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2004年8月

2004.08.31

ガンモの愛情

 義母が入院している頃、義父が足に火傷をした。義父は糖尿病のため、既に足の先の感覚がなくなってしまっていて、すぐ側にファンヒータがあることに気づかなかったのだ。義父の足はひどくただれて、見るからに痛そうだった。それでも、歩くときもびっこを引いていたので、少しは感覚が残っているのだろう。

 ガンモと義母を見舞ったとき、義父にも同行してもらった。家を出るとき、義父はいつも履いている靴を取り出して履こうとしたが、その靴では火傷を負っている部分にまともに当たってしまう。私は義父に、サンダルはないのかと尋ねた。義父は、靴はこれしかないと答えた。

 ガンモは、義母のいる病院に行く前に、近所のスーパーの前に車を止めた。
「まるみ、ちょっと降りて」
とガンモが言う。義父には、
「ちょっと車の中で待ってて」
と言った。私はわけがわからず、何か買い物するのかと思って、ガンモにくっついて行った。ガンモはスーパーの中をずんずん歩き、やがてサンダル売り場を探し当てて立ち止まった。私は恥かしくなった。義父に対する歩み寄りが、まだまだ足りなかったのだ。ガンモのほうが、義父のことを深く深く愛していた。私は、義父の足が、靴よりもサンダルを欲していることに気づいていながら、すぐにその処置を取ろうとしなかったのだ。私は、自分の愚かさを実感するとともに、ガンモの優しさに震えた。

 私たちは義父の足の傷ができる限り当たらないようなサンダルを選び、車に戻った。車に戻るとすぐにサンダルを包みから取り出して、義父に履いてもらった。義父はとてもうれしそうだった。

 ガンモは、自分の両親に対する愛情を表現することにかけてはとても不器用なのだが、このときばかりはストレートに表現していた。義母は、義父の履いているサンダルにすぐに気づいて、
「そのサンダルどうしたん?」
と言った。義父は、私たちが買ってくれたと答えた。

 ガンモは、義父の足が完治するかどうかも心配していた。私は、糖尿病に関する知識がまだないため、この病気のことが良くわかっていない。ガンモは、感覚のなくなった足で火傷をしたら、足を切断しなければならなくなるのではないかと考えていたようだ。実際、その心配はなかった。時間はかかったが、義父の足はすっかり良くなった。

 ガンモは、私と結婚してから、素直とは言えないまでも、親に対する愛情を示せるようになった。これまで数年に一度くらいしか帰らなかった実家も、同じ四国出身の私と結婚したことで、帰省する回数がぐっと増えた。実家に帰っても、私たちは親からの愛情を受け取るばかりだ。私たちは、親に対してどのような形で愛情を返して行けばいいのか、まだはっきりと見つけ出してはいない。夫婦が仲良くしていることが一番の親孝行だと言ってくれる人もいるが、私たちが親に恩返しをしている実感がないということは、まだまだ表現できるだけの愛情を、自分たちの中に隠し持っているということなのだろう。

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2004.08.30

病気とは

 この間、久しぶりに年賀状を書いたと思ったら、今年もあと残すところ4ヶ月余りとなってしまった。一年の三分の二が過ぎようとしている。大人になってからというもの、時間が経つのが本当に速い。

 今年から三年間、ガンモが厄年(今年は前厄)で、私が六星占術で言うところの大殺界の星回りとなっている。思えば、この八ヶ月の間にいろいろなことがあった。まずは、義母の入院・手術から始まり、ガンモの足の痛み、ガンモの歯痛、私の病気の発覚。どれも身体に関係することであり、身体から膿を出せば良くなるというタイプのものでもある。しかも、それら一つ一つの経験が、私たち夫婦に感動的な学びや気づきを引き起こしてくれた。特に、義母が入院したときの親戚の連携プレイは素晴らしかった。私は、その中に自分がいるということに、感動の涙さえ流したものだ。そのときのことを、ホームページには少し書いたのだが、書き足りなかったことをここに書いておきたいと思う。

 義母は、身体の中に、良性で縦長の大きなできものを持っていた。身体を横にしたときにそれに気づいて、自分で検査を受けに行ったのだと言う。できものは腸にまで癒着していたため、それ自身を取り除く作業と、癒着している部分の腸を少しだけ切る手術が行われた。私はそのとき、結婚して初めて一人で義母のお見舞いに行った。初めて手術をするという義母のことも心配だったが、糖尿病を患っている義父のことも心配だった。義母が入院しているとなると、義父にとって健康的な食べ物を作ってあげる人がいないことになってしまう。そのことを心配していたのだが、近所に住む義父の兄妹が協力し合って、義父の食事をせっせと運んでくれていた。また、義父も自分で食器洗いをしたりして、積極的に動いていた。義母も義父の力を信頼している様子だった。

 私は、料理が苦手なので、義父に自分の手料理を食べさせてあげることができなかった。後日、ガンモと一緒に義母を見舞ったとき、私の実家の両親も車で見舞いに来てくれたのだが、そのとき母は、義父のためにたくさんのおかずを手作りして持参してくれたのだ。情けないことだが、本当にありがたいと思った。

 私の実家とガンモの実家は、高速道路を使っておよそ二時間程度である。私は自分の両親を送り出すとき、涙が溢れて止まらなかった。いつか私は、この二人を失ってしまう。それまでに、彼らに与えてもらった分だけの愛を、ちゃんと返して行けるのだろうかと思った。

 義父の料理の世話をしてくれる近所の親戚のおばあちゃんとも、いろいろな話をした。お年寄りは、昔のことを本当に良く覚えている。しかし、最近のことはすっかり忘れてしまうのだそうだ。例えば、家を出るときに、ガスの火を止めたかどうかも忘れてしまうし、家の鍵をちゃんとかけたかどうかも忘れてしまうと言っていた。義母の入院がなければ、あんなふうにじっくりと話ができる機会はなかったかもしれない。

 義母の手術の当日は、義母の実の妹が付き添ってくれた。義母は、妹だから気心が知れているし、いろんな話もできると言っていた。私は手術の当日、立ち合わなかったが、義母の心の動揺を感じ取っていた。手術も無事に終わり、義母は間もなく退院した。順調に回復はしたものの、この暑い夏は、術後の身体がさすがに堪えたようだ。

 もしかすると、病気というものは、人と人を密に結び付けるためのきっかけなのかもしれない。しかし、そのきっかけを生かせる場合とそうでない場合があることは確かである。例えば、病気が長引くと、次第に関わる人たちの自己愛が表面化して来る。

 病気の人に優しくできる人は、自分も病気を経験した人だ。人の痛みは、直接的にはわからないから、自分の感じた痛みをそれに置き換えて感じ取ろうとする。痛みのある人と対等に関わるには、自分も痛みを経験しなければわからない。そうして、痛みのわかる者同士が密に関わって行く。病気とは、そういう役割も果たしているのではないだろうか。

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2004.08.29

連動夫婦

 最近、お互いの身体を見る度に、
「痩せれ〜」
と言う私たち。(※「痩せれ」とは、ガンまる用語で「痩せろ」の意味)

 ここ最近の体重増加と、不健康な状態に相関関係があると睨んだ私は、
「痩せようと思うんだけど」
とガンモに切り出した。するとガンモは、
「うん、いいねえ。まるみが痩せたら俺も痩せるしね。俺らは連動してるから」
などと言う。それって他力本願なんじゃないんだろうか?
「確かに私たち夫婦は、どちらかが太ったら同じように太って来たよ。でも、お互いに、相手が痩せたら自分も痩せると思ってたら、いつまでたっても痩せないじゃん」
と切り替えした。しかし、ガンモの反応は鈍い。ガンモめ、自分はまだ努力しないで、私にだけ先に痩せさせて、あとから便乗しようと企んでいるな、と思った。

 ガンモは人一倍ライバル意識が強い。だからきっと、私が本当に痩せたらガンモも頑張って痩せようとするだろう。そのときが楽しみでもある。こうして、私が先に重い腰を上げたのだった。

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2004.08.28

詐欺未遂事件の余韻

 ゆうべ、ガンモが仕事から帰って来てからも、私は興奮状態だった。ガンモは比較的落ち着いていたが、私はガンモの前で、電話でのやりとりを何度も何度も繰り返し聞かせた。電話を受けたときの胸が苦しくなる想い、犯人グループの迫真の演技が、どうしても忘れられない。いつの日か、本当にあんな電話を受けることがあるのだろうか。そのときの予行演習だったと思えばいいのかもしれない。でも、加害者になることだけは絶対にイヤだ。私が詐欺で良かったと思えるのは、その部分だ。それは、責任を負いたくないという気持ちからなのかもしれないし、人々の許しのレベルが、まだまだ低いことを気にかけているのかもしれない。つまり、アンバランスな状態に耐えることができないのだろう。

 ガンモは、ちょっと意地悪なモードに突入している。まるで、決して私を甘やかすまいと心に決めているかのようだ。
「詐欺にひっかかるの禁止!」
などと言う。
「ひっかかってないよ。ひっかかりそうになっただけだよ」
と私が言うと、ガンモは、
「俺は、まるみの前だったら泣くかもしれないけど、警察の前なんかで絶対に泣かない」
ときっぱりと言った。更に、
「それに、電話で話すなら、まるみの名前をちゃんと呼ぶから」
と付け加えた。

 確かにその通りだ。気が動転している上に、相手が泣きじゃくっていることに気を取られてわからなかったが、相手は私のことを「まるみ」とは呼び掛けてくれなかった。ガンモなら、絶対に「まるみ」と呼んでくれるはずだ。

 それにしても、犯人グループは、電話を掛けて来るときに、ある程度の下調べをしておくのだろうか。電話に出た人の様子で、「ご主人さんが・・・・・・」と言ったり、「息子さんが・・・・・・」と言ったりするようだが、私の場合は、いろいろな条件が当てはまってしまっていたのだろう。しかし、あれだけの演技ができるのなら、劇団に入ったとしても、十分食べて行けるのではないだろうか。コンピュータウィルスの作者もそうだが、その能力をもっと別の方面に使ったほうがいいと私は思う。

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2004.08.27

「ご主人さんが交通事故を起こされました」

 今日は体調が悪かったので、仕事を休んだ。パソコンの前で横になっていると、お昼前に電話が鳴った。兵庫県警からだった。
「もしもし、山下さんのお宅でしょうか? 実は、今から30分ほど前にご主人さんが交通事故を起こされまして、ご主人さんはシートベルトをされていたので足を少し怪我された程度だったんですが・・・・・・」

