、具体的なことは書かないでおくが、人が過去の事象を述べるとき、自分の立場からの検証しか行わないものだということを、まざまざと見せ付けられた。きっと、私の書いている記事だってそうに違いない。片方向の検証しかできなかったからこそ、噛み合わなかった。そうも言える。最初から双方向の検証ができていれば、何も離れる必要はなかったのだ。だからこそ、美しい凸凹のやりとりが実現できている関係が、とても貴重に思えて来たのだった。

 残念ながら、相性のよしあしは、確実に存在する。相性の悪い相手には、どういうわけか、自分の一番見て欲しい部分が引き出されずに、見て欲しくない部分ばかりが奇妙にねじ曲げられて伝わってしまう。きのう、凸(主張する側)と凹(主張を受ける側)の話を書いたが、相性が悪い場合は、相手の凹になることが、とことん苦痛になってしまう。どうして苦痛かと言うと、相手もまた、凹になってくれていないからだ。だから、凹の役を担当している人は、そのうち心地悪さを感じて、対話を止めたくなってしまうのだ。

 誰にでも、どうしてこの人とはいつまでも話が尽きないのかと思うような相手がいることだろう。その相手との関係を冷静に分析してみると、必ずそこに美しい凸凹の関係が浮かび上がって来るはずである。

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2004.10.25

ネットにおけるコミュニケーション

 今日は、体調が悪かったので仕事を休んだ。午後からは、だいぶん調子が良くなって来たので、あちこちネットを徘徊し、人にはそれぞれの学びがあることを改めて実感させらされた。私は、ガンモと結婚して本当に良かったと思った。ガンモこそが、私の学びにぴったりのパートナーだ。そう思うと、感動で涙が溢れて来た。早くガンモが仕事から帰って来てくれないだろうかと思った。

 ネットは、個人の主張の世界である。私自身も、このガンまる日記やいくつものホームページの中で、自分自身の主張を思う存分書き綴って来た。それらの主張を快く思ってくださる方もいれば、そうでない方もいらっしゃるだろう。そして、ネットを中心とした人付き合いというものを考えたときに、これらの主張がうまく噛みあう場合とそうでない場合があることを、私はいつも認識させられている。ホームページを開設してからというもの、どれだけたくさんの人たちとお近づきになり、そして疎遠になって行ったことだろう。疎遠になって行った人たちとは、お互いの主張が次第に噛み合わなくなって行った人たちである。

 ネットの世界は、検索エンジンを駆使すれば、自分が知りたいと思うことに比較的たやすく辿り着くことができる。しかし、そこからひとたび交流が始まると、お互いに相手の主張を受け入れて行かなければ先には進めなくなってしまう。いつも片方だけが語り、いつも片方だけがうなずき続けるわけには行かないからである。お互いに、相手の主張を受け入れられる凸凹の関係(凸とは、主張する側。凹とは、主張を受け入れる側)でなければ、すぐに疎遠になってしまうのだ。ネットの世界は、比較的それがわかりやすい世界だと言える。

 ネットの世界で知り合った人で、もっとも長く交流が続いているのは、まぎれもなくガンモである。当時はまだパソコン通信が主流の時代だったが、今ではネットにおける出会いなど当たり前の時代となった。ガンモと私は、お互いの主張が噛み合ったというよりも、運命共同体としての結合が起こった。そういう意味で、ガンモとの関わりは特別である。

 その次が、そろそろ交流期間が5年になる某氏だ。某氏と私のやりとりは、他の人が見るとわけがわからないらしい。確かにそうだろうと思う。敢えて前提条件を提示する必要がないので、毎回細かな説明を省いてしまうのだが、他の人には省いた部分の説明が必要らしい。お互いに厳しいことでも言い合えるので、とても心地の良い関係である。しかし、喧嘩も良くする。それが、周りから見ると、近づき難いほどの独特な凸凹の世界を確立させているようだ。某氏曰く、某氏と私の対話は、単に耳元を通り過ぎて行くだけでなく、脳ミソにまで到達するやりとりなのだそうだ。これは、なかなか言い得て妙である。

 それから、ホームページの掲示板で、根気良く交流し続けてくれている仲間たちがいる。彼らとの関係も、長くて3年くらいになるだろうか。掲示板のピンチを何度も救い、私を叱咤激励してくれた、大変ありがたい存在である。ときには、耳を塞ぎたくなるような厳しい意見を言い合うこともあるが、厳しい意見を言い合ったことなど、一瞬のうちに忘れてしまうようなエネルギーが流れることがある。こうなると、まるで家族みたいな心地よい関わり方に発展して行く。

 私自身、ネットの世界でそういった貴重な関係を築いて来たので、コミュニケーションの凸凹に関しては、人一倍厳しい目を持っているのだと思う。ネットに見受けられるコミュニケーションのほとんどが、陽だけの要素(つまり、肯定だけの要素)を持っている。つまり、都合の悪いことは黙っている関係だ。その要素はまだ、陰(ネガティヴ)を乗り越える前の段階である。更に、そこまでの関係に発展できないまま、疎遠になってしまうことを、私は大変もどかしく思ってしまう。だから私は、仲良くなりたい人が出て来ると、
「喧嘩しましょうか」
などとと申し出てみる。それに対する相手の反応は様々だが、実際のところ、陰陽両方の関係を築いていけるのは、ほんの一握りに過ぎない。だからこそ、他の人たちの主張を拝見したときも、自分がその人の凹になれるかどうかを直感的に判断し、コミュニケーションの入口を見極めたくなるのかもしれない。

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2004.10.24

怒った?

 ガンモは早起きして、兵庫県北部まで仕事に出掛けた。特急電車は今日から運行し始めたようだが、特急列車の始発に乗っても間に合わないため、早起きして普通列車を乗り継いで行ったようだ。

 そこは、今年7月の初めに私たちが訪れた場所でもある。そのとき私たちは、円山川の屋形船に乗って川下りをした。しかし、先日の台風23号の影響で、あれだけ静かだったはずの円山川の堤防が決壊し、あちこちで水害が発生したらしい。ガンモが撮影して来た写真を見せてもらいながら、私の胸はチクチク痛んだ。私たちが訪れたときは、水と住民たちがとても仲良く共存している街のように思えたのに。水と人間は、ある程度までは共存できるが、過剰になったり、極端に欠乏したりすると、人々の生活を脅かすことになる。いや、水だけでなく、火も土だってそうだ。

 一方、新潟では、大きな地震が起こった。ふと思ったのだが、もしかすると、「起こった」は「怒った」なのだろうか? 自然は私たちに何を訴えかけているのだろう? 人間が怒ったときは、その人の言うことに一生懸命耳を傾けようとする。でも、自然が怒ったときは、一体誰が自然の声に耳を傾けるのだろう?

 実は、私たちは去年の夏と今年の夏、新潟にもちょこっと出かけている。そのときも、天気は悪かったものの、大地震が起こるような気配は感じられなかったのに。新潟の皆さん、どうか強く生きてください。

※写真は、大阪と新潟を結ぶ「急行きたぐに」。

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2004.10.23

O型の気質

 ゆうべ、日記を書き始めてから、イントールしたばかりのgooツールバーの設定を変更しようとしたら、日記を書いている画面がgooツールバーの設定画面に切り替わってしまった。慌てて戻るボタンを押してみたが、書いた内容はすっかりクリアされてしまった。というわけで、これは、後書き日記である。ここから先は、日付を一日ずらして読んでくだされば幸いである。

 今日は、ガンモが休みだったので、私たちはまったりとした時間を過ごしていた。私たちはくっつくとすぐに眠くなって、ベッドに潜り込んで眠って寝てしまう。そんなお昼寝タイムが、ガンモの仕事の電話でお開きになってしまった。ガンモは明日、仕事で兵庫県の北のほうに出掛けることになったらしい。

 兵庫県というところは、南北にも東西にも長い県である。私たちは県の南東部に住んでいるのだが、神戸よりももっと西側にある職場で仕事をしていたときは、朝、地元では雨が降っていなかった雨が、職場の最寄駅に着いてみると雨がざんざん降っていたということが良くあった。私は雨が降らない日は傘を持たずに出かけていたので、職場の最寄駅で何度も傘を買う羽目になった。そのうち、必然的に、晴れの日でも傘を持ち歩くようになって行った。ガンモが明日仕事で出かける場所へは、特急電車を使っても三時間以上かかってしまう。しかし、その特急電車が、先日の台風の影響で動いていないのだそうだ。鉄道好きのガンモは、しばらく時刻表とにらめっこしていた。

 夜は、マンションの管理組合のミーティングがあったため、私だけ参加した。以前も書いたことがあるように、私たちのマンションは管理会社から独立して、完全な自主管理を行っているのだが、会計業務が非情に大変だということで、外部に委託することになった。その説明をしていただくために、外部の業者さんにわざわざお越しいただいたのである。

 外部の業者さんが、作成された資料を一通り説明すると、私を含めた四人の管理組合の役員は黙り込んでしまった。正直に言うと、外部の業者さんの説明のスピードが速すぎて良くわからなかったのだ。また、会計に関する専門用語も良くわからなかった。しかし、いつまでも沈黙し続けるのはいけない。O型は、沈黙がもっとも苦手な存在なのだろう。沈黙を嫌うあまり、ときとしてピエロを演じてしまうことがある。他の人たちは平気なのだろうか? そう思いながら、私は取り留めのない質問を始めてみた。そして、何とか沈黙を逃れることができた。しかし、取り留めのない質問ばかりでは、いつまでも場が持たない。私はとうとう、現在の会計担当さんに話を振った。

