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2004年4月

2004.04.30

ガタンゴトンツアー計画

 ガンモは今、今年の夏に一週間の予定で出掛けるガタンゴトンツアーの計画に夢中である。今年は九州方面に出掛けることになった。いつもは青春18きっぷだけを利用する旅なのだが、もう少しで飛行機のYS便がなくなってしまうから今のうちに乗っておきたいだの、九州新幹線に乗りたいだの。3ヶ月も先のことなのに、まるで子供のようにはしゃいでいる。

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2004.04.29

添寝

 遊び疲れのためか、今日は寝たり起きたりの繰り返しだった。私がベッドに入る度に、いつの間にかガンモもベッドに潜り込んで来て、二人で頭をくっつけて眠った。

 「まるみと一緒に寝るのは気持ちがいい」
とガンモは言う。私も、ガンモと頭をくっつけて眠るのがとっても心地いい。

 こんな二人だから、運動不足になってコロコロ太ってしまうのも、仕方がないことなのだ。

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2004.04.28

ライフワークを見つける

 他の方のブログを拝見していると、結婚とは何かについて、思い悩んでいらっしゃる方も多いようだ。まるで、結婚する以前の私を見ているかのようだ。

 かくいう私も、結婚するまでは、「私は結婚なんてしないからね」と周りに宣言していた。だから、私が結婚したとき、周りの人たちはひどく驚いたようだった。何故なら、周りの人たちが驚くほど愛に関してオープンな関係を、一瞬のうちに築き上げたのだから。私が周りに対してそう宣言していたのは、私自身が本当の意味でまだ運命の人に出会っていなかったためだと思われる。

 運命の人に出会わなければ、結婚に関して夢も希望も持つことができないだろう。運命の人とは、自分のライフワークを確立させてくれる力を持っている。そして、自分の良さを最大限に引き出しながら、サポートしてくれる。

 ライフワークとは、自分が生きていた中で最も長続きし、こだわりを持ち続けている分野だと思う。私の場合は、男女の愛について深く探求して行くことだった。だから、昔から愛について語り合うことが好きだったのであり、ソウルメイトやツインソウルについての関心も特別深かったのだ。中途半端な関係を許さなかったのも、男女の愛を深く探求したかったからだ。

 もしかすると、自分のライフワークを見つけることは、幸せな結婚への近道になるかもしれない。ライフワークというしっかりとした筋書きを立てて行くことで、運命の人との出会いがあとからついて来る場合もあるのではないだろうか。

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2004.04.27

まるみがボケでも・・・・・・

 我が家には、ルーフバルコニー(下の階の屋根部分全体がバルコニー)がついている。かつて、夏になると、ルーフバルコニーで子供用プールに水を張って、ガンモと二人で水浴びをしたものだった。現在は、すっかりモノが多くなってしまい、ルーフバルコニーに出るためのドアを開けられなくなってしまっているのだが。(^^;

 ガンモは私に言ったものだ。
「もしもこの先まるみがボケても、毎年夏になったプールに水を張って、水浴びさせてやるからね」

 確かに、ここ最近のモノ忘れの激しさからすると、私のほうが先にボケてしまいそうだ。ボケた私を、ガンモがプールに水を張って水浴びさせてくれる。私はすっかりボケてしまってわからなくなってしまっているのだろうが、想像してみただけでもガンモの深い愛を感じる。きっと私は、水浴びをしながらこっそり涙するのだろう。

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2004.04.26

満点です

 ガンモのスーツの背中より下のひらひらしたところがほころびていた。出勤前に私が見つけたのだが、時間がなくて、ガンモはそのまま出勤してしまった。案の定、ガンモは職場の人にそのほころびを指摘されてしまい、奥さんに縫ってもらうように言われたらしい。

 私は裁縫が大の苦手である。とにかく、雑なのだ。ガンモに「縫っておこうか?」と言うと、「いや、難しいところだからいい。遠慮しとく」などと言う。どうやらガンモは、縫いにくい場所なので、自分で何とかしようと思っていたようだ。何だコイツと思いながらも、ガンモが出掛けている間にこっそり縫っておいた。確かにちょっと構造が複雑で縫いにくかった。