 一瞬、目の前が暗くなった。心臓がバクバクして来た。細かい内容は覚えていないが、ガンモが車を運転中に、交差点で隣にいる車に気づかずにその車と接触し、その車の助手席に乗っていた女性が頭をガラスにぶつけて大怪我をし、病院に運ばれたとのことだった。しかし、意識不明の状態だそうだ。私は気が動転した。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせていた。

 「ご主人さんの身柄は、拘束されることになると思います。面会できるのは、明日の12時以降になります。現在、ご主人さんは事情聴取を行っているところですが、ご本人が泣いていて聴取ができない状態なので、奥様のほうから、事故のことは責めずに、何か励ましの言葉をかけてあげてください」
警察の人にそう言われて、泣きながら電話口に出た男性を、私はガンモだと思って一生懸命声をかけていた。心の中では、意識不明の女性が回復してくれることを切に祈りながら。

 電話口に出た男性は、ひどく泣きじゃくっていた。そのため、私はその男性をガンモだと信じて疑わなかった。
「ガンモ、頑張れ。愛しているよ。ねえ、今、どこなの?」
と私は尋ねた。
「○○橋」
「え?」
「○○橋」
○○橋。それは、ガンモの担当地域として、まったく聞き覚えのない場所だった。その男性が、泣きながら、続けて言う。
「今日、○○橋で仕事が入って行ったんだけど、事故っちゃって・・・・・・」

 え? 「事故っちゃって・・・・・・?」 ガンモはそんな話し方をしない。私が不審に思ったのが通じたのか、電話はそこで切れてしまった。携帯電話からかけていたのか、実に聞き取りにくい電話だった。

 私はすぐにガンモの携帯電話に電話をかけた。泣いているガンモが出るのか、それとも、電話には出られない状態なのか、心臓をバクバクさせながら・・・・・・。
ガンモ「もしもし?」
まるみ「ガンモ? 何もないの? 大丈夫なの?」
ガンモ「ああ」
まるみ「今、話してても大丈夫? ちょっと、あとでちゃんと掛けなおすよ。凄いことがあったから」

 私はいったん電話を切って、そろそろ切れかかっていた携帯電話の電池を取り替えてから改めてガンモに電話を掛け、さきほどまでのいきさつを話した。ガンモはそれを聞いて、詐欺だと思ったらしい。しかし、兵庫県警には電話を入れておいたほうがいいとアドバイスしてくれた。もしも本当に交通事故が起こっているのなら、その警察官は家族に連絡したつもりになっているはずだからと。

 兵庫県警の電話番号をインターネットで調べようとしたが、番号がたくさんあって、どこに電話をかけていいのかわからなかった。そこで、地元の警察署に電話をかけた。
「30分ほど前に主人が交通事故を起こしたと連絡が入ったのですが、間違いだったので、お知らせしたいのですが・・・・・・」
と切り出すと、受付の方に、
「事故が起こったという事実はないのですね? それでしたら生活なんとか課のほうでご相談なさってください」
と言われ、生活なんとか課に私の電話が回された。そこで、再び同じことを言うと、
「ご主人さんと実際に連絡を取られてみて、事故の事実がないことを確認されたのですね? 最近、そういう詐欺が多いんです。無視されたほうがいいですよ」
何と、それで話は終わってしまったのだ。

 私は再びガンモに電話をかけた。
ガンモ「やっぱり詐欺だっただろ? きっとあのあと、示談にするからお金を振り込めとか何とかいう展開になったんじゃないの?」
まるみ「とにかく驚いたよ。心臓バクバクもんだった。しかし、こんな詐欺もあるんだね。全然知らない人に『愛してる』なんて言っちゃったけど、ゴメンね」
ガンモ「いいから。そんなことより、まるみも詐欺にひっかからないように気をつけろよ」

 インターネットで調べてみると、同様の事象が出るわ、出るわ。それにしても、意識不明の女性がどうか回復されますようにと祈る気持ちはいつの間にか宙に浮いて、詐欺でまだ良かったと言う気持ちに変わっていた。詐欺を働こうとした人たちも、今回は未遂に終わったのだ。私に「愛してる」と言われた男性は、今もまだ、同じ手口で詐欺を働いているのだろうか。

関連記事:(Yahoo!ニュース)オレオレ詐欺 警官装う手口相次ぐ 被害総額1239万円−−今月は6件も /鳥取

(Google検索キーワード:夫が交通事故 詐欺)

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2004.08.26

マニアック

 今日、同じプロジェクトの派遣仲間の男性が、新しいリュックを買ったと言って私に見せてくれた。そのリュックはとても変わっていて、リュックを背負ったまま水分補給ができるような穴がついていたり、ヘルメットを格納するための隠しポケットが出現したり、雨の日にリュックが雨に塗れないように、専用のカバーがついていたり、雨が降って来ても体温を奪われないように、ナイロンのベストが内蔵されていたりと、様々な工夫が施されていた。あまりにもマニアックなリュックだったので、私は手を叩いて喜んだ。

 その男性と話をするようになったのは、彼がHP-LX200という古いPDAを持っていたことがきっかけだった。私がその名前を言い当てたのが、うれしかったようだ。それから、旧ニフティサーブ・パソコン通信の話になった。その男性も、パソコン通信の時代からネットに繋いでいたらしい。
まるみ「じゃあ、みかかってわかります?」
その男性「わかりますよ」
まるみ「みかかが怖いとか言うらしいですね」
(※みかかというのは、NTTのこと。日本語キーボードでNTTの文字を追うと、みかかというひらがなが目に入って来る。「みかかが怖い」というのは、パソコン通信が現在のように繋ぎ放題ではなく、従量制だったため、接続時間が長くなれば長くなるほど電話代がかかることを意味している。)

 私もPDAを持ち歩いているので、自分のPDAを見せたりした。すると彼は、後日、Linux OSのPDAを買ったと言って、私に見せてくれた。私のPDAよりもサクサク動いているようなので、ちょっとうらやましかった。私が、以前はウルトラマンPC(IBM PC-110)にWebBoyで外出先からインターネットに接続していたことなどを話すと、ちゃんとわかってくれた。こんなふうに、相手の位置が確認できるような対話が実現すると、会話どんどんがはずんでしまう。
(※ウルトラマンPCとは、世界最小のカラーDOS-Vノートパソコン。Windows 3.1モデルもあるが、私はDOS-Vで使用していた。WebBoyとは、DOS-V用のブラウザ。ウルトラマンPCは、メモリを増設するとWindows 95を動作させることもできたが、実用に耐えなかった。何しろ、メモリが8MBしかないのだから。私は、ウルトラマンPCが大好きで、今でも同じパソコンを数台所有している。)

 その男性は、音楽方面でもなかなか面白くて、私が仕事先で使うパソコンにPinkFloydというコンピュータ名を割り当てていると、
「PinkFloyd聴くんですか?」
と尋ねてくれた。こういう突っ込みは、とてもうれしい。こういう突っ込みを期待して、自分を開いて待っているというのに、実際は、突っ込んでくれない人がどれだけ多いか・・・・・・。その男性だって、私に新しいリュックをわざわざ見せに来てくれたのは、私がマニアックであることを認めてくれたからだと思う。

 ガンモと私も、お風呂やベッドで、いつもマニアックな会話ばかりしている。マニアックな分野に触れると、お互いにライバルみたいな感覚を持ってしまう。その競争心が、更なる向上心を掻き立てるのだ。そして、マニアックな人は、その感覚を、他の人との交流にも求めてしまうようだ。自分の持っているこだわりの部分を、人につついて欲しいのだ。

 私は、はっきり言って、マニアックな男性が好きだ。マニアックでなくても、少数派としてのプライドを持って生きている人に強く惹かれる。反対に、男性でも女性でも、大多数に属している人たちはちょっと苦手だ。だから、プロ野球とか、オリンピックの話題はちょっと・・・・・・なのである。これだけオリンピックがもてはやされている時期にあっても、私たち夫婦は、オリンピックの話題はまったく持ち出さない。スポーツ観戦に興味がないのだ。そして、ガンモも私も、読む漫画は『手塚治虫マガジン』だけと決めている。

 おそらく私は、男女の愛に関してもマニアックなのだろう。世間一般で、これこそが愛だともてはやされているセックスシーンを、肉体的と決め付け、見向きもしないのだから。

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2004.08.25

決断

 今日は、血液検査の結果が出るため、仕事を休んで病院に行った。検査の結果では、まだ貧血は起こっていないようだった。私は医師に、今は手術をせずに経過観察したいと申し出た。医師は、今の私の症状なら、すぐに手術が必要なわけではないし、経過観察の選択肢もあるだろうと答えてくれた。他の同じような症状の患者さんたちはどうしているのかと医師に尋ねると、私のように経過観察を希望される方もいれば、思い切って手術に臨む方もいらっしゃるのだそうだ。すぐに成長して行くものではないので、次の検査は3ヵ月後に決まった。そのときに、現在の病状が緩和されているように、私は東洋医学で治療して行こうと思っている。

 病院を出て、私はガンモに電話を掛けた。一週間前、自分のために涙を流したことがまるで嘘のようだ。まだ、東洋医学で完治すると決まったわけじゃない。しかし、手術を選択することは、自分でもできる何かがあることを放棄してしまうことだ。ガンモに、
「3ヵ月後に悪化してたらどうするの?」
と聞かれたが、私は、
「決してそうはさせない」
と答えた。3ヵ月後の再検査に向けて、私の中に、エネルギーがみなぎって来るのを感じた。

 先日、私のホームページから『ガンまる日記』を参照してくださっている方で、ヒーリングについて細かく調べてメールをくださった方がいらして、とてもうれしかった。もともと、ガンモの歯痛に関しても心配してくださった方なのだが、私の病気のことも気遣ってくださって、とてもあたたかい言葉を投げかけてくださった。私がホームページを持っていて良かったと思えるのは、こういうときだ。(他にも、あたたかい言葉をかけてくださった皆さん、この場をお借りして、本当にどうもありがとうございます。m(__)m)