 少しだけ、血液型の話をしよう。ガンモも私もO型である。O型同士の関係は、フランクで表裏がなく、会話がユーモアに溢れていて、とても心地がいい。

 実際のところ、私の周りに一番多いのはA型である。O型にとって、A型が自分を抑えることなく正直でいてくれさえいれば、お互いに気を遣わない関係を築きあうことができる。ただ、A型はとても几帳面なので、ずぼらな性格のO型と合わないこともある。

 O型とB型は相性がいいと言われているようだが、多少の温度差はあるように感じる。ただ、ノリとしては、似ているものがある。私の弟はB型だが、どうも私には、彼がドライであるように見える。

 私の周りにもっとも少ないのは、AB型だ。O型とAB型では、温度差があり過ぎる。私は、おなかを抱えて大笑いするAB型を見たことがない。もちろん、AB型の男性を好きになったこともない。もしもガンモがAB型だったら、絶対に結婚していなかっただろうと思う。おそらく、AB型とは、お互いのコンプレックスを刺激しあうような関係に陥ってしまうだろう。特に私は、A型とB型の両親から生まれたO型なので、AB型に対するコンプレックスが激しいのかもしれない。ただ、O型にも活発なO型と大人しいO型がいる。活発なO型はAB型とは合わないが、先日結婚した二人のように、大人しいO型の人は、AB型ともうまくやって行けるのかもしれない。

 ああ、私は一体何を書きたかったのだろう。そう、他の血液型のみなさんにお願いしたかったのだ。沈黙が訪れたときは、どうかO型を助けてやってくださいませ。

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2004.10.22

多対多の愛

 一年以上前の話になるのだが、ある方の掲示板に、谷川俊太郎さんの詩が取り上げられていた。

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これが私の優しさです/谷川俊太郎

窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに

あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?

それがあなたを考えることにつながる
とそう信じていいですか 
それほど強くなってもいいですか
あなたのおかげで

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 私は、これを読んだとき、感動のあまり涙が溢れて来た。それはもう、「うわああああ! これは凄い!」というレベルの苦しくなるほど強烈な感動だった。

 この詩のことを想い出したのは、多対多の愛について考えていたからだ。人は何故、たった一人の人を愛することで精一杯になってしまうのだろうか、と。そして、例えば、今私の周りにいる大切な人たちが同時に病気になってしまったとしたら、肉体が一つしかない私は、一体どういう行動を取ればいいのだだろうかと考えていた。そのとき、この詩のことを思い出したのだ。

 つまり、この詩が言っているのは、「ワンネス(すべては一つ)」すなわち、「一人の人を愛することは、同時に他の人を愛することにも等しい」ということだと思う。ツインソウルと人生を別々に過ごしている私は、ときどき、この感覚を実体験として味わうことがある。ガンモと私、そしてツインソウルやガンモ以外のソウルメイト。すべてが矛盾なく、そしてまんべんなく愛が行き渡り、一つの愛がつんと突き抜けて行くような、そんな素晴らしい感覚だ。ああ、だから、一たす一は一。私はそう思う。

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2004.10.21

自分にぴったりの人と出会うには?

 これは、こころのボスさんのいい恋をするには?へのトラックバックである。

 今回のボスさんの記事は、大変興味深い記事である。特に、1から4までの、うまく行かないパターンの分析は素晴らしい。つまり、うまく行かないのは、「お互いの関係が対等でなく、密になり切れない場合」ということになる。その通りだと思う。

>しかし自分にあった相手を探すのにどうしたら良いのだろうか?

 とあるが、私はまず、自分自身を深く知ることが大切だと思う。特に、恋愛をする相手は自分の鏡となる人であり、そのときの自分の成長にもっともふさわしい相手と密に関わって行くことになる。だから、自分のことをまだ60%しか知らなければ、60%の自分と釣り合うような相手と出会ってしまうことになる。言い換えると、自分を飾っているうちは、同じように自分を飾っている相手としか出会えない。だから、付き合っていくうちにお互いの化けの皮がはがれて、残りの40%を照らし合わせたとき、お互いにこんなはずじゃなかったのに・・・・・・という展開になってしまうのではないだろうか。

 自分を深く知るようになると、魂レベルの恋愛ができるようになる。魂レベルの恋愛とは、外面重視の肉体レベルの恋愛とはまったく違い、フィット感があり、相手のことを知れば知るほどギャップのない関係となる。

 それから、もう一つ大切なことは、「今」を精一杯生きるということだ。すなわち、「今」、自分が選択している出来事に対して責任を持つということである。「今」を精一杯生きていれば、例えそれがとても辛い恋愛だったとしても、そのとき体験した辛さを、自分にとって必要なことだったと認められるときが、きっと来るはずである。

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2004.10.20

異性を良く知る

 今日は大型台風がやって来たので、私は昼から仕事を上がって帰ろうと決意した。他プロジェクトのリーダーは、女性たちに大変優しく、
「台風がひどくならないうちに帰ったほうがいいですよ」
などと言っている。しかし、私のプロジェクトのリーダーは、何も言ってはくれない。私は、他の人よりも通勤に時間がかかっているので、お昼を過ぎた頃に思い切って
「今日はもう帰ります」
と自分から申し出た。すると、私のプロジェクトのリーダーは、怪訝そうな顔をして、
「今帰るよりも、台風が落ち着いてから帰ったほうがいいんじゃないですか?」
などと言った。「おいおい、それは」と、私は心の中で思った。結局、これを書いている今でも、外は暴風雨である。プロジェクトのリーダーは、大型台風の日に、こんな時間まで残業しろと言いたかったのだろうか?

 他プロジェクトのリーダーはほとんど既婚者なのだが、私の所属しているプロジェクトのリーダーは独身である。こんな言い方をすると失礼かもしれないが、私から見てそのリーダーは、誰かと深く愛し合った経験がないように思える。実は、ソフトウェア業界の技術者には、そういうタイプが多い。つまり、奥手なのだ。ときどき、飲み会の席でその手の話題が持ち上がるのだが、彼は一切自分の感情を見せようとはしない。仕事に対しては、とても切れる人である。頭の回転がすこぶる速く、私の遅いCPUではついて行けない。しかし、彼とは仕事以外の話がほとんど成り立たず、感情面での会話が一切できない。それでも、お互いに仕事のことではっきりモノを言い合っているので、職場の人たちには、彼と私の仲がいいように思われている。決して仲が悪いわけではないのだが、感情面での会話ができないことは、私にとって袋小路でもある。自分の感情を表現する回路さえも、閉ざされてしまうからだ。

 私は決して、彼が独身でいることを批判しているわけではない。誰かを深く愛した経験を持っていて欲しいと思うだけだ。そういう経験がある人は、女性に対して優しい言葉をかけることを恥かしがらない。既婚のプロジェクトリーダーが女性に対して優しくできるのは、愛を知った証であると私は思うのだ。彼らは、何を優先させるべきかをちゃんと知っている。更に、興味を持つ対象として、女性には苦手な分野があることをちゃんと心得ている。つまり、男性社会で得た知識が、女性にも通用するという思い込みがない。

 勤務先の最寄駅にあるデパートは、午後二時をもって閉店していた。これは、大型台風で客足が遠のくからと言うよりも、従業員のことを気遣った行為だと思われる。こういう職場こそ、愛のある職場だと言える。

 夕方にはガンモも帰宅した。ガンモの会社にも、台風のときは帰宅命令が出される。私が自宅の最寄駅に着いたときも、たくさんの通勤客が電車を降りた。まだ、夕方の通勤ラッシュの時間ではないと言うのに。

 異性を深く愛するということは、異性を良く知ることに繋がって行く。残念ながら、私が参加しているプロジェクトは、完全なる男性社会だ。仕事ばかり忙しくて、男女の愛に満ち足りていない。ただ、そういった現象も、精神世界的な見方をすれば、私自身が、対比の中でしか素晴らしい愛を体験できないという意味にも取れる。私が普段、愛についてどんな考えを持ち、どういう人たちと密な交流をさせてもらっているかを同じプロジェクトのメンバーが知ったら、彼らは私をまるで別人のように扱うに違いない。

 そんな中にあって、先日ゴールインしたばかりの二人の存在は、私にとって救世主だ。現在、私は、彼らの結婚式で撮影したデジカメ画像をもとに、彼らのホームページを作成中である。そのホームページに、男女の愛の素晴らしさを、照れることなく綴って行けたらと思う。そのホームページを見て、男性社会にいるプロジェクトメンバーたちが、何か感じ取ってくれるといいのだが。私が今の仕事を辞めるとすれば、彼らに男女の愛の素晴らしさを伝えてからにしたい。

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2004.10.19

センチメンタル・ライブ

 今日は、神戸で行われた長年応援し続けているアーチストのライブに参加した。私の勤務先から会場までは一時間ほどかかってしまうため、あらかじめ仕事を休んでおいた。退社時間直前になって、「山下さあん!(私の苗字)」と、突然作業が降って沸いてしまうことが多いからだ。

