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2004.09.12

消化と吸収

 趣味の世界で交流させてもらっている男性の作品に、私が手を加えたものを送ってみたら、自分が意図したものとまったく別のものになってしまっているという厳しい反論のメールが返って来た。確かに、私もそのことには気がついていたのだが、ええいと思って送ってしまったのだ。彼からすると、自分がこだわりを持っていた部分が私によってまったく生かされずに、別の形の主張にとってかわってしまっているのが気に入らないようだ。私からすると、彼はとても扱いにくい。何故、扱いにくいかと言うと、私がまったく予想もつかないような意見を返して来るからだ。喜んでくれるだろうと思ったら、今回のように激しく反論されたり、怒らせたかな? と思ったら、実は怒っていなかったり、また、時には黙り込んでしまったり。それでも、共感と対立が交互にやって来るので、とてもメリハリのある関係になっているし、私は彼の魂を深く愛してもいる。しかし、周りから見ると、まったく仲がいいのか悪いのかわからない関係だと思う。私は、反論できるような関係は、仲がいいと思っているのだが・・・・・・。おそらく彼も、私に対する信頼があるからこそ、反論して来るのだろう。信頼がなければ、言いたいことも言えない関係になってしまうだろうから。

 対立したこともすっかり忘れて、まるで何事もなかったかのように振る舞える関係は、単に肯定だけの関係よりも強固な関係だと私は思う。何故なら、その関係の中では、消化と吸収が行われているからだ。ところが実際は、対立にまで至らずに終わってしまったり、無理に肯定的な関係に押しとどめようとする場合が実に多い。私は、対立を乗り越えるという人間関係の醍醐味を知らないまま関係を終わらせてしまうのは、非常にもったいないことだと思う。

 ガンモと私がめったにしない喧嘩を体験すると、わずか数十分後に必ず申し訳ない気持ちでいっぱいになる。これもまた、消化と吸収が行われている証拠である。消化と吸収が行われないまま関係が途絶えると、怒りや悲しみなどの感情が残ってしまうのではないだろうか。しかし、例えそれらの感情が残ったとしても、消化と吸収に時間がかかっているだけで、いつか必ず消化と吸収が行われることになるだろう。そう考えると、相性の良し悪しというのは、消化と吸収が早いか遅いかの違いなのかもしれない。

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