 私はそのあと用があって出掛けたのだが、帰宅したガンモが私の縫ったあとを見て、私にメールを送って来た。
「ちょっとウジウジしてるけど、まるみにしては満点です。ありがとう!」
やった〜! ガンモから満点をもらった。(^^)

 ちなみに我が家では、スーツの裾上げは、ガンモのセルフサービスとなっている。

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2004.04.25

すってんころりん

 ガンモは自分の力を過信し過ぎる傾向にある。ある雪の日、ガンモは自転車に乗って仕事に出掛けた。道路が凍っていたので、私は
「転ばないように気をつけてよ」
と言った。ガンモは
「大丈夫だから」
と答えた。しかしその数分後、ガンモの乗っていた自転車はすべって転倒し、ガンモ自身も道路に投げ出され、自転車の籠の中に入っていたアタッシュケースもシュルシュルシュルと回転しながら道路の脇まで転がったらしい。小さな道路だったので大事には至らなかったが、そのときガンモは、左肩の小さな骨を骨折してしまい、しばらく腕が上がらなくなってしまった。

 ガンモは少しの間、リハビリに通っていた。しかし、根気強さが足りないせいか、すぐにリハビリに通うのをやめてしまった。リハビリには行きたくないと言うので、私は夜寝る前に、ベッドの上でガンモのリハビリに付き合った。ガンモが肩の痛みを我慢しながら、一生懸命私の顔を見て腕を上げようとする。私は、その顔がたまらなく好きで、リハビリ中のガンモに何度も何度もキスをした。

 ガンモの骨は、間もなくくっついた。リハビリは十分ではなかったかもしれないが、今ではほんの少し不自由を感じるももの、ガンモの左腕も上がるようになった。ベッドの上のリハビリで見たガンモの顔を、私は一生忘れないだろう。自分のためにも、一生懸命頑張ろうとしている真剣なガンモの顔。それは、お互いに歳を取ったときに、介護を通して見るはずの顔だったのかもしれない。その顔を見ることができるからこそ、介護をする側も頑張れるのではないかと思った。

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2004.04.24

守る愛

 人は、結婚すると、これまでの攻めのモードから守りのモードに切り替わって行く。攻めのモードとは、自分にぴったりの相手を獲得しようとするモードのことであり、守りのモードとは、ぴったりの相手との愛を維持して行くモードのことである。

 世の中には、攻めるのは得意だが、守るのは苦手という人も多い。そういう人の目はいつもギラギラしていて、常に獲物を探しているかのようだ。でも、本当に大切なのは、ぴったりの相手と出会ってから、その関係をずっと維持して行くことだと思う。

 結婚に限らず、人と人との関係は、どんどん移り変わって行く。変化の中にあって、お互いが同様に変化したり、また、相対的にいつまでも変わらない関係でいられるのは、守る愛が働いている証拠だと思う。

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2004.04.23

時には厳しさも必要

 心地良い男女の関係を保って行くためには、単に相手を猫かわいがりするだけでなく、時には厳しくすることも大切だと思う。

 私たち夫婦は、お互いの健康管理に関してうるさい。例えばガンモは良く風邪を引き、私はほとんど風邪を引かない。風邪を引くのは、自己の健康管理がなっていないからだと私は思っている。だから、風邪を引いたガンモを猫かわいがりしたりしない。うがいをしろ、薬を飲め、肩を冷やさず温かくして寝ろと口うるさく言う。もちろん、本当にひどい症状のときは看病するが、たいていの場合、軽い症状で終わることが多い。

 私が風邪を引くのは、年に一度くらいの割合である。つい先日、その年に一度のタイミングがやって来てしまった。ガンモは、この時ぞとばかりに私に口うるさく言う。うがいをしろ、薬を飲め、温かくして寝ろと。私は、自分がいつもガンモに言っている台詞が自分に返って来たと思って、ケラケラ笑いながら聞いている。