 最近の私はちょっとボケていて、彼らが神戸にやって来るというのに、チケットの予約を怠っていた。だから今回のチケットは、ライブ当日ギリギリになって、インターネットで余りチケットを売っている人を探し当て、入手したものである。神戸のライブはいつもガンモと二人で参加するのだが、私がチケット予約を怠っていたため、ガンモは仕事の予定を入れてしまっていた。そのため、今回は私一人で出掛けることになってしまったのだ。

 彼らとの付き合いがずいぶん長いからだろうか。今や私は彼らのライブを、悪く言えば惰性、良く言えばかなり落ち着いた気持ちで聴いている。若かった遠い過去に引き戻されでもしない限り、ライブで泣いたりすることも少ないのだが、どういうわけか、今回のライブではかなり泣けた。一人で参加したせいか、曲を聴きながら、独身の頃のことを思い出してしまったからかもしれない。演奏される曲が、私の涙のポイントを押さえているのだ。

 私には四年間ほど、そのアーチストから遠ざかっていた時期がある。遠ざかっていたと言っても、年に一度くらいはライブに足を運んでいたので、完全に遠ざかっていたわけではない。ただ、その頃、週に何度かはそのアーチストと顔を合わせるような状況にいたのだが、突然、私は彼らの前から姿を消したのだ。直接のきっかけは、彼らとの関係に行き詰まりを感じてしまったことが原因だった。その当時、私自身がもっとビッグにならなければそのアーチストと対等になれないなどと大それたことを考えていたのだ。また、他に夢中になる俳優ができたことも重なった。しかし、その俳優への熱は、すぐに冷めてしまった。生年は違うが、私と同じ誕生日の俳優である。

 最初に泣けたのは、私が遠ざかっていたその時期に、彼らが歌っていた曲が久しぶりに演奏されたときだった。あの頃、ベストテン番組でその曲を聴きながら、彼らの元に引き戻されてしまいそうになる自分がいたことを思い出した。テレビの画面を通して見る彼らが、私に何かを訴えかけているように思えたものだ。

 四年後のある日、私は突然思い立って、そのアーチストの前に姿を見せた。かつて、一週間に何度も顔を合わせていたとは言え、四年も経っているのだから、忘れられてしまっていても仕方がない。しかしそのアーチストは、私の姿を認めると、驚きの目をくりくりさせながら、「久しぶりぃ」と言ってくれた。その短い一言に私は歓喜し、その一言のおかげで、四年間のブランクが一瞬のうちに埋まった。そして、まるで四年間のブランクなどなかったかのように、私は再びそのアーチストの前に姿を見せるようになった。

 今夜のライブを見ながら、そのアーチストに対し、ガンモや私と同じ魂を強く感じた。ガンモが隣にいないのに、ガンモと仲間の魂を持った人が、ステージに立っている。私にはそんな気がしていた。そう、ガンモと出会ったときも、このアーチストを好きな気持ちと矛盾しない存在だと思った。これまで好きになった人で、このアーチストと共存できる対象は、ガンモ以外にいなかった。だから私は、人生をガンモと一緒に過ごしても、このアーチストと一緒に過ごしても(実際には有り得ないことだが)同じだと思うことができたのだ。

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2004.10.18

夜店

 今日のお昼前に地震があり、職場のビルがグラッと揺れた。ガンモは今日、休みのため、家に居た。モノの多い我が家は、地震のときに荷崩れが起こりやすいもっとも危険な場所である。私は心配になって、お昼休みになるとすぐにガンモに電話を掛けた。しかし、ガンモは揺れにはまったく気がつかなかったと言う。
「我が家で一番安全なのはお風呂だから。お風呂に避難しておくように」
と私が言うと、
「揺れたら、お風呂まで辿り着けない」
とガンモ。
「うん、確かに」

 さて、今日は定時退社日だったので、私は残業をせずに仕事を上がり、地元駅近くでガンモと待ち合わせをした。私が最寄駅に着いた頃、ガンモから電話が入った。
「神社でお祭りやってるよ。明かりの具合がすごくいい。ああ、カメラ持って来るんだった」
ガンモに言われた場所に着いてみると、暗くなった小さな神社の中に、ところ狭しとお店が並んでいて、いくつもの裸電球が神社の中でやわらかい光を放っていた。その裸電球の光に集まるように、そこにたくさんの人だかりができていた。

 ガンモは我慢しきれない様子で、早くもたこ焼きをほおばっていた。私は、イカの姿焼きを食べた。関西では、イカ焼きとイカの姿焼きはまったく別物である。関西で言うところのイカ焼きとは、お好み焼きのようなものにイカの具が入ったものである。私はイカの姿焼きしか知らなかったので、最初に関西に来たときは、「こんなのイカ焼きじゃない!」と思っていた。いや、実は今でもそう思っているのだが(^^;

 たこ焼きを食べ終わったガンモが、私が食べているイカの姿焼きを欲しそうに眺めるので、少し分けてあげた。ガンモはおいしい、おいしいと言いながらそれを食べた。食いしん坊の私たちは、それだけではおなかがいっぱいにならなかったので、「はしまき」と言う、箸に巻かれたお好み焼き風のものを食べた。和風クレープみたいな味がした。

 ほんの一日だけ、その場所に並ぶ夜店。そこに夜店が並ぶ非日常は、地元の人たちの心をどこかウキウキさせる。明日、同じ場所に行ってみても、もうそこに夜店はない。一夜限りのお祭りだからこそ、みんなそこで楽しく飲み食いし、その雰囲気を味わいたいのかもしれない。

※写真は、過去に別の場所で撮影したものです。

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2004.10.17

 きのうの結婚式の二次会のあと、私は職場の同僚たちと一緒にStarbucks Cofeeに行った。紅茶党の私は、Starbucks Cofeeのようなコーヒー専門店でコーヒーを飲むようなことはない。私が外でコーヒーを飲むのは、喫茶店に入って、セットメニューについているのがたまたまコーヒーしかないときなどに限られる。ガンモもそれを知っているから、私をStarbucks Cofeeのようなところには誘わない。だから、Starbucks Cofeeにチャイがあるなんて知らなかったし、また、そこでチャイが飲めるということがうれしくもあった。

 私は温かいチャイを注文して、席に着いた。Starbucks Cofeeのカップには蓋がかぶせられていて、その蓋にはストローが差せるほどの穴があり、そこに直接口を付けて飲むようになっている。私はそれを知らなかったので、その蓋を取って飲もうとした。すると、職場の同僚が、
「そのまま口をつけて飲むんですよ。蓋がついているのは、冷めないようにするための工夫なんです」
と言った。私は驚いた。そして、その素晴らしい工夫にカルチャーショックを受けた。すると、私の驚きに対して、別の同僚が目を丸くしているのがわかった。彼女にとっては、Starbucks Cofeeのカップがそういう仕様になっていることなど、もはや当たり前のことだったのだ。彼女は、私がそのカップの仕様を知らなかったという驚きの余り、固まってしまっている。まるで私が世間知らずであることを、わざわざ指摘されているような気さえした。でも、これは、まったくもって嗜好の問題である。私は、コーヒーが好きではないのだから、わざわざコーヒー屋さんに入ろうとは思わない。そう説明したかったが、何となく言いそびれてしまった。その場の雰囲気を察してか、私が紅茶党だということを知っている別の同僚が、
「私も最初、このカップを見たときは驚いたなあ」
とフォローしてくれた。

 他人は自分を映し出す鏡である。このとき私はそう思った。これまで私は、何度も自分の価値観でモノを判断し、他の人の行動に驚いて来た。このガンまる日記にも、あたかもその人の生き様を否定するかのように、その驚きを何度も何度も綴って来た。固まった彼女の行動から、いつもの自分を見せつけられたような気がした。

 更に、そのとき私は、もう一つの鏡を見せられた。小学生の子供さん連れで結婚式の二次会に参加していた夫婦がいるのだが、その夫婦の小学生の二人の子供たちが、会話も交わさず、私たちの前でずっとゲームボーイで遊んでいたのだ。それも、別々のゲームボーイで。うわあ、これは、まさしく、通勤途中の私だと思った。(苦笑)私は、ネットでの交流が停滞することが怖くて、通勤の途中でもPDAからインターネットにアクセスしている。彼らとは違う理由だとしても、周りから見れば、私の取っている態度は不思議に写って見えて仕方がないことだろう。

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2004.10.16

結婚式でウルウル

 職場の同僚の結婚式は、とある教会で行われた。私は、新郎新婦が登場する前から感動でウルウルしていた。愛し合う男女が結ばれるということが、うれしくてたまらなかった。

 まず最初に新郎が入場し、続いて、花嫁がお父さんと一緒に入場した。花嫁とお父さんが、カチコチに緊張しているのがわかる。緊張のためか、二人の足並みは揃わず、花嫁は長いドレスをひきずりながら、一歩一歩ぎこちない足取りで踏み出していた。既に祭壇の前に立っている新郎は、二人の様子を、微笑みを浮かべながら温かい目で見守っていた。その様子を目にしたとき、私はとてつもなく幸せな気持ちになった。熱い気持ちがつんとこみ上げて来た。

