「エッチな気分にならない」に対する反響
私たち夫婦の「エッチな気分にならないセックス」に関して、いくつかの反響が寄せられている。既に愛を知った人は、私たちもそうだと共感してくださっている。それが何よりもうれしい。
私は、愛やセックスについて語り合うページをここ以外に持っているため、このブログではコメントもトラックバックも受け付けない設定にしている。何故なら、ブログというものの性質が、ホームページとは違って、ベースの異なる者同士の交流をあたかも成立させているかのように見せてしまうからである。
おそらく、セックスというキーワードでネットを徘徊されている方が書かれたものと思われるのだが、私の書いた記事に対し、それはセックスに対する誤解だと指摘されている。(バルトさんのアドレッサンスな夢)
私は、愛という精神的な観点からセックスを語ろうとしているのであり、肉体的な観点から語ろうとしているのではない。この方の記事を拝見すると、セックスを精神的というよりも、肉体的にとらえていらっしゃるようだ。(少なくとも私よりは・・・・・・。)だから、この「ガンまる日記」内の愛に関する記述はまったく無視され、セックスに関する部分だけが取り上げられているのだ。そもそも、肉体的なセックスという観点からの指摘では、ベースになるものが異なっている。
ただ、一人の人と密に関わって行くという姿勢は共感できた。そこに共感があるのだから、精神的なセックスに関して、もっともっと先があってもいいのではないかと思う。
何故、愛ではないセックスを目にすると涙が出て来るのか。その方は、そのことには一切触れていなかった。愛を深く知れば、愛をベースにしないセックスが、とてつもなく悲しくなるというのに。更には、次第に「自分と第三者を分ける」ということからも遠ざかって行くというのに。そして、自分と第三者を分けることから遠ざかって来ると、愛の状態にいられない光景に涙するようになるのだ。
その方のプロフィールを拝見すると、「最近ハマっていること:好きな人のことを思いながら一人エッチをする」と書かれていた。ああ、もう、私とはベースが全然異なっている。私たち夫婦は一人エッチなどしない。何故なら、一人エッチは、「結合」ではなく「分離」だからだ。
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