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2004.04.22

捨てられない靴

 私は、捨てられない靴を持っている。それは、ダイエットのために買った片足1.4kgもある重い靴で、既に履きつぶしてボロボロになってしまっている。靴の金具があちこちから飛び出していて、足を入れると、飛び出した金具が当たって痛い。靴底もすっかり磨り減ってしまったので、靴底用のメンテナンスキットを買って来ては、何度も何度もガンモに靴を修理してもらった。磨り減った靴底に、溶かしたゴムを流し込んで、靴底の高さを調整してもらったこともある。

 こんなにもガンモが手を入れてくれた靴だから、私はこの靴を捨てられない。ガンモは、「捨ててもいいよ」と言ってくれる。でも多分、私はこの靴を捨てないだろう。玄関で、どんなに邪魔になっていたとしても。 

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2004.04.21

自分を生かせる関係

 人にはそれぞれ、長所と短所がある。私の経験からすると、それらを生かしてくれる関係もまた、確実に存在しているようである。環境が違えば、長所が短所になってしまったり、短所が長所に変わることもある。愛情ベースの関係に限らず、仕事に関しても同じことが言える。だから、自分を生かしてくれる関係/場所を探し出すことは、大変重要なことのように思うのだ。

 独身時代、私はとても汚い部屋に住んでいた。そのことに関して、ある人には「だらしない」と言われたが、ガンモは「ここに来ると落ち着く」と言ってくれた。だからガンモは、私を生かしてくれる人なのだと思った。

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2004.04.20

急速に親しくなれる関係

 まったく進展しない関係は抜きにして、世の中には二通りの出会いがあると言っていい。急速に親しくなれる関係と、ゆっくりと進展して行く関係だ。先日書いた前世の記憶にも絡んで来るが、急速に親しくなれる関係の場合、お互いに初めて出会った魂ではなく、既に何度も人生をともに過ごし、信頼関係を築き上げて来た可能性が高いように思える。

 長い時間をともに過ごすと、お互いに相手の嗜好に似てくる。例えば、食べ物の好みが同じだったり、趣味や価値観が同じだったり。ともに生活する上で、価値観が同じであることは、大変ありがたい。理解までの道のりが短縮されるからだ。

 そういう観点から物事を見るようになると、「今」というものが本当に大切に思えるようになって来る。何故なら、「今」は「未来」を作って行くからだ。

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2004.04.19

永遠に流れて行く時間

 ネットサーフィンをしていて、ご主人さんと死別された方のホームページに辿り着いてしまった。そこには、最愛の人を亡くされた辛さが綴られていて、私の胸はきゅーんと痛んだ。そのとき私は思ったのだ。私がこうしてガンモとの愛の生活を幸せたっぷりに綴ることは、悲しみを背負ったまま生きている人たちを余計に悲しくさせてしまうのではないだろうかと。

 そこで私は、あることをここに書いておこうと思い立った。既に私のホームページでは表現しているのだが、ホームページを読んでくださっていない方たちのためにも書いておこうと思う。

 私には、部分的ではあるが、いくつかの前世の記憶がある。その中に、ガンモの目の前でリフトのようなものから落ちて死んだときの記憶がある。それを思い出したときの私は、とにかく尋常ではないほどたくさんの涙を流した。そして、自分が肉体を去る瞬間の気持ちをはっきりと思い出したのだ。私は、ガンモを残して自分だけが死んで行くことが、たまらなく悲しかった。ご主人さんと死別された方のホームページにも、亡くなって行くご主人さんの目にたくさんの涙がたまっていたと書かれてあった。私は、このご主人さんの気持ちがとても良くわかる。一般に、死別すると、残された人だけが悲しんでいるかのように思われがちである。でも、愛する人を残して肉体を去って行く人もまた、とてつもなく悲しいのだ。そのことを思い出したとき、現世でガンモと再会できて本当に良かったと思った。更には、達成されない想いが残ったからこそ、またガンモと再会したのだと思った。

 ただ、ガンモはそのことを覚えてはいないと言う。私自身も、私が肉体を去ってから、ガンモがどのようにして暮らしたのか、知らない。でも、自分が落ちて死んだときのことを思い出したときの私は尋常ではなかった。もしもそれが自分のでっちあげた空想なら、そこまで自分がおかしくなることもなかったのではないかと思う。ちなみに、現世の私は、大変な高所恐怖症である。それは、前世で高いところから落ちたときの恐怖が残っているからなのではないだろうか。