 賛美歌の合唱も、神父が読み上げる神の言葉も、申し分なく素晴らしかった。私はキリスト教信者ではないが、神父は何よりも大切なものは愛だと説いた。そして、「二人が交わす結婚リングに始まりも終わりもないように、愛は永遠である」と言った。私は愛する男女が結ばれることの素晴らしさに深く感動し、涙していた。

 そのとき、神父の導きによって、誓いの言葉が立てられた。
「病めるときも、健やかなるときも、あなたを愛し続けることを近います」
私は、この「誓い」が残念だと思った。本当に愛し合う男女には、「誓い」など必要ないだろうと思う。何故なら、永遠の愛とは、今日と同じ明日が続いて行くだけのはずだから。「誓い」には、言葉に頼るといったような印象を与えてしまう。すると、そこに制限が生まれてしまうのだ。

 厳粛な結婚式のあと、教会の外で新郎新婦を出迎えた。花びらをふりかけたり、記念撮影をしたり、青空に風船を飛ばしたりした。


 その後、披露宴がなごやかに行われた。私はその披露宴の席で、隣に座っていた新婦の前の職場の同僚の女性と息がぴったり合い、時間の経つのも忘れてしまうほど熱中して愛に関する深い話をした。最初は私の結婚観から語った。私が今日の結婚式の感動を述べ、自分もガンモとの結婚の素晴らしさを毎日実感していると語ると、彼女はとても喜んでくれた。そして、結婚が素晴らしいと言える人に出会えて、とてもうれしいと言ってくれた。私もまったくの同感だった。私たちはお互いに、自分の中からスピリチュアルな部分を次から次へと引き出し合い、いつの間にか話題はソウルメイトやツインソウルの内容にまで発展していた。私は、ソウルメイトとツインソウルは自分のライフワークだと答えた。

 彼女は独身だったが、愛ある結婚をとてもまじめに考えていて、自分も既に運命的な出会いを果たしていると語ってくれた。その方は有名人なのだそうだが、彼女の中には有名人という意識はなく、一人の男性として、「平和への道」という自分と同じ目的を持った同志のような感覚を持っているのだと言った。私は、自分の過去の経験から、そういう感覚がとても良くわかると答えた。その男性のことを想うと、自分でもどうしてなのかわからないくらいに涙が出て来るのだと言う。こういう愛し方は、魂の愛に違いないと私は思った。彼女の使った「平和/同志」というキーワードから、
「じゃあ、ジョン・レノンとオノヨーコみたいな関係を目指しているんですね」
と私が言うと、彼女は目をキラキラと輝かせながら、
「そう、二人のポスターを部屋に貼ってます!」
と言った。更に、彼女は続けて、
「でも、あのお二人は不倫から始まってしまったんですけどね」
とも言った。ああ、そこに引っかかりを覚えてしまうとは、彼女は私とまったく同じ感覚の持ち主なのだと思った。
「そう。だからジョン・レノンは、ファンに殺されるという形で自分の人生を清算してしまいたかったのかもしれませんね」
と私が言うと、彼女はそれに対し、真剣な目で大きくうなずいてくれた。私はかつて、『ジョン・レノン物語』という本に目を通したことがある。それを読む限り、ジョンはあまりにも身勝手な生き方を選び過ぎたと思う。前妻のシンシアと離婚してヨーコと付き合うようになってからも、ジョンの女性関係は乱れていたようだ。そのため、ジョンとヨーコは、一時的に離れていたこともある。だから私には、ジョンとヨーコは、お互いが引き合うように結ばれたのではなく、引力に逆らって、かなり強引な結ばれ方をしたのではないかと思えてしまうのだ。そのために、二人が一緒になってからも、波乱万丈の人生を送ることになってしまったのではないだろうか。

 出会ってわずか二時間程度の間に、これほどまでお互いの深い部分を引き出せる相手というのは、私にとってとても珍しい。あとから新婦にこのことを話すと、彼女と私がきっと話が合うはずだと思い、わざわざ席を隣同士にしてくれたのだと言う。彼女とは、お互いに連絡先を交換し合った。

 披露宴のあと、彼女と一緒に二次会の会場に向かった。途中で寄った本屋さんで、彼女は私に仲良く並んでいるフクロウの番(つがい)のポストカードをプレゼントしてくれた。私はその心遣いがとてもうれしかった。

 二次会の会場では、派遣先の会社の参加者がおよそ半分を占めていた。私は彼女とは離れ、派遣先の会社の人たちと席をともにしたのだが、さきほどまでの高いエネルギーを再体験したくてたまらなかった。このとき私は、自分のエネルギーを高めてくれる相性と、そうでない相性があることをはっきりと感じ取った。

 派遣先の会社の人たちとは、愛の話ができなかった。一体、彼女と何が違うのだろうか? そう思ったとき、私たちは、果てしなく伸びて行く部分とそうでない部分を持っているのだということに気がついた。果てしなく伸びて行く部分が一致する人とは、どこまでも深く話ができるのではないだろうか。それが、彼女と私にとっては男女の愛に関する部分だったのだ。だから、どこまでも深く伸びて行く部分が一致しない人との関係は、窮屈に思えてしまうのだ。

 私は、今日結婚した二人はソウルメイトだと思う。何故そう思うかと言うと、二人の雰囲気がとても良く似ているし、背の高さもほぼ同じだからだ。私は、ソウルメイトは同じ血液型に生まれると思っていたが、新郎新婦の血液型はO型とAB型だった。これは新たな発見かもしれない。

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2004.10.15

結婚式の準備

 明日はいよいよ同じ職場で同じプロジェクトメンバーの二人の結婚式だ。私は早めに帰宅し、先日購入した衣装を自分の身体に合わせてみた。お店では、ジャケットを羽織るだけで試着せずに買ってしまったのだが、家に帰ってからも、その服が実際に自分の身体に合うかどうかを確認しないまま、これまで過ごしてしまったのだ。

 明日は結婚式の本番なのだから、以前のように、服のサイズが合わないなどということがあってはならない。前日の夜にサイズが合わないことが判明しても、もうどうにもならないのだ。私は、いちかばちかの賭けをした。結果は、何とか大丈夫だった。ネットの通販で買ったブラウスは、ちょっとサイズが大きいような気もするが、何とか合格ライン内に収まっている。さて、肝心のジャンバースカートは・・・・・・。むむむ! お店で見たときは、ゆったりしているはずのジャンパースカートだったが、私が着ると、あんまり余裕がない(^^; しかし、まったく着られないというものでもない。こちらも合格ラインに収まっている。とりあえず、ホッとした。

 ガンモが帰宅したので、早速衣装合わせしたことを報告した。ガンモはかつて、私が、
「どんな格好で結婚式に行こうかなあ」
と悩んでいると、
「まるみはサムライなんだから、腰に刀を巻いて行けば?」
と言った。そして今夜、
「明日はねえ、久しぶりにストッキングというものを履くんだよ」
と私が言うと、ガンモは、
「えっ? ストッキングなんか履くのお? そう言えば、最近、ストッキングなんて洗濯したことないなあ」
と言いながら、自分の言葉に酔いしれていた。「ストッキングなんて洗濯したことない」と言うと、いかにも「自分が洗濯を担当しています」という主張が入っているからだ。

 ところで、私の足のサイズは22センチである。身体はすっかり成長してしまっているのだが、靴のサイズだけは小さいので、全体のバランスが悪い。おまけに、靴屋さんでは22センチの靴は滅多に売られていないので、なかなか好みの靴を履くことができない。明日は22.5センチの靴を履いて行く予定である。中敷を入れて履けばいいのではと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、中敷を使っても、私にとって、22.5センチの靴は大きいのである。おまけに、明日は靴下ではなく、ストッキングの上から靴を履くことになる。途中で靴が脱げなければいいのだが。

 実は、結婚式に出席すると決まってから、私は久しぶりにあちこちのお店で装飾品を買い込んだ。ずっとユニセックスで通して来た私にとって、こんなにおしゃれにお金を使ったのは、一体何年ぶりのことだろう。たまにはこんな散財もいいかもしれない。仕事仲間には、初めて私のスカート姿を見せることになる。

 明日はガンモの一眼レフ型デジカメを借りて持って行き、新郎新婦を激写しよう。しかし、バッグがカメラでパンパンにふくらんでしまうのは格好が悪いのだろうか。髪型もメイクもまだ決めていないというのに、私は頭の中であれこれ考え続けている。

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2004.10.14

対等になりたい

 私がある音楽アーチストを二十年以上応援し続けていることは、以前ここにも書いた通りだ。私は、そのアーチストを応援し始めて間もなく、そのアーチストと顔見知りになることができた。そして、今では、音楽以外の繋がりがある。決してプライベートな付き合いがあるわけではないが、年に何度か顔を合わせる機会があり、本当にとりとめのない会話をちょっとだけ交わしている。

 私が結婚したときに、そのアーチストはいつの間にか、ガンモを私の夫だと認めてくれていた。趣味の世界で開催された忘年会の席で、私はガンモとしっかり手を繋ぎ、そのアーチストの前を何度もウロウロした。そのアーチストの前でも、私はガンモの手を離したくなかった。ずっと想いを寄せていたそのアーチストに、自分が幸せな結婚をしたことを見守っていて欲しかったのだ。