 その後、私は地元のインターネットカフェに足を運んだ。いつもは三宮のインターネットカフェを利用しているのだが、地元のインターネットカフェは、競争相手がいないせいか、個室を3時間利用したときの料金が三宮のおよそ2.5倍だった。しかし、リラックス効果のある広いスペースで、テレビの衛星放送を見ることもできるし、毛布やひざ掛けの貸し出しサービスもある。更に、香りの高いいくつもの紅茶が、ティーパックではなく、葉っぱから入れられるようになっていて、それらすべての紅茶が飲み放題だったので、紅茶党の私には非常にうれしかった。

 インターネットは自宅でも楽しめるので、私は普段ほとんど読まない漫画を読むことにした。漫画は、『手塚治虫マガジン』以外、ほとんど読まないのだ。私はとびきり熱い男女の愛の物語に触れたいと思い、期待に胸をふくらませながら、ラブシーンの多い恋愛漫画を読んでみた。しかし、そこで描かれているどのセックスも、背景にあるのは欲望ばかりで、ちっとも美しくなかった。もっと精神的かつ情熱的な男女の愛のはなしに触れたい。私は欲求不満のまま、漫画喫茶をあとにし、ガンモと待ち合わせて夕御飯を食べた。

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2004.08.24

陰の存在

 私たちの住んでいるマンションは、数年前から自主管理を始めた。自主管理とは、マンションが管理会社から独立し、区分所有者である住民の手で自ら管理して行くという形態である。管理会社にすべてを任せたときに発生する余分な手数料を、マンションの修繕積立金として貯蓄して行こうという目的で発足したのだ。管理組合の役員は一年交代の持ち回り制で、私たち夫婦は今年、その役員を担当している。

 この週末は、駐輪場の抽選を行うため、そのときに配る自転車用のステッカーを用意しなければならない。ステッカーには部屋番号と駐輪場の番号を貼り付けるのだが、今日はガンモの仕事が休みだったので、全世帯分の部屋番号と駐輪場の番号のラベル作りをガンモにお願いして、私は仕事に出掛けた。

 管理組合のミーティングは月一回のペースで行われている。私はそのミーティングに出席し、表に出る。ガンモは管理組合員としては陰の存在で、マンションに光ケーブルを導入したいと申し出た業者にお断りのメールを書いたり、共有部分に取り付けるフェンスの候補をカラープリンタで出力したり、今回のように、ラベル作りを担当したりしてくれている。

 私が仕事から帰ると、ガンモが一生懸命ラベル作りをしていた。ハサミでカットした小さなラベルの端をセロテープで留め、線の入った便箋に丁寧に並べている。その表情は、まさに真剣そのものだ。
「これ、合ってるかどうか確認して」
とガンモが言いながら、出来上がったラベルの束を差し出す。私は、世帯ごとの枚数とラベルの数が合っているかどうかを紙と照らし合わせながら確認した。

 ようやく作業が終わり、私たちはお疲れさんの意味を込めて、歓喜天のように抱擁を交わした。ガンモ、ありがとう。

 感謝の気持ちでいっぱいになりながら、部屋を見渡すと、見慣れない鉄道模型があった。どうやら、ラベルを買いにヨドバシカメラに出掛けたときに、自分へのご褒美として予め買っておいたらしい。まったく、ガンモってヤツは・・・・・・。(^^;

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2004.08.23

瞑想したい

 私の病気が発覚してからというもの、これまで以上にガンモと過ごす時間を大切に思えるようになった。本来なら、もっと暗いムードが漂ってもいいはずなのに、私たちの間にはジョークさえ飛び交っている。先日も、手術をするなら輸血が必要だという話になり、私と同じO型のガンモが、
「俺の血をやるから」
と言ってくれたのに対し、私は、
「糖尿の血はいらん」
と返した。誰一人血相を変える人もなく、私たちはこれまで通りの毎日を送っている。今日は通勤定期を更新したのだが、手術をしないつもりで半年間有効の定期券を買った。ただ、手術をしない選択をしたとしても、完治することに対する信頼がまだないのは確かだ。

 夏休みにガタンゴトンツアーに出掛けたときから感じていたことなのだが、今の私に足りていないものがある。それは、心を無にして自分と向き合う瞑想の時間だ。そのため、感受性も弱まり、スピリチュアリズムから少しずつ遠ざかってしまっているのを感じる。これからトルマリンのお風呂にゆっくりつかって、瞑想するとしよう。

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2004.08.22

遅ればせながらのハリーポッター

 今日は、ガンモと『ハリーポッターとアズカバンの囚人』を観て来た。この映画が公開されてからというもの、週末はずっと旅に出ていたため、観ることができなかったのだが、公開から1ヶ月近くも経って、ようやく観ることができた。主人公の子供たちが、ずいぶん大きくなったなあという感想を抱いた。ここで描かれている男女差のない友情は、田舎育ちの私たちには大変うらやましい関係である。しかも、男性二人に女性一人という理想的な(?)組み合わせだ。男性一人に女性二人の組み合わせなら、きっと対立の絶えない関係になってしまうことだろう。

 ハリーポッターシリーズは、ガンモよりも私のほうが先にはまった。私は原作本をよみあさっていたのだが、まだハリーポッターを知らなかったガンモを、私が映画で引き込んだのだ。『アメリ』同様、ガンモはすぐにはまった。1作目の映画を観終わったあと、私たちは映画の世界にどっぷりつかってしまい、「ハーマイオニー!」「ヘドウィク!」「グリフィンドール!」など、映画に登場した固有名詞を叫びながら帰宅した。当然、2作目も観に行った。そして、今回の3作目である。

 ハリーポッターは、親子の愛が感動的に描かれている映画だと思う。ハリーの両親への愛は、ハリーの思い出の中に深く根付いている。そして、ハリーの両親もまた、ハリーのことを深く愛していた。その深い愛が、闇の世界の住人には怖いらしい。

 私は、映画を観ながら、いつかの日か自分でも、男女の壮大な愛を描いた映画を作ってみたいと思った。古びた8ミリ機材はある。題名も決まっているし、それなりのストーリーの展開も頭の中にある。あとは脚本と、キャストと音楽が足りない。

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2004.08.21

無駄

 今日は、およそ4週間ぶりに鍼灸治療を受けた。あまりにも久しぶりだったせいか、身体がとてもだるい。鍼灸治療は、週末ごとに受けていたのだが、ここのところずっと週末に出かけてばかりいたため、受けることができなかったのだ。

 鍼灸医院の先生は、毎回、変わったことがなかったかを細かく尋ねてくださる。私は思い切って、健康診断で再検査が必要になったこと、再検査の結果が陽であり、切除のために手術を勧められたこと、血液検査の結果が来週水曜日に出るので、そのときにどのような治療法を取って行くかを医師と相談することなどを話した。鍼灸医院の先生は驚いていた。そして、これまでとは違う治療を施してくださった。鍼灸医院の先生の話によれば、私の病気を治すツボがあり、確実ではないかもしれないが、そこをお灸で温めると、手術をしなくても悪いところが消えてなくなった例がいくつもあるのだそうだ。先生は更に続けた。悪いところを取ってしまうことばかりが治療ではないと。

 私は、まさにその通りだと思っていた。私が望んでいるのは、悪いところを取り除いて行く西洋医学的な治療ではなく、悪いところを本来の状態に戻して行く東洋医学的な治療なのだということを、このときはっきりと認識した。だから、手術に対して積極的になれなかったのだ。それに、手術をして悪いところを切除するというのは、私の決めた愛の生き方に反することなのではないか。私は既に、含有して行く生き方を選び始めているというのに。悪いところが見つかったからと言って切除するのは、含有とは反対の、切り離しの生き方だ。

 鍼灸医院の先生は、「病気には必ず相関関係があります」とおっしゃった。私は、きのうの派遣仲間との飲み会のときに話題に上がったお金のはなしから閃いたインスピレーションと、自分の病気の状況を結び付けてみた。それは、「無駄」というインスピレーションだった。はっきり言って、私の生活には無駄な買い物が多過ぎる。すぐに使いもしないものをたくさん買い込み、それで家の中をいっぱいにしている。その状況と比例するかのように、私の身体には無駄な肉がどんどんついて行った。そして今回、身体にとってまったく不要なものがくっついているのがわかってしまった。すなわち、私の病気は、無駄という行為の延長線上に存在しているのではないだろうか。

 私の病状を心配して、母から電話がかかって来た。母は貧血の症状の出ていない早い時期の手術を私に勧める。私の入院のために、早くもパジャマを何枚か買ったなどと言う。私は、切除ではなく、東洋医学で治して行きたいと母に言ったが、手術を経験している母は、早いうちに切ってもらったほうがいいの一点張りだ。しかし、私はもう決めたのだ。来週の水曜日には、医師にちゃんと言おう。経過を観察しながら、手術をせずに東洋医学で治して生きたいと。

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2004.08.20

いつも何度でも

 今日は、職場の同僚たちと飲みに行った。話題の中心は、10月に結婚するという彼女が、大人しい彼とどんな付き合いをしているかについてだった。あの静かな二人が、どのようにして付き合うようになったのか尋ねてみたところ、最初は何なとく一緒に遊びに行こうかという話になり、それからごく自然に進展して行ったのだという。しかし、きのうも書いたが、彼女たちは、私と同じプロジェクトのメンバーである。そのプロジェクトは、普段からプライベートな話など、ほとんど交わされないような雰囲気なのに・・・・・・。単なる仕事の関係からプライベートの関係にまで発展できること自体、奇跡だ。

 彼女たちは、二人だけのときは、お互いのことを下の名前で呼び合っているのだそうだ。しかし、会社では、二人とも苗字にさん付けで呼び合っている。この切り分けをいつまでも続けて行くのは、二人にとって不自然ことなのではないだろうか。それでも、会社によっては、同じ職場の男女が結婚する場合、どちらかが仕事を辞めなければならないようなお堅いところもあるようだが、今の私の派遣先は、決してそのようなことはない。それどころか、社内恋愛がとても多くて、既に何組もの夫婦が誕生している。ほとんどの奥さんは、結婚してから退職されたようだが、現在でも夫婦で同じプロジェクトに参加しているというカップルがいる。私は社内恋愛の経験がないので、自宅でも会社でも自分の愛する人に会えるという環境が、とてもうらやましい。私もいつか、ガンモと同じ会社で働いてみたいと思うのだが、なかなかチャンスがないのだ。

