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2004.07.14

芸術は似合わない

 心が満たされた状態にあると、芸術という間接的な手段を使って、特別何かを表現したいとは思わなくなるようだ。言い換えれば、芸術への渇望が失われてしまう。

 ガンモと私は、ある由緒正しいクラシックカメラのサークルに所属していた。ほとんどのクラシックカメラのサークルは、夫婦で楽しめるようにと、夫婦で入会しても年会費が半額になったり、また、たとえ入会が認められるのは男性だけだったとしても、夫婦でのイベント参加は認められていたりする。しかしそのサークルは、夫婦で参加するのにまったく特典のないサークルだった。夫婦で入会していると、同じ会報が同じ住所に二つ送られて来る。ただそれだけのことだった。そんな経緯も手伝って、ガンモはそのサークルから脱会し、現在は私だけが残っている。

 そのサークルは、年に2回のペースで写真展を行っている。結婚当初、私はガンモの写真を、ガンモは私の写真を、作品として出展していた。私が撮りたいと思う対象はガンモだったし、ガンモが撮りたいと思う対象は私だった。しかし、対象にこだわったせいか、私たちの作品のレベルはあまりにも低かった。そして、あるお偉いさんからお叱りの言葉を頂戴してしまったのだ。
「別に、あなたたちの夫婦生活を公開して欲しいなんて思ってないんですよ」

 その方は、写真を撮ることやクラシックカメラの方面において、社会的なステータスを持っていらっしゃる方だった。しかし、機嫌が良かったり悪かったりと、ちょっと気むずかしいこともある。おそらく、クラシックカメラに興味を持っていらっしゃる方なら、その方の名前を聞けば、ほとんどの方がご存じのことと思う。その方のおっしゃることもごもっともだと思った。おそらく、幸せな夫婦が芸術を探求するのは似合わないのだ。

 芸術家は気分が不安定で、気むずかしい。自分だけのこだわりを持ち、そのこだわりを理解してくれない人との間には厚い壁を作ろうとする。芸術家が自分の作品に注ぎ込むエネルギーはまさに、安定を渇望するエネルギーである。だから、すでに安定を得た人は、芸術が似合わないのだ。

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