 今ではそのアーチストは、目が合うと、ガンモにも私にもあいさつをしてくれる。私たち夫婦を二人セットで見てくれるのだ。趣味の世界で、私たちはある特定の分野に詳しいことになっていて、光栄にもそのアーチストに、
「そのことならこちらのご夫婦(私たちのこと)に聞いてね」
と言われたこともある。また、私がたまたま一人でいたりすると、
「今日は一人?」
などと、ニヤニヤしながら聞いてくれる。私たちがいつも離れたがらないのを知っているのだ。私はそれがとてもうれしい。そのアーチストがガンモに話し掛けてくれるときも、まるで私に話し掛けるかのように気さくに話し掛けてくれる。ガンモと私に対する態度に区別がない。

 しかし、私は最初の頃、情熱的なファンとして接していただけに、今でも話をするときはやっぱり緊張してしまう。趣味の世界だけでそのアーチストと知り合った人たちは、気兼ねなくそのアーチストと話をしているのが、ちょっぴりうらやましく思える。私はいつまでたっても、そのアーチストと対等になれないのだ。私の緊張がガンモにも伝わるのか、ガンモもやはり、そのアーチストの前では少し緊張してしまうようだ。

 まだまだ先は長いのだから、時間がかかってもいい。いつかそのアーチストと対等になりたい。そのためには、今の趣味の世界では難しいかもしれない。もっと違う世界を開拓して行かなければ。

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2004.10.13

下戸と飲ん兵衛

 我が家もそうなのだが、夫婦で下戸(ガンモ)と飲ん兵衛(まるみ)の組み合わせが多いのは何故なのだろう? 二人とも下戸か、二人とも飲ん兵衛のほうが、共感が増えていいと思うのだが。この週末に結婚することになっている同じ職場の二人も、下戸と飲ん兵衛の組み合わせである。周りを見渡してみると、意外にもそういう組み合わせが多いことに気づかされる。

 私たちの場合、付き合い始めてからすぐに結婚したので、それほどデートを重ねたわけではないのだが、飲ん兵衛の私にとって、飲み屋さんで熱く語り合うことは、お決まりのデートコースだと思っていた。しかし、下戸のガンモにはそれが当たり前ではなかったので、お酒の入らない席で静かに語り合うことになった。そんなわけだから、結婚してからこれまでを含めても、ガンモと二人で飲みに行ったのは、五本の指に入るほどしかない。

 二人でサークルなどの飲み会に参加すると、ガンモのグラスにはいつまでもビールが残り、私のグラスはすぐに空になる。だから、私はこっそりガンモとグラスを取り替えっこする。すると、周りの人は、ガンモが飲めると思って、グラスに冷たいビールを注いでくれる。そして、私がまたそれを飲む。

 ときどき、男の人がお酒を飲めないのはかわいそうだと思うこともある。でも逆に、お酒が飲めたら、あちこちの飲み会に誘われて大変かも、という気もする。ガンモはときどき、
「大酒飲んだ、大酒飲んだ」
と言いながら帰宅することがある。
「どのくらい飲んだの?」
と尋ねると、
「ビールをコップに一杯」
などと言う。「いっぱい」ではなく、「たった一杯」なのに、ガンモの身体は、アルコールをなかなか分解できない。だから、自分の許容量を超えると大変なことになる。途中の駅で下車して吐いて、最寄駅のトイレでも吐いて、更に、帰宅してからも苦しそうに吐いている。私はガンモの背中をさすりながら、粉末のポカリスェットを作ってガンモに差し出す。会社の飲み会にも、私が付いて行くことができれば、ガンモのコップを代わりに空けてあげられるのに。

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2004.10.12

煙草について思うこと

 ガンモも私も、今は煙草を吸わない。私は十年ほど前までは少し吸っていたことがある。しかし、ガンモと出会う前にすっぱりやめてしまった。ガンモは私と付き合い始めた頃に、一日に二本だけ吸っていた。
「そんなわずかな本数なら、思い切ってやめてしまえば?」
と私が提案すると、ガンモはちょうど煙草をやめるきっかけを探していたようで、ただちに煙草を吸わない人になった。

 私たちのように、夫婦のどちらも煙草を吸わないか、または、夫婦のどちらも煙草を吸う場合は、同じ環境での生活が成り立ちやすいと思う。しかし、夫婦のうちどちらか一方だけが煙草を吸う場合、ルールを設立しなければ、生活は成り立たないのだろうか?

 煙草を吸わなくなってからというもの、私は、煙草の煙に対して非情に敏感になってしまった。特に、体調の悪いときは、煙を吸い込むと頭が痛くなるので、煙草の煙の多い場所にはいられない。例えば仕事で会議室にこもるとき、会議が長引いてしまうと、愛煙家の方が会議室に灰皿を持ち込むことがある。会議が長引いて頭が回らなくなっているのに加えて、閉め切った会議室では極端に換気が悪くなるので、煙草を吸わない私は、こりゃたまらん状態になってしまう。また、ガンモが飲み会から帰って来たとき、スーツに煙草の臭いがぺっとりとしみついていると、「ああ、かわいそうに。言い出せなかったんだな」と思ってしまう。しかし、そもそもこういった状況は、お互いに愛がないから起こってしまうのではないだろうか?

 つまり、嫌煙家と愛煙家は、煙草を吸いたいという自由と、煙草の臭いをかぎたくないという自由を、お互いに奪い合っているわけである。もしも双方の間に愛があれば、愛煙家は、嫌煙家の前で煙草を吸うことを躊躇するだろうし、また逆に、愛煙家が煙草を吸いたがっているのに煙草を吸わせてあげないのは悲しいと思うだろう。しかし、この方法では、おかしな言い方だが、どちらか一方にしか満足感が得られない。

 私は、実はこの問題は、「双方の気遣いの気持ち」だけで解決できるのではないかと思う。嫌煙家の前で煙草を吸うときは、
「これから一本吸うけどいい?」
と声をかけ、吸っている最中は、換気などに気をつけてあげること。また、嫌煙家は、愛煙家が煙草を吸うのを我慢しているのをさりげなくさとって、
「一服しなくても大丈夫なの?」
などと、声をかけてあげる。おそらくたったそれだけで、嫌煙家と愛煙家の戦いは終わるような気がする。ストレスがたまるのは、煙草を吸われたくないとか吸いたいとかいうことではなく、こういった気遣いがないことが原因だと私は思うのだ。

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2004.10.11

アンパンマン号

 鳥取から「スーパーいなば」に乗り、岡山まで出て、岡山から「快速マリンライナー」に乗って、ガンモの実家方面へと出掛けた。きのうまでの雨が、まるで嘘のように晴れ渡っていて気持ちがいい。

 岡山駅の電子案内板を見ると、「臨時列車 トロッコ&アンパンマン号 琴平行き 全席指定」と表示されているのを見つけた。「是非ともその列車に乗りたい!」と思い、すぐにみどりの窓口に走ったのだが、既に満席だった。がっくりと肩を落としながら、「快速マリンライナー」の乗り場へと足を運び、入線して来た「トロッコ&アンパンマン号」をカメラに収めた。

 詳しいことは書けないのだが、ガンモの実家で起こった心配ごとは、以前よりもずっといい調子に向かって来ている。そのことが確認できて、私たちは安心した。そして、親と離れて暮らしている私たちにできることがないと思い込んでいても、実際に足を運んでみれば、自分たちのすべきことが見つかって行くものだと思った。歩み寄りもしないで、頭の中で考えているだけでは何も実現されない。そして、身内に対しては、奇妙な遠慮は必要ないのだということもわかった。

 それから私たちは、列車に乗り、ガンモが若い頃、良く遊んだという丸亀に足を運んだ。何と、乗り込んだ列車には、魚の絵が描かれていた。私は四国に長い間住んでいたし、四国を離れたあとも、何度も列車に乗って帰省したが、こんな列車は一度も見たことがなかった。

 丸亀には、私も昔、コンサートを観るために出掛けて来たことがある。確か、長い商店街があったはずだ。子供の頃は、ここが都会だと思っていたのに、自分たちが都会に住むようになると、その商店街がずいぶん鄙びて見えた。特にガンモは、ショックを隠し切れない様子だった。そんな中で見つけた、薬屋さんの前にあった山手線の乗り物は、私たちの心をなごませてくれた。鉄好きのガンモは、
「これは良く出来ている!」
と絶賛していた。

 丸亀からアンパンマン号の「特急南風」に乗り、岡山まで出て、岡山から新幹線に乗り、西明石で在来線に乗り換えて帰宅した。三日間の旅だったが、最初の二日間をキャンセルして、ガンモの実家に帰れば良かった、と思った。

 ところで、何故、四国を走る列車にアンパンマンが描かれているのかというと、アンパンマンの製作者のやなせたかしさんが、高知のご出身だからということらしい。

お知らせ:自宅サーバ、復旧しました。皆様には大変ご迷惑をおかけ致しました。

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2004.10.10

鉄分100%

 今日は、あいにくの雨の中、ガンモの提案で、出雲車両支部の車両展示会に出掛けた。ガンモにとって、初めての鉄のイベントである。やはり、一眼レフに望遠レンズを装備した男性たちが圧倒的に多い。年齢層は実に様々で、お母さんに連れられた男の子もいれば、50代くらいの男性もいる。家族連れの人たちはともかく、筋金入りの鉄の人たちのほとんどは、単独行動だった。私はそこに、彼らの持つコミュニケーションに対する恐怖のようなものを感じ取ってしまった。ガンモもそうだが、いわゆる固いものが好きな人たちは、自分から積極的にコミュニケーションを取ることがとても苦手である。だから、コミュニケーションを取らなくてもいい、単独でできる趣味に走ってしまうのではないだろうか。でも、例え固いものの趣味でも、私たちのようにコミュニケーションを取りながら楽しむのは、一つの喜びでもある。