 その後、どういうわけか、年収のはなしになった。主婦の同僚が、ガンモの年収を聞いて来たので、正直に答えたら、ものすごく驚かれてしまった。ガンモの年収は、彼女のご主人さんの年収よりも400万円以上多かったのだ。更に、私たち派遣社員の年収のはなしになり、主婦の同僚が、「最近は、社員でも○○○万円〜△△△万円がいいとこなのよね」と言うので、私は、「それなら派遣とあんまり変わらないじゃん」と、うっかり口をすべらしてしまった。そのとき一緒に飲んでいた同僚たちの表情が一気に固まった。私は心臓がドキドキして来た。どうやら私は、とてもまずいことを言ってしまったようだ。ちなみに、主婦の彼女とは以前、時給のはなしをしたことがある。私はまだ、比較的好景気の時代に派遣社員に登録したので、主婦の彼女の時給よりも私の時給のほうが300円高かったのだ。

 何となく、お金のはなしで気まずい雰囲気になってしまったのだが、その後、私たちはカラオケに足を運んだ。金曜日は混み合うからということで、22時から予約を入れてあったのだ。そのカラオケで私は、『トム・ソーヤの冒険』の「誰よりも遠くへ」や『勇者ライディーン』などのアニメソングを歌いまくった。

 三年前に映画館に観に行った『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」を歌おうとしたとき、画面に表示されている歌詞を目で追っているうちに、どういうわけか涙がたくさん出て来て歌えなくなってしまった。映画の感動的なシーンが蘇って来たこともある。特に、ハクが千尋に「(君のことを)覚えているよ」と言ったシーン。そのシーンは、「前世の記憶」のことを言っているのではないのだが、いくつかの前世の記憶がある私にとって、過去世で愛して来た男性たちにそう言われてみたいという願望を強く掻き立てられた。私は前世のことをちゃんと覚えているというのに、現世で出会った彼らは、ガンモも含めて、そんなことを私に一度も言ってくれたことがないからだ。しかし、そのとき私は、感動的なそのシーンよりも、その深い深い歌詞に魅せられてしまった。私はマイクを持ったまま歌うことができず、カラオケの画面をそのままにして、涙を流しながらじっと目で歌詞を追い続けていた。この歌詞のおかげで、さっきまでのドキドキ感が一気に吹っ飛んだ。どうしてこんな素晴らしい歌詞が書けるのだろう? 私もこんな素晴らしい歌詞を書いてみたいと思った。心のエネルギーを示す針が、プラスにもマイナスにも大きく振れている。この歌詞を書いた人は、既に神を知った人だ。私はそう思った。JASRACに申請されているページで、リンクフリーのページを見つけたので、ご紹介しておきたい。

山の音楽(MIDI)アルバム
いつも何度でも

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2004.08.19

あの二人が結婚!?

 あの二人というのは、職場の同僚のことである。今日、同じ職場の同じプロジェクトの派遣仲間から、10月に結婚するとのメールが届いた。結婚式と披露パーティーを開催するので、都合がつけば是非参加して欲しいとのことだった。私はとってもうれしくなって、ニマニマしながら二つ返事でOKと書いて送った。「どんな人を好きになったのか楽しみだなあ」と私が書いた部分を引用して、すぐに彼女から返事が返ってきた。その返事には、「まるみさん(実際に書かれていたのは私の苗字)も良く知っている人です。私の席のすぐ前に座っている人ですよ」と書かれてあったのだ。えええええええ!? とにかく、驚いた。二人は以前から噂はあったのだが、二人ともいい雰囲気ではあるものの、恋愛には結び付かないようなおだやかな雰囲気だったので、まさか本当に付き合っているなどとは思ってもいなかったのだ。しかも、席が私とは背中合わせの位置に当たるため、二人が会話しているときの表情を観察できなかったことが、二人が愛し合っていることに気づかなかった大きな要因であると思われる。

 それにしても、あれだけ消極的な二人が結ばれたのだとすると、男女の引き合う力は何と素晴らしいのだろうと思う。あれだけ大人しいと、二人とも本当に素直でなければ、相手が自分と同じ気持ちでいるかどうかを量りかねると思うのだ。

 彼女とは、特別親しいわけではないのだが、ときどきグループで飲みに行く程度の仲である。私は飲み会の席でも男女の愛のはなしが大好きなので、彼女の前でもガンモのはなしを良くする。だから彼女には、「うちみたいなラブラブな夫婦になってね」と言っておいた。彼女とは明日、飲みに行く予定なので、二人の馴れ初めのはなしなどが聞けるのを今から楽しみにしている。

 ところで、私の病気の件だが、今日、職場の上司にメールで報告をした。病状を説明しないでおくよりは、きちんと言っておいたほうがヘンな憶測もされないだろうと考えたのだ。上司はすぐに自分の直属の上司である部長に報告したようだ。私は、手術をするということについて、まだ決心がつかないでいる。もう少し時間が欲しい。

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2004.08.18

冷静さの中にある信頼

 今日は、仕事を休んで、先日の健康診断で警告を受けた通り、再検査に出掛けた。とても大きな病院だったせいか、ひどく込み合っていて、受付から診察終了まで4時間もかかってしまった。検査の結果は、陽。医師には、手術を勧められた。いろいろな治療法が開発されてはいるが、どれも確実な治療法ではなく、悪いところを切除するのがもっとも確実な方法だと言う。

 私は信じられなかった。今でも信じられないままこれを書いているのだが・・・・・・。ガンモに電話を掛けたとき、思わず取り乱して涙してしまった。そして、自分のために少しだけ泣いた。でも、すぐに冷静になった。

 同じ病気で手術をした経験のある母に、病気のことをとうとう告白したら、母も早いうちに手術をしたほうがいいと言った。私はそれを聞いてもなお、悩み続けている。まだ答えは出ていない。命に関わるような病気ではないし、今すぐ手術が必要なわけでもない。ただ、放置しておくと、悪いところがどんどん成長し、貧血を起こすようになってしまうのだそうだ。

 ガンモも冷静に私の話を聞いてくれた。自分のために泣いたのは、きっと私だけだ。でも、私にはわかる。ガンモの頬が痛んだときも、魂を深く愛するほどの男友達の病気が重いと知らされたときも、私は冷静だった。しかし、その冷静さの中には、相手の回復力に対する信頼があるのだと、友人が教えてくれた。彼女は、私が先日の日記に書いたガンモを病人扱いしなかったという状況に、ひどく共感してくれた。私はまったく気づかなかったが、言われてみれば彼女の言う通りだ。きっと治るという信頼。きっとまた会えるという信頼。そして、自分のために泣かないということは、その関係が自己愛の関係ではないことをも意味しているのではないだろうか。

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2004.08.17

ドラマチック

 今日は久しぶりに、ガンモと待ち合わせてご飯を食べて帰ろうと思っていた。ところが、私は早く上がり、ガンモは仕事を片付けるのにまだ時間がかかると言うので、私はインターネットカフェで時間を潰しながらガンモを待つことにした。外は大雨が降っていた。おまけに雷までゴロゴロ鳴っている。

 私は既に、19時くらいからおなかを空かせていた。それから2時間、インターネットカフェの飲み物だけで空腹をしのぎ、ガンモの仕事が終わるのを待っていた。21時頃、ようやくガンモから仕事が終わったとの連絡が入った。ガンモは開口一番、
「腹減った」
と言った。今にもその辺のお店に飛び込んで、一人でご飯を食べてしまいそうな勢いだった。私は口をとがらせながら、
「何言ってんの。私なんて、2時間も前からおなかを空かせて待ってたんだからね」
と言った。

 そのとき、私はまだ三ノ宮にいたのだが、ガンモは三ノ宮から少し離れたところにいた。これから待ち合わせてご飯を食べるよりも、二人で同じ快速電車に乗って、地元の駅まで帰ろうということになった。

 快速電車が三ノ宮を発車したあと、私はガンモに電話を掛けた。
「後ろから2両目の一番後ろの4人掛けシートに座ってるから」
「了解」

 ガンモは、途中の駅から乗り込んで来た。後ろから2両目にいると伝えたのに、後ろから3両目の車両に乗り込んで、私をきょろきょろ探している。私は、ドア越しに見えるガンモのその姿を確認しながら、何とも言えない懐かしさを覚えた。そう、ちょうどガンモを通勤途中に見かけたときのような感覚だった。

 ガンモはようやく私に気づき、歩いてこちらにやって来た。一緒に並んで歩いているのではなく、群集の中に紛れているガンモを見つけて懐かしく思い、そこから歩み寄って来るプロセスは、なかなかいいものだと思った。私にとっては、それだけで十分ドラマチックなのだ。

 それから二人で最寄駅まで帰り、近くの定食屋さんでご飯を食べて家に帰った。

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2004.08.16

おかえり、ガンモ

 驚いたことに、ガンモの具合はすっかり良くなっていた。膿が出て、痛みが引いて来たようだ。私は早朝の新幹線のぞみで関西まで帰り、それから出勤したのだが、仕事が休みだったガンモは東京に残り、周遊券の旅を満喫したようだ。関西に着いて、ガンモに電話を掛けてみると、
「今日は、今回の旅の中で一番調子がいい」
と言って喜んでいた。ガンモの明るい声を聞いて、私もうれしかった。
ガンモは、
「やっと、温かいものが食べられる」
と言ってはしゃいでいた。ここ二〜三日ずっと、冷たくて噛まなくてもいいような食べ物ばかり食べていて、温かい食べ物からすっかり遠ざかっていたガンモ。とにかく、回復してくれて良かった。

 ガンモは今日一日、周遊券を満喫したようだ。しかし、私と一緒に電車に乗っていないので、これまで乗ったことのない電車に乗ったのに、夫婦で完乗と決めた鉄道乗りつぶしの対象にはならないと言って嘆いていた。ようやく痛みから解放されて横浜から帰って来た。ガンモ、横浜からもおかえり。そして、いつものガンモ、おかえり。

