コンパートメント車両で行く、セドレツ納骨堂
※チェコ/街歩き~カレル橋の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 残暑が非常に厳しいですね。十月の初めくらいまでこの残暑が続くのではないかというニュース記事を読み、絶望的な気持ちになっています。地球に向けてのレイキヒーリングを続けて行きたいと思います。
プラハに到着して三日目の早朝、ホテルの部屋で「ポッポー」という電車の汽笛音が聞こえた。何とそれは、ガンモがタブレットにインストールしていたチェコ国鉄のアプリからの通知だった。私たちは滞在中にチェコ国鉄を利用することになっていたので、ガンモがチェコ国鉄のアプリを使って列車を予約してくれていたのだった。アプリの通知音に列車の汽笛音を採用するなんて、チェコ国鉄はなかなか粋な計らいをしてくれるではないか。アプリからの通知は、車両編成が変わったことと、それに伴い、予約していた座席番号が変わったことだった。車両構成としては、一列の向かい合わせの座席から、ハリーポッターの登場人物たちが乗っていたようなコンパートメント車両に変わったとのことだった。コンパートメント車両に乗車できるなんて、きっと楽しい旅になるに違いない。
私たちはホテルで朝食を取ったあと、予約していた列車に乗るために、プラハ本駅まで歩いて移動した。ヨーロッパの鉄道は、日本と違って、列車が発車するプラットフォームが、出発の二十分ほど前に決まるため、駅に設置された電光掲示板を見ながら、あらかじめ予約しておいた列車がどのプラットフォームから発車するのかをチェックする必要がある。
ようやく、私たちが乗車する列車のプラットフォームが決まった。プラットフォームに移動してみると、同じ列車に乗る人たちがたくさんいることがわかった。乗車する車両の入口を見つけたので、そこから乗り込んだところ、確かにコンパートメント車両で構成されていた。ただ、コンパートメント車両が横に広いため、まるで寝台列車のように通路が狭く、反対側から歩いてくる人たちを通してあげるために、ときどきどこかのコンパートメント車両の中に入って通路を空けなければならなかった。ガンモ曰く、アプリが示す進行方向と、列車を引っ張る機関車の位置が反対になっていたため、多くの人たちが自分の予約した席に移動するのに、同じ車両でも遠いほうの入口から乗り込んでしまい、車両の反対側まで移動する羽目になってしまったようだった。もちろん、私たちも例外ではなかった。
何とか予約していた席に着席し、コンパートメント車両でおよそ一時間、ゆったりと過ごすことができた。途中、チェコ国鉄の車掌さんが切符の確認に来られたので、ガンモがチェコ国鉄のアプリを見せて対応した。チェコ国鉄のアプリがあれば、紙の切符を購入する必要がない。車掌さんにはアプリが表示しているQRコードを読み取ってもらうだけで良いのだ。チェコ国鉄は、日本よりも進んでいると思った。
私たちはクトナー・ホラ駅で降りた。ここにはセドレツ納骨堂という、とても変わった納骨堂がある。どのように変わっているかというと、納骨堂の内装に人間の骨が使われているのである。チェコについて調べていたときに、セドレツ納骨堂が穴場の観光名所であることがわかり、こうしてやって来たのである。
そもそも何故、人間の骨が内装に使われているかについては、チェコの穴場スポット!骸骨教会『セドレツ納骨堂』の行き方と詳細情報のサイトに詳しく書かれている。要約すると、13世紀頃に、セドレツの修道院長だった人がエルサレムを訪れ、イエス・キリストが磔になった丘と言われているゴルゴダの丘の土を持ち帰り、その土を共同墓地として使用されていた場所に撒いたという。そのことが中央ヨーロッパ中に広まり、その墓地への埋葬を希望する人たちが殺到したことに加え、14世紀から15世紀の間にペストの流行やフス戦争などで亡くなった何万人もの人たちがその墓地に埋葬されたそうだ。しかし、墓地が巨大化したことから、やがて地下に納骨堂が作られ、その後、19世紀になってから、当時の教会の持ち主が埋葬された人たちの骨を使って納骨堂を内装して欲しいと木彫家に依頼したことで、現在の形に収まっているらしい。ちなみに、納骨堂の中は、現在は撮影禁止となっているのだが、セドレツ納骨堂の公式チャンネルがYouTubeに存在しており、内装も公開されているので、ここでご紹介しておきたい。(実際に人の骨で装飾されているので、人の骨が苦手だという方は注意が必要かもしれない)