 車両展示会の時間は、ちょうどお昼どきだったので、私は駅でお弁当を買って列車に乗ろうとしたのだが、ガンモは、自分は朝ご飯をたっぷり食べたし、パンを持って行くので、お弁当はいらないと言う。私は、ガンモは絶対におなかを空かせるはずだと思ったのだが、わざと自分のお弁当だけを買って列車に乗り込んだ。

 帰りの列車は、午後2時前に車両展示会の会場を発車した。当然、私たちははらぺこである。私はお弁当を取り出して食べ始めた。ガンモがチラチラとこちらを見ている。
「おなか空いてるんでしょ?」
と聞くと、ガンモはちょっと決まり悪そうな顔をしている。結局、一つのお弁当を二人で分けて食べることになった。まあ、これも良き想い出と教訓である。



 それから私たちは、出雲市駅からバスに乗り、旧大社駅に向かった。ここは、出雲大社にもっとも近いJRの駅だったのだが、大社線の廃止にともない、駅舎だけが残されることになったのだ。その古い風格は大変赴きがあり、過去の栄光を自ら懐かしんでいるようでもあった。かつては全国から大社駅に向けて、いくつもの直通列車が運行されていたようだ。それが、他の交通手段に取って代わり、大社線はどんどん衰えてしまったようだ。勢いがあるものは、いつか必ず衰えてしまう。そんなことを思わずにはいられなかった。

 更に私たちは、山陰本線に乗って鳥取までやって来た。明日はガンモの実家に帰る。

お知らせ:申し訳ありません。ただ今、自宅サーバがダウンしています。運行状況につきましては、お知らせをご覧ください。

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2004.10.09

「急行だいせん」と「水木しげるロード」

 「急行だいせん」は、大阪−米子間をおよそ6時間半で結ぶ夜行列車である。寝台車はなく、リクライニング式のシートで、夜間走行中も消灯されることはない。利用客の減少により、今月16日のダイヤ改正でとうとう引退することを知り、ガンモの提案で、記念に乗車してみることになった。ファンサービスのため、私たちが乗車した9日と10日は、通常の2両編成に2両連結して運行されていた。

 今朝6時前に米子に着いた。熟睡していた私は、ガンモに起こされてちょっと機嫌が悪かった。リクライニング式のシートの寝心地はそれほど良くなく、途中で何度も何度も目が覚めてしまったが、ガンモよりは眠れたほうだと思う。ガンモは、わずか1時間半程度しか眠れなかったそうだ。ぼーっとした頭のまま、「急行だいせん」を降りて、駅の待合室でしばらく過ごしていると、ガンモが残念そうに、
「旅行の工程表(旅行の度にガンモが作成する。乗車する列車の時刻表や観光スポットや宿泊するホテルの情報などがきれいにまとめられたクリアファイル)をだいせんの中に忘れた」
と言う。慌てて駅員さんに尋ねてみたが、列車は既に車庫に入ってしまったので、清掃担当の人からの情報が上がって来ないとわからないと言う。連絡先の電話番号と住所を紙に書いて、見つかったら連絡をいただけるようにお願いしておいた。

 それから私たちは、境線に乗って富士見町まで行き、そこから歩いて5分ほどのところにある24時間営業のインターネットカフェに足を運んだ。まだどこのお店も開いていないし、睡眠不足なので、インターネットカフェに行けば少しでも休息できると思ったのだ。結果は正解だった。3時間の利用で、私はたっぷりとインターネットを楽しみ、ガンモは少し仮眠を取った。あとになって思えば、そのインターネットカフェには畳の部屋もあったので、畳の部屋にすれば良かったと思った。


 11時前にインターネットカフェを出て、再び境線に乗り、終点の境港で降りた。ここは、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者水木しげるさんの故郷で、列車にも鬼太郎の漫画が入っている。境港で降りてみると、街全体が水木さんの生み出した妖怪だらけといった感じだった。駅周辺の街灯は目玉おやじが採用されているし、商店街のあちこちには妖怪のオブジェが飾られていて、歩くのが楽しくなるような商店街だった。駅前でお昼ご飯を食べたあと、水木しげるロードをゆっくりと散策し、「水木しげる記念館」に足を運んだ。


 水木しげるさんは、妖怪を研究するという一つのテーマをとことん追求し、成功を収めた人だ。きっと誰にでも、人生をかけて追求して行くテーマというものがあるのだろう。人生の早いうちにそれが何であるのかに気づいて行くことは、本当はとても大切なことなのだ。私にとってそれは、「ソウルメイトやツインソウル」、すなわち、「男女の密な愛」である。だから本当は、ダラダラとソフトウェアの開発なんかをやっている場合ではなく、「男女の愛」についてとことん追求して行く道を歩み始めたほうがいいのだろう。それがわかっていながら、自分の天職とも思えない仕事をいつまでも続けているのは、何だか情けない気もする。ただ、今の流れではまだ自分の道には行けない。まだ、そういう段階ではないのは感じている。

 境港から米子まで戻り、そこから山陰本線に乗って、出雲市に来た。ここは、つい2ヶ月ほど前のガタントゴンツアーで訪れた場所だ。台風の影響か、お天気があまり良くないのが残念である。

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2004.10.08

吉田拓郎ライブ

 今日は定時で仕事を上がって、フェスティバルホールで行われる吉田拓郎さんのライブに出掛けた。このチケットは、苦手アーチスト克服<その後>で書いた通り、ガンモが取ってくれたチケットだ。私は19:00からの開演にはちょっと遅刻してしまった。ガンモは仕事が休みだったので、既に席に付いて演奏を聴いていた。ステージを見ると、たくさんの人が演奏している。確か、今回のツアーは、総勢二十四名のバンド構成だとか。でも、肝心の拓郎さんの姿が見えない。

 ガンモに、
「ねえ、拓郎さんは?」
と尋ねると、
「ううん、まだ出て来ていないと思うんだけど。いるのかなあ?」
最初から観ているガンモにも、良くわかっていなかったらしい。結局、私が入場したときに演奏されていた曲が一曲目で、その曲のあと、大きな拍手に迎えられて、拓郎さんが登場した。

 ガンモも私も、吉田拓郎さんの熱狂的なファンというわけではない。アルバムも何枚か持ってはいるが、真剣に聴き入ったという記憶もない。ただ一つ接点があるとすれば、それは広島だ。私は、最終学歴となっている大学に入学する前の一年間、広島に住んでいた。広島の大学に現役で入学したのだが、わずか二ヵ月で休学し、予備校に通って再受験したのだ。そのとき休学した大学が、吉田拓郎さんの出身大学と同じなのだ。だから、私にも、彼の広島魂が少しだけわかる。あと、ゆうべのステージを観ていて思ったのは、拓郎さんの魂と奥田民生くんの魂が私の中でだぶって写っていたということだ。奥田民生くんは私と同い年だが、以前、「ロックロックこんにちは!」という野外ライブでリラックスしながら寝転がって、複数のアーチストの演奏を聴いていたとき、突然彼の演奏が始まって、その素晴らしさに「このアーチストは一体誰?」と、慌てて飛び起きたという経緯がある。そう、彼らに共通しているのは、力を抜いているようでいて、実はしっかりと力を入れているところではないだろうか。

 拓郎さんはMCで、エレックレコードに入社してから現在に至るまでの苦労話を面白おかしく聞かせてくれた。その中で印象的だったのは、「これまで起こって来たことがすべて偶然だとしたら、これからの人生にもどんどん偶然が起こって行くはずで、そう考えると、これからも人生もわくわくする」という言葉だった。私はむしろ、拓郎さんの考えとはまったく逆で、「すべてのことは必然で起こっている。魂の計画の緻密さには驚かずにはいられない」という考えなのだが、それでも、こんなふうに説明されると納得してしまうところが拓郎さんのすごいところだと思った。「逆もまた真なり」という言葉もあるが、まさにその通りだと思った。ある面を、同じ方向から見ている人もいれば、反対から見ている人もいる。しかも、どちらの結論にも納得できてしまうと、物事の持つ陰と陽の面をいっぺんに吸収できたような達成感がある。

 ライブはおよそ三時間も続いた。チケット代金も10,500円と、通常のライブよりは割高だったが、サービス精神満点のライブだったと思う。拓郎さんはギターを何度も交換していた。私がいつも観ているアーチストも、ギターを頻繁に取り替えているが、そういうアーチストは少ないと思っていたので、新しい発見だった。

 バックバンドの人たちも、一生懸命演奏されていたのだが、まだステージ慣れしていないのか、それとも、スタジオミュージシャン暦が長いのか、はたまた、単なる練習不足なのか、下を向いて演奏する人が多かった。私はやはり、ライブでは、ギターのプレイに注目する傾向にある。ギタリストには下を向いて演奏して欲しくないし、また、自分だけの世界に酔いしれて演奏して欲しくもない。しかし、歌のないスタジオミュージシャン風のギタリストたちは、こんなふうに地味な人たちなのだろうかと思った。