※ガンモの症状を心配してくださった方へ:どうもありがとう(^^) おかげ様で、ずいぶん良くなりました。

※今回の旅の様子も、まるみデイリーに掲載していますので、よろしければご覧ください。

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2004.08.15

遠隔ヒーリング

 朝起きても、ガンモの頬の痛みは治まらなかった。ホテルは連泊だったが、清掃のため、いったん部屋を出なければならない。ガンモをなだめて起こして、お昼前にホテルを出た。ガンモは弱った口調で、電車に乗りたいと言う。私が話し掛けても、ガンモは首を縦に振ったり横に振ったりするのがやっとという状況だったのに、好きな電車に乗ることで、活力を取り戻そうとしているかのようだった。しかし、電車の窓から珍しい電車が顔をのぞかせても、ガンモはもはや、カメラを向ける力も持ち合わせていなかった。

 私たちは今回、東京近郊のJRに乗り放題できる周遊きっぷを購入していた。最初の計画では、今日は久里浜まで行き、そこから折り返して鎌倉で降りたあと、江ノ電に乗る予定だった。しかし、朝から雨が降っていたし、ガンモの今の体調では江ノ電に乗るのは難しかった。そこで、とりあえず、桜木町から大船まで行き、大船でお昼ご飯を食べることにした。

 お昼ご飯を食べ終わると、ガンモは
「久里浜に行こう」
と言った。そこにやって来た電車は新宿湘南ライナーという二階建ての電車だった。その電車が珍しくて、私たちは大喜びしながらそれに飛び乗った。横須賀で久里浜行きの電車に乗り換えたのだが、久里浜駅に降り立っても、特に行きたいと思えるような場所が駅周辺になかったため、すぐに折り返すことになった。横浜で根岸線に乗り換えたあと、桜木町で降りた。そして、ガンモはホテルに帰り、私は野外ライブに出掛けた。

 野外ライブのガンモのチケットは、2日間とも誰にも譲らずに私の手元に残っていた。チケット代金は1枚8000円だから、ガンモのチケット代金だけでも合計16,000円。当日券を求めようとする人に声をかけて、ガンモのチケットを譲ってあげることもできたのだが、私はそれをしなかった。例え空席になってしまっても、そこはガンモの席だと思っていたかったのだ。

 野外ライブの本編が終わりかけた頃、私の席の左隣で見ていた人に、
「前の席の人の背が高いので、私の席からだとステージが見えないのですが、もしもお隣の席が空いているのでしたら、一つ分、寄ってもらえませんか?」
と言われた。私は、とても複雑な気持ちになった。確かに私の隣の席は空いているのだが、ここはもともとガンモの席だ。彼女に言われたことを冷静に判断しているうちに、ガンモがいないことが、彼女の利益になろうとしているかのように思えて憤りを感じた。と、同時に、今頃、ホテルのベッドに横になりながら、頬の痛みを抱えて苦しんでいるガンモのことが、たまらなくいとおしくなった。私は、ガンモが頬の痛みを訴え始めてから、本気で心配したのだろうか? そう思うと、とにかくたまらない気持ちになり、涙が溢れて来た。そして、ガンモが歯医者さんで説明されたという細かな症状を少しずつ思い出しながら、ガンモの頬の痛みの原因になっているであろう三つの歯を詳細にイメージし、そこに光を送り込んだ。

 野外ライブでは、アンコールがかかっていた。おそらく、アンコールには2回応えてくれるだろう。私は、1回目のアンコールを、ほとんど上の空で聞いていた。ガンモのことが気になって仕方がなかった。2回目のアンコールが始まったら、会場を出よう。私はそう思って、2回目のアンコールがかかり始めた直後、会場をスタスタと後にした。

 ガンモに電話をかけると、やけに声が明るかった。さっき、歯茎から血が出たのだと言う。これまで気づいていなかったが、口の中で腫れている個所が見つかり、そこから膿が出たようだった。
「膿が出たのは何時ごろ?」
と尋ねると、ちょうど私が光を送っていた時間と一致していたのだ。ガンモが今、ようやく回復しつつある!

 ホテルに帰ると、ガンモはとてもおしゃべりになっていた。楽だ、楽だと言って喜んでいる。これまでしゃべれなかった分、うるさいくらいに良くしゃべる。「ガンまる日記」を書かせてよ、と今は大人しくしてもらっている。

 今回のことで、私はいろいろなことを学んだ。ガンモの頬の痛みに光を送ることに気づかせてくれたのは、私の左隣に座っていた女性だった。彼女の言葉がなければ、私はガンモの頬の痛みに光を送ることに気づかずに、自分にできることなどないと思い込んでいただろう。それを気づかせるために、彼女はわざわざ悪役をかってくれたのではないだろうか。

 病人の症状を把握した上で詳細にイメージし、涙を流しながらそこに光を送り込む。おそらく、病気はこういう形で治って行くのだろうと思う。だから、身近な人に病人が出たら、愛が試されていると思っていいのではないだろうか。

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2004.08.14

二者択一の別行動

 ゆうべ、大阪から急行「きたぐに」に乗車し、新潟まで出掛けた。何故に新潟まで出たのかは、過去の記事を参照されたし。

 ガンモは頬の痛みのため、きっと眠れないだろうから、今夜は別々に寝ようと私に言った。自分が痛みのために眠れないことを予想して、私に迷惑がかかると思ったらしい。実際、ガンモは、前日の夜も、頬の痛みのためにほとんど睡眠を取っていない。痛みを忘れるために、水筒の中の氷をガリガリかじるので、きっと何度もトイレに立ってしまうだろうから、とガンモは付け加えた。

 急行「きたぐに」の寝台は、以前、東京に行くときに利用した寝台急行「銀河」よりも狭かった。私もそれを見て、ガンモの提案に従う気になった。考え方はいつも二通りある。一つは、自分の都合を優先させた場合。そして、もう一つは、相手の都合を優先させた場合だ。私は、多少狭くても、ガンモと一緒に寝たいと思っていた。しかし、ガンモは痛みのためにほとんど睡眠を取っていない上、以前利用した寝台列車よりも狭い寝台に二人で寝ることは、ガンモの負担になってしまうだろう。おまけに、以前利用した寝台急行「銀河」では、列車の揺れが激しいため、ほとんど寝られなかった。おそらく、今回も同じような状況であることが予想される。ガンモはガンモで、眠れない自分が隣でゴソゴソしていると、私に迷惑をかけると思って引いたのだ。

 私は上段に上がると、すぐに眠くなって寝てしまった。深夜、下段にいるガンモが、私の様子を伺いに来たのがわかった。ガンモはあとから思い直して、私と一緒に寝ようと思ってくれたようだった。しかし、そのとき私は既に眠りに入ってしまっていて、ガンモの姿をぼんやりと確認するのがやっとだった。

 こうして、ゆうべは別々の夜を迎えてしまったわけである。今朝、新潟に着いてから、3時間ほど市内を観光する予定だったのだが、ガンモの具合がずっと悪かったため、駅周辺をブラブラ歩く程度に留まった。そして、12:00発のMaxときに乗車して、東京入りした。

 ホテルにチェックインすると、ガンモは生き返ったように元気を取り戻した。今夜は二人で野外ライブに出掛ける予定だったのが、ガンモはそれをキャンセルし、私だけが出掛けることになった。実は、私自身も、クーラーの冷たい風に当たりすぎて、頭が痛かったのだが、首の後ろのあたりをカイロで温めて血行の流れを良くし、ライブにのぞむことにしたのだ。

 私も野外ライブをキャンセルして、ガンモと二人でホテルで休もうかとも思った。つまり、ここにも選択肢は二つあったのだ。自分も具合が悪いのだから、野外ライブをキャンセルするという選択肢と、野外ライブに空席を作りたくないという選択肢と。

 私は、そのアーチストのライブには、もう20年以上通い続けている。以前のように、何が何でも行きたい! というような情熱はないのだが、野外ライブの日には、全国からたくさんのファンがそのお祭りを楽しみに詰めかけて来る。私はここ数年、そういう情熱に触れるために出掛けているような気がする。この日、出掛けてくるために、普段の仕事を一生懸命頑張っているという、彼女たちのけじめと情熱を見せつけられたいのである。ガンモもまた、私と結婚してから8年間、ずっと私と一緒その野外ライブに参加して来たのだった。

 ライブが終わってホテルに帰ったが、ガンモの頬の痛みはまだ引いていないようだった。しかし、たっぷり睡眠を取ったので、寝不足は解消されたとのこと。私の頭痛は、カイロのおかげで治っていた。頭が痛くなったときのために、私はいつも、大判のハンカチとカイロを持ち歩いているのだ。

 ガンモに氷を買って来て欲しいとリクエストされたので、コンビニで氷を買って来た。ガンモはそばなどのやらわかいものしか食べられないため、晩御飯はコンビニで買ったざるそばだった。ガンモの頬は、一体いつ治るのだろう? 明日も野外ライブに参加する予定でいたのだが、ガンモが参加することは難しいかもしれない。

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2004.08.13

相性

 ガンモの風邪は良くなったようだが、頬の痛みはまだ取れないようだった。頬が炎症を起こしているのか、腫れ上がっている。ガンモは今日、仕事仲間に紹介してもらった歯医者さんに足を運び、とても丁寧な歯医者さんだったと喜んでいた。その歯医者さんは、症状を細かく説明してくれるので、安心できるのだそうだ。もしかすると、病気というものは、わからないままでいることが怖いのかもしれない。だから、病状について、隠さずに説明してもらえると、患者は落ち着くようだ。ガンモが電話で話す声が明るいのがうれしい。

 ガンモが歯痛を訴えてから、これで3人目の歯医者さんとなってしまったわけだが、もともとガンモは若い頃に、力の弱い歯医者さんにかかってしまい、抜きかけた頑固な親不知を抜いてもらうことができなかったのだそうだ。だから、今回、最初に診てもらった歯医者さんは、力持ちの歯医者さんだったという。しかし、その歯医者さんの治療が荒かったようで、詰め物をしてもらった歯が虫歯になってしまった。その次が、インターネットで調べたという歯医者さん。こちらは、頬が腫れる原因がわからないと言われ、ガンモが不安になってしまった歯医者さんである。そして、今回の歯医者さんは、頬の痛みの原因を、歯を削ったあとにつめたものが身体に合わなくて、アンバランスな状態になっているのではないかと説明してくれたそうだ。そして、中に積めているものを取り、脱脂綿などのやわらかいものを詰め直してくれたそうだ。

 ガンモは、今日診てもらった歯医者さんを絶賛していた。歯医者さんの善し悪しも、きっと相性なのだろう。これまでのやり方が通じる相手もいれば、まったく通じない相手もいる。素晴らしい歯医者さんに出会えたと思えるのは、相性の良くない歯医者さんがいてくれたこそなのだ。