 前世を思い出してからの私は、時間というものが永遠に流れているのを実感している。そして、愛が完全に引き裂かれることもないとわかった。愛し合う者同士が離れている時間など、長い長い魂の歴史からすれば、きっとほんの一瞬のことなのだろう。

 だから、辛い別れを経験した人にも、時間が永遠に流れていることを知っておいて欲しいと思う。

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2004.04.18

同じ通勤電車から見えた光景

 出勤時間と通勤距離が異なっているため、私は普段、ガンモとは違う通勤電車を利用しているのだが、あるときたまたま同じ電車に乗っていたらしく、乗り換え駅に着いたときにガンモの姿が飛び込んで来た。電車から降りたガンモがエスカレータを降りて行こうとする姿が目に入ったのだ。

 そのときの感覚は、実に不思議なものだった。毎日一緒に生活しているはずなのに、何だかとても懐かしいのである。「私はこの人のことを良く知っている!」と強く思った。それはまるで、ガンモと初めて会ったときのような、とてもあたたかい気持ちだった。

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2004.04.17

エッチな気分にならない

 セックスに関する私たちの概念について、もう少し書いておこう。

 ガンモと付き合い始めて間もない頃、ガンモが私にこう言った。
「まるみに対してエッチな気分にならないのは、愛が足りないのかな?」
それを聞いた私は、ガンモを抱きしめてこう言った。
「ガンモ、それは違うと思うよ。エッチな気分になることが愛なのではなくて、愛がいっぱいだから、エッチな気分にならないんだよ」

 だから私たちは、セックスのことを「エッチ」とは言わない。もともと、エッチな気分にならないのだから。エッチな気分と男女の性のエネルギーは、まったく別物だと思う。しかし、こうして愛を大切にしながら生きている私たちでも、ときどき横道にそれてしまうこともある。そういうときは、アダルトビデオを見たときのように、悲しくて涙が出て来るのだ。もちろん、ガンモとのセックスがうれしくて、そして優しくて、涙が出ることも多いのだが。

 エッチな気分にならないセックスは、人前でキスができるのと同じように、隠すものではなくなって行くのかもしれない。まだまだ私たちは周りに対して羞恥心があるが、愛やセックスについて突き詰めようとすればするほど、セックスをオープンにしないことがおかしいと思うようになって来るのではないだろうか。

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2004.04.16

アダルトビデオに涙する

 結婚して間もない頃、旅先で泊まったホテルで、ガンモとアダルトビデオを見たことがある。そのときから私は、愛のないセックスシーンを目にすると、胸がきゅーんと苦しくなり、あまりもの悲しさに涙が出るようになってしまった。私たちが体験しているセックスとは、まったく異なっていたからだ。

 私には、アダルトビデオの女優さんは、苦痛に顔をゆがめているとしか思えなかった。男優さんの態度にもまったく愛がなく、二人は決して一つにならず、どこまでも二人という固体でしかなかった。私は、こういう映像が、これからセックスを体験して行く若者たちに与える影響を考えると、悲しくて悲しくて仕方がなかった。映画監督と言われている人はたくさんいるはずなのに、映像の中に男女の本当の愛を映し出せる監督さんが、一体どれだけいるのだろうと思う。

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2004.04.15

奇妙な対抗意識

 ここのところ仕事がとても忙しく、ガンモよりも遅い帰宅の日々が続いている。

 つい先日のことである。私が夜遅くに帰宅するとガンモが、
「早くパソコンの前に来て!」
と言う。何だろうと思い、ガンモに言われるがままにパソコンの前に座ると、先日結婚したばかりの友人からの画像付きメールが開かれていた。それを見た私は、
「うわあ!」
と声を挙げた。そこには、本当に幸せそうなお二人の姿と、お二人を取り囲む人たちの楽しい笑顔が写し出されていたのだ。中には、愛妻弁当の写真もあった。

 ガンモは言った。
「わしらも、これに対抗できる写真を何か送る?」
でも、考えてみると、お二人に対抗できるようなかっこいい写真はないのだった。ガンモとの愛情いっぱいの生活はここに書きまくっているし、お二人はこの日記を読んでくださっているようだし、もちろん、愛妻弁当の写真もない・・・・・・(^^; あるとすれば、モノがいっぱいで生活のスペースがなくなってしまって、シングルベッドの上で仲良く食事をする私たちの写真くらいだ。その写真なら、愛妻弁当に対抗できるだろうか?