 ライブが終わって私たちは、大阪駅から「急行だいせん」に乗り、米子へと向かった。

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2004.10.07

私の仕事

 私は派遣社員として、今の職場にニ年半ほど勤務している。これまでの業務では、ずっと、受注開発のソフトウェアの開発を担当して来たのだが、今の職場に来てから、パッケージソフトの開発担当になった。そのため、開発の他にも、障害対応やマニュアル作成、インストーラ作成などの業務も兼務している。

 受注開発というのは、特定のお客さん向けにソフトウェアを提供する仕事である。一般に値段が高く、お客さんには億から数千万円のソフトウェアを買っていただくことになる。これに対し、現在担当しているパッケージソフトは、世の中に広く出回るソフトウェアで、価格は一つ数万円程度である。これをたくさんのお客さんに買っていただくことで、会社は利益を得ることになる。

 技術者として、どちらの開発担当が面白いかと言うと、どちらも一長一短かもしれない。一般に、受注開発の仕事では、受注元が変わる度に、次々に新しいことに挑戦できるが、パッケージソフトの開発は、同じシリーズのソフトウェアを開発して行くため、これまでの流れを大きく覆すような冒険はできない。つまり、新しい技術の習得のチャンスに恵まれるということが少ないのである。しかし、前者は自分の仕事が世の中に知れ渡ることは少ないが、後者は市場に出回るソフトなので、目に見える部分でやりがいを感じることもできる。ただ、現在の職場もそうだが、パッケージソフトはユーザサポートが大変だ。ソフトウェアが売れれば売れるほど問い合わせの数も多くなり、新規開発へのパワーが保守のために費やされてしまう。

 ところで、最近、派遣仲間の一人が、仕事のことに不満を持っているのを知った。彼女は、私とは別のプロジェクトなのだが、先日、「仕事の進め方について不満があるので話を聞いて欲しい」と持ちかけられた。話を聞いてみると、「なるほど」と思った。彼女に、「今の職場で不満なことはないか」と尋ねられたので、「細かいことを上げればキリはないが、それほど切羽詰った状況ではない」と答えた。確かに、休み時間に上司にべったり張り付かれ、延々と仕事の話をされて休み時間がなくなってしまったり、コメントの書かれていないソースプログラムのメンテナンスを行ったりすることも多いのだが、私の力をある程度信頼してくれている職場なので、自分の思っていることをはっきりと口に出して言いやすい。また、仕事が大変なときは、お互いの仕事をみんなでサポートし合う体制が整っている。ガンモに言わせれば、今の職場は、これまでの派遣先の中で、私の愚痴が一番少ない職場なのだそうだ。

 確かにこれまでは、家に帰る度に愚痴をこぼしていたことが何度もあった。一緒に仕事をしている人が苦手なタイプの人で、精神衛生上よろしくない状態のこともあった。また、私の作業の負担があまりにも大きかった頃、夜中のニ時、三時まで仕事をしてタクシー帰りをしていたこともあった。みんなのいる場所で仕事のことで対立し、ワーッと泣いたこともあった。そういう状態からすれば、今の職場はずいぶん仕事がやり易い。

 アドバイスとまでは行かないが、私は彼女に言った。すべてにおいて、陰と陽の要素があるはずで、その中で陽の面を選択するか、陰の面を選択するかは、自分次第なのだと。つまり、悪い面ばかり見ずに、いい面も見るようにしたほうがいいという意味である。彼女は今、自分の実力以上の作業を要求されているらしい。だから私は、それは、考え方によってはチャンスなのではないかと答えた。

 派遣先の会社は、彼女に突然辞められるのは困るらしく、何か困ったことがあったらいつでも相談するように上司から言われているらしい。今の職場には、全体的にそういう雰囲気がある。いつも仕事が忙しい会社なだけに、また、一つの仕事がずっと長く続いて行く会社なだけに、せっかく業務に慣れた派遣社員が離れて行ってしまうのは寂しいらしいのだ。だから私も、職場ではかなり大事にしてもらっているほうだと思う。

 そういう背景があるため、私はまだ今の仕事を続けて行くつもりでいる。本来なら、もっともっとガンモや自分の健康のことを考えて、食生活を改善できるような環境作りができる仕事を選んで行くべきなのだろうが、何だかんだ言いながらも、私は今の職場をなかなか離れられないでいる。もうすっかりいい歳なのに、職場から必要とされている以上、働き続けることになるのかもしれない。でも、食生活には問題があるので、何とか改善して生きたい気持ちだけは持っておこうと思う。

 ところで、今夜はガンモがコールセンターからお呼び出しがかかってしまい、さきほど、私の職場の近くまで車を走らせて出掛けて行った。今夜はTELオッケーとは行かなかったみたいだ。

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2004.10.06

TELオッケー

 今日は、夕方五時半過ぎから打ち合わせが入り、それから延々五時間も打ち合わせが続いて、とにかく疲れ果てた。こんなふうに、私の職場は急に振って沸いたように仕事が入り、その日にやろうと思っていたことが、どんどん先送りになって行く。打ち合わせ中、ああ、早く家に帰りたい、愛に包まれたい。そんなことばかり考えていた。仕事仲間たちと、仕事のはなしではなく、心行くまで男女の愛のはなしができたらどんなに楽しいことだろう。

 最寄駅に着いて、いつも自転車を預けている駐輪場から出るときに、どこかにドスンと自転車をぶつけてしまった。その直後から、私の自転車は動かなくなってしまった。自転車を見ると、チェーンは外れていないようである。しかし、ペダルを動かそうとしても、車輪が回らない。どこかで何かがひっかかっているようにも思える。

 私は、自転車に詳しいガンモに電話を掛けた。ガンモは、自転車のパンクもブレーキも自分で治す。もちろん、外れたチェーンを元に戻すことも、お茶の子さいさいである。

ガンモ「チェーンが外れてるんじゃないの?」
まるみ「いや、見たところ、外れてないんだけど」
ガンモ「じゃあ、そっちに行こうか? 時間外だから、別料金になりますけど」
(ガンモの仕事は、ハードウェアのユーザサポートである。夜中にコールセンターを通してお客さんから呼び出しがかかることも多いが、そのときは、サポート料金が時間外料金になるため、それを真似てこのような表現を使ったのである。)
まるみ「別料金になってもいいです。あれ? ちょっと待って。もしかしたらわかるかもしれない。また、あとで掛け直す」

 ガンモと電話で話しをしながら、自転車を観察していた私は、気になることがあったので、いったん電話を切った。良く見ると、前の車輪の後ろについている笠がゆがんでいるのが見える。どうやらぶつけたときにそこが当たって、ゆがんでしまったようだ。私はその笠のゆがみを自分の手でぐにゅっと元に戻した。すると自転車は、再び動くようになったのだ。

まるみ「もしもし? 治った治った。前の車輪の笠の部分が曲がってたよ。そこが当たってて動かなくなってたんだ」
ガンモ「そうですか。じゃあ、TELオッケーということで」
TELオッケーとは、客先のトラブルに対し、電話対応だけで解決してしまうことを言う。ガンモは仕事でお客さんとやりとりをして、TELオッケーの場合は、自分からコールセンタに電話を掛けて、「○○の件、TELオッケーです」と報告する。

 TELオッケーで良かった。実際に、私がガンモに時間外のサポート料金を払うわけじゃないが、夜中にガンモに駅まで来てもらうのはかわいそうだから。それにしても、今日は疲れた。

※掲示板への書き込みありがとうございます。メールもありがとうございます。返信までもう少し、お時間をくださいませ。

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2004.10.05

松組と竹組

 ガンモ&まるみの共通点にも書いてある通り、私たちにはいくつかの奇妙な共通点がある。その中に、「小学校のときのクラス編成が松組と竹組だった」というのがある。つまり、学年に二つしかクラスがなく、しかも、そのクラスの名前が松組と竹組というわけだ。故郷を離れてからわかったことなのだが、このクラス編成は、かなり珍しいようだ。ちなみに、私の通っていた小学校の隣の学区には、松組、竹組に加え、更に梅組というクラスもあった。

 調査を進めて行くうちに、松組、竹組というクラス編成の学校は、私の住んでいた地域でもごく限られた地域だけであることがわかって来た。それなのに、結婚相手のガンモも同じクラス編成だったとは・・・・・・。

 ちなみに、ガンモは1年竹組、2年竹組、3年松組、4年松組、5年竹組、6年竹組、私は1年竹組、2年竹組、3年松組、4年松組、5年松組、6年松組だった。いちまつ、いちたけ、にーまつ、にーたけ、さんまつ、さんたけ、よんまつ、よんたけ、ごーまつ、ごーたけ、ろくまつ、ろくたけなどと言った。ああ、懐かしい。

Google検索:松組 竹組

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2004.10.04

田舎育ちの人間は、素直じゃない

 実家から帰ってからのガンモは、ちょっとウジウジしている。簡単に言えば、どんなふうに親への愛情を示せばいいのか悩んでいるようだ。それは、私も同じだ。

 田舎育ちの人間は、素直じゃないと思う。愛情をまっすぐに表現することができないのだ。田舎には特に、へりくだりの文化がある。都会の人よりも、身内のことを必要以上にへりくだった表現をする。だから、子供は親に誉められて育つことはない。それゆえに、子供は自分が親に愛されているという実感を持たずに大きくなる。そして、親元を離れたとき、ようやく自分が親に愛されていたことを知る。久しぶりに自分が実家に帰ったときのうれしそうな親の顔を見て初めて、親の愛情を感じ取るのだ。