 ところで私たちは、今夜から夜行列車に乗って旅をする。今日、私は18:30には上がりますと周りに宣言していたのに、次々に仕事が降って涌いて、今、帰りの地下鉄の中だ。万が一のことを考えて、荷物は最寄り駅のコインロッカーに預けてある。こうしておけば、例え仕事が長引いたとしても、30分は節約できるからだ。しかし、準備したのがいけなかったのか、万が一の状態に陥ってしまった。

 これからガンモと最寄り駅でおちあって、大阪駅まで向かう。

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2004.08.12

ガンモの涙

 朝、起きると、ガンモの熱は引いていた。とにかく、熱だけでも引いてくれて良かった。 

 今日の私の仕事は、予定よりも早めに終わった。一緒にご飯を食べようと、ガンモに電話を掛けてみたところ、今日も歯医者さんで治療をしてもらったらしい。しかし、歯ではなく、頬に痛みを感じるガンモに、その原因がわからないと歯医者さんに言われたのだと言う。そのため、これまでとは違う薬をもらったのだそうだ。ガンモはとても気弱になっていて、これからすぐにでも仕事を上がって、胃の中に何か入れてからその薬を飲みたいと言った。私の勤務先からガンモの勤務先まで、1時間ほどかかってしまうため、早く薬を飲みたいガンモを待たせるわけには行かなかった。

 自宅近くの駅に着いたとき、もう一度ガンモに電話を掛けてみると、ガンモはもう家に着いていた。
「まるみ、早く帰って来い」
とガンモは言う。電話の向こうでガンモは、風邪のために咳き込んでいる。

 帰宅してみると、ガンモはベッドの中でうんうんうなっていた。きのうとは別の、私のワンピース型ルームウェアを着込んでいる。ガンモの身体を触ると、ひどく熱かった。私がベッドを覗き込むと、ガンモは私の顔を見るなり、涙を流し始めた。私の顔を見て安心したのだと思う。きっと、ガンモ一人ならば泣かなかっただろう。

 急いで氷枕を作って冷やす。そして、先日私が病院にかかったときにもらった、鎮痛作用のある湿布薬をガンモの頬に貼る。いつだったか、私の右手の甲が突然、痛みとともにふくらみを帯びたので、病院に行ったのだ。そのとき、病院で処方してもらったその湿布薬を貼ると、腫れが一日で引いたのだ。その湿布薬が今、ガンモの役に立つことになろうとは・・・・・・。

 ガンモは、明日の夜から乗るはずの鉄道模型を取り出して、
「これに乗りたかった」
などと言う。ガンモは病気になると、とても気弱になる。そして、ガンモが気弱になるといつも、私は冷静さを取り戻し、気弱になってはいけないと、ガンモを叱咤する。

 私は、病人を病人扱いしたりしない。時々叱咤しながら、自分の力で治って行くのを見届ける。大丈夫、ガンモはきっと回復するだろう。

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2004.08.11

ガンモ、風邪を引く

 歯痛に加えて、ガンモが風邪を引いた。私が仕事から帰ると、ガンモは私のワンピース型のルームウェアを着込んで、ベッドに横になっていた。ガンモの身体がものすごく熱くなっている。頭が痛いと言うので、氷枕を用意して、ガンモの頭を冷やしてあげると、ガンモはうれしそうに微笑んだ。歯痛もまだ治まり切っていないと言うのに。どうやら、ゆうべのクーラーが寒かったらしい。窓側に寝ていた私は、とても熱かったと言うのに。(^^;

 実は、私たちは、あさっての夜からまた旅行に出掛けることになっている。今回は、青春18きっぷではなく、夜行の急行列車と新幹線のぞみ号を利用する。宿泊先は横浜。野外ライブに参加するのだ。もしも、ガンモの体調が回復しないようなら、今回のライブは見送ってもいいかなと思っている。しかし、ガンモがきっと許さないだろう。何しろガンモは、電車に乗りたくて仕方がない人だから。電車に乗れないとなると、楽しみにしていた鉄道塗りつぶしもできなくなってしまうのだ。

 今週末に仕事の納品が控えているため、私はちょっとバタバタしている。先日のガタンゴトンツアーに出掛ける直前までは、ガンモと待ち合わせをして夕ご飯を一緒に食べていたのだが、今週は私の帰りが遅いため、私は社員食堂で夕ご飯を食べている。そのことをガンモに連絡するのがちょっと辛い。「夕ご飯、社員食堂で食べるから」と連絡すると、ガンモの声のトーンが落ちているのがわかる。でも、今の仕事が落ち着いたら、ガンモとまた夕ご飯を一緒に食べられるようになるだろう。それよりも、ガンモの風邪と歯痛が早く治ることを祈ろう。熱は、追い出してしまえばやがて引くだろう。

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2004.08.10

ガンモ、歯痛と格闘する

 今日はガンモの仕事が休みだった。まだ眠っているガンモをベッドに残して、私だけが出勤する。ガンモと離れ離れになるのが名残惜しくて、ベッドに寝ているガンモをそっと抱きしめ、キスをする。

 私が仕事をしている間、ガンモは先日からの歯痛が頂点に達し、のたうち回っていたようだ。激しい痛みにたまりかねて、インターネットで、きのうとは別の歯医者さんを探して行ったらしい。しかし、その歯医者さんが往診中だったので、しばらく近くのお店で時間をつぶそうとしたらしいのだが、とにかく痛くて痛くて、口の中に冷たいものを入れておかなければ、どうにかなりそうな状況だったという。ガンモはスーパーで冷たい飲み物やら氷を次々に買って、痛い歯を冷やしながら、歯医者さんが往診から帰って来るのを、イライラしながら待っていたそうだ。

 ようやく歯医者さんに診てもらえることになったとき、その歯医者さんは、ガンモの歯にかぶさっている詰め物を真剣に取ってくれたそうだ。しかし、待っている間に水分を取り過ぎたガンモは、治療中にトイレに行きたくて仕方がなくなってしまったという。そこで、事情を説明して、治療中にトイレに行かせてもらったらしい。

 その歯医者さんは、1時間半も、歯の中の詰め物をガリガリ削って治療してくれたそうだ。おかげで、最悪だった痛みは何とか治まりつつあると言う。

 ガンモが極端に体調を崩すときは決まって、ガンモの仕事が休みの日である。だからガンモは、これまで、体調を崩して仕事を休んだことがない。もしも計画的にそういうリズムを保っているのだとすれば、ガンモ恐るべし、である。何はともあれ、ガンモの痛みが和らいでくれて良かった。

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2004.08.09

不健康夫婦

 旅行から帰って来た途端、ガンモが歯痛を訴えた。旅行に行く前から、わずかな痛みを抱えていたようなのだが、旅行中は何とか持ち堪えていたらしい。ところが、帰宅してから気が抜けたのか、とうとう持ち堪えられなくなり、ゆうべは氷で頬を冷やしながら眠っていた。今日、歯医者さんに行って診てもらったらしいのだが、奥歯に虫歯があるのではないかとのことだった。歯の痛みから逃れようと、歯をいじくるガンモの顔は、見ていてとても痛々しい。

 精神の痛みは分かち合えても、肉体に境界がある限り、肉体の痛みを分かち合うことはできない。私たち夫婦には、あまり例が見られないのだが、究極的な愛に至ると、肉体的な痛みまでも分かち合おうとして、相手と同じ箇所に怪我をしたりすることがあるようだ。私たちがもっともっと進化して、肉体的な痛みも分かち合えるようになれたらいいのに、と思う。

 ところで、今日の日記のタイトルを「不健康夫婦」にしたのは、ガンモだけでなく、私自身も不健康であることがわかってしまったからだ。実は、先月受けた健康診断の結果が返送されて来た。それを見ると、「○○○○の疑いがあります。12ヶ月以内に医師の診断を受けるようにしてください」と記載されていた。それは、私の母がかかったのと同じ病名だった。母は、過去にその病気で手術をしている。ああ・・・・・・。一気に気分が暗くなってしまった。ネットで症状を調べてみると、自分の症状に当てはまっている部分が多い。しかし、経過を見ながら、症状によっては手術もあり得るというレベルのもので、すぐにどうこうしなければならない病気ではないようだ。だからこそ、医師の診断を受けることに対して、腰が重たくなってしまう。

 旅行明けに露見した、私たち夫婦の不健康。もしも旅行前にわかってしまっていたら、あんなに楽しい気分では過ごせなかったかもしれない。

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2004.08.08

非日常から日常へ

 博多からムーンライト九州号に乗り、今朝7時過ぎに京都に着いた。すぐに帰宅するのがもったいなかったので、わざわざ終点の京都まで乗ったのだ。私たちは、まだまだ旅を終わらせたくなかった。

 ムーンライト九州号は、乗車券(青春18きっぷ)とわずか数百円程度の指定券だけで利用できる夜行列車である。この手の夜行列車は、青春18きっぷの活用シーズンになると、若い人たちで賑わっている。今回私たちが利用した列車も若い利用者が特に多く、列車内は満席状態だった。ムーンライト九州号の車両は、スキーシーズンに利用されるシュプール号のお下がりだったらしく、もともと夜行列車用に作られているせいか、眠る体制に入りやすい上に、大きな荷物を置く場所も用意されていた。私たちは、眠りに就く前にキスをした。

 ムーンライト九州号の乗り心地はとても良かったのだが、クーラーが効き過ぎていたせいで、寒くて途中で何度も目が覚めてしまった。それでも、隣に寝ているガンモの身体に振れてみると、ガンモの体温が暖かく感じられ、私はこの上なく幸せだと思った。私は、オフィスでの冷房対策の経験から、眠っているガンモの首と、自分の首に、銭湯で使ったタオルを巻いた。こうして首を保護しておけば、寒さがずいぶんしのげるからである。

 京都に着いて、顔を洗って、歯磨きをしたあと、駅ビル内の喫茶店で朝食を取った。ガンモも私も、9日間続いた旅が終わってしまうことを寂しく思っていた。

 ガンモの提案で、京都から福知山線に乗り、谷川で加古川線に乗り換えて、加古川まで出た。そして、加古川でお昼ご飯を食べたあと、いつも通勤電車として利用している電車で自宅に帰った。自宅に帰り着いてから私たちがまずしたことは、抱擁だった。一日の終わりに、いつもホテルで抱き合っていたように、「9日間の旅、お疲れさま」という意味を込めて、熱い抱擁を交わした。