 思えば、これまで私たちが東京に行く度に、いつも三人で食事をしていた。でも、これからは四人で食事ができるのだ。私はそれが楽しみで仕方がない。男女の密な愛のはなしができることもうれしい。本当に、心からおめでとうさんです。(メールの返信に替えて、お二人に(^^))

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2004.04.14

違うシャンプーの匂い

 ちょっと古い話になるのが、かつての勤務先の近くに、たくさんの湯船を楽しめる施設があった。あるとき、仕事を帰りにちょっと寄って、お風呂に入って帰ったことがあるのだが、その日の夜、ベッドに入ったときにガンモが私の髪の毛をクンクン嗅いでこう言った。

「何か、シャンプーの匂いがいつもと違う!」

 ガンモはもちろん、私が仕事帰りにお風呂に入って帰ったことは知っていたのだが、その言葉が何だかとても寂しそうだった。いつも一緒に同じお風呂に入って、同じシャンプーを使っているのに、私だけ別のお風呂に入って、別のシャンプーを使ったのだ。それ以来、よそでお風呂に入って帰るのはやめにした。

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2004.04.13

歯ブラシもパンツも共用

 ガンモとご飯を食べるとき、一つのコップでお茶を飲み、一つのお椀でお味噌汁をすするという話を前に書いた。実は私たちには、それ以外にも共用しているものがある。歯ブラシと下着のパンツである。ここで、「汚い!」と思われた方は、愛する人と自分を分けて考えている。相手と自分を区別することがなければ、これらのものも共用できるのではないかと思うのだ。

 「歯ブラシを一つにできるのでは?」と言い始めたのは、ガンモのほうだった。キスをしているのに、歯ブラシが別々なのはおかしいと言ったのだ。私もその考えには、なるほどと思った。

 下着のパンツの共用は、私がボクサーパンツ好きだから成り立っていることであって、決してガンモが女性もののパンツを好んで履いているというわけではない。私が通販で買ったボクサーパンツを、いつの間にかガンモが気に入って履くようになった使うようになったのである。

 だから我が家には、ガンモの歯ブラシも、まるみの歯ブラシも、ガンモのパンツも、まるみのパンツも存在しない。

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2004.04.12

向かい合わせの関係

 背中同士をくっつけて愛を表現する関係は極端過ぎるにしても、肩を抱く、後ろから抱きしめるなど、世の中には様々な愛情表現がある。

 私たち夫婦の場合、向かい合わせに抱き合う方法が一番フィットする。他の方法で抱き合うことは皆無と言っていい。肩の位置を少しずらすと、フィット感がいっそう増し、お互いの身体が密着する。それがとっても心地いい。そう、歓喜天のように。

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2004.04.11

頭をくっつけて寝る

 ガンモと頭をくっつけると、とても心地がいい。このことに気付いたのは、バスの中で頭をくっつけて寝たときのことだった。まるで、二人して同じ夢でも見ていたかのような感覚で、目覚めたときにとても幸せな気分だった。

 頭をくっつけたときの感じが心地いいというのは、私たちの意思が一つであり、お互いの意識の領域を自由自在に行き来できることの証なのだろう。

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2004.04.10

一つの性に片寄り過ぎないこと

 男女が親密な関係を持続させて行く上で、お互いが一つの性に片寄り過ぎないでいるということは、大変重要なことのように思える。つまり、男性は極端に男性らしくなく、女性は極端に女性らしくないということだ。

 一つの性に片寄り過ぎないでいることは、お互いの役割分担を容易に入れ替わることができるという利点がある。世間一般で、男性の役割として認識されている作業を女性が受け持つ。また、女性の役割として認識されている作業を女性が受け持つというふうに。

 つまり、お互いがいつでも入れ替わって、お互いの間を容易に行き来できるような関係が、対等な関係を作り上げて行く上で大切なのではないかと思うのだ。

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2004.04.09

ガンモの初恋

 このゴールデンウィークに、ガンモの小学校時代の同窓会が行われるらしい。それに出席すれば、ガンモは初恋の女性に会えるはずなのだが、仕事でどうしても出席の都合がつかないと言う。ニコニコしながら彼女との思い出を語るガンモを見ていると、同窓会に行けないのがかわいそうだ。そのピュアさの中にあっては、嫉妬の感情などつゆも生まれず、むしろあまりにもピュアで微笑ましい。何とか仕事の都合がついて、彼女に会えるといいのに。

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2004.04.08

シャッターチャンス

 私たちは、誰かに写真を撮ってもらうとき、シャッターが開く瞬間にキスをしてしまう癖がある。撮影してくれる人のほうが照れてくれるので、反応を見ているとなかなか面白い。こんなふうにして撮っていただいた写真が、手元に何枚かある。最近では、撮ってくださる方も次第に慣れて来たようだ。

 そう言えば先日、私の実家の両親がカメラを構えてくれたときに、これをやった。私の両親は大笑いしていた。私は、自分の両親の前でガンモとキスをできたことがうれしかった。いつか、ガンモの両親の前でもできればいいなと思う。

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2004.04.07

呼び方

 パソコン通信の縁で結ばれた私たちは、自宅でもガンモとまるみというハンドルネームで呼び合っている。では、外ではお互いのパートナーのことをどのように呼んでいるのだろうか?

 ガンモは私のことを「嫁はん」と言っているらしい。私はと言うと、友人や実家の両親の前では「ガンモ」と言い、仕事仲間の前では「夫」や「主人」などと言っている。「旦那」という言い方は好きではない。「旦那」という言い方には突き放すようなイメージがあり、対等ではない夫婦関係を連想させるからだろう。

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2004.04.06

ルールのない生活

 ガンモと私の生活には、ルールというものが存在しない。ルールに規制されることなく、お互いの自由意思で秩序を保っている。相手に対して、自分がどう動けばいいかを知っているのだ。

 ルールが必要になるのは、愛のない世界だろう。それぞれが別々の自由意思を持つからルールが必要になる。例えば交差点。もしも、道を曲がろうとする人が自分本位に走らず、別の方向からやって来る人に対しても愛を持つことができたら、交通ルールは必要ないだろう。国家についても同じことが言える。

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2004.04.05

爪の形

 ガンモと私は、手の大きさも同じくらいで、驚くほど爪の形が似ている。まるで、同じ親から生まれた兄妹のようだ。

 爪には、様々な形がある。尖った爪の人、丸い爪の人、四角い爪の人。爪の形が似ている人とは相性がいいというのが、私なりの持論である。

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2004.04.04

お気楽デミーズ

 もともとクラシックカメラというマニアックな世界で知り合い、結ばれた私たちだが、パソコン通信の電子会議室の中で、キヤノンデミというハーフサイズカメラの愛好会(デミーズ)を設立することになり、どういう流れからか、私が初代会長、ガンモが副会長をつとめることになった。

 何度か撮影会を行ったのだが、会長、副会長ともに毎回遅刻。(^^; ガンモと私は、当時、まだ付き合ってもいなかったというのに、二人が同じように遅刻して来るので、付き合っているのではないかと噂になっていたらしい。

 デミーズの主催する写真撮影会では、骨董市やフリーマーケットなどのお気楽スポットを訪問し、ライカやコンタックスなどの高級カメラは持ち込み禁止とした。

 このお気楽デミーズは、クラシックカメラの愛好会の中では、かなり成功した例と言える。しかし、日本全国にデミブームを引き起こしてしまい、キヤノンデミの中古価格を極端につり上げてしまうことになった。カメラ仲間からは、「キヤノンデミの値段をつり上げた張本人として、指をさされたものだ。

 今になってようやく、私があれほどまでにハーフサイズカメラに魅せられた理由がわかるような気がする。ハーフサイズカメラは、フルサイズのフィルムを半分に割って撮影する。つまり、一つのものを半分こするわけである。それは、一つのシングルベッドに仲良く寄り添って寝たり、一つのお椀で味噌汁をすする私たちの生活に近い。

 先日この日記で紹介させていただいた、近々結婚するという友人もまた、キヤノンデミに徹底的に魅せられた一人である。そして、彼もまた、くっつきたくて仕方のない彼女と出会ったのだ。

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2004.04.03

瞑想のポーズ

 ガンモと私は、向かい合わせに抱き合うと、とても安心感を覚える。抱き合うことで、お互いの心も身体もフィットするのを感じるのだ。

 結婚して間もない頃、私たちは、ソファの上で抱き合ったまま眠りについたものだった。ガンモはこのポーズを「瞑想のポーズ」と名付けた。その状態のまま、心も身体も安定させることができるからだろう。しかし今は、お互いの体重が同じように増えてしまい、長時間、瞑想のポーズを取ることができなくなってしまった。

 もっと痩せて、瞑想のポーズを復活させなければね。(^^;

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2004.04.02

最大のケンカ

 こんなふうに仲のいい私たちでも、最大の危機とも言えるケンカを体験したことがある。それは、結婚して間もない頃のことだった。大手スーパーのクレジットカードを作る、作らないで、ガンモと私の間でひどくもめたのだ。そのスーパーは、自宅付近には支店のないスーパーだったのだが、スーパーの定める日に買い物をすると割引になるというセールストークにつられてしまった。私はカードを作りたくて仕方がなかったのだが、ガンモはカードを作ることにひどく反対し、大ゲンカになってしまったのだ。今思えば、本当に些細なことが原因だった。

 帰りもずっと険悪ムードで、それでも、離ればなれで歩くのが寂しかった。家に帰ってから、このままガンモと別れることになってしまうのだろうかとまで思い始めた。そして、ガンモにこれまでのお礼を言おうとしたとき、私の中に大きな変化が起こった。

「私は、ガンモと一緒にいた時期が、人生でもっとも輝いていた時期だった」

 そう言い終わるやいなや、私の目から、涙が滝のように流れ出したのだ。そして、私たちは固く固く抱き合った。どうしてこれほどまでに愛と感動を与えてくれた人と離れられようか。二人ともまったく同じ気持ちだった。そして、何事もなかったようにキスをし、仲直りした。

 それ以来、大きなケンカはしていない。私が一人で実家に帰るほどのケンカもない。ときどき小さなケンカをすることはあるが、いつもケンカの最中に抱き合い、キスをして和解する。こんなケンカなら、きっと楽しいことだろう。だから、おなら同様、ケンカの最中に抱き合ったりキスをすることもお勧めしたい。

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2004.04.01

おならのススメ

 ガンモがウェブ日記を書くようになってからというもの、いろいろな方の書かれた日記を読むのが日課になっているようだ。ガンモの読んでいる日記には、パートナーの前でおならをしない夫婦がとても多いそうである。ご主人さんの前でふと素に戻っておならをしてしまったとき、顔を赤らめてしまう自分がいたなどという記述を見つけては、面白おかしく私に報告してくれる。

 あるとき、私がガンモの前で生理用のナプキンとタンポンをあてがっていると、ガンモが私にこう言った。
「そういうこと、よその奥さんは、ダンナさんの前ではしないんだってよ」
「ふうん」
と私。

 我が家は何ごともオープンだ。家でも実家に帰ったときも一緒にお風呂に入るし、トイレも開け放しである。当然、おならも平気でする。私が便秘で苦しんでいるときは、ガンモがトイレのドアを開けて応援に駆けつけてくれる。お互いに、何かを恥ずかしがる必要がない。つまり、自分と区別する必要がない関係なのだ。

 おそらく、お色気たっぷりの気分でセックスをしたいと思う夫婦は、パートナーの前では醜い部分をさらさないのだろう。でもそれは、私からすると、臭いものに蓋をした条件付きの愛のように映って見えてしまう。

 今でもおならをするのを恥ずかしがっているご夫婦がいたら、パートナーの前でおならをすることを是非ともオススメしたい。愛があれば、絶対に楽しくなれるはずだから。

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