 素直じゃないのは、何も親子関係ばかりではない。男女の仲だってそうだ。田舎では、男女の友情が育ちにくい。一緒にいると、みんなに冷やかされるからだ。本当は、自分だって異性と仲良くしたくてたまらないのに、男女が仲良くしている姿を見ると、みんな冷やかす。仲間意識を大切にする田舎では、冷やかされたくないばっかりに、男子と女子に分かれてしまう。だから私は、ハリーポッターのような映画を観ると、うらやましくて仕方がない。

 相手がひねくれていると、自分もひねくれてしまう。親がまっすぐな愛情を注いで育ててくれていたら、私たちだってまっすぐの愛情を返せるのに、と今になって思ったりもする。決して親のせいばかりじゃないと思うが、結婚してから、まっすぐに愛情を注ぐことほど気持ちのいいことはないと知ってしまっただけに、親にまっすぐな愛情を返すことができないでいる自分たちがじれったい。

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2004.10.03

親元を離れて暮らす

 今日は、今年一番の秋らしい朝だった。一歩外に足を踏み出した途端、身体がぶるんと震え、ジャケットを羽織らずにはいられないほどの寒さを感じた。急に秋がやって来たのだ。

 ガンモと私は早起きして、JR西日本の乗り放題切符を使い、ガンモの実家方面へと向かった。赤穂線を経由して岡山に入り、そこから更に瀬戸大橋線に乗り換えた。実は、先日の日記に書いた心配ごとは、ガンモの実家で起こっていたのだ。その内容をここに書くことはできないが、私たちが足を運んでみると、最初に報告を受けたときよりもずっと良い状態に向かっていることが確認された。一時はどうなることかと思っていたが、何とか先が明るくなりそうである。

 しかし、親元を離れて暮らすということは、何かあったときに、ただちに手を差し伸べることができない状態にあることを、改めて認識させられた。私の両親も、ガンモの両親も、お互いに地元に住む相手と結婚し、また、彼らの親兄弟もほとんど地元を離れずに生活している。一方、ガンモと私は、十代の頃から親元を離れて暮らしている。だから、若い頃から、親せき付き合いを続けて行くことなど面倒なことだと思い込んでいた。しかし、何かあったときに頼りになるのは、近くに住む親せきであることを、私たちはこの一年で痛感することになった。

 今日、ふと思ったのは、私たちには子供がいない分、両親や親せきと私たちを引き合わせるような出来事が起こって行くのではないかということだった。そういった出来事でもなければ、密に会話をする材料がないわけである。

 帰りは、高松から宇高国道フェリーに乗った。宇野−高松間は、二つの船舶会社がそれぞれ一時間におよそ二本の割合でフェリーを運行しているのだが、瀬戸大橋線が完成してずいぶん経った今でも、フェリーの利用客がずいぶん多いのに驚かされた。瀬戸大橋線が完成する前までは、現在の民間フェリーの他に、宇高連絡船と言う国鉄のフェリーが運行されていた。私はその宇高連絡船を、東京から愛媛の実家に帰省するのに、良く利用したものだった。宇高連絡船の中で食べたうどんが、今でも懐かしい。ガンモもその頃、横浜に住んでいて、帰省するときにしばしば宇高連絡線を利用したと言う。私たちが宇高連絡線の中で出会わずに、それから十年も経って、中古カメラ屋さんで初めて顔を合わせたというのも、それまでお互いにやっておかなければならないことがあったからなのだろう。

 うどんと言えば、かつて、宇高国道フェリーの宇野の乗船場近くに、うどんの自動販売機があった。数年前にガンモと宇高国道フェリーを利用したとき、その自動販売機はまだあったのだが、今日、確認してみると、その自動販売機は撤去されてしまっていることがわかり、とても残念に思った。代わりに、売店のようなものが拡張され、そこでうどんを食べられるようになっていた。

 さて、宇野から宇野線に乗り、茶屋町で岡山行きの電車に乗り換え、岡山から電車を乗り継いで、ようやく我が家に帰って来た。宇高国道フェリーを降りたあと、JR宇野駅を探すのにまったく違う方向まで歩いてしまったりするハプニングもあったが、何とか家にたどり着くことができた。

 私たちにとって、葛藤せずに行動することは、いつも安心をもたらしてくれる。今回の旅では、まさにそのことが証明されたのではないかと思う。

※写真は、帰りに利用した宇高国道フェリーと高松駅にある連絡線うどん。
※掲示板とメールの返信が、しばらく遅れることになろうかと思います。いつもお待たせしてしまってごめんなさい。

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2004.10.02

魂の想いに忠実に生きる

 最近、いろいろなことが重なって、ちょっとメゲている。世の中のあちこちで起こっている非道な殺人事件が辛い。人々の関心の対象が、どこまでも「自分」であることが悲しい。みんな、自分を愛することに精一杯で、人に与えることができないでいる。だから、感情を全開にしながら生きて行くことが苦しい。感情を閉じて生きることができれば、もっといろいろなことを避けて通れるのかもしれない。

 かつて、「何故、人を殺してはいけないのか」という問いかけがあった。これに対し、的確な答えを出せる人はいないと言われている。私は、「魂がそれを望んでいないことを知っているからだ」と思う。人を殺してはいけないと胸を張って言えるのは、実際に人を殺し、その後、命の尊さに気づいた人だと思う。輪廻転生を重ねて行くうちに、実際に人を殺す経験をしてしまった人もいるだろう。多くの人は、そういう経験を通して、「人を殺してはいけない」ということを自分の魂に焼き付けて来たのではないだろうか。だから、人を殺してしまう人は、まだそれを知らない人。言い換えると、魂の想いと実際の行動が一致していない人だと思う。

 交差点で、仲の良さそうな男女が手を繋いで道路を渡っている姿を見た。私は、こんなふうに仲の良い二人に災難が振りかかって来ることはないだろうと、直感的に思った。そして、今年のお正月、ガンモと二人で厄除け祈願の初詣に出かけたときのことを思い出した。あのとき私は、ガンモの手をぎゅっと握り締め、どんなことがあっても絶対にこの手を離さないでおこうと思った。男女が手を繋いで歩くことは、それだけで結合を意味し、厄を寄せ付けない働きを持っているのではないかと思う。ガンモと手を繋いで行けば、きっとどんな困難も乗り越えられるだろう。更に、厄とは、避けて通るものではなく、受けて立つものなのではないかとも思う。

 どんなときもガンモと手を繋いで、魂の想いに忠実に生きて行こう。それが、身に降りかかる厄を乗り越えて行く一番の秘訣なのではないだろうか。

※写真は、今年の初詣で書いた厄除けのお札。

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2004.10.01

続・テレパシーごっこ

 ニ日ほど前の夜、寝冷えしてしまったことが原因で、私はゆうべ、熱を出してしまった。夜中にウンウンうなる私を、ガンモは一生懸命気遣ってくれた。私は、外に熱を出してしまえば熱は下がるはずだと思い、多少熱くても我慢して、布団をかぶって寝ていた。すると、朝にはたくさんの寝汗をかいていて、熱が引いていた。

 体調は万全ではなかったが、ここのところ仕事を休みがちだったので、ちょっと無理をして仕事に行った。ガンモは今日も仕事が休みだった。電車の写真を撮りに来たというガンモと三宮で落ち合って、夕ご飯を食べた。帰りの電車の中で、またまたお互いの頭をくっつけて、テレパシーごっこをやってみた。ガンモは私が頭に描いた数字を即座にピタリと当てた。
「じゃあ、ガンモのほうからも送ってよ」
と私は頼んでみたのだが、ガンモはパスしたいと言った。

 最寄駅に着いて、自転車に乗って家まで向かっている途中で、私はガンモが何か言いたそうにしているのを感じ取ったので、
「ガンモ、私に何か言いたいことがあるんじゃないの?」
と聞いてみた。するとガンモは、わかってしまったのかというような顔をしながら、私にあることを告白してくれた。それは、まだここには書けないが、私たち夫婦にとっては、とても重要な出来事だった。
「そのことをいつ私に言うつもりだったの?」
と聞くと、
「今夜、家に帰ってから言おうと思ってた」
とガンモは言った。

 家に帰ってから、ガンモとそのことについて話し合った。ガンモの厄年だとか、私の大殺界だとか、あまり意識したくはないが、これだけいろいろなことが重なると、やはり影響があるのかもしれない。私たちは、今までが順調過ぎたのだと思う。しかし、ガンモはこの件に関して、まだまだ素直じゃない。きっと、心の中では心配する気持ちでいっぱいのはずなのだが、それを一生懸命、外に出さないようにしているように見える。素直になれよ、ガンモ。

※今夜の写真は、夏に出かけた熊本で見た虹。心配ごとに対して希望が湧いてくるように、願いを込めて。

※後日の記事の中には出て来るのですが、このとき、義父が入院したことをガンモから知らされたのでした。

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