 こうして、私たちのガタンゴトンツアーは、静かに幕を閉じた。最終日の今日は、旅が終わってしまうことの寂しさをひしひしと感じて、二人ともシュンとして、口数が少なくなってしまった。この寂しさを振り切って、明日からは、日常に戻らなくてはならない。ガンモ、素晴らしい企画をどうもありがとう。来年のガタンゴトンツアーも、よろしく頼むよ。

(※ガタンゴトンツアーの詳しい状況尾については、まるみデイリーにリアルタイムに書き綴っていますので、よろしければ、そちらもあわせてご参照ください)

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2004.08.07

白熊再び、そして九州新幹線

 朝、鹿児島のホテルをチェックアウトしてから、路面電車の一日乗り放題チケットを使って、市内をあちこち観光した。今日も鹿児島はすこぶる暑い。鹿児島の人たちは、手にタオルを持って歩いている。あまりにも暑くて汗が噴き出してしまうのだろう。

 お昼ご飯を食べたあと、天文館の商店街まで足を運び、運動がてら、少し観光してから、再び白熊に挑戦した。おとといは、一つの白熊を二人で分けて食べたのだが、今度はそれぞれ一人前に挑戦しようというのである。白熊で有名なそのお店には、たくさんの人たちが待ち行列を作っていた。これだけ暑いと、白熊を胃の中に掻き込みたくなる気持ちは、みんな一緒なのだ。

 お昼のあと、少し歩き回った私たちにとって、白熊一人前は、おなかに入るギリギリの量だった。後半はちょっと苦しくて、お店のクーラーが寒いとさえ思った。それでも、解けたみぞれを一生懸命胃の中に流し込み、ようやく食べ終えた。大満足だった。でも、しばらく白熊はいいかも・・・・・・。

 その後、鹿児島中央駅近くの銭湯に入った。今夜は夜行列車に乗るため、汗を流しておきたかったのだ。

 そして、鹿児島中央駅から、今年開通したばかりの九州新幹線つばめに乗った。九州新幹線つばめの行き先は「博多」となっている。車内のアナウンスも、そのように流れる。しかし実際は、九州新幹線は新八代までしか開通していないため、新八代でリレーつばめという在来線特急列車に乗り換えなければならない。しかも、積極的に乗り換えを促すようなアナウンスは一切流れず、向かい側のホームにリレーつばめが停車中であるという暗黙的アナウンスが流れるだけなのだ。しかも、指定券を見ると、九州新幹線つばめと在来線特急列車リレーつばめの座席番号は、まったく一緒なのである。

 さて、このあと私たちは、夜行列車に乗り、関西方面に向けて出発する。いよいよ明日で9日間のガタンゴトンツアーが幕を閉じてしまうのだ。

(※ガタンゴトンツアーの詳しい状況尾については、まるみデイリーにリアルタイムに書き綴っていますので、よろしければ、そちらもあわせてご参照ください)

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2004.08.06

神隠しとひっくり返ったお弁当

 今日は、列車に乗って指宿(いぶすき)まで出掛けた。指宿で「砂むし温泉」を体験する予定だったのだが、その前に、指宿から指宿・枕崎線に乗って、終点の枕崎まで行き、そこから折り返して指宿まで戻る予定だった。ところが、指宿に着いて撮影に夢中になってしまい、乗り換えるはずの列車に乗ることができなかった。そこで、急遽予定を変更して、指宿の町をレンタサイクルで探索したあと、先に「砂むし温泉」を体験し、夕方の列車で枕崎に向かうことにした。

 指宿で乗ったレンタサイクルは、最高だった。私たちは、徒歩やバスでは決して行けないような場所まで自転車を走らせた。しかも、私たちがレンタルした自転車は、JR九州が推奨している「楽チャリ」と言われる電動式の自転車で、坂道もらくらく走れるのだ。景色は最高だったし、自転車の乗り心地もすこぶる良かったので、私たちはすいすい走った。

 サイクリングの途中、先を走っていたガンモの姿が急に見えなくなった。曲がり角の直前で、ガンモが私の方を見ていたので、きっと曲がり角を曲がったに違いないと思い、私も曲がり角を曲がったのだが、走っても走ってもガンモの姿が見えない。ひょっとすると、曲がり角を曲がらずに真っ直ぐ進んだのかもしれないと思い、元来た道を引き返し、真っ直ぐ進んでみたが、交差点に差し掛かってもガンモの姿が見えない。ガンモは一体どこに行ってしまったのだろう? まさか、自転車ごと小さな川にでも落ちて、身動きが取れなくなっているのではないだろうか?

 私は携帯電話を自宅に忘れて来てしまっていたので、公衆電話を探して、ガンモの携帯電話に電話を掛けようとした。しかし、見つけた公衆電話が赤電話だったため、携帯電話に発信することができなかった。ガンモも私も同じPDAを持ち歩いているので、いざとなったらメールで連絡を取り合えるだろう。でも、もう少し探してみて、それでも見つからなかったら、最後の手段に出ようと思っていた。

 そして、ガンモと離れ離れになった分岐点に戻ってみると、私たちが走ってきた方向に戻って行こうとするガンモの姿が飛び込んで来た。
「ガンモ!」
と私が叫ぶと、ガンモが私を振り返り、緊張感が一気にほぐれたような顔をしながらこちらに走って来た。

 「まるみが神隠しに合ったかと思った」
とガンモが言った。ガンモは、分岐している道の脇にある小道に入って、撮影をしていたのだそうだ。後ろを走っていた私が、小道に入って行くガンモの姿を確認したものと思い込んでいたらしい。
「神隠しって、きっとこういうことなんだと思って、怖くなってた。ごめん、わしが悪かった」
とガンモは言った。

 自転車を走らせるうちに、やがて、そのことも笑い話になった。それから私たちは、「砂むし温泉」に足を運んだ。蒸されなくても十分暑いというのに、海岸にある砂場に、浴衣のまま砂をかけてもらい、10分から15分の間、蒸され続けた。しばらくすると、血液が波打つような感覚が伝わって来るとともに、顔から汗がダラダラと出て来た。砂が熱いし、砂の重みで身体が圧迫されるのだと思う。ガンモは10分でリタイヤしたが、私は15分粘った。

 それから指宿駅まで戻り、駅弁を買って、枕崎方面の列車に飛び乗った。枕崎までの直通列車はなかったので、次の山川駅で枕崎行きの列車に乗り換えた。この列車は、それはそれはひどく揺れた。線路が悪いのか、時折、縦に激しく揺れるのだ。私は連結部分に乗っていたので、何度も何度も列車の揺れに合わせて飛び上がった。

 枕崎駅に着いて、いったん降りたあと、乗ってきた列車が再び折り返すので、その列車に乗った。その中で駅弁を食べたのだが、またまたハプニングが発生した。駅弁を広げて、一口、二口、口にした途端、ガンモが駅弁を列車の中にひっくり返してしまったのだ。まず最初に出たのは、笑いだった。私たちは、こうしたハプニングさえも笑いに変えてしまう。私は、こぼれたお弁当を証拠写真としてデジカメに納めた。そして、二枚のお弁当の蓋を上手に使って、こぼれたおかずを拾った。私たちはケラケラ笑っていた。そして、二人で一つのお弁当を分けて食べた。向かい合わせに座っているガンモの顔も満足そうな笑みを浮かべている。写真もたくさん取ったし、自転車にも乗ったし、砂むし温泉にも入ったし、JR日本最南端の駅も通過したし、JR日本最南端の終着駅にも降り立ったのだから。

 楽しかったガタンゴトンツアーも、いよいよあさってで幕を閉じる。今夜は最後のホテル泊まりだ。明日は夜行列車なので、今夜のうちに、たっぷり睡眠を取っておこうと思う。

(※ガタンゴトンツアーの詳しい状況尾については、まるみデイリーにリアルタイムに書き綴っていますので、よろしければ、そちらもあわせてご参照ください)

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2004.08.05

白熊食べた

 朝、熊本のホテルをチェックアウトした私たちは、普通列車を乗り継いで鹿児島までやって来た。今日から鹿児島に二泊する予定だ。今日のルートは、ループ線とスィッチバック駅の秘境コースだった。乗換駅の待合室で駅弁を食べたあと、いさぶろう号という観光列車に乗ったのだ。いさぶろう号は、全車両指定席の列車だったのだが、指定券を取るのをうっかり忘れてしまっていて、気づいたときには既に指定券が売り切れてしまっていた。しかし、ガンモが根気強く並んでくれたおかげで、たった4席しかないフリーシートに座ることができたのだった。その電車から見える景色はまさしく、「秘境」という言葉がぴったりの場所だった。

 ところで私たちは、鹿児島に来たら絶対に食べたいものがあった。そう、先日の日記に書いた「白熊」である。しかし、白熊を食べる以前におなかが空いていて、どこかにおいしいものを食べさせてくれるお店はないものかと商店街を歩き回っていたところ、ご飯も白熊も両方食べられるお店を偶然見つけてしまったのだ。

 私たちは興奮しながらお店に入った。お客さんたちが食べているものを見てみると、食事をしている人はほんのわずかで、ほとんどの人が白熊だけを食べていた。しかも、その白熊の量の多いことと言ったら・・・・・・。鹿児島の人たちは、夕ご飯代わりに白熊を食べるのだろうか? それとも、ここで白熊を食べている人たちはみんな観光客で、白熊を食べたいばっかりに、夕ご飯を我慢してやって来た人たちなのだろうか?