実は私たちは、2009年にパリの地下墓地カタコンブを見学している。セドレツ納骨堂を見学したときも、パリの地下墓地カタコンブを見学したときと同じような気持ちになった。パリの地下墓地カタコンブの記事から、当時、私の私が感じたことを、以下に転記してみた。
・山積みされた人骨は、いくつものオブジェのように私たち観光客の心の中に響く何かを落として行った。私の中に芽生えたのは、肉体を出て行った魂は、もはやかつての肉体には執着していないという感覚だった。それと、たくさんの人骨が一箇所に集められることで、個は潰されているが、「大きな一つ」を生み出しているということだった。私たちは、肉体を持っている間は自由意思を持ち、全体の中の単なる一つの存在に過ぎないが、ここに集められた七百万体の無縁仏は、肉体から離れることで自由意思を手放し、全体で「大きな一つ」を形成していた。つまり、One of themからOneへの変貌を遂げたように思えたのだ。生きるということは執着し続けることで、肉体を離れるということは執着から解放されることなのかもしれないとも思った。
・(編集後記より)それにしても、積み上げられた人骨を初めて目にしたときは驚きました。最初のうちは、人骨を薪のように積み上げるなんて、死者に対して敬意が払われていないように感じたのですが、骨の種類ごとにきれいにまとめられているのを確認したとき、決してこれらの人骨が無造作に扱われているのではないと思い直しました。それに、ここに葬られていればたくさんの仲間たちと一緒なので、寂しくはないのではないか、とも思いました。更には、ここに収められた人骨は、自分への扱いが無造作であるとか、敬意が払われていないとかいうことはもはや気にせずに、次の段階へ進んでいると思いました。感じることや、考えるところの多い場所でありました。
さて、セドレツ納骨堂をあとにした私たちは、大聖堂へと向かった。その途中にあるお店では、骸骨が飾られていた。また、お土産物屋さんでは、ドクロが売られていた。
セドレツ納骨堂が死者のための場所であるとするならば、大聖堂は生きている人たちのための場所と言えるのかもしれない。大聖堂内はとても明るく、ポジティヴな雰囲気に包まれていた。涼しかったことと、座るための椅子もたくさんあったので、私たちはしばらくここで休んだ。ヨーロッパの教会らしく、宗教画や懺悔室などが展示されていた。
その後、私たちは、再び歩いてクトナー・ホラ駅まで戻った。この駅のトイレは、タッチ・ペイが使えたので、小銭の持ち合わせがなくても利用することができた。実は、プラハ本駅からの列車を降りた直後にこのトイレを利用しようとしたときに、またしても小銭の持ち合わせがなくてあたふたしていたところ、小銭の持ち合わせがなかったチェコ人の女性が家族に助けを求め、そのチェコ人の家族の方が小銭を入れてくださり、私も一緒にどうぞと言ってくださった。とても有難かった。トイレ用の小銭は、トイレのドアを空けるためのものなので、ときどきこういったことが起こる。(または、トイレから出て来た人が、トイレの入口のドアを開けたままにして、トイレに入ろうとしている人を招いてくださることもある)
トイレを済ませた私たちは再び列車に乗り、プラハ本駅まで戻った。帰りはプラハ本駅までの直通列車ではなかったので、途中の駅でまたまたコンパートメント車両の列車に乗り換えた。こうしてチェコの三日目が静かに過ぎて行ったのだった。
今回も私が撮影した動画をご紹介させていただくことにする。鉄分がかなり多めになってしまっているかもしれないが・・・・・・。
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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人間の骨を内装に使うなんてとんでもないと思われるかもしれませんが、パリのカタコンブと同様に、骨はとても丁寧に扱われていました。そのため、安心して訪れても良い場所だと感じました。
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