 私たちは、デザート感覚で白熊を注文しようと思っていたのだが、どう考えても夕ご飯を食べ終わったあとに一人で食べられる量ではなさそうだ。そこで、夕ご飯のあとに、二人で一つの白熊を食べることにした。

 さて、いよいよお待ちかねの白熊が私たちのテーブルにやって来た。一口食べて、ああおいしい! 練乳とみぞれのとろけるような甘さの上に、いくつものフルーツが彩りを加えている。ガンモと二人で白熊をたいらげた。夕ご飯を食べ終わって、ちょうど二人で一つの白熊がデザート代わりになるくらいの量だった。私たちは大満足のまま店を出た。しかしガンモは、どうしても一人で一つの白熊を平らげたいらしく、
「あさって、また来るから」
と言い放った。お昼ご飯を食べたあと、ちょっと運動したら、一人で一つの白熊を食べ切れるのではないかと思っているらしい。果たして、ガンモは食べ切れるのだろうか。そのときは、私も悔しいから挑戦してみるつもりだ。

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2004.08.04

やっぱり離れたくなかった

 長崎から普通列車を乗り継いで、熊本にやって来た。到着したのが夕方だったので、お店が閉まる前に街を探索しようと、ホテルにいったんチェックインしてから、すぐに街に繰り出した。

 熊本駅を降りたときの雰囲気と言い、商店街の作りと言い、私の生まれ故郷である愛媛県の県庁所在地、松山にとても良く似ていて驚いた。九州は、言葉がわからないのでちょっと距離感を覚えつつあったのだが、熊本に来てからようやく親しみを持てたような気がする。

 おなかが空いていたので、商店街の中の定食屋さんに入ってご飯を食べた。ここのところ、麺類とお弁当ばかりの食事が続いていたので、ご飯ものの温かい定食を食べた。

 おなかがいっぱいになり、もうすぐ閉店されかけようとしているいくつかのお店を見て回ることにしたのだが、効率良く回るため、ガンモと私は離れ離れになった。私は、携帯電話を自宅に忘れて来てしまったので、ガンモの仕事用の携帯電話を着信専用に持たせてもらった。

 私が雑貨屋さんを見て、ガンモが電気屋さんを見る。そんな調子で、ほんのしばらくの間、別々のショッピングを楽しむことになったのだが、薬局でガンモと合流したとき、「ああ、やっぱり離れるんじゃなかった」と後悔した。私はガンモの手をぎゅっと握り、「やっぱり離れたくなかった」と言った。私たちが離れていたのは、ほんの数分だった。時間のないとき、私たちはこうして優先順位をつけながら行動することがあるが、その度に私は、離れるんじゃなかったと後悔してしまう。それでも、直ちに後悔できることが大切なことなのではないかと、私は思う。愛情が深ければ深いほど、後悔のタイミングも速くなる。そして、後悔のタイミングが速ければ速いほど、許しもただちに起こって行く。

(※ガタンゴトンツアーの詳しい状況尾については、まるみデイリーにリアルタイムに書き綴っていますので、よろしければ、そちらもあわせてご参照ください)

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2004.08.03

長崎は、今日は晴れだった

 今日の長崎は、暑かった。暑くて、暑くて、何度も立ち止まっては水分を補給した。きのうの雨がちょっと恋しいくらいだった。それでも、今回の旅行が始まって以来の天候に恵まれたので、私たちは路面電車の一日券を買って、ガンモのエスコートで街を散策した。

 いろいろな場所を訪れたのだが、心に残っているのはやはり、原爆資料館だ。私は、高校を卒業したあと、広島の大学に入学したため、広島に一年だけ住んでいたことがある。一年だけしか住まなかったのは、その大学を二ヶ月で休学し、その翌年、東京の大学に再入学したためだ。

 広島の原爆資料館を見たときも、心が掻きむしられるような想いを抱えたが、長崎のそれも同様だった。私は、自分でもカメラを使い、写真を撮ることを趣味としているが、同じカメラを扱う者として、これまで報道カメラマンに対してあまりいいイメージを持っていなかった。しかし、彼らの撮る写真は、私たちに繰り返しをくい止めさせるという立派な役割を果たしていることがわかった。

 写真や資料の中に残されている生々しい原爆の傷あと。中でも、もっとも心を痛めたのは、中身が黒こげになってしまった女学生のお弁当箱の遺品である。きっと、彼女のお母さんが愛情をこめて作ってくれたであろうお弁当を口にすることなく、少女は原爆の被害に遭ってしまったのだ。

 国家と県とか市町村とか、そういった政治的な単位は、家庭の縮小型であるべきだと私は思う。でも、実際は、それぞれの規模が大きすぎて、家庭ほどの愛情が行き渡らない。その結果、長いものに巻かれなければならない人たちが出て来てしまう。少女がお母さんの作ってくれたお弁当を食べることなく、原爆の犠牲になってしまったことを、政治家の誰かが嘆き悲しむわけではない。私は、黒こげになったお弁当箱を見つめながら、そんなことを思っていた。

 今日は精力的に歩き回り、とても疲れ果ててしまった。夕方、ホテルでいったん休息したあと再び出掛け、長崎ロープウェイに乗って、夜景を見て来た。その帰り道、私はぼんやりと考えていた。私が結婚した相手がガンモだったからこそ、こうして9連休も休みが取れて、あちこちの鉄道に乗ったり、全国を旅したりできるのではないだろうかと。私自身、学生時代から、学割の発行枚数を超えるほど全国を旅していたので、もしも旅好きでない男性と一緒になっていたら、きっとアンバランスな関係になってしまっていたことだろう。ガンモもきっと、私と同じことを思っているはずだ。ガンモの満足そうな笑顔を見ながら、そう感じる私であった。

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2004.08.02

長崎は、今日も雨だった

 今朝、博多を出発した私たちは、電車を乗り継いで、長崎ハウステンボスに出掛けた。一日券を買って、手当たり次第にアトラクションを楽しんだ。

 あちこち歩き回っている間、何とかお天気は持ちこたえてくれたものの、夕方になると、だんだん雲行きが怪しくなって来て、稲妻がピカピカ光り始めた。乗ろうと思っていた電車が19:06発だったので、夕御飯を食べてから電車に乗ることになった。今夜から長崎に二泊する予定なのだが、ハウステンボスから長崎まで、電車で1時間以上かかってしまうからだ。

 夕御飯に長崎ちゃんぽんを食べて、お店から一歩外に出ると、たまりかねたように雨が降り始めていた。ガンモと一つの傘に入って、駅までの道を急いだのだが、そのとき、お互いに相手への気遣いが足りずに、自己愛に走ってしまった。ガンモは、雨に濡れるから、駅まで一気に走ろうと言う。しかし私は、ダイエット用の重い靴を履いているせいで走れない。(実は、別の日記にも書いた通り、私はこの靴を履いていたおかげで、飛行機の手荷物チェックでひっかかってしまった)

ガンモ「駅まで一気に走ろう!」
まるみ「靴が重いから走れないよ」
ガンモ「何でそんな靴、履く?」
まるみ「だって、普段、運動不足なんだもん」

 結局、私たちは、一つの傘の中に入って、雨に濡れながら歩いた。だいたい、私がわざわざおそろいの傘を買って用意していたのに、ガンモはその傘をコインロッカーに預けた荷物の中に入れたままだったのだ。お互いに、ぶつぶつ文句を言いながらも、何とか駅に着いた。私たちの身体は、雨でびっしょり濡れていた。

 それにしても、不思議なことに、雨は私たちの行動にもっとも影響の少ない形で降ってくれていると思う。もしも今日、晴天だったとしら、あれほどまで精力的に、外を歩き回ることはできなかったのではないだろうか。

 ところで、旅行が始まってから、ホテルの部屋に入ると、私たちが必ずしていることがある。それは、「お疲れさん」の意味を込めた抱擁である。「今日一日、予定通りにことが運んで良かった」という想いを込めて、このブログのプロフィール写真を飾っている歓喜天のように抱き合うのだ。

 今、私の乗っている電車は、間もなく長崎に着く。ホテルの部屋に着いたら、お互いに自己愛に走ってしまったことへの反省の意味を込めて、抱擁をしよう。

追伸:今、長崎駅に着いた。さっきまでの雨が、嘘のように止んでいる。

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2004.08.01

九州上陸

 朝、広島のホテルをチェックアウトした私たちは、山陽本線・鹿児島本線を乗り継いで、九州に上陸した。電車に乗っている間、あいにくの雨だったが、門司港駅に着いて荷物をコインロッカーに預けた途端、雨が止んだ。おかげで私たちは、駅の周辺を歩いて回ることができた。

 門司港駅はレトロな感覚が守り抜かれているところだった。また、町の雰囲気としては、港町といえども、横浜や神戸とは違った顔を持っている。一体何が違うのだろう? おそらく、横浜や神戸と違って、異国の文化が取り入れられていないところだ。

 31階建ての展望台に昇り、門司港の景色を満喫したあと、私たちは駅の裏手にある九州鉄道記念館に足を運んだ。ガンモの予定では、17:10に門司港駅を出発する電車にどうしても乗りたいらしいのだが、展望台に昇ったりなどして、予定よりも長い時間を過ごしてしまったため、鉄道記念館に行くのは諦めるとガンモが言い出した。時計を見ると、まだ16時15分だった。あと1時間近くもある。私は、ここで行かなければ後悔すると思って、ガンモを引っ張った。
「ざっとでいいから見に行こうよ」

 私たちは、歩く足を早めながら、大急ぎで九州鉄道記念館を見て回った。中に入ってみると、規模はそれほど大きくなく、見終わると、乗ろうと思っていた電車にちょうど間に合う時間だった。
「まるみありがとう」
とガンモが言った。ガンモはいつも押しが弱くて、計画を途中で諦めてシュンとすることが多い。だから、そういう気配を感じたら、私がいつもガンモを引っ張るのだ。自分で立てた計画を曲げてどうする。後悔するのは自分なんだぞ、と。先日、城崎で乗った屋形船もそうだった。予約が必要みたいだから諦めよう、とガンモは言って引き始めたのだが、私が押しを効かせたのだ。

 私たちは非常に満足しながら、予定通りの電車に乗った。そして、小倉でいったん降りて、ガンモは到着した特急電車の写真を撮るためにホーム間を走った。ガンモは予め、その電車が到着する時間を時刻表で調べていたため、その電車の到着時間に間に合うような電車に乗りたかったらしい。ガンモを待っている間、私はノートパソコンを取り出して、これを書いているというわけだ。

 計画を途中で変更してしまうと、後悔がともなう場合がある。もちろん、どうしても計画を変更しなければならない場合もあるのだが。途中で計画を変更して、達成されなかった想いを抱えてしまうよりは、例えいちかばちかの賭でも、トライしたほうがいいと私は思う。そのときの力を全部出し切ることで、私たちはようやく次のステップに進めるのではないだろうか。

 さて、今夜は博多に泊まる。博多でおいしいラーメンでも食べて、替え玉